三矢重松の受身の論と日本語教育

関正昭(1997b)では、三矢重松の文法論にも、日本語教育実践経験の影響と見られる点があると指摘している。三矢重松(1908)では、「第7章 動詞の性相」の「第2節 被役相」の箇所で「非情の受身」「自動詞の受身」「受與」、「第5節 被能使の重用」の箇所で「使役受身」「受身使役」について論じている。三矢重松(1908)は、非情の受身について初めて本格的に論じたものとして引用されるが、明治以降の西洋語の翻訳調の非情の受身の例、「西洋式の被役相次第に世に行はる」などだけではなく、文語の非情の受身の例、「木風に倒さる」「床に懸けられたるは元信の筆なり」をあげている。非情の受身は、他動詞が自動詞化しているととらえている。他にも「ニ」「ヨリ」「カラ」から受身の動作主は示されることを記し、「母子に泣かる」「我早く親に死なれて孤となる」などの「自動詞の受身」は「間接受身」であることを述べ、「授受表現」も扱い、「我明日より(学校に)京都へ出張せさせらる」「正行なくなく櫻井より(父に)河内へ帰らせらる」などの「使役受身」だけではなく、「味方を救はずして敵に討たれしむ」「母不注意にて子を蚊に食はれさす」などの「受身使役」などについても「間接使役文」として論じているのは、大きな特徴で、受身について体系的であるといえる。また、口語の意識も強く、使役受身は「派遣せらる」「かへさる」「振舞はる」「起さる」のように他の動詞に変えるほうが明瞭に聞き取れることや「西洋式の被役相次第に世に行はる」の「行はる」などは漢文の直訳から来ていることを述べ、中国人留学生を相手にした日本語教育で培った経験と考えられる記述も見られる。