早稲田にある金城庵は、三島由紀夫が楯の会で利用していた蕎麦屋ですね。
蕎麦、天ぷら、どれも良い味ですね。
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アイヌ民族の日本酒は、ひえから作るのですのですね。神に供えるものなので、あまりアイヌ民族は飲まないそうです。
「文章構成法」と「文章心理学」
1.文章構成法
a.文章の運びの分類・・森岡健二『文章構成法』至文堂・・
1.序論→本論→結論 cf.はじめ・なか・おわり
2.a起→承→転→結 b.起→承→承→結
3.一般から特殊へ(パスカル)・特殊から一般へ
4.原因から結果へ・結果から原因へ(パラグラフライティング)
・・木下是雄『理科系の作文技術』中公新書・・
5.既存から未知へ・・パスカル・・
アリストテレス『形而上学』『弁論術』・・先行研究・3つの根拠
デカルト『方法論序説』・・分類・二元論(二項対立)
パスカル『幾何学的精神』・・説得には共感と論理が必要
ヘーゲル「弁証法」・・反対意見の想定
正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)
b.文章の構造の分類
頭括型・尾括型・双括型・・一般
c.文章の性質の分類
1.文章の調子・・韻文と散文
2.表現方法・・文語と口語
3.表現意図・・実用的文章と非実用的文章
2.文章心理学
文章心理学・・波多野完治の創始。文の長短、句読点の多少、品詞別にみた用語の使用頻度、修辞技法、複文・重文・単文の別などの数量的考察。安本美典、堀川直義、中村明に受け継がれる。
3.文章心理学と文章表現
a.インパクトのある文章
1.和語・漢語
和語よりも漢語の方が硬い印象を与えます。例えば、「しつこい・執着」「難しい・難解」などです。「努力」「活性化」「挑戦」「活動的」などの名詞化した言葉も同様に、動詞の持つプロセスが失われてしまう言い方で、硬い印象を与えます。あえて難解な漢語を用いて、知的に見せ、相手をうならせ、感心させることもできます。 cf.岩波新書・京大学派
2.「ひらがな」「漢字」・・「ひらがな」と「漢字」のイメージで文章を書き分ける
方法がある。
漢字の割合が多い・・男性的・硬派なイメージ・相手を威圧したり自分を強そうに見せるときに使う。
ひらがなの割合が多い・・女性的・ソフトなイメージ・親しみやすさをアピールするときに使う。 cf.梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書
3.ポジティブな言い回し・・言い回しをポジティブにした方が好印象を与えるこ
とができる。
(例)「5分の2は失敗です」→「5分の3は成功です」
4.数値やデータ・・数値やデータを使うと説得力がでる。
(例)「不登校のきわめて多くが、家庭内に問題があることが知られています。」→「不登校の62%が、家庭内に問題があることが知られています。」
5.権威者・専門家の意見の引用・・権威者の引用も読み手を納得させるのによい
方法である。
(例)「アリストテレスによると・・・」
「ノーベル賞のセリエ博士によると・・・」
6.対比(二元論・二項対立)・・対比を使うのも有効である。
(例)「科学が進歩しても、戦争はなくならない。」
「アメリカに対して日本は・・」
b.接続詞と心理
小説・エッセイ・・「そして」「しかし」「さらに」などの接続詞は、あまり使用しない。接続詞の力を借りなくても滑らかに心地よく文章を運ぶという特徴がある。
(主な接続詞・接続助詞の心情)
「しかし」「けれども」などの逆接の接続詞が多用される文章
・・論理的・批評的という心情。
「要するに」「つまり」などの換言の接続詞が多用される文章
・・簡潔にしたい、気短な心情。
「ので」は客観的な性質、「から」は主観的な性質を示す。
cf.ヴィクトール・フランクルの選択の自由
アルバート・エリスの信念(ビリーフ)
c.わかりやすい説明的文章のポイント
文学的表現が国語教育では要求されるのですが、それは説明的なわかりやすい文章が書ける人が取り組む、つやのある文章のことであり、高水準のことを要求していることになる。以下、説明的文章として、わかりやすい代表例の竹内均(1980)『私の知的鍛錬法』(徳間書店)を参考に示してみる。
1一文章一主語で、一文を短くし、短い文章を連ねる。
(例)
「空中窒素の人工固定の道が開けてから、空気中の窒素は最大の資源となったわけだが、現在の空気中の80%というその量は、今後100万年間、つまり人類が地球上に姿を現してから現在にいたるまでとほぼ同じ期間、これから後肥料として使えるほどの量である。」
→「空中窒素の人工固定の道が開けてから、空気中の窒素は最大の資源となった。窒素は現在の空気中の80%を占めている。この量は、今後100万年間、人類がこれを肥料として使えるほどの量である。100万年といえば、それは人類が地球上に姿を現してから現在にいたるまでとほぼ同じ期間である。」
2主語と述語とを接近させ、形容詞や副詞はかかる言葉にできるだけ近づける。
(例)
「だから私は今度の川崎の予知連の発表はいろいろ言われているけれども、トータルで見れば成功だったと思う。」
→「今度の川崎の予知連の発表はいろいろ言われている。しかし、トータルで見れば、成功だったと私は思う。」
「おそれいりますが、都合によって裏門を閉じていますので、表門へお
まわり下さい。」
→「都合によって、裏門を閉じております。おそれいりますが、表門の方へおまわり下さい。」
「近年行われたウンカの発生時期についての研究からも・・」
→「ウンカの発生時期については近年行われた研究からも・・」
3主語と述語との対応に注意する。
「私は、日本の経済もゼロ成長期に入りました。」
→私の考えでは、日本の経済もゼロ成長期に入りました。
→日本の経済もゼロ成長期に入った、と私は考えます。
4あらすじを描いてから細部を書く。
d.一文の長さ-波多野完治・加藤秀俊-
一文の長さについては、40字から50字が適当といわれている。1962年に波多野完治が調査し、新聞は一文が長いと言う批判を受けて、一文を短くしたきっかけになった結果を以下に示す。
|
|
ノン・フィクション |
新聞 |
読本 |
小説 |
|
一文の文字数 |
60.5 |
97.9 |
39.2 |
34.5 |
1.平均で30~35字というところ
(辰濃和男『文章の書き方』)
2.平均で40字ぐらいまで
(中村明『名文作法』:加藤秀俊『自己表現』)
3.40~50字以下
(安本美典『説得の文章術』)
4.一文が60文字を超えたらわかりにくくなるので、注意が必要。
(樋口裕一『頭がいいの正体は読解力』:樺島忠夫『文章構成法』)
cf.一文の長い作家・・谷崎潤一郎
一文の短い作家・・森鷗外・芥川龍之介・志賀直哉
(参考文献)
石原千秋(2006)『大学生の論文執筆法』ちくま新書.
小笠原喜康(2018)『最新版・大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書.
木下是雄(1994)『レポートの組み立て方』ちくま学芸文庫.
河野哲也(2018)『レポート・論文の書き方入門』慶應義塾大学出版会.
芳賀綏(1962)『国語表現教室』東京堂.
森岡健二(1985)『文章構成法』至文堂.
口語文・標準語の成立
1.口語文の成立から改革へ・・中村真一郎『文章読本』(新潮文庫)の分類・・
Ⅰ 口語文の成立(言文一致運動)
二葉亭四迷
・・「だ調」『浮雲』・・ロシア文学の翻訳。坪内逍遥の影響。
山田美妙
・・「です調」『胡蝶』『夏木立』
尾崎紅葉
・・「である調」『多情多恨』 cf.『金色夜叉』
Ⅱ 口語文の完成
自然主義(客観描写)
・・島崎藤村・田山花袋など。
泉鏡花
・・硯友社主宰の尾崎紅葉の弟子。夢と空想。
夏目漱石(学者と作家の文体統一)
・・漢文・泉鏡花・落語の影響・英文学
森鷗外(学者と作家の文体統一)
・・漢文の影響・ドイツ文学
Ⅲ 口語文の進展
白樺派(流れる文体)
・・武者小路実篤・志賀直哉(フランス語公用論)など。
志賀直哉
・・夏目漱石の文体の系統
芥川龍之介
・・師匠は木曜会主宰の夏目漱石、文体は森鷗外の流れ。
永井荷風・谷崎潤一郎
・・森鷗外の文体の系統
Ⅳ 口語文の改革
新感覚派(抒情的)・・横光利一・川端康成など
横光利一・・夏目漱石の文体の系統
2.作家・文学者の『文章読本』での文語と口語の言文一致運動についての意見
(谷崎潤一郎)
思うに、我が国の或る時代において、久しい間「口で話される言葉」と「文章に書かれる言葉」とが截然と分かれておりましたのは、ただ今申す「薄紙一と重を隔てる」心持が働いていたでありましょう。即ち口語は現実の一種であり、しかもとかく饒舌に陥りやすいのでありますから、文章語の品位を保つために、その間に相当の距離を設けたのでありましょう。
(三島由紀夫)
口語文は言語の発達と変化にともなって、あまりにも文章が実用から離れ、文章を作るということと、実際の社会生活とのあいだに乖離が起こって来たことから、当然歴史的に生まれたものということもできましょう。一例が、われわれは昔のような着物だけの生活では、物質文明の潮流を乗り切れないので、みっともないと思いながらも、洋服に着替えて靴をはき、社会生活のテンポにあわせて行かなければならなかったように、文章もまた激しい時代や社会の変化に即応して「なになになんめり」というような文章が、チョンマゲのように滑稽に見えてきたこととも関係があります。風俗は滑稽に見えたときおしまいであり、美は珍奇からはじまって滑稽で終わる。つまり新鮮な美学の発展期には、人々はグロテスクな不快な印象を与えられますが、それが次第に一般化するにしたがって、平均的美の標準と見られ、古くなるにしたがって古ぼけた滑稽なものと見られていきます。
(中村真一郎)
ひとつの文明の初期の段階では、多分、人は「話す言葉」と「書く言葉」とのあいだに、あまり大きな区別はしなかったでしょう。ところが、その社会が発達するにつれて、「書く言葉」の方は、次第に精練され、巧緻になり、合理的にも美的にもなって行って固定し、一方、「話す言葉」の方は、絶えず社会の変動に伴って変化して行きます。明治維新の頃は、文章語、文語は、一般に漢文-これは極東諸国の文明的共通語でした-の影響を受けた、格調高いものに完成し、一方、市民の話し言葉は、かなり柔軟な、ニュアンスに富んだ、感覚的なものに進化していました。そうして、この文語と口語との差異は、いちじるしく開いてしまっていました。・・〈中略〉・・江戸の後期では、文語と口語では、このように開きが大きくなり、同じ時代のものでありながら、拙堂文を口語に直したり、三馬のものを文語にするということは、もう不可能になっています。これほど極端な開きがでてくると、人々はもう一度、文語を口語に近づけようと考えるようになります。今日、私たちが日常に書いている文章、また新聞記事など、皆、この明治以来の口語文なのです。
3.標準語と共通語
標準語・・理想・人為的・厳しい規範性・その言語の価値を高めるのが目的・
国語教育
共通語・・現実的・自然の状態・ゆるい規範性・現実のコミュニケーションの手段
とする目的
4.標準語の歴史
a.京都語の時代(古代から近世前期)
b.京阪語と江戸語の時代(近世後期)
c.東京語の時代(大正5年【1916】)
→国定教科書に口語体の文章が採用(明治37年【1904】)
「願はくは予をして新に発達すべき日本の標準語につき、一言せしめたまへ。予が此点に就ては、現今の東京語が他日其名誉を享有すべき資格を供ふる者なりと確信す。ただし、東京語といへば或る一部の人は、直に東京の『ベランメー』言葉の様に思ふべけれども、決してさにあらず、予の云ふ東京語とは、教育ある東京人の話すことばと云ふ義なり。且つ予は、単に他日其名誉を享有すべき資格を供ふとのみいふ、決して現在名誉を享有すべきものといはず。そは一国の標準語となるには、今少し彫琢を要すべければなり。」
(上田万年「標準語に就きて」1895年【明治28年】)
「主トシテ今日東京に於テ専ラ教育アル人々ノ間ニ行ハルル口語ヲ標準トシテ案定シ、其ノ他ノ地方ニ於ケル口語ノ法則トイヘドモ広ク用ヰラルルモノハ、成程度マデ之ヲ斟酌シタリ。」
(大槻文彦『口語法』『同別記』1916年【大正5年】)
(参考文献)
中村真一郎(1982)『文章読本』新潮文庫.
野村剛史(2010)『話し言葉の日本史』吉川弘文館.
野村剛史(2013)『日本語スタンダードの歴史』岩波書店.
野村剛史(2019)『日本語「標準形」の歴史』講談社.
山本正秀(1965)『近代文体発生の史的研究』岩波書店.
山本正秀(1971)『言文一致の歴史論考』桜楓社.
小田原城を🏯見てきました。
白くてきれいな城ですね。
北条家の5代の流れも学べました。





上野にあるハイボールバーは、気軽に入れて、よい店ですね。
特に氷柱ハイボールが、きれいです。
氷を包丁で切り、洗い、霜取りをしたものです。




レアな現代文の参考書を入手しました。
昔は、戦前の教養主義の名残があり、一流の学者が学習参考書を書いていました。現在の大学レベルの内容があります。
共通テストなどという、時間に追われる愚劣な試験の対極ですね。