松本亀次郎の日本語教科書の受け身

1.松本亀次郎

松本亀次郎(1904)では、受身文は「被性助動詞(受身・所相・或ハ受動)」として扱われている。以下、用いられている例文を整理してみる。

犬人ヲ噛ム。
→人犬ニ噛マル。
少女、猫ヲ抱ク。
→猫少女ニ抱カル。
項羽、高帝ヲ、栄陽ニ囲ム。
→高帝、項羽ニ、栄陽ニ、囲マル。
露国、満州ヲ侵略ス。
満州、露国ニ、侵略セラル。

この受身について、次のように述べている。

斯クノ如ク、此・彼ノ動作ヲ受クルコトヲ、被性・或ハ・受身ト謂フ。被性ノ文章ニハ、起動者及ビ被動者、無カル可カラズ。其ノ起動者を表す詞ヲ、被性文ノ標準詞ト謂フ。・・(中略)・・被性ノル及ビラルハ、漢字ノ見被為為所ノ義ニ当レリ。・・(中略)・・被性助動詞ハ、皆、動詞及び助動詞ノ第一変化に接続ス。而シテルハ四段及ビナ変ラ変ニ繋リ、ラルハ其ノ他ノ動詞ニ繋ル。

松本亀次郎(1904)では、文語の「る・らる」の接続で成立する受身文の例を示し、例文も少なめでシンプルであった。これに対して、松本亀次郎(1919)の段階になると、受身文は「被役助動詞」と名称が変わり、口語の「れる・られる」の形式で接続する例文を多く採録し、受身文の種類も多岐に及んでいる。そして、以下のように述べている。

〔被役助動詞〕ハ、甲ガ、乙ノ動作ヲ、受ケル意味を表ハス詞デス。・・(中略)・・レルハ、四段ノ第一変化ニ接続シ、ラレルハ、其ノ他ノ動詞ノ、第一変化ニ接続シマス。又サ行変格ガ、ラレルニ接続スル時ハ約音ヲ生ジマス。・・(中略)・・使役助動詞ト、被役助動詞トノ接続。使役助動詞ニ、被役助動詞ヲ接続サセレバ、使役相ヲ受ケル詞トナリマス。・・被役相ヲ表ハスニハ、レルラレルノ二語ヲ用ヒマス。漢字ノ被見為・・所等ノ意デス。被役相ノ文章ニハ、被動者ト起動者トヲ具ヘナケレバナリマセン。又起動者ニハ、必ズ助詞ノニ或ハカラヲ添ヘマス。・・(中略)・・上欄ノ飲マセル聴カセルナドハ、普通ノ使役相デ、下欄ノ飲マセラレル聴カセラレルナドハ、使役相ヲ受ケル意味ヲ表ハス者デス。

具体的に示されている例文を整理し、並べてみる。

警官ガ、酒酔ヲ諭ス。
→酒酔ガ、警官ニ、諭サレル。
慈善家ガ、貧民ヲ救フ。
→貧民ガ、慈善家ニ、救ハレル。
教師ガ学生ヲ褒メル。
→学生ガ、教師ニ褒メラレル。
保険会社員ガ、人々ニ生命保険ヲ、契約スルコトヲ勧メル。
→人々ガ、保険会社員ニ、生命保険ヲ契約スルコトヲ勧メラレル。
世間ハ真面目ナ人ヲ、歓迎スル。
→真面目ナ人ガ、世間カラ、歓迎セラレル。
良民ガ、無頼漢ニ、脅迫セラ(サ)レル。
田舎者ガ、都会ニ、馬鹿ニセラ(サ)レル。
太郎ガ、次郎ニ殴打セラ(サ)レル。
医者ガ、病人ニ、薬ヲ飲マセル。
→病人ガ、医者ニ薬ヲ飲マセラレル。
老人ガ、青年ニ、長談義ヲ聴カセル。
→青年ガ、老人ニ、長談義ヲ聴カセラレル。
政府ガ、国民ニ、国税地方税ヲ、負担サセル。
→国民ガ政府ニ国税地方税ヲ負担サセラレル。
判事ガ、原告ト、被告ニ、虚偽ノ申立ヲ、シナイト言フ誓ヲ、立テサセル。
→原告ト被告ガ、判事ニ、虚偽ノ申立ヲ立テサセラレル。

松本亀次郎(1904・1919)の記述から、次のことが指摘できる。
○非情の受身については触れていない。
→松本亀次郎(1904)に「満州、露国ニ、侵略セラル。」という例文があるだけである。
○持ち主の受身については扱っていない。
○動作主は「ニ」「カラ」で示される。
→「ニヨッテ」は扱われていない。
○「る・らる」「れる・られる」の接続で成立する。
○対応する能動文を設定してから受身文を示している。
○漢文の「被・見・為・所」に対応させている。
→それぞれの漢字のニュアンスには触れていない。
○「ヲ格」の間接受身を扱っている。
→松本亀次郎(1904)では扱っていなかった。
○「せらる・させられる」「させらる・させられる」の使役受身を扱っている。
→比較的高度な受身文を扱っている。

参考文献
松本亀次郎(1904)『言文対照漢訳日本文典』中外図書局
松本亀次郎(1919)『漢訳日本口語文法教科書』笹川書店