読書と国語教育

 こんばんは。今回は、「読書と国語教育」について書いてみます。知性を磨くには、読書は欠かせませんが、その読書法として精読・濫読・速読などがあります。また、本のジャンルもさまざまなものがあります。そこで、知的生産としての読書について考察してみます。
 第一に、読書は何のために行うのかを考えてみます。読書は単なる知識のレベルに留めるためのものではないでしょう。孔子のいう、君子(教養人)と小人(知識人)とを分ける読書の方法があるはずです。哲学者で教育に重要な発言をした森信三氏は、読書は知識を増やすためのものではなく、体に栄養が必要なのと同様に、心の栄養になるものでなければならないと述べています。そのためには、偉人伝、人生哲学、和歌集(特に『万葉集』や島木赤彦の歌)などがよいとし、雑多な知識が統合されると述べています。この論からもわかるとおり、仕事のために知識だけを得るのも止むを得ない面もありますが、真に人間として心の栄養となる読書を心がけたいものです。
 第二に、読書を行う空間について考えてみます。何かと忙しいとどうしても、読書をする時間が取れなくなってくるものです。しかし、忙しい合間を上手に使って読書を行うことが重要です。文芸評論家の加藤周一氏は、隙間時間を利用した読書が実は必要であることを力説しており、頭脳の活性化と関連させて述べています。陽明学者であった安岡正篤氏は、「硬い読書」と「軟らかい読書」とに分け、普段は中国哲学などの古典の「硬い読書」を精読することを勧めていますが、それだけでは頭が硬くなってくるので、「軟らかい読書」も混ぜることを勧めています。そのためにも、「寝る前」「御不浄」「車中」での読書を行う時間を作ることが必要であると述べています。中国では、小説はつまらないものとして軽視され、歴史書中国哲学書・漢詩が権威を持ってきました。ある意味で、小説は「軟らかい読書」ということに分類してよいでしょう。人間は、だんだんと思索していくために、通常は硬い読書が中心となるものですが、たまには、柔軟性を保つために軟らかい読書も織り交ぜたいものです。
 第三に、読書の幅を広げていく方法を考えてみます。一般に、ある気に入った本の参考文献や引用文献としてあがっているものを順に読んだり、特定の著者の他の本を読んでみたりすれば、次々に読みたい本が出てくるものです。地球物理学者の竹内均は、一冊の本からその中で紹介または引用されている本を順番に読むようにすれば知識が次々に増えるので、効果的であることを述べました。この方法を「つるったぐり読書法(芋づる式読書法)」と命名しています。この方法は、社会学者である清水幾太郎氏のいう、「おおげさに準備する」ことと一致しているとも考えられ、学者・研究者と呼ばれるタイプの人々が行う典型的な読書法です。近代日本文学専攻で、評論家の谷沢永一氏は、ある特定の著者を「全部読むべき著者」と「代表作だけ拾い読みする著者」とに分ける方法をとっているようです。
 文化人類学者の梅棹忠夫氏は『知的生産の技術』の中で、江戸時代の新井白石の例を示しながら、手帳やカードなどのメモを書き付ける読書の仕方を述べています。この方法は、渡部昇一氏に引きつがれているといえるかもしれません。英文学者で評論家の外山滋比古は、既知のものを読む「α読み」と未知のものを読む「β読み」とに分けています。その上で、未知のものを読む「β読み」のほうを推奨しており、読書の大切さを説いています。この方法は知的好奇心には欠かせない読書法といえます。この方法は心理学者の多湖輝氏の述べる「なぜ・なに」という精神の重要性と一致しているのです。英語学者で評論家の渡部昇一氏は、『知的生活の方法』で、一回目に本を読んだときに線を引いておき、そののち、その線を手がかりに情報カード(京大型カード)に日付とタイトルを記入するというスタイルをとっており、それらを分類していくという方法をとっています。この方法は、知識を確実なものとして習得することができ、多くの分野の著作を生み出してきた発想の原点でといえるでしょう。