深川不動



深川不動堂深川不動尊

1.【沿革】
深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺東京別院で、古くより「深川のお不動様」と親しまれてきた。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まる。この御尊像は、弘法大師自らが敬刻開眼されたと言われており、現在深川不動堂で奉祀する御本尊はその御分霊を勧請した、御分身である。
江戸時代のはじめ、子供に恵まれなかった初代團十郎成田山不動明王に祈願し、二代目團十郎を授かって以来、市川家は代々篤く成田山を信仰し、屋号を「成田屋」と称するほどで、「成田不動尊利生記」など成田山のご利益を物語った芝居を上演して大当りをとったといわれている。それにともない、、成田山不動明王を拝観したいという気運が、江戸時代中期の江戸っ子たちのあいだで高まった。
これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」(現代風にいえば「秘仏特別公開」)が富岡八幡宮別当・永代寺で開かれた。これには、5代将軍綱吉の生母桂昌院も参拝した。一説には、成田不動尊の尊信篤き桂昌院が、護国寺の高僧隆光を動かし出開帳を実現させたともいわれている。以来出開帳はたびたび行われ、大勢の江戸っ子が押し寄せ大いに賑わったと伝えられている。
永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。境内地は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められたものである。明治14年1881年)に本堂が完成。その後本堂は関東大震災東京大空襲と二度にわたって焼失したが、本尊は焼失を免れた。永代寺は門前にあった塔頭吉祥院明治29年(1896年)に再興され、名跡を継いだ。なお、地名「門前仲町」は「永代寺の門前町」という意味である。
 大正12年、未曾有の大震災である関東大震災が東京を襲い、幸い御本尊及び諸仏は役僧によって運び出され難をのがれたものの、諸堂伽藍は全て焼失した。数年間境内整備もままならず仮本堂の状態が続いたが、昭和3年(1928)本堂が再建され盛大な入仏供養記念開帳が執行された。しかし、昭和20年(1945)の東京大空襲により再び東京は火の海に包まれてしまいます。深川はまったくの焼け野原となり、不動堂の堂宇もことごとく灰燼に帰しました。このときも御本尊は役僧達の必死の努力により焼失を免れ、いったん成田山の光明堂へ遷座された。
 再建に向け、成田山には「深川不動堂本堂建立事務局」が開設されたが、占領下の日本では、建築面積等に制限があり、計画通りの本堂を建立することができず、千葉県印旛郡天台宗龍腹寺地蔵堂を移築するという計画が検討され、成田山側と龍腹寺側による話し合いの末、譲渡寄進が決定し、建物は、成田山工務課により解体され、深川へ運ばれた。昭和25年ついに本堂の上棟式が執り行われ、深川不動堂は甦ったのであります。その後、平成14年に内仏殿が落慶平成24年9月には新本堂が落慶した。こうして、不動明王の広大無辺の威徳と成田山別院としての嚆矢たる法燈は今も脈々と受け継がれている。深川不動尊は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺東京別院です。正式名称は「深川不動堂」であるが、深川不動尊の名称の方が一般的に知られている。成田山新勝寺のご本尊である不動明王は、弘法大師自らが敬刻開眼(魂入れ)されたと言われており、深川不動尊のご本尊はその分霊を勧請した、いわば分身でもあるので、その守護力は同様にパワフルだとされている。

2.【成田山新勝寺
成田山新勝寺(以下「成田山」)の歴史は古く、御本尊の不動明王像は平安時代の初め、嵯峨天皇の勅願により弘法大師自らが敬刻し開眼したものと伝わる。その後は長らく京都の高雄山神護寺に奉安されていたが、この御尊像が、はるか東国の下総国成田に遷座されることになったのは、朱雀天皇の天慶2年(939)に起こった「将門の乱」のときで、朝廷は真言宗の高僧寛朝大僧正に神仏の力による将門の調伏を命じた。そこで寛朝大僧正は、神護寺不動明王像を奉持し、現在の成田の地に不動明王像を祀り調伏の護摩を修した。 乱が治まり、寛朝大僧正は不動明王像を奉じて京都へ戻ろうとしたが、御尊像は根が生えたように動かず、不動明王は、「我再び王城へ帰ることを欲せず、永くこの地にとどまりて東国の鎮護とならん」と寛朝大僧正に告げたという。これを聞いた朱雀天皇は、この地に堂宇を建立させて東国の霊場とし、「成田山神護新勝寺」の寺号を下賜することとなり、成田山は創建された。

3.【境内の諸堂及び仏像】

本堂(旧本堂)
前本堂が東京大空襲で焼失した後、千葉県本埜村(現・印西市)の龍腹寺の堂(文久3年・1863年建立)を移築して本堂としたもので、昭和25年(1950年)に移築が完了、翌年に落慶法要が営まれた。現在は帆刈黌童作の丈八の「おねがい不動尊」が安置されている。

本堂
旧本堂の西側にある外壁に梵字不動明王真言)を散りばめてある建物で、開創310年を期に平成23年(2011年)に完成し、同年4月16日の夜間に旧本堂より本尊不動明王像及び脇侍の二童子像、四大明王像を遷座し、翌17日から護摩供養は新本堂で行われている。平成24年(2012年)9月15日、新勝寺貫首によって落慶法要が営まれた。1日5回(縁日のときは6回)護摩供養が行われる。不動明王童子像・四大明王像(五大明王から不動尊を除く)は江東区指定文化財に指定されている。

内仏殿
旧本堂裏手にある4階建の建物。開創300年を期に平成12年(2000年)に完成。1階には澤田政廣作の不動明王立像などの仏像、2階には四国八十八箇所の巡拝所などがあり、4階は大日如来を安置する宝蔵大日堂である。4階の天井画は中島千波の作。

深川開運出世稲荷
正門より境内に入るとすぐ右側に、開運出世稲荷の社殿がある。成田山出世稲荷を勧請したもので、
開運成就や仕事運に関するご利益がある。この荼枳(だき)尼天(にてん)はやさしい雰囲気で親しまれている。

深川龍神
深川不動尊の深川龍神は、不動明王につかえる眷属であり、地域一帯の守り神でもある。深川龍神不動明王と比べると人間界の近くに存在し、その分現実世界への干渉力が高いため、現世利益の効果が高い。深川龍神の霊水は浄化力が高く、良いエネルギーを持っていると言われる。

人情深川ご利益通り
門前の参道は通称“人情深川ご利益通り”といい、毎月1・15・28日に縁日が開かれて賑わう。有名な菓子店や食事処がある。

(本尊)不動明王秘仏)のご利益
成田山新勝寺のご本尊は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼敬刻開眼した不動明王のご霊像である。ご宝前では絶えず護摩法が奉修されており、そのあらたかな霊験により今も多くの人々から諸願成就として信仰を集めている。このご尊像のご分身ご分霊が深川不動堂のご本尊である。願望成就・勝負必勝・立身出世・商売繁盛・怨敵調伏・病魔退散など、あらゆることに霊験あらたかであると言われている。

4.【不動明王真言
のーまく さんまんだー ばーざらだん せん だー まー かろ しゃー だー そわたや 
うんたらたー かんまん
(簡略版)
のーまくさまんだ ばざらだんかん