複数の名前について

複数の名前について
戸籍には一つの名前しか登録できませんが、複数の名前を使い分けているケースがあります。その方針は、古来の名前の在り方に由来すると考えられますので、特に問題はないと思います。
古代中国では、「名」は15歳になると「字(あざな)」という、「名」を補うための名前を持ちました。字は名の補い、または名と似たような意味のものを加え、名をさらにパワーアップしたものと考えられます。その結果、15歳以降は「字」で呼ばれることとなり(女性は婚約が決まったころに「字」を持つことが多かったようです)、「名」で呼ぶのは親と師匠だけになりました。他に、号というペンネームも複数持ちました。「名」を知られると、呪いをかけられるとも言われてきましたから、字は必要だったのでしょう。日本でも、女性は自分の名は母親から教わり、「諱(忌み名)」とされて婚相手にしか教えなかったようですし、「きよ」が結婚すると「きよ子」にしたり、名前を少し変える風習がありました。
日本でも、昔は人も成長に従って名を変える習慣があったのです。産まれると「幼名」、元服すると「諱(いみな)(本名)」、職に就くと「官職名」、隠居すると「雅号」など、死んだ後は「諡号(しごう)(おくり名)」といった具合です。また、武家の男子は元服(成人式)を機会に、幼名を捨て、実名と通称(相手に敬意いを表するときや距離を置きたいときのもの)をつけました。例えば、出生順(源九郎義経など)、役職名(大石内蔵助良雄など)、父の役職(清少納言など)、居所(桐壷更衣など)などがありました。実名は漢字二字を訓読みするのが習いで、後見役の烏帽子親の実名から一字もらい、自分の家に継承されている通り字と組み合わせる方法(家康→家光など)が一般的でした。ただし、公家は古代の中国に習い、祖父や父の名前を使うのを避けるので、まったく父の名は使いませんでした。
出世魚は成長に従って名が変わるめでたい魚です。人もそれにあやかって、立派に成長を遂げ、世に名を成したいものです。
このように考えると、親がつけた名前だから変えないというのでなく、「本名をパワーアップさせる名前を持つ」と考えるのが妥当ではないでしょうか。