松尾捨治郎の受身の論

短期間ではあるが、日本語教育の経験のある松尾捨治郎(1936)では、第6章の第8節「相の助動詞(受身 可能 使役)」で、「相」を「すがた」とし、受身の3要素として「動作を受けるもの」「動作をするもの」「動作」をあげている。松尾捨治郎(1936)では、以下のように述べ、受身と自動詞・他動詞との関わりについて詳細に論じているのが特徴的である。
英語などの受身は殆ど全部他動詞のみ存して、自動詞の受身形は
The old man was listend to by them all.
His words can not be relied on.
A race is run by her.
といふやうな特殊な場合に限られて居る。即ちto,on,等の前置詞と合した者や、同義目的を伴ふ他動的自動詞だけが受身となるに過ぎない。然るに国語の自動詞はさういふ制限がなく受身になる。
子、父に死なる。
客に来られて、外出出来ず。
賊は、家人に騒がれ、一物も得ないで逃げ去った。
敵に組みつかれた。
春は霞にたなびかれ、夏は空蝉鳴き暮らし、秋はしぐれに袖をかし、冬は霜にぞせめらるる(古今)
よき里に来て五月雨に降られけり。(魯9)
但し此等は直接に其の動作を受けるのではなく、其の動作より生ずる影響(多くは悪い影響)を受ける意である。