日本の仏教のエッセンス
○日本の仏教
日本の仏教への流れ
インド(バラモン教+仏教)→中国(バラモン教・仏教・儒教・道教)→日本(神道・儒教・仏教・バラモン教・道教・)
仏教の受容・・物部氏(神道)vs蘇我氏(仏教)=蘇我氏の勝利=仏教の受容
1聖徳太子の活躍
538年あるいは552年に仏教が伝来したと言われています。現世中心主義の古代日本文化に比べて、仏教は深淵な教えでしたが、聖徳太子は大乗仏教を本格的に理解したと言われています。官僚機構を中国式に整備し、豪族を抑えて天皇の権力が優位にするようにはかりました。仏教・儒教などの国際標準によって、日本を改造しようというアイデアでした。
○十七条憲法・・当時の役人の心構え。日本古来の清明心の融合した「和」。
・和の重視・・協調の精神を最重要視。『論語』にも登場。
・「三法(仏・法・僧)」への尊敬・・仏教を最高の宗教とする
・「凡夫(ぼんぶ)」の自覚・・煩悩具足の身に対する仏教的自己反省の態度
○『三経義疏(さんぎょうのぎしょ)』・・「法華経」(仏教のエッセンスが書かれている)・「勝(しょう)鬘(まん)経(きょう)」(仏教の真髄が示されている)・「維摩経(ゆいまきょう)」(仏教のイントロダクションが書かれている)の注釈
2奈良仏教(南都仏教)・・南都六宗(倶舎宗・法相宗・三論宗・成実宗・律宗・華厳宗)
学者僧侶の研究サークルのようなもの
○鎮護国家・・国家安泰のための仏教(東大寺大仏建立に象徴される)。聖武天皇が深く華厳宗に帰依したため。
○行基の活躍・・ため池をつくり、橋を架け、民衆を助けたため、「菩薩」と言われた。大仏建立に尽力した。
3最澄(天台宗の開祖)
○『法華経』の重視・・「一切(いっさい)衆生(しゅじょう)にことごとく仏性(ぶっしょう)あり。」(ブッダは生まれながらブッダであり、永遠の命をもって衆生を救済する「久遠実情釈迦牟尼仏」)という、法華経の教えを中心とする。
○一乗思想・・「すべては仏性をもち、それを信じて修行すれば等しく涅槃に到達できる」という教え。奈良仏教の救済観(生まれながらの才能によって小乗、独学、大乗という救済方法に分かれ、大乗が最も高い涅槃のレベルに到達できるとする三乗思想)を差別的と批判。
○比叡山延暦寺・・天台宗の本山となるが、織田信長が比叡山に焼き討ちをかけるまで、法華経を中心に仏教について幅広く研究する仏教学の最高峰となる。
4空海(真言宗の開祖)
○密教の導入
すべての生命の象徴である大日如来を根本仏とする、バラモン教の系統のヒンドゥー教化した仏教で(オカルト超能力の宗教)、仏教の最新バージョンとして中国に伝わり、空海が日本にもたらした。釈迦の唱えた合理的な仏教とは対極の非合理的・神秘的な仏教。
○即身成仏
生きたまま、身心がそのまま仏になることが密教の目標。
○三密
手で印を結び、口で真言を唱え、心を集中する行。
○加持祈祷
大日如来を呼ぶ呪術的儀式。
○曼荼羅
大日如来を中心に様々な仏が描かれた図。宇宙の真理を象徴的に表す。
○高野山金剛峰寺
真言宗の本山。即身成仏を求める修行の場として知られる。
※
密教・・大日如来が自らの悟りを高弟に伝授した神秘の教え。空海が唐からもたらしたもので、空海は「父母からもらったこの体のまま仏とならねば何の意味があろう」と述べ、大日如来(太陽にたとえられ、一切の命の根源とされる)と一体化することによる即身成仏を唱えた。最澄の弟子の円仁・円珍が中国からもたらした密教を台密という。
顕教・・釈迦がそのときどきの弟子の能力に応じて説いた教え。人間が仏になるには三劫(300年)かかるとした。密教以外の教えを「顕教」とする。
平安末期の仏教の動き
1平安末期の仏教
○神仏習合運動
日本古来の神々と、仏教を融合させようとする運動→本地垂迹説(仏が根本で、神々は仏の化身であるとする説)。(例)天照大神は大日如来の化身。鎌倉以降は、反本地垂迹説も登場した。
○末法思想の流行
ブッダ入滅後、正法(教え・修行・悟りがある時代)、像法(教え・修行だけが残る時代)、末法(ブッダの教えだけが残る時代)が来るという教え。日本では1052年から末法に入ったとされている。末法思想が前提で布教活動が行われた。
2浄土教
○浄土教
死後に極楽浄土に生まれ変わることを教える。また、西方極楽浄土の教主である阿弥陀仏(阿弥陀如来)を信仰する。中国の善導(ぜんどう)が大成者とされる。阿弥陀仏の像を病室に運び入れ、病人と赤い糸で結んだりもした。
○源信
『往生要集』を著し、極楽浄土に生まれ変わるためには、念仏が最も効き目があると述べた。源信の念仏は「観想念仏」であり、阿弥陀如来の姿や浄土を想像し、思うことであった。このことが、貴族たちの活動につながった。
○空也
最初、貴族の間で広まった浄土信仰を民衆に広め、市(いちの)聖(ひじり)と呼ばれた。
※大乗仏教では、ブッダ(釈迦如来)以外に、大日如来や阿弥陀如来などが信仰の対象になった。
鎌倉仏教
【特徴】
1民衆への積極的な布教
2一つの修行、一つの仏を選んだ。
法然・親鸞・一遍の念仏、道元の坐禅
3易(い)行(ぎょう)
やりやすい修行を選ぶ・・法然・親鸞・一遍の念仏、日蓮の題目
4ほとんどの開祖が比叡山延暦寺
比叡山出身ではないのは一遍。栄西は天台宗に籍を置いたまま禅を導入。日蓮は天台宗・法華経の復興を図ったが、仲間がついてこなかったため宗門を開くことになった。
【主な開祖】
1法然(浄土宗の開祖)
比叡山で修行していた法然は、源信の教えに共鳴した。思索を深めた後、比叡山を下り、宗門を開くこととなった。農民に人気があった。
○浄土門の選択
末法思想を前提に、自力修行である聖(しょう)道門(どうもん)を退け、阿弥陀仏の力にすがる(他力本願)浄土門を選ぶ。
○専修念仏
ただひたすら念仏修行を行うこと。他の修行を捨て、念仏を唱えること。
※念仏・・阿弥陀仏を念じることであり、法然の念仏は、称名念仏で「南無阿弥陀仏」を唱えることである。「南無」とは、帰依することである。
2親鸞(浄土真宗)
法然は、念仏以外の修行はいらないといったものの、念仏を多く唱えるほどよいとしていた。法然の弟子の親鸞は、法然にはまだ自力が残っていると考え、念仏は1回唱えるだけでよく、大切なのは信心であるとした。出家修行者でもただの信者でもないとして妻帯した。寺は不要とし、道場(集会場)をつくった。主著として『教(きょう)行(ぎょう)信証(しんしょう)』、弟子の唯円のまとめた『歎異抄』がある。
○絶対他力
一切の自力を捨て、阿弥陀仏に帰依すること、すなわち「信」の強調。この絶対他力はキリスト教と似ているが、経典を重視せず、契約しないのでキリスト教と異なる。
○悪人正機
自力で悟りが得られない「悪人」こそ、極楽往生する「機(素質)」がある。それに対して、「自力(じりき)作善(さぜん)」の「善人(ぜんにん)」(自力で修行して悟りを開こうとする善人)は、阿弥陀仏への素直さに欠け、救われにくいとした。
○自然法(じねんほう)爾(に)
すべてのこだわりが消え、阿弥陀仏にゆだねきること。絶対他力の境地。
3一遍(時宗の開祖)
言い伝えによると、一遍は熊野権現(阿弥陀仏の化身とされる)から夢の中で、「信心の有無に関わらず、一遍の念仏で救われる」とお告げを受け、法然や親鸞以上に分かりやすい教えを説いて全国をまわった。時宗の時は臨終の時、つまり、極楽浄土に生まれ変わる時を示す。
○遊行(ゆぎょう)
全国を行脚し念仏札を配った。「一回の念仏で往生できる」という言葉を伝えた。
○踊念仏(おどりねんぶつ)
極楽往生を悦び、念仏に合わせて踊った。
○捨(すて)聖(ひじり)
すべてを捨て、念仏を唱えることを主張した。
4栄西(臨済宗の開祖)
栄西は、禅宗が日本に定着するように、天台宗に僧籍を置いたまま、建仁寺(比叡山の末寺)で宗教活動を行った。建仁寺では、禅・天台・真言の三学を兼学していた。主著に「坐禅が鎮護国家に聴く」ことを説いた『興禅護国論』がある。
※禅宗は、自力での坐禅修行を説いた宗門で、中国における始祖は達磨である。菩提樹の下で悟りを開いたブッダに倣おうとする考えで、大乗仏教の中でも原始仏教に近い立場である。
○公案
師と弟子の間でやりとりされる、仏教の教義に関係する禅問答。臨済宗で重視された。
○看話(かんな)禅(ぜん)
公案を検討し、理解することで悟りに至ろうとする立場。
5道元(曹洞宗の開祖)
道元は比叡山で修行したが、周囲の先輩たちに反発し、一乗思想にも共感できなかった。比叡山を出た道元は、栄西門下に入ったのち入宋し、天童山(てんどうさん)の如(にょ)浄(じょう)に「身心(しんじん)脱落(だつらく)」の教えを受けた。主著に『正法眼蔵』があり、弟子の懐奘『正法眼蔵随聞記』がある。武士に人気があった。
○只管(しかん)打坐(たざ)
ただひたすら坐禅修行を行うこと。坐禅こそ、仏教の開祖ブッダが悟りを得た方法で、最も正当な修行とする。
○身心(しんじん)脱落(だつらく)
自分の身心へのこだわり、すべての執着を捨て、坐禅に徹すること。これが悟りであるとした。
○黙(もく)照(しょう)禅(ぜん)
公案を否定し、思慮分別から離れ黙々と坐禅を行うこと。
○修証(しゅしょう)一等(いっとう)
修行と悟りとは一体であるということ。坐禅修行の中に悟りがあるとする。
→末法思想の否定
道元は、「人人(にんにん)みな仏法の器(うつわ)なり」と述べ、ブッダの行為や教えに任せて坐禅することにより、誰もが自力で悟りを得、生死を超えることができると説いた。いつの時代も変わりなく修行・悟りはあるとし、「世は末法で、修行も悟りもない」という末法思想を否定した。
6日蓮(日蓮宗の開祖)
日蓮は、天台宗、法華経を最高の教えだと思っていた。しかし、天台宗では他の宗派を学ぶことも許し、比叡山延暦寺は総合仏教研究所のようになり、世間では天台宗を捨てた親鸞や道元が教える念仏や坐禅が流行している。そのため日蓮は、地震や飢饉が発生するのは、邪宗がはびこっているからだと思った。主著に、「法華経」の再興によって国を守ると述べた『立正安国論』や『開目抄』がある。
○提唱(ていしょう)題目(だいもく)(唱(しょう)題(だい))
末法の世に、法華経を理解し覚えるという難しい修行は適さないと考え、題目「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を唱えることを主張した。南無=帰依する、妙法蓮華経=蓮の花のようにすばらしい法華経。
○立正(りっしょう)安国(あんこく)
この世を浄土にという、法華経の再興が日本を守ると考えた。
○四(し)箇(か)格言(かくげん)・・他宗攻撃
念仏(ねんぶつ)無間(むげん)(念仏を信じると無間地獄に)
禅(ぜん)天魔(てんま)(禅宗は悪魔の教え)
真言(しんごん)亡国(ぼうこく)(真言宗は国を滅ぼす)
律(りつ)国賊(こくぞく)(律宗は国賊の教え)
○法華経の行者
法華経に「法華経を広めるものには迫害が及ぶ」という記述がある。度重なる迫害にあった日蓮は、「自分こそが真に法華経を広める法華経の行者である」と自覚した。
※日蓮は折伏(しゃくぶく)(相手の誤りを打破し、正しい教えに帰依させる教化方法)を採用⇔慈悲の心で、相手にやさしく教えること。
自力系と他力系の宗派
日本の仏教を大きく分けると、自力系と他力系に分類することができます。全体的に、自力系は短命で、他力系は長命といえそうです。
○自力系・・短命型
空海(61)・日蓮(61)・明恵(59)・最澄(55)・一遍(50)・聖徳太子(48)
○他力系・・長命型
親鸞(90)・一休(88)・蓮如(85)・行基(85)・法然(80)・空也(70)
(長命な僧侶・宗教家の特徴)
法を説く僧侶・心理学者・宗教家などは、長生きが多いといわれています。息長くライフワークで活動するためでしょうか?町田宗鳳は、その理由を四つにまとめています。
1節制
2感謝の念
3宗教体験
4利他の精神
江戸時代の宗教政策
○邪宗(違法は宗派)として禁止した宗教
キリシタン・真言立川流・日蓮宗不受不施派
○残りは宗門人別帳で許可・宗教活動の禁止
葬式仏教・なまぐさ坊主
富永仲基の業績
江戸時代の富永仲基は『出(しゅつ)定後語(じょうこうご)』を書き、大乗経典はすべて後世の作であり、釈迦の真説ではないとした。これは、画期的なものとして知られている。
(参考)
鈴木正三・・各地を説法し、仏教の著述を行う。
石門心学・・石田梅岩の社会教育運動。儒学・仏教・神道・道教の説を取り入れて、士農工商を通じて道は一つ、平等であると説き、商人の正当性を強調した。これは渋沢栄一・松下幸之助・稲盛和夫へとつながる思想となった。
廃仏毀釈
明治時代になり、民衆の暴動である廃仏毀釈が起こり、寺が襲撃され、仏像が破壊された。
戒名について
○仏典には戒名をつけよとは、どこにも記述がない。
○僧侶としての名は古代インドではつけていた。
○「居士」は「在家の男性の意味」
○戒名は前後値上がりした←檀家制度がなくなり経済的に困窮したため
葬式について
○インドでは世俗の職業なので在家信者が関与していた。
○中国では儒教・道教式で行うので、仏教は関与しない。
○仏教は合理主義であり、霊魂の存在も信じないし、死者も恐れない。そのため、葬式を僧侶にやってもらうことになったのだと推測される。
○中国の仏教
中国の古代思想の「儒教」「道教」に「仏教」を取り入れる形となり、「儒・仏・道」の三教合一が中国のポスト古代思想となった。その結果「儒教仏教」「道教仏教」が成立し、日本には「儒教仏教」が入ってきた。
?漢訳仏典
鳩摩羅什(くまらじゅう)・・法華経の漢訳。語学の天才
玄奘(げんじょう)(三蔵法師)・・法相宗の開祖。玄奘以前の訳を旧訳(くやく)、以後の訳を新訳(しんやく)と呼ぶ。
?中国での混乱
1
中国人・・この世界こそが大事、この世界で幸福を追求すべき。
仏教・・この世界は苦であるから解脱を目指す。
2
中国人・・年長者や政治的指導者への服従は道徳や政治の根本原則。
仏教・・親を捨てて出家し、現実政治を離れて修行することに価値を置く。
3
中国人・・乞食は最底辺の人々の行うもの
仏教・・最高の聖者が行うこと
4
仏教の経典が区別なくバラバラに入ってきて、中国では大混乱。
?中国での解決策
1
仏教は哲学であり、思想であり、薬学や建築や美術、天文そのほかの実用知識だけと割り切り、現実政治は今まで通りの儒教で行う。
2
出家して現実社会と無関係になっては困るので、中国では僧侶を国家公務員にして、官僚組織に組み入れた(僧(そう)綱制(ごうせい))。結果的に仏教は費用がかかるので、リストラした結果衰退し、宋代以降は中国発祥の禅宗が生き残った。
3
どの教典が重要かを判定する「教相判釈(きょうそうはんじゃく)」を天台智邈が行って、経典のレベルを分けて学ぶことになった。「華厳経→阿含経→維摩経・勝鬘経→般若経→法華経→涅槃経」。法華経と華厳経をまず学習することにした。これを最澄は踏襲した。
?禅宗の特徴
1
開祖はインド人の菩提(ぼだい)達磨(だるま)(ボーディダルマ)で、「面壁九年」「不立(ふりゅう)文字(もんじ)」が有名。
2
中国で生まれたもので、仏教の経典を自由に解釈し、戒律を無視し、自給自足した。インドや中国では肉は食べるが、不思議なことに日本では肉は禁止した。聖武天皇の肉食禁止令→精進料理・日本料理のベース
3
「労働も修行である」としたため、日本では武士に人気があった。
4
人里離れた山の中で生活する禅宗は、中国人の好きな老荘思想と通じるところがある。茶を広めたのも禅宗で、栄西は『喫茶養生記』を日本で書いて、中国から茶をもたらして普及させた。