日本の儒学1

日本の儒学

1朱子学の日本における展開
儒学は、はじめ僧侶の教養科目として学ばれていた。藤原惺窩は、儒学に強い魅力を感じて還俗し、儒学を仏教から独立させた。
○藤原惺窩
日本儒学の祖。仏教の非日常性、出世間性を批判。
林羅山
「上下定分の理」の強調。朱子学の官学に貢献。「敬」の重視。
山崎闇斎
京都に開塾。「敬」の厳格な適用。
垂加神道・・日本の神々と儒学の融合。
○佐藤直方
山崎闇斎の弟子。儒学神道化に反対。国を超えた普遍的天理に基づくべきと主張。
○木下順庵
門下に新井白石、室鳩巣、雨森芳州などを輩出。
○雨森芳州
朝鮮語に通じ、李氏朝鮮との外交に活躍。
新井白石
正徳の治・・儒学による統治。
『西洋紀聞』・・イタリア人シドッチから伝えられた西洋文明を記す。

2陽明学の日本における展開
江戸幕府が贔屓にした朱子学は、武士にとって必須であった。しかし、「情」を否定する朱子学に不満を持つ学者も多かった。朱子学に飽き足りない人々は、陽明学や古学に転向した。
中江藤樹
日本陽明学の祖。
「孝」の重視・・「愛敬」(目上を敬い、目下も大切にする)にあらわされる。「孝」は、人間の心にある道徳の根本原理。宇宙を貫く道徳の原理。
○熊沢蕃山
岡山藩政に貢献
大塩平八郎
知行合一の実践」

3山鹿素行(古学の提唱)
古学は、古の儒学である。山鹿素行らは、朱子学理気二元論や情の否定などに疑問を持ち、仏教や老荘思想の影響が見られる朱子学を不純と考えた。孔子孟子を直接研究しようとするのが古学の運動である。
○士道論
戦いの無い時代の武士の道(武士道ではなく士道であることに注意)
→士は「三民の師」・・武士は農工商三民の倫理的指導者たるべき。武士は私欲なく有徳で、抜きんでて清廉潔白でなくてはならない。
※武士道・・武士本来の戦いの精神を強調。『葉隠』(山本常朝)・・「武士道とは死ぬことと見つけたり