国語教育と自己修養

 こんばんは。今回は「国語教育と自己修養」について考えてみます。自己を浄化することのできるものとして、古来より、漢詩・和歌があげられてきました。これらの韻文について、もっと取り組みが必要ではないでしょうか。安岡正篤氏は漢詩中国哲学・中国の史書を読むことを自己研鑽の立場から勧めました。これらの書物からは、先人の叡智を学ぶことができ、たいへん感化される点で精神の栄養になるといえます。近年では、渡部昇一氏が、漢詩や和歌の重要性(とりわけ漢詩の暗記を勧めている)を説いています。記憶力・国語力強化の点で、たいへん漢詩の暗記はすぐれている。また、森信三氏は和歌の中でも、とくに『万葉集』やその影響を受けたアララギ派(特に島木赤彦)の歌を勧めています。『万葉集』には、日本人としての素朴な感性、そして言霊が十分に生かされており、音読すると神々や自然との一体感を感得できるのが特徴です。確かに論理的な能力や教養を高めるということで、評論・論説文などを主体に文学・歴史・社会学の融合的なものを学ぶという国語教育や入試国語の方向性は理解できます。しかし、自由な発想や自己浄化、そして国語力とセンスを磨くためにも漢詩・和歌の鑑賞と暗誦は、ことばの芸術としてもすぐれたものであると考えてよいでしょう。実際、国語教育の現場でも、漢詩百人一首を暗記している生徒ほど、国語のセンスがよいという特徴があるのです。今後の国語教育のあり方に再考を促したいところです。
漢詩・和歌は、国語のジャンルの中で芸術性がもっとも高いと考えられます。実際、一流の文人といわれている人物は、日常の雑踏の中で、ふっと生き抜きとして日常をはなれて和歌・漢詩の世界に浸っているものです。明治期の日本人は、西郷隆盛正岡子規夏目漱石森鴎外など漢詩が得意であった。ぜひ、芸術、そしてカタルシス(自己浄化)としての漢詩・和歌を積極的に取り入れたいところです。
また、近年の国語教育では、文部科学省の検定済の教科書から、国語という科目に対しての「道徳」の要素を持たせようとしていることが認められ、その点について石原千秋氏は『教養としての大学受験国語』の中で、詳細に述べています。しかし、道徳の要素をもたせるにしても、明確に生き方の学びにはなっていないため、渡部昇一氏が述べるように、四書五経などの漢文を多く取り入れて国語力を強化し、偉人伝・人間学としての教材も望まれるところです。しかし、漢文を指導できる教員が少ないため、漢文のよさを伝えられず、単に読み、そして解釈をしている実態があるのは残念です。もっと教員免許を取得する際に、漢文指導法などの必須科目を増やすなどの努力も必要なのではないでしょうか。それと同時に、現場の教員も漢文の重要性に気づき、しっかりと勉強することが急務です。