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長沼直兄の日本語教科書における受身文について



はじめに

本稿では、近代・現代の日本語教育に偉大な業績を残した長沼直兄の受身記述及び、長沼直兄編纂による日本語教科書における受身文の扱い方に焦点を当てて、考察することとする。丸山敬介(1997)、河路由佳(2010)の指摘にもあるように、長沼直兄の中心となる考え方を示している、NAGANUMA(1945)『FIRST LESSONS IN NIPPONGO』開拓社(以下、略称『FLN』)、及び長沼直兄(1931−1934)『標準日本語読本』財団法人言語文化研究所を用いることとする(注1)。


1.長沼直兄の日本語教科書受身記述

長沼直兄(1945)の『FLN』は、英語による日本語の入門書である。そこでは、41課で次のように英語と日本語との受身表現の違いに言及し、「れる」の形で受身動詞になり、日本語の場合には、英語と異なり、受動的事柄に限定して受動表現が使用され、ほとんどの受身表現には対応する能動表現があることを述べている。

The Japanese passive is very different from the English passive voice. In English the passive voice is used profusely, not because it is absolutely necessary, but because it is convenient to avoid mentioning a subject. It is merely used as a grammatical means. Such construction as “People say that …”or“They say that…”are clumsy, so that“It is said that…”is used to avoid them.
The Japanese passive is different. It is used only when a passive construction is necessary.
In the case of “yodan”verbs the passive voice is formed by adding reru(which has its own inflections) to the negative base(which ends in a)
・・(中略)・・
In Japanese comparatively small number of verbs are used in passive constructions since most sentences may be expressed by the active voice.

また、主語が人間ではない「非情の受身」と動作主が非情物の場合についても、次のように述べており、日本語本来のものではない表現で、めったに使われないものであることを述べ、迷惑・被害の受身には言及せず、「雨に降られる」は擬人法・慣用表現としている。

An important thing to remember concerning the passive is that the subject of a passive sentence is usually a living thing such as a person, an animal ,an insect, etc. Inanimate objects are seldom used as subjects or agents except when they are personified or idiomatically used Ame ni hurareru is an example of an idiomatic construction.Further examples are:
Kono sinbun wa hiroku yomarete imasu.
This newspaper is widely read.
Kaze ni hukarete hana ga tirimasita.
Blown by the wind flowers have fallen.
Ano hito no namae wa yoku sirarete imasu.
His name is well known.

このように、『FLN』では、日本語と英語の受動表現の違いに着目しながら受身文を展開している。この点、のちの寺村秀夫が行った日本語と英語との対照による日本文法研究の萌芽と考えることもできる。
また、『FLN』の大きな特色として、Substitution Tableと呼ばれる置換表をそれぞれの課に配置していることがあげられる。これは基本的なものから順に並べた文型練習用のテキストであることを示している(注2)。以下、41課の置換表と例文を示してみる。

Oziisan ni sikara-
Syuzin ni tanoma-
Hito ni warawa-
Dorobo ni nusuma-
Ame ni hura- -remasita.

  • reru desyo.
  • reso desu.
  • renaide kudasai.
  • retaku wa arimasen.

1.Oziisan ni sikararemasita. I was scolded by grandfather.
2.Shuzin ni tanomaremasita. I was asked by the master.
3.Hito ni warawaremasita. I was laughed at by people.
4.Dorobo ni nusumaremasita. I was robbed by a robber.
5.Ame ni huraremasita. I was caught in the rain.
6.Oziisan ni sikarareru desyo. You will be scolded by grandfather.
7.Syuzin ni tanomareru desyo. You will be asked by the master.
8.Hito ni warawareru desyo. You will be laughed at by others.
9.Dorobo ni nusumareru desyo. You will be robbed by a robber.
10.Ame ni hurareru desyo. You will be caught in the rain.
11. Oziisan ni sikarareso desu. We are likely to be scoled by grandfather.
12. Syuzin ni tanomareso desu. We are likely to be asked by the master.
13. Hito ni warawareso desu. We are likely to be laughed at by people.
14. Dorobo ni nusumareso desu. We are likely to be robbed by a robber.
15. Ame ni hurareso desu. We are likely to be caught in the rain.
16. Oziisan ni sikararenaide kudasai. Please don’t get scolded by grandfather.
17. Syuzin ni tanomarenaide kudasai. Please don’t be asked by the master.
18. Hito ni warawarenaide kudasai. Please don’t be laughed at by people.
19. Dorobo ni nusumarenaide kudasai. Please don’t be robbed by a robber.
20. Ame ni hurarenaide kudasai. Please don’t be caught in the rain.
21. Oziisan ni sikararetaku wa arimasen. I don’t want to be scoled by grandfather.
22. Syuzin ni tanomaretaku wa arimasen. I don’t want to be asked by the master.
23. Hito ni warawaretaku wa arimasen. I don’t want to be laughed at by others.
24. Dorobo ni nusumaretaku wa arimasen. I don’t want to be robbed by a robber.
25. Ame ni huraretaku wa arimasen. I don’t want to be caught in the rain.

これらの置換表の例のローマ字書きを漢字仮名交じり文に直すと、「おじいさんに叱られました」「主人に頼まれるでしょう」「人に笑われそうです」「泥棒に盗まれないでください」「雨に降られたくはありません」となり、次のことが指摘できる。
○「れる・られる」で受身を作る。
○受身はニ格で動作主を示す。
○受身表現と会話の「です・ます」表現、依頼表現、推量表現、意志表現を重視する。
○会話を扱っているので、受身文の主語を省略する。
○いずれも例文は、会話に多い迷惑の受身の例である。

42課の可能を扱っている課でも受身についての言及があり、可能動詞はpassive formとして扱い、非情の受身はめったに使わないことを示し、日本語特有の受身として自動詞の受身について述べ、それらは迷惑・被害の受身となっていることを以下のように述べている。


Dictionary form Passive form
taberu tabe-rareru
akeru ake-rareru
miru mi-rareru
kiru ki-rareru
Minasan ni homeraremasu.
He(or She) is praised by everybody.
However, as was mentioned already inanimate objects are seldom used as subjects are seldom used as subjects of passive sentences.In Japanese, even such a sentence as “This fish is eaten”sounds strange. “The book is opened”is practically impossible.
・・中略・・
One characteristic point of the Japanese passive which is totally different from English is that Japanese intransitive verbs can be made passive.In such a case it means that the subject of a sentence gets the effect or sesult of an action by another.
Watakusi wa okyaku ni koraremasita.
“I was come by a guest”is impossible in English, but the above is a perfectly good Japanese sentence. It means that I get the effect of a guest’s coming, hence “A guest came”(to my regret).
Kodomo ni nakarete komarimasita.
I was quite troubled by the child’crying.
Anokata wa okusanni sinarete komatte imasu.
He is quite troubled owing to his wife’death.

また、この42課では、以下のように受身は可能の意味を伴っているため、受身と可能の見分け方についても述べている。

The Japanese passive is often used in a potential sense. To be exact there is a form which denotes potentially, and this form happens to be the same as the passive. Therefore, we have to use our judgment in determing whether the form is passive or potential.
・・中略・・
Generally speaking, a potential sense is more usual in a sentence whose subject is inanimate.

また、45課では使役を扱い、以下のように使役受身について述べている。

In case the causative is to be used in a passive construction the passive element comes after.
Mazui mono wo tabe-sase-raremasita.
I was made to eat a tasteless thing.
Zuibun matase-raremasita.
I was made to wait a long while.
Takai mono wo kawase-raremasita.
I was made to buy an expensive thing.

このように受身動詞の項目で受身をすべて説明せずに、可能動詞の課で「自動詞の受身」「迷惑の受身」、使役動詞の課で「使役受身」について述べる方針をとっていることがわかる。


2.長沼直兄の日本語教科書における受身の使用状況

長沼直兄(1931−1934)『標準日本語読本』を用い、受身の用例調査を行ったところ、次のようになった。表は用例数を示し、有は主語が有情、非は主語が非情であることを示す。

巻1 巻2 巻3 巻4 巻5 巻6 巻7 巻全体
主語表出 15
有9
非6 31
有7
非24 54
有18
非36 84
有13
非71 99
有26
非73 94
有19
非75 49
有31
非18 426
有123
非303
二格
5
1 11 10 14 8 8 57
ヲ格
2
7 6 6 20 13 5 59
カラ格
2
0 8 3 4 2 2 21
ニヨッテ格 0
2 2 4 4 2 2 16
自然的可能 0
7 6 14 4 7 5 43
用例数 16 47 79 109 127 115 67 560

受身の意味的分類で一般に用いられる、「直接受身」「自動詞の受身」「持ち主の受身」「迷惑の受身」「非情の受身」「自然的可能の受身」「使役受身」といった一通りの受身文が出ている。また、動作主の格表示も表に掲げた「二格」「カラ格」「ニヨッテ格」以外にも、「デ」「ニテ」「ニヨリ・ニヨリテ」「ヲ以テ」「ヨリシテ」「ヨリ」「ノ為・ノ為ニ」といった多様な表現が出てくる(注3)。
受身文は、日本語のレベルが上がるほど用例数が多くなる傾向があるため、『標準日本語読本』は巻1の第一部が初級、第2部から巻2が中級・上級に該当するため、そこまでに一通りの受身の形は揃い、巻5までは、巻を追うごとに受身文が増加しているので、レベル別の意識がなされているといえる。巻6(文型練習中心)と巻7(手紙文中心)は、『再訂標準日本語教科書』の際には、再版されなかったものであり、巻5までで完結していると受身文の用例数からも考えることもできる。
また、近代文語文による漢文訓読調の漢字カタカナ交じり文では、受身の用例が頻出し、主語の表出率及び非情の受身の比率が高い(注4)。このことは、近代文語文による漢文訓読調の文章は、一種の翻訳日本語であることを反映していると考えてよいであろう。


3.長沼直兄に影響を与えた西洋人の研究と洋学者の受身記述

長沼直兄は、パーマーの影響を受けていることは広く知られ、長沼直兄の論文の中にも頻繁に紹介されているが、関正昭(1997)では、「は」「が」「て」「た」等を取り上げ、長沼直兄は西洋人の日本語研究の影響が見られることを指摘している(注5)。そこで、主な西洋人による日本語研究の受身記述と、日本人の洋学者の受身記述とを比較してみることとする。

3.1西洋人の受身記述

西洋人の本格的な日本語研究は、ロドリゲスから始まり、チェンバレンで完成した形になるとされている(注6)。この流れは、受身記述をたどってもいえることである。以下に受身記述の箇所についてみていくこととする。

ロドリゲス

ロドリゲス(1604-1608)『日本大文典』では、「られ・らるる」「れ・るる」によってつくられる「受動動詞」という扱いをしており、動詞の接尾語として扱っている。また、動作主は奪格の「より」「から」「に」で示され、「より」や「に」で示される場合には上品になると説明している。また、「胸を討たるる」「手足を切られた」など、身体の一部を対象とした対格を取る動詞の種類も示し、対格は元の動詞のときにも存在していたもので、間接受身に気付いている記述をしている。
ロドリゲス(1620)『日本小文典』では、細かい受身の記述はなく、第一種活用の動詞には「られ」、第二種及び第三種活用の動詞には「れ」を伴って受動動詞になることを述べている。

ホフマン

ホフマン(1867-1868)『日本文典』では、受動動詞を三つに分類して、「られ・らるる」「れ・るる」の接続の違いを説明し、日本語では自動詞でも受動表現になり、日本語の受動表現はあからさまなものではなく、潜在的な受動表現であると述べている。また、「受動動詞の支配」という言い方をし、動作主は「に」「より」「から」「のために」で示し、対格は目的語として受動表現になってもとどまることを示している。

アストン

アストン(1872)『文語文典』では、自動詞と他動詞とに分け、「るる」「らるる」で受動動詞を作り、可能動詞にも通じる点と自動詞から受動動詞が作られる点を強調している。
アストン(1873)『口語文典』では、自動詞も受動表現になり、「れる」「られる」で受動動詞を作ることを述べている。また、英語の動作主の「by」を「に」に当てている。

ヘボン

ヘボン(1886)『和英語林集成 第三版』では、序の箇所に日本語の文法について述べられており、四段・五段活用の例を用いて、軽く受動動詞を表にして触れており、可能動詞につながるものとしている。

チェンバレン

チェンバレン(1889)『日本口語文典』では、受身の動詞は対応する自動詞の能動態から得られるとし、第一活用、第二活用、第三活用から成り立ち、不規則動詞を別に扱っている。また、自動詞も受身にできることを述べ、動作主は「に」で示している。なお、受動態から可能態につながることも指摘し、対格の「ヲ」が目的語としてもとのまま残る文は習得が難しいことを述べ、直接目的語につく「ヲ」は注意する必要があるとしている。

このように西洋人の日本語研究では、受身動詞は可能動詞の意味を含むという視点でとらえられている。そのため、長沼直兄の『FLN』において、受身については受身の課だけではなく、可能の課においても論じていることは、西洋人の日本語研究の影響と考えることができる。

3.2洋学者の受身記述

国学者の先行研究を幕末の西洋人の日本語研究家は参照したことについては、古田東朔(1977)が論じている。一方で、国学者と洋学者という立場の違いも存在する。そこで、日本の洋学者の受身記述をみてみることとする。

鶴峰戊申

鶴峰戊申『語学新書』の「現在格」の箇所に、
格なるをながるゝといふことは、る居ながらにして、みづからを受くる辞となる也。・・〈中略〉・・れるもるると同格なり。
またふるくはるを延てらくと言へり。・・〈中略〉・・見らくすくなくこふらくのおほきなど。
また万五、又十五などに泣るをなかゆといひ、同二十などに厭れをいとはえといへるなどはみな古語也。
と述べている。ここでは、動詞の語尾としての「る」と助動詞としての「る」「れる」を、古典の例では区別しているが、口語では区別しないで、同じものとして扱っている。

田中義廉

田中義廉『小学日本文典』に、
生徒ガ教師ニ教ヘラル 木ガ風ニ倒サル などいふときは、生徒及び木は、教師及び風の作動を受くるを以て、これを受動といふなり。他動詞の能動は、本然の形を変することなし。其受動は、ル(被、此詞は有の受動形なり)ラル(有被の約言)なる助動詞と結合す。・・〈中略〉・・ここにル ラル スなる詞は、動詞に結合して、恰も語尾の如くなれども、其実は助動詞にして、他の語尾と全く異れり。
とあり、「る」「らる」を助動詞として扱った。このことが、後の大槻文彦に続くものとされている。つまり、国学の系統では、「る」「らる」を動詞の語尾として扱ってきたのに対して、洋学の系統では、助動詞として扱ってきた。その後、洋学の系統が学校文法に取り入れられることとなり、主流となったといわれている(注7)。斉木美知世・鷲尾龍一(2012)の指摘にもあるように、助動詞という概念を用いたことは日本的な発想であるといえる。


結び

以上述べたことから、結びとしてまとめてみる。
1.長沼直兄の日本語教科書受身記述の特徴
○「れる・られる」で受身を作ると述べる。
○受身はニ格で動作主を示すとする。
○受身表現と会話の「です・ます」表現、依頼表現、推量表現、意志表現を重視する。
○会話を扱っているので、受身文の主語を省略する。
○いずれも会話に多い迷惑の受身の例である。
○非情の受身や動作主が非情物は、日本語本来の表現ではないとする。
○可能の課で「自動詞の受身」「迷惑の受身」、使役の課で「使役受身」を扱っている。
○受身には可能の意味を含むとしている。
2. 長沼直兄の日本語教科書における受身の使用状況
○巻1から巻5は一つの完結したものと考えられ、文章のレベル別の意識が十分にあらわれている。
○受身の多様な形があらわれており、十分に学習することができる。
○近代文語文による漢文訓読調の文では、受身の用例が頻出し、主語の表出率及び非情の受身の比率が高く、一種の翻訳日本語であることを反映していると考えてよい。
3. 長沼直兄に影響を与えた西洋人の研究と洋学者の受身記述
○ロドリゲスからチェンバレンまで、先行研究を積み上げる形で記述されていることがわかる。共通項として、動詞を接尾語として扱い「受動動詞(受身動詞)」とし、可能動詞とつながるものととらえ、自動詞から受身が作られ、対格(直接目的語)の存在に注意していることがわかる。これらの発想は、伝統的な国語学の流れも考慮しながら、長沼直兄の日本語の受身記述にも生かされている。
○日本の国学者と西洋人の日本語研究との共通点として、「る・らる」「れる・られる」を接尾語として扱い、動詞の一部に組み入れて考えることがあげられる。一方、日本人の洋学者は「る・らる」「れる・られる」を助動詞として扱っていることは、日本的な発想であると言える。



1
丸山敬介(1997)は、『標準日本語読本』(1931-1934)は7巻から成り、巻1から巻7までを、「巻1の第1部は初級レベル、巻1の第二部は中級レベル、巻2は中級後半から上級レベル、巻3から巻7では生のものを扱っている」と述べている。また、『改訂標準日本語読本』(1948)では、巻8に「漢文の初歩」「平易な古文」「高級な口語」を入れ8巻から成り、『再訂標準日本語読本』(1964-1967)では巻1から巻5までの5巻にしている。
2
河路由佳(2010)は、『FLN』について、「長沼直兄(1894-1973)の著作の中でも最も長く使われたものの一つである。今日では行動主義や構造主義によって理論的に裏付けられるSubstitution Table(置換表)を主として構成された教材で、長沼直兄は、同じ方法を英語教育に応用した教材も作成している。Substitution Tableは、長沼直兄がその外国語教育に従事した初めに強い印象を受け、生涯にわたってその日本語教育の実践に活用し続けたものであった。」と述べている。また、長沼直兄が大きな影響を受けたとされるH.E.Palmer(1936)の著作でも置換表が採用されている。
3
巻1 巻2 巻3 巻4 巻5 巻6 巻7 巻全体
ニヨリ(テ) 0 0 0 3 0 3 0 6
ノ為(ニ) 0 0 3 1 2 2 2 10

0 0 0 2 0 0 0 2
ニテ
0 0 0 0 0 1 0 1
ヲ以テ
0 0 0 1 1 1 0 3
ヨリシテ 0 0 0 0 1 0 0 1
ヨリ
0 0 0 0 1 2 0 3
※このように動作主の格表示が多様な日本語教科書は、現代ではみられないものである。管見に入るかぎり、近代でもこれほど動作主の格表示の多様な日本語教科書はみられない。
4
近代文語文による漢文訓読調の漢字片仮名交じり文は、『標準日本語読本』の巻1から巻7の全体の用例数として80例あり、主語の表出は73例(有情11例・非情69例)で、格表示は、ニ格4例・ヲ格9例・ニヨッテ格3例・カラ格1例・自然的可能1例である。また、ノ為(ニ)1例・デ0例・ニテ0例・ヲ以テ2例・ヨリシテ1例・ヨリ0例である。
5
関正昭(1997)は、以下のように今日の日本語教育文法に至る流れを以下のように5つにまとめている。
① 16‐17世紀のロドリゲス、幕末・明治期のホフマン、S.R.ブラウン、アストン、サトウ、チェンバレンら外国人日本語研究家の文法
② 中国からの留学生のために、松下大三郎・松本亀次郎らが考案された文法
③ 旧植民地・占領地に対する日本語普及のための教材開発の一環として考案された文法
④ 戦前自ら開発した教科書シリーズとそのグラマーノートが大戦下のアメリカに大々的に用いられ、世界的に広まった長沼直兄の文法(その文法は戦後初期に集大成され、戦後の「日本語教育文法」の基幹となった)
⑤ ③を継承して戦後の日本語教育への橋渡しをし、同じく戦後の「日本語教育文法」の基盤作りをした鈴木忍の文法
6
古田東朔(1977)は、明治末期までの外国人の日本語研究を、第一期をロドリゲス、第二期をホフマン、第三期をヘボンとアストンの三期に分けている。これらは思弁的な方法や実際的な方法の差になってあらわれているとしている。アストンはホフマンの研究や日本人の国学者の先行研究を参照しているため、高く評価している。また、杉本つとむ(2008)はホフマンを中心に展開した論を展開している。
7
古田東朔(1981)では、「る・らる」「す・さす」について次のように指摘している。
「この中で、「す・さす」と「る・らる」の類を「助動詞」に含めたことは、以後問題とされる。山田孝雄橋本進吉も、この類が他の類のものとは異なったものであることを指摘し、時枝誠記は、「助動詞」から除外し、接尾語として扱う。(江戸期の他の国学者たちも、これらの付いた動詞を一語として扱うのが普通であったし、幕末から明治へかけての外国人の日本語研究者たちも、その付いたものをcausative verb あるいは potential(passive) verb などとするのが普通であった。)」


参考文献
アストン(1872)『文語文典』京都大学法学部図書室蔵
アストン(1873)『口語文典』京都大学法学部図書室蔵
H.E.Palmer(1936)『Conversational English(英会話の理論と実際)』開拓社
H.E.パーマー、野田育成訳(1989)『言語学習の原理』リーベル出版
河路由佳(2010)「長沼直兄(1945)『FIRST LESSONS IN NIPPONGO』の成立と展開−長沼直兄の戦中・戦後−」『東京外国語大学論集』81号
斉木美知世・鷲尾龍一(2012)『日本文法の系譜学−国語学史と言語学史の接点−』開拓社
財団法人 言語文化研究所(1981)『長沼直兄日本語教育』開拓社
杉本つとむ(2008)『西洋人の日本語発見』講談社学術文庫
鈴木泰・清水康行・古田啓(2010a)『古田東朔 近現代日本語生成史コレクション 第3巻』くろし出版
鈴木泰・清水康行・古田啓(2010b)『古田東朔 近現代日本語生成史コレクション 第4巻』くろしお出版
関正昭(1997)「日本語教育文法の流れ−戦前・戦中・戦後初期−」『(財)言語文化研究所日本語教育叢書 復刻シリーズ第一回 解説』(財)言語文化研究所
チェンバレン(1889)『日本口語文典』[テキストは丸山和雄・岩崎攝子訳『日本口語文典』おうふう]
NAGANUMA(1945)『FIRST LESSONS IN NIPPONGO』開拓社
長沼直兄(1931−1934)『標準日本語読本』財団法人言語文化研究所
長谷川恒雄(1997)「長沼直兄著『標準日本語読本』に至るまでの途」『(財)言語文化研究所日本語教育叢書 復刻シリーズ第一回 解説』(財)言語文化研究所
古田東朔(1958)「日本に及ぼした洋文典の影響−特に明治前期における」『文芸と思想』第16号
古田東朔(1971)「ホフマンとヘボンの相互影響」『蘭学資料研究会 研究報告』第252号
古田東朔(1974)「アストンの敬語研究−人称との関連について」『国語学』第96集
古田東朔(1977)「ホフマンの『日蘭辞典』『日英辞典』」『国語学』108集
古田東朔(1978a)「アストンの日本文法研究」『国語と国文学』第55巻第8号
古田東朔(1978b)「ホフマン『日本文典』の刊行年について」『国語国文論集』第7号
古田東朔(1981)「大槻文彦の文法」『月刊言語』第10巻第1号
古田東朔(2002)「明治前期の洋風日本文典」『国語と国文学』第79巻第8号
ヘボン(1886)『和英語林集成 第三版』三省堂[テキストは講談社学術文庫版]
ホフマン(1867-1868)『日本語文典』[テキストは三沢光博訳(1910)『日本語文典』明治書院]
丸山敬介(1997)「構成とシラバスの点から見た『標準日本語読本』」『(財)言語文化研究所日本語教育叢書 復刻シリーズ第一回 解説』(財)言語文化研究所
ロドリゲス(1604-1608)『日本大文典』[テキストは土井忠夫訳(1955)『日本大文典』三省堂]
ロドリゲス(1620)『日本小文典』[テキストは日埜博司編訳(1993)『日本小文典』新人物往来社]