複雑系という考え方
「複雑系という考え方」
最近の欧米の一部の科学者が提唱する考え方で、「複雑系」ということばが出てきます。この言葉について、濱田嘉昭氏は、「生体を構成する要素間の関係に主眼を置き、要素の集団が全体の性質を決め、全体の機能が要素に影響を持つ複雑系の考え方で生命を捉えなおし、そのための科学的方法が模索されはじめている」と述べています。簡単にいうと、「つながりあって、常時変化しているシステム」というこれまでの科学にはない概念です。
従来の科学は「人間機械論」「自然機械論」でした。機械的にシステムをつくり、修復するという考え方でした。これに対して、複雑系は、条件さえよければ自分で秩序をつくれるというシステムです。異常がおきても自分で異常を修復でき、自然界は多種多様な要素が自律的に協力しあって秩序を創っている複雑系とみなすのです。ダーヴィンは自然界を弱肉強食とみました。その思想は資本主義の中に定着していますが、環境問題が叫ばれるようになると、生態学者の今西錦司は「棲み分け理論」を主張し、「共生」という新しい自然の見方が生まれました。国際キリスト教大学名誉教授の石川光男氏は、この複雑系という考え方を適用して「共創」という考え方を主張しています。この考え方は興味深いので、『致知』(二〇一〇・六月号)から引用してみます。
「複雑系が秩序を創る機能のことを私は『いのち』と名づけました。自然の有り様そのものをである『いのち』を日本人の生き方の土台にしたら、五百年、千年と崩れることのない価値基準となる。そう確信を持ったんです。ただ、『いのち』というと、仏教思想と混同されますので、私独自の言葉で『共創』と表現するようになりました。・・しかし、私は共生だけでは足りないと思ったんです。複雑系という視点で考えたとき、自然界はただ仲良く生きているだけではない。自律的に協力しあって秩序を創っている。それが自然界で最も重要な、人間が学ぶべき点だと思います。『共創』にはそういう思いがこめられています。」