井原西鶴の町人物
(近世の資料)井原西鶴
一 『世間胸算用』
ある人のむすこ、九歳より十二の年の暮まで、手習ひにつかはしけるに、その間の筆の軸を集め、そ
のほか人の捨てたるをも取りためて、程なく十三の春、我が手細工にして軸すだれをこしらへ、一つを
一匁五分づつの三つまで売り払ひ、はじめて銀四匁五分まうけしこと、我が子ながらただものにあらず
と、親の身にしてはうれしさのあまりに、手習ひの師匠に語りければ、師の坊このことをよしとはほめ
たまはず。「我この年まで、数百人子供を預かりて、指南いたして見およびしに、そなたの一子のごと
く、気のはたらき過ぎたる子供の、末に分限に世を暮らしたるためしなし。又乞食するほどの身代にも
ならぬもの、中分より下の渡世をするものなり。かかることには、さまざまの子細あることなり。そな
たの子ばかりを、かしこきやうにおぼしめすな。それよりは、手まはしのかしこき子供あり。我が当番
の日はいふにおよばず、人の番の日も、はうきとりとり座敷はきて、あまたの子供が毎日つかひ捨てた
る反古のまろめたるを、一枚一枚しはのばして、日毎に屏風屋へ売りて帰るもあり。これは筆の軸をす
だれの思ひつきよりは、当分の用に立つことながら、これもよろしからず。また、ある子は、紙の余慶
持ち来りて、紙つかひ過して不自由なる子供に、一日一倍ましの利にてこれを貸し、年中につもりての
得、何ほどといふ限りもなし。これらはみな、それぞれの親のせちがしこき気を見ならひ、自然と出る
おのれおのれが知恵にはあらず。その中にもひとりの子は、父母の朝夕仰せられしは、『ほかのことな
く手習ひに精を入れよ。成人してその身のためになること』との言葉、反古には成しがたしと、明暮読
み書きに油断なく、後には兄弟子どもにはすぐれて能書になりぬ。この心からは、行く末分限になると
ころ見えたり。その子細は一筋に家業かせぐ故なり」と仰せられける。
(井原西鶴『世間胸算用』)
二 『日本永代蔵』
是(これ)より思ひ付いて、今橋の片かげに銭店(ぜにみせ)出(い)だしけるに、田舎人立寄るにひまなく、明けがたより暮れ
がたまで、わづかの銀子(ぎんす)とりひろげて、丁(ちやう)銀(ぎん)こまがねかへ、小判を大豆板(まめいた)にかへ、秤(はかり)にひまなくかけ
出し、毎日毎日つもりて、十年たたぬうちに、仲間(なかま)あきなひの上(うは)もりになつて、諸方に貸帳(かしちやう)、我がかた
へは借ることなく、銀(かね)替(がへ)の手代これに腰をかがめ機嫌をとるほどになりぬ。小判市も、この男買ひ出(い)だ
せばにはかにあがり、売り出(い)だせばたちまちさがり口になれり。おのづからこの男の口をうかがひ、み
なみな手をさげて旦那旦那と申しぬ。 (井原西鶴『日本永代蔵』)
(参考) 『誹風柳多留』
これ小判たつた一晩居(ゐ)てくれろ
大名は小判の中によく寝入り(ねいり)
土筆(つくし)売り小判を出せば逃げるなり
大判は小判より世を知らずに居(ゐ)
(井原西鶴文学の独特な語句)
身代・・財産
長者・・大金持ち
分限・・財産
分散・・破産
書置・・遺言書
しはき人・・けちな人
せちがしこき人・・金銭に細かい人
判人・・証人
斟酌・・遠慮・辞退