漢字・名前・印鑑

 こんばんは。今回は、「漢字・名前・印鑑」について考えてみたいと思います。日本人の名前は、漢字で構成されています。実際には旧漢字の方がもとの字源や意味がわかるのですが、現在の当用漢字では漢字の成り立ちや霊力といったものが感じにくいのが残念である。藤堂明保氏は、伝統的な許慎の書いた『説文解字』をもとに字源を説明し、『漢字語源辞典』を著し、「単語家族」などの概念を設定して漢字教育を普及させようとしました。それに対して白川静氏は、金石文の研究をもとに民俗学的な見地から漢字の意味をさぐり、大著である『字通』を著し、字源の霊的な説明をこころみているのが特徴です。元来、中国を始めとする姓名判断は、漢字の意味を重視していました。しかも、中国では本名の役割は成人すると終了し、その代わりに字がつけられ、両親と師匠以外は皆、字で呼ぶようになったのです。字(あざな)について、安岡正篤氏は、「元来は本名に不足している部分を補う、あるいは、本名と対になるようにつけるものである」と述べています。その意味で、陰陽の思想の影響下にあると同時に、本名以外の名前を持つことも自然なことであると感じられます。また、書道・絵画・漢詩などでは号も使用しているため、少なくとも、本名・字・号の三つの名前を用いていたことになるのです。その背景には、本名を知られることの霊的な恐れや、本名を補うような意味での字をつけるという行いが存在しています。古代の日本でも古代では、女性の本名は「忌みことば」とされ、恋人にしか教えなかったという伝統があったため、女性の名前の記録が残りにくく、皇族でない限りは記録に残りにくかったといえます。清少納言紫式部などは、すべて女房官職名を基準としている。また、戦前までは、結婚すると、本名も変えてしまうか、「きよ」を「きよ子」などのように、「子」を本名の下につけて呼ばせる風習も存在しました。皇室では、女性の名前に「子」を付けていたために、「子」の付く名前が普及したと考えられています。
 日本では昭和初期に、熊崎健翁の『姓名の神秘』が出版されてからは、天格・人格・地格・外格と分類しながら行う画数が中心に行われ、本字で画数を計算する熊崎式と、筆順のまま画数を計算する桑野式とがあり、中国でも盛んに研究されるようになりました。そのあまり、本来的な漢字の霊的な字源に注目することが少なくなってきたのは残念です。実際、書店でも名づけの本は、画数のものばかりが売れ、漢字学者や日本語学者のかいた意味からたどる名づけの本は、あまり置いていない現状があります。もっと漢和辞典を引く習慣を身につけ、字源に興味をもつように教育していく必要があるでしょう。本来的には漢字の意味をしっかりと咀嚼して名前を付けるのがよいのです。
 また、苗字・地名・家紋の研究で知られた民俗学者の丹羽基二氏は、苗字からその中に流れている遺伝的なものを推定するという研究を行っていました。つまり、本来は一般民衆も先祖伝来の苗字というものを継承してきているのだが、武士以外には名乗ることが許されなかったために、自分の姓・苗字・名字を忘れてしまい、明治になってから神主などに姓・苗字・名字を名づけてもらったという事実もありますが、そのように自分の姓・苗字・名字を忘れているケースは少ないのではないかという前提にたった研究でした。このような視点でみると、姓・苗字・名字の意味するものも理解できて、たいへん有効です。漢字学者の阿辻哲次氏や国語学者金田一春彦氏も漢字の意味に注目した名づけの本も出版しています。
 このように、現在では画数中心で行っていますが、苗字の由来・名前の意味・漢字の意味をもっと知ることで、自分というものを大事にすることが必要ではないでしょうか。自分の名前を大切にするという、儒教的な思想は、自殺率の高い日本で必要なことでしょう。自分の名前を大切にする意味で、印鑑も象形文字をベースにするもっとも伝統的な書体である「篆書」を用いることを提唱したいと思います。かつては、みな篆書でしたが、第二次大戦後に配給を受けるために、はっきりと読めるものとして、楷書が普及し、現在では学校の卒業記念でも配っていますが、そのような安価な印鑑では、自分の名前を大切にする精神は生まれませんし、安易に印鑑を押してしまうのではないでしょうか。