近代日本語教科書の受け身記述−付記−

[付記]
以下、中国人留学生向けの近代日本語教科書の受身記述を示してみる。他の近代の日本語教科書の受身記述においても、サ変動詞の未然形「せ」「さ」「し」の中で、江戸後期から明治末にかけて普及していった「さ」「し」ではなく、最も古い形である「せ」に「られる」が付いた場合、すなわち、「せられる」が「される」になる「約音」(高橋龍雄は「し」に「される」の約音についても触れている)という現象について必ず触れているのは大きな特徴である。これは口語を扱う現代の日本語教科書には見られない特徴であり、日本語史の上からも過渡期である現象としてとらえることができるであろう。

1.高橋龍雄の受身記述

高橋龍雄(1906)では、「被性の助動詞」として「れ・れる・れゝ」「られ・られる・られゝ」として、次のように述べている。

四段活の動詞の下には『れ、れる、れゝ』が付き、其他の動詞の下には『られ、られる、られゝ』が付きます。
私は人に笑われました。
私は人に誉められました。
あの人は先生に叱られました。
毎朝起こされる時は眠うございます。
私の字は、人に見られると、困ります。
サ行変格に『られ』が付く時は、約音になります。
攻撃しられました。  攻撃されました。
罵倒しられました。  罵倒されました。

口語を対象とし、使用頻度の高い「れ・られ」という連用形での例文が中心となっている(7例中5例)。動作主はすべて「二格」で示されている。「私の字は、人に見られると、困ります」の例は、狭義では自分の所有のものなので、完全な非情の受身とは言い難いが、広義では非情の受身の例と考えてよいであろう。また、「私は人に誉められました」の例は、必ずしも受身文が迷惑の受身とはならないことを示している。約音については、通常は「せられる」が「される」になる現象を示すと説明されるが、「しられる」が「される」としている点が、他の日本語教科書とは異なる。

2.難波常雄の受身記述

難波常雄(1906)では、「れる・られる」を「被動ノ助動詞」としており、「両方トモ、他ノ物ニ其ノ動作ヲ為掛ケラレル意味を表ハシマス。『人ニ憎マレル』『世ニ捨テラレル』ナドノヤウニ用ヒマス。」と述べている。そして、四段活用に「る」が接続し、その他の動詞に「らる」が接続することを述べ、語尾変化として次のように四つをあげている。

第一変化     第二変化     第三変化     第四変化
命令法      中止法      終止法・連体法  前提法
レ        レ        レル       レレ
ラレ       ラレ       ラレル      ラレレ

サ行変格動詞に「られる」が接続した「せられる」が、「される」という約音になる現象について「『セ』『ラ』ノ二音ガ合シテ、『サ』トイフ一音ニナッタノデス」述べ、次の例をあげている。

私ハ試験ヲ為ラレル。
私ハ試験ヲサレル。
アノ人ハ皆サンニ、攻撃為ラレル。
アノ人ハ皆サンニ、攻撃サレル。

3.大宮貫三の受身記述

大宮貫三(1907)では、「被働助動詞」として扱われ、次のように述べている。

被働者受他制也、為他所制也、ル、ラル、連動詞以成受働態。其変化及連続全同前節、唯其比前節所異、後者必要標準語而前者不要之耳(標準語者賓語也)。

以下、例文を見てみる。

    標準語
昨日私ハ彼狂人ニ打タレマシタ
標準語
人ニ打タレルノハ我慢シマスガ笑ハレルノハ堪ラナイ
打ラバ打タレルガ私ハ打チマセヌ
昨日ノ競争ハ甲様ニ勝タレマシタ
遣レバ勝タレルガ遣リマセンデシタ
主語 賓語
蛇ガ人ヲ噛ミマシタ
主語 客語
人ガ蛇ニ噛マレマシタ
秦檜ガ岳飛ヲ讒シマシタ
岳飛ガ秦檜ニ讒セラレマシタ
先生ガ学生ニ教ヘマス
学生ガ先生ニ教ヘラレマス

どの例も直接受身を扱っている。主語が一人称のケースでは省略してもよいととらえているようであり、口語にも配慮している。また、項目として「被使働助動詞」として「使役受身」を助動詞として立項しているのも大きな特徴である。

被使者為他被令制也、助動詞セラレル、サセラレル連動詞下以成被使働態四段活第一変化下連セラレル、而其他諸動詞第一変化下連サセラレル

今迄泣イテヰタ子供ガ乳母ニ笑ハセラレマシタ
病人ガ医者ニ喜バセラレタ
毎日同ジ話ヲ繰返サセラレルノニ厭キ果テタ
一昨日ハ御父様ノ手紙ヲ読マセラレテ冷汗ヲ流シタ
弟ニ御伽噺ヲサセラレタガ上手ニ話サレマセンデシタ
過日ノ野球試合ニハ随分気ヲ揉マセラレテ了ヒマシタ
到頭牛ニ引カレテ此処マデ歩カセラレマシタ

否定法  連助動詞法・中止法  仮定条件法  終止法  連体法    確定条件法
セラレ  セラレル       セラレル   セラレル  セラレル  セラレレ
サセラレ サセラレル      サセラレル  サセラレル サセラレル サセラレレ

4.金太仁の受身記述

金太仁(1906)では、次のように「被性助動詞」とし、接続について述べている。

被性助動詞者。受他人之動作之意。属於此者。有「レル」「ラレル」、共受動動作於他之意之助動詞也。「レル」者。附于四段活用第一変化。「ラレル」者。附于四段活用以外動詞之第一変化。

活用表は、「レ・レ・レル・レル・レレ・レイ」「ラレ・ラレ・ラレル・ラレル・ラレレ・ラレイ」と第一変化から第六変化まで扱っている。

接続と「中止法」「終止法」「命令法」「前提法」という「法」の用例を中心に示しており、受身についての記述は少ない。

中止法
猫ガ犬ニモ歯マレ人ニモ打タレテトートー死ンダ。
子ハ親ニ育テラレ教師ニ教エラレル。
終止法
猫ガ犬ニ歯マレル。
子ハ親ニ育テラレル。
命令法
アンナ盗猫ハイッソ(寧)犬ニ噛マレヨ。
御前ハ正直ニ育テラレヨ。
前提法
アノ猫デモソンナニ酷ク噛マレバ到底助カリマスマイ。
彼ノ子デモ熱心ニ育テラレレバ立派ナ人ニナリマセウ。
ドンナ猫デモ、アノヤウニ酷ク噛マルレバ(マレレ)死ニマス。
彼ノ子デモ熱心ニ育テラレレバ必ズ立派ナ人ニナリマス。
彼ノ子ハ熱心ニ育テラレルトモ立派ナ人ニハナレマスマイ。
彼ノ猫ハアノ様ニ酷ク噛マレルトモ死ニマスマイ。
彼ノ子ハ熱心ニ育テラレレド立派ナ人ニハナレマセン。
アノ猫ハアノ様ニ酷ク噛マレレド必ズ助カリマス。

また、「せられる」が「される」となる約音についてふれている。
サ行変格。附以ラレル。則為セサレル。此セサ之二音。約為サ。例如靴ヲ研カセラレル被靴磨。則為靴ヲ研カサレル。攻撃セラレル者。為攻撃サレル。

5.大矢透の受身記述

大矢透(1902)では、「静受静致動句」の項目で扱われている。図解の形で、漢文の場合と比較している。

稚児   母に抱か|る
稚児 被|抱於 母|

大きな特色としては、「る・らる」を動的語尾とし、終止形を「ウ韻字母」と呼び、その上で「る」を「ア韻字母」(甲則)、「らる」を「エ韻字母」(乙則)に接続すると説明している点である。
その上で、次のように第一類と第二類とに分類している。

(第一類)
常形     抱く  造る  汲む
受静致動形  抱かる 造らる 汲まる
(第二類)
常形     忘る    捕ふ    製す
受静致動形  忘れらる  捕へらる  製せらる

官兵、賊に襲はる。
猫兒、狗に追わる。
盗兒、警官に捕へらる。
囚徒、法官に糾治せらる。
人民、政府より賦税を徴収せらる。
法に循ひ、正を守る者、世に侮らる。

大矢透(1905)では、「受身助動詞」という項目で、「文用」と「話用」とに分け。六つの活用形(将然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形)を示し、「文ルラル、於話レルラレル」としている。

「文用」
ラレ  ラレ ラル  ラルヽ ラルレ ラレヨ
「話用」
ラレ  ラレ ラレル ラレル ラレル ラレナ

また、文例も活用形ごとに、文語と口語とを示している。傍線をみると、サ変への接続については、「される」のように「サ変+レル」で一語化して扱っている。

(将然形)
文・母ニイマシメラレントス。
話・母ニセッカンサレヨウトスル。
(連用形)
文・母ニイマシメラレ・・
話・母ニセッカンサレ・・
(終止形)
文・母ニイマシメラル。
話・母ニセッカンサレル。
(連体形)
文・母ニイマシメラルル兒。
話・母ニセッカンサレルコドモ。
(已然形)
文・母ニイマシメラルレバ・・
話・母ニセッカンサレルト・・
(命令形)
文・汝、彼レニ使ハレヨ。
話・オマエ、アノ人ニツカワレナ。

大矢透(1902)では文語を扱い、接続に注目していたものが、大矢透(1905)になると文語と口語を分けることに主眼を注いでいる。

6.岸田蒔夫の受身記述

岸田蒔夫(1906)では、「受動ノ助動詞」の項目の中で、「れる・られる」を扱っている。最初に、通常の受身の説明がなされるが、例文に迷惑ではない意味の例文をあげている。

鳥が、犬に咬まれる。
私は、人に誉められる。
右ノヤウニ、れる又ハられるガ、動詞ノ下ニ添ルト、主格ガ、其ノ動作ヲ受ケル意トナル。ソレユヘ、此ノ二ツヲ、受動ノ助動詞ト名ヅケルノデアル。・・(中略)・・此ノ二ツノ助動詞ノ活用ハ、下一段活用ノ動詞ト同ジイコトガ解ル。

将然段   連用段   終止段・連体段   接続段
れ     れ     れる        れれ
られ    られ    られる       られれ

このように、四つの活用形で処理している。

彼の鳥は、此の犬に咬まれよう。
彼の鳥は、犬に咬まれて死にました。
鳥が、犬に咬まれる。
犬に咬まれる鳥を、救うた。
犬に咬まれれば、きつと死にます。
彼の人は、きっと、人に誉められよう。
貴君(あなた)の利益ばかりでなく、世の人にも誉められなさる。
善人は、善人に誉められる。
人に誉められる事は、うれしい事です。
人に誉められれば、益々、自分の行に注意せねばなりません。

ここで挙げられている例文も、迷惑ではない例文も半数あげられている。これは、受身はあくまでも迷惑ばかりではないことを示していると考えられる。

れるハ四段活用ノ動詞ノ将然段ニツケ、られるハ、上下一段活用の変格活用ノ動詞ノ将然段ニツケテ、用ヒルのである。・・(中略)・・受動ノ助動詞ハ、元来、他動詞ノ下ニ添ルベキモノデアル。ケレドモ、往々、自動詞ノ下ニモ、用ヒラレルコトガアル。即チ次ノヤウデアル。

母が兒に泣かれる。
妻が、夫に、先に死なれて、なげく。
父が、子に放蕩せられて、困って居る。

このように、日本語の場合には、自動詞でも受身になる例文をあげているのは、大きな特徴である。

又、此ノ助動詞ヲ、さ行変格ノ動詞ノ下ニ用ヒル時、せられるトイフベキヲ、動詞ノ語尾せト、助動詞ノ第一音らト、相約ッテさ音トナリ、されるトナルコトガアル。

人に悪口される。(せられる)
人には、どんなに、批評されても、(せられても)正しい事をして居れば、恥しい事はない。

7.井上翠の受身記述

井上翠(1907)では、「第二編 問答編 第三十八課 郵便局まで持たせてください」に例文がある。

乙 あれは棒で打たれたのです。
乙 たぶん御父さんに叱られたのでせう。
一 温(おとな)しい人は人に好かれます。(練習)
二 高慢な人は人に嫌はれます。(練習)
三 善(い)い人は人に誉められます。(練習)

「第三編 説話編」の読解にも受身表現が見られる。

其ノ卵ハ寒天ノ様ナ物ニ包マレテ。長イ紐ニ成ッテ居リマス。(第二課 蛙)
九歳(くさい)ノ時ニ。アル牧場ノ番人ニ雇ハレ。其ノ後石炭坑ノ工夫ニナリマシタ。(第五課 じょーじすてぶんそん)
君ハ体ハ白クテ綺麗ダガ。他ノ魚ガ来ルト。直グニ呑マレテ仕舞ウ。(第七課 栄螺(さざえ)と鰯)
(鰯は)今頃ハ魚籠ノ中ニ入レラレテ。死ンデ仕舞ッタダラウ。(第七課 栄螺(さざえ)と鰯)

8.金井保三の受身記述

金井保三(1901)は、「る」「らる」は動詞の項目で扱っている。「自動他動に論なく、すべての動詞に、普通態と、受動態と、使役態と、被使役態と、自能態と、恭謙態との六種あります。」と述べ、「動詞の態を完全にする助動詞」として「受動態」として扱っている。次のような記述がある。

受動態とは、第一種変化(四段活用)の言葉には、その仮想法に助動詞の「れる」をつけ、第二種変化(上一段・下一段活用)と第三種変化(来・為)の言葉とには、其仮想法に助動詞の「られる」をつけて、その状態をあらはすもの。・・〈中略〉・・被使役態とは、第一種変化の言葉には、其仮想法に助動詞の「せられる」をつけ、第二種変化と第三種変化の言葉とには、「させられる」をつけて其状態をあらはすもの。
(注意)第一種変化の言葉はサ行に変化するものをのけて、他の言葉には、どれへでも「せられる」をつけて状態をあらはせます。
飛ばされる のまされる くはされる
第三種変化の「する」が此態にある時は「させられる」といふ同意味の助動詞に同化して自らの形を失ってしまひます。

以下の例文をあげており、動作主の明示が1例だけで、しかも「カラ格」であることが特徴的である。また、使役受身に多くの例文を用い、他の教科書よりも記述が多いことも特徴的である。

人から推させる
手をうたれる
秘密のものを見られる
鳥がたべられる
道をたづねられる
早く来られる
小供が泣かせられる。
病人がねむらせられる。
牛肉を煮させられる。
顔を見させられる。
鶏をたべさせられる。
道をたづねさせられる。

活用表については、「受動態・自発態」の「れる・られる」と「被使役態」の「せられる・させられる」で示している。

終止法   形容法   条件法   仮想法   中止法   請求法
れる    れる    れれ    ○     ○     ○
られる   られる   られれ   ○     ○     ○
せられる  せられる  せられれ  ○     ○     ○
させられる させられる させられれ ○     ○     ○

9.菊池金正の受身記述

菊池金正(1906)では、受身の助動詞は「動助辞」(被性・能性・使性・敬性・指定・禁止・否定・推量・時・希望)の中に分類され、「被性」として次のような2例をあげている。2例とも迷惑の意味を示している。

勉強シナイト、人ニ笑ハレル。
小イ小供ガ、犬ニ噛レタ。

10.唐木歌吉の受身記述

唐木歌吉(1906)では、第19回と第20回の箇所に受身の用例がある。以下、その用例9例を示してみる。

(第19回)
1[下女]ソー云フ人ゴミノ處ニハ、掏摸(スリ)ガヨク出マスガ、皆サンハ掏ラレマセンデシタカ。
2[李]イヤ、何ニモ掏ラレマセンデシタ。
3[下女]ソーデスカ、ソレナラバヨウゴザイマスガ。私ハ掏摸ニ取ラレタノカト思ヒマシタ。
4[李]コレハ、甘クヤラレタ。アハハ、
(第20回)
5[李]ヤ、ヤ、大変、大変、私ノ着物ハ、大概盗マレマシタ。
6右之金品昨夜七時ヨリ本日午前六時マデノ間ニ牛込矢来町同志館第七号室ニテ盗ミ取ラレ候間御届申上候也
7[李]私共ハ、昨晩宿屋デ、種々(イロイロ)ナ物ヲ盗マレマシタカラ、オ届ニマ井リマシタ。
8[李]眠ッテ居マシテ、ヨク存ジマセンガ、多分二時頃カト思フ頃、何カノ音デ、目ガ醒メマシタガ、暫ク経ッテ、再(マタ)、眠ッテシマヒマシタ。其時ダラウト思ヒマス。
9[巡査]皆サンノ外ニ盗マレタオ客サンハアリマセンカ。