江戸時代の儒学

日本の儒学の流れ
仏教中心で儒教は僧侶の余技→徳川家康朱子学が採用→儒学中心・仏教は葬式仏教へ
1古文辞学派・荻生徂徠
2古学派・・伊藤仁斎山鹿素行
3江戸朱子学・・林羅山
4江戸陽明学・・中江藤樹
(学派の対立)
朱子学派(理論)vs陽明学派(実践)
朱子学派(性善説)vs徂徠学派(性悪説

抄物のいい解説がありましたので、引用します。
執筆は柳田征司氏。さすがに大家らしい記述ですね。


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説



抄物
しょうもの

室町中期から江戸初期にかけて、京都五山の禅僧や博士(はかせ)家の学者などが漢籍や仏典や一部の国書を注解・講義した際に、これを受講した者が筆記した聞書(ききがき)。さらに講者の講義用草案や講義口調で書いた注釈をもこれに含める。『論語抄』『史記抄』『三略抄』『杜詩(とし)抄』『碧巌(へきがん)録抄』『貞永(じょうえい)式目抄』などのように、講義の対象となった原典名に「抄」を付した書名をもつものが多いため、「往来物」などと同じ仕方でこうよばれる。今日膨大な量の抄物が全国各地の寺院や図書館などに伝存するが、代表的な抄物としては、牧中梵祐(ぼくちゅうぼんゆう)講、桃源瑞仙(とうげんずいせん)(1430―89)聞書・抄『史記抄』、惟高妙安(いこうみょうあん)(1480―1567)抄『玉塵(ぎょくじん)』、清原宣賢(きよはらのぶかた)(1475―1550)講、林宗二(りんそうじ)(1498―1581)聞書『毛詩環翠口義(もうしかんすいこうぎ)』などをあげることができる。その本文は、原典の語句を抽出して、それについて片仮名交りゾ体(ナリ体のものもある)の文体で注釈するものが多い。桃源『史記抄』の周本紀の部分から例示する。
  長子――文身断髪ハ、荊蛮(ケイバン)ノ俗一生水ニツカリテヲルホドニ、身ニ画ヲカイタリ、イレハウクロ(入黒子)ヲシタリ、髪ヲ断テ、ヲソロシサウニシタリナンドスルゾ。蛟竜(カウリユウ)ガクラウホドニカウシテヲドスゾ。中岩ノ日本紀ヲ撰(セン)セラレタニ、国常立尊(クニトコタチノミコト)ト云ハ呉太伯ノ后裔(コウエイ)ヂヤナンドヽ云ハ、不合事ゾ。中岩ホドノ人ヂヤガウツクシウモ不合事ヲヲセ(仰)ラレタゾ。
 当時の口頭語を反映するため、キリシタン資料、狂言台本とともに、室町時代日本語の研究資料として価値が高い。曹洞(そうとう)僧によって作成された抄物は、東国方言の研究資料となる。また、抄物の注釈は、原典の単なる注釈にとどまらず、百科全書的知識を与えようとしていることが多く、種々の面から注目される。中国哲学・文学はいうまでもなく、国文学、国史学の立場からも注目、利用されている。[柳田征司]
『湯沢幸吉郎著『室町時代の言語研究』(1929・大岡山書店) ▽中田祝夫編『抄物大系』(1970〜75・勉誠社) ▽岡見正雄・大塚光信編『抄物資料集成』(1971〜76・清文堂出版)』

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