2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

無為自然

○道・・万物の根源 万物を生み出し、育て上げるが、自己主張しない。目に見えず「無」ともいえる。大自然の神秘的な働き。 ○無為自然・・道に従う生き方 自然のあるがままのはたらきと一体になり、無欲に生きること。ぜいたく、虚栄を捨てた生き方。 ○柔弱謙…

荘子とは

荘子 老子は、実在の人物でなかったともいわれるが、荘子は紀元前4世紀ごろ実在したとされる。荘子はとらわれのない自由な精神を徹底させた。王様が、彼に宰相になってくれと頼んでも放置した。最愛の妻が亡くなったとき、「生も死も本来一緒だったのだ」と…

近現代の日本の儒学

近現代の日本の儒学と政治思想(朱子学)・・東京大学・京都大学を中心に中国哲学として発達。学問としての政治学と結びつく。 丸山真男・・マルクス主義的 加地伸行・・教養主義的(陽明学)・・知行合一としての実践としての側面を生かし、積極的に政治に…

韓非子と墨子

韓非子(法家を形成)韓非子は、荀子の弟子だった。荀子は性悪説を根拠に、礼による矯正を重視する徳治主義(礼治主義)を説いた。韓非子は、性悪な人間は刑罰をともなわない礼では矯正できないとして、法治主義を採用した。 ○法治主義・・性悪説を根拠に、…

荻生徂徠の思想

荻生徂徠(古学の発展−古文辞学) 荻生徂徠は、伊藤仁斎に弟子入りを志願したが、その意志を伝えた手紙に対し、仁斎から返事はなかった。仁斎が重病で返事がなかったのだが、徂徠は仁斎を誤解し、仁斎批判を始めたといわれている。同じ古学でも、仁斎と徂徠…

老子とは

老子(道家の創始者) 老子と荘子の思想は、道に従って生きることを説いたので、道家と呼ばれる。道家の道は、道徳のことではい。老子たちの道は、万物の根源で、それ自体は無とされる。相当神秘的な思想である。諸子百家の中で、道家は異彩を放っている。彼…

日本の儒学1

日本の儒学Ⅰ1朱子学の日本における展開 儒学は、はじめ僧侶の教養科目として学ばれていた。藤原惺窩は、儒学に強い魅力を感じて還俗し、儒学を仏教から独立させた。 ○藤原惺窩 日本儒学の祖。仏教の非日常性、出世間性を批判。 ○林羅山 「上下定分の理」の強…

朱子学・陽明学概説

朱子学と陽明学1朱子学 儒家は、秦の始皇帝によって弾圧されたが、漢の時代には再興した。のちに儒学は、科挙(官僚の採用試験)の試験科目となり、盛んに学ばれた。朱子学は、12世紀に南宋の朱子(朱熹)によって生み出された新儒学である。 ○理気二元論・…

朱子学と陽明学

朱子学と陽明学1朱子学 儒家は、秦の始皇帝によって弾圧されたが、漢の時代には再興した。のちに儒学は、科挙(官僚の採用試験)の試験科目となり、盛んに学ばれた。朱子学は、12世紀に南宋の朱子(朱熹)によって生み出された新儒学である。 ○理気二元論○性…

近世の資料

(近世の資料)一 ある人のむすこ、九歳より十二の年の暮まで、手習ひにつかはしけるに、その間の筆の軸を集め、そのほか人の捨てたるをも取りためて、程なく十三の春、我が手細工にして軸すだれをこしらへ、一つを一匁五分づつの三つまで売り払ひ、はじめて…

荀子と性悪説

荀子と性悪説 孟子の30年ほど後に生まれた荀子も、孔子の徳治主義を支持した。ただし、人間の性質を悪だとし、その悪を矯正するための礼治主義を唱えた。 ○性悪説 人間の性質は、生まれながら悪であるとする。善は、後天的な教育、努力によるものと考える。 …

孟子の政治論

孟子の政治論 ○王道政治 有徳な君主による、人民の福利をはかる政治。⇔覇道政治(君主の私利私欲のため行う武力による政治) ○易姓革命 覇道政治を行う王朝については、天命があらたまり、王道政治を行う王や王朝に代わるとする考え。

孟子と性善説

孟子と性善説 孔子の死後、墨子などが人気を集め、儒学はあまり学ばれなくなった。孔子の死後100年ほど後に生まれた孟子は、孔子の教えを再興した。孟子は徳治主義を支持する根拠として、性善説を唱えた。 ○四端説・・人間は、生まれながら徳の端緒となる4つ…

孔子の思想

孔子の思想の特徴 ○復古的傾向、秩序の重視 周の封建制を理想とした、君主中心の秩序ある政治が目的。 ○教育の重視 「性、相近きなり、習い、相遠きなり」(性は生まれながらの差、習いは後天的学習)。ただし、人間が生まれながらに平等であるといってはい…

宿曜経と開運

宿曜経占星術と開運法 宿曜経占星術を一般公開した小峰有美子氏は、宿曜経を用いながらの開運法として、次の二点を勧めています。仏教・密教・儒教的な視点といえますね。 1仏壇や墓参りなどで、先祖を崇拝する。 2文殊菩薩の真言(オン アラ ハシャノウ)を…