つれづれ草について
『徒然草』には、「人生論」が語られています。また、教養書としても読むことができます。しかし、意外と知られていない一面があります。実は、兼好は時の権力者である高師直と懇意にしており、政治とも結びついており、不動産なども多く所有している財テク家でもありました。また、出家はしているものの、若い頃は遊女とよく遊んでいたようです。
また、和歌の世界では、二条派(二条為世門下)和歌四天王(頓阿・浄弁・慶運・兼好)と呼ばれているほど、歌人としての評価が当時は高く能書家として知られていたようです。そのため、兼好法師が生きているころには、和歌・財テクといったことで有名で、『徒然草』は知られていませんでした。ところが、兼好法師の死後、連歌の心敬という人物が弟子たちに、教養書として役立つので『徒然草』を勧めたところから、一気に広まりました。現在では、『徒然草』は研究されつくしてしまい、あまり研究する学者はいません。しかし、活学として、人生論として読むことはまだできます。
兼好の本名は、「卜部兼好(うらべかねよし)」です。出家して「兼好(けんこう)」と名乗り、「兼好法師(けんこうほうし)」と呼ばれました。「卜部」家は、兼好の死後に「吉田」と苗字を改めました。そのため、「吉田兼好(よしだけんこう)」と呼ばれることもありますが、少なくとも生きているときには「卜部」で、自筆書状にもそのように書いてあります「卜部兼好」「兼好」「兼好法師」と呼ぶのがよいでしょうね。実際、学術の世界ではそのように呼びならわしています。『徒然草』について、簡単にまとめておきますので、参考にしてください。
(作者)
兼好法師(卜部兼好)
(成立)
一三三一年ごろ・江戸時代以降、二四三段に分けられている。
○兼好、四八歳か四九歳の頃の執筆(橘純一説)
○三〇段までは、二九歳か三〇歳頃の執筆(安良岡康作説)→三〇段までは無常観が詠嘆的、それ以降は無常観が自覚的・実感的。
(内容)
○多面的な教養をもつ著者が、興に従って書いた随筆。
○二四〇余段の短章からなる。
○求道・処世論・趣味論・自然観照・考証などの多岐にわたる。
(特徴)
○物事を多面的に観察し、合理的・常識的態度で書いている。
○儒教・仏教・老荘思想のほか、尚古趣味や享楽思想が混合している。
○文体は当時新興の和漢混交文と、流麗な擬古文が混在する。