近世の口語資料

近世の口語資料

(近世前期の上方の口語資料)


旅人在所の者に。此河をば何とか云ふ。愛染川とこたふ。さらばこれを染めてたべとて、手ぬぐいを差し出す。即ち受け取りて水に入れ広げてわたす。なにともいとはないの。いや水色にそまりて候は。
安楽庵策伝(一六二三)『醒睡笑』


○わしから先に死にさうな。
○エエ首を切らせる奴なれどねんごろがいに許しておく。
近松門左衛門曽根崎心中

○行て寝よう。
○親はないかも知らねども、もしあれば不幸の罰
○旦那坊主にお問ひなされ
近松門左衛門『心中天の網島』


(近世前期の東国語の口語資料)


楽阿弥は、これをも知らず、大いびきことごとしうかきて、前後も知らずふせり。女聞きて「あらおせらし。山かがちのねまり申したるよな。大飯かきとりて、腹ぼてるままに、夢にてをぶちあかし給ふべいよな。明日は又、道中だんべいに。てつべいを枕にぶつさげめされい。」といふ。さらばとて寝たりければ、蚊帳などつりて女もよりそひてねたり。男も草臥て、つらつら寝入りもせず。「旅の殿さ。情けないこんだ。虱が多くて、つかんで、ほうばるべいに。かゆくはひつかくべいよ」
浅井了意(一六五九)『東海道名所記』
→下野(栃木県)出身の遊女の言葉を写した記述


十日あまりも押すべいが、まだ押しつくさない。跡も十日路もつづくべいほどに、その故だところで、小荷田駄がでかくひつさげだ。先へおつ付けられない。こつちの人数は、四五日の扶持方は細首にひつかけたところで、三日や四日ばいは馬を押付けないでも事はかけまい。敵地だ、又は味方だとてゆだんなせないもんだ。この様な時は飯米詰つて、味方でもばい取るもんだ。鼻毛をのばいてひん盗まれるな。げに小荷駄が二匹あいてから、尻になった。その荷縄や、桟俵を捨てないでよくしておけ。芋の茎を荷縄になつて、味噌で煮て、荷をひつからげて来たほどに、その縄をひつきざんで水へ入れ。
『雑兵物語』

(近世後期の上方の口語資料)


「かみさん、マ一つおくれんかへ。えらう走ってきたさかい、かわきくさるわいの」「これぢやナ。どえらいものぢやナ」「大切な銭金遣うてさへよう出けんものが、女子の方から煩ふほどに慕ふとは、どこのわろか、ええ月日の下で生まれくさつたナア」
→『東海道四谷怪談』に見られる、ややぞんざいな上方語の使い手。


食物あてがうた人もなけれど、つひに節季に身なげ首くくりした猿猪もない。皆光明の中に摂取せられてゐるゆへじや。節季に銭の足らぬ人ばつかり、皆算用なしにポンポンした咎じゃ。
(一七九五)『道二翁道話』

(近世後期の江戸語の口語資料)


(通り者)どいつもみんなおれがしらないやつだ。あん中にしつた顔なやつは。たつた二人はツちやない(むすこ)今おまえへに。じぎして。いツた。達者そふな。ぢぢいは。折ふしここらで見る人じゃが(通り者)あれはおれが久しい。ちがづきだ。
(一七七〇)『遊子方言』


「イヤ若い者といふものは、よく寝るものだ。おれが起て家内に気をつけてあるくに、ひとりでも目のさめやつがない。あれだから油断はならぬて。コレぴん助どの早かつたの」 ぴん介「ハイ御隠居さんお早う。ゆうべの地震は何時でござります」 いんきょ「それよ。あれからしばらくして七ツが鳴たから。八ツ半前だらう」

へへ関東べいが、さいろくをぜへろくとけたいな詞つきじゃなア。お慮外(りょがい)も、おりよげへ。観音(くわんおん)さまも、かんのんさま。なんのこつちやろな。
式亭三馬(一八〇九)『浮世風呂
→上方女性が江戸女性のことばを批判


どふぞかわいそふだと思つておくんなさいヨ 丹「そりやアモウ少しの間もおめえのことをわすれやアしねえけれど、米八と違って、奉公先へいかれもせず、遠慮して居るから、猶々恋しひはつのるがどふも」 長「よいヨ私はどふで今に死でしまふから、米八さんと中をよくなさいまし」 丹「なぜそんな事をいつて腹を立つのだ」
為永春水(一八三二)『春色梅児誉美

(解説)近世前期の東国語の特徴・・ロドリゲス『日本大文典』
○打消の助動詞は、上方では「ぬ」だが、東国では「ない」を使う。
○断定の助動詞は、上方では「ぢや」だが、東国では「だ」を使う。
○助動詞「べい」を盛んに使う。
○形容詞の連用形は、上方では「濃う」「よう」のようにウ音便の形が普通であるが、東国では「濃く」
○「よく」のように原形が普通である。
○動詞に、撥音や促音を含む等の接頭辞を付けたものがよく見られる。