東亜高等予備学校の受身記述

松本亀次郎(1919)と松本亀次郎(1934)との中間に位置するものとして、松本亀次郎が関わったと思われる東亜高等予備学校(1927)と東亜高等予備学校(1930)の受身文について示しておく。
○東亜高等予備学校(1927)
東亜高等予備学校(1927)では、「第三篇 品詞詳説」で「被役助動詞(受身或は受動)」で、以下のように能動文と受動文とをあげている。
ダモン、ビチウスを救ふ。
ビチウス、ダモンに救はる。
猫、鼠を捕ふ。
鼠、猫に捕へらる。
コロンブス、新世界を発見す。
新世界、コロンブスに発見せらる。
そして、「被役の文章には起動者と被動者とが有つて、其の起動者を表す詞を被役文の標的と謂ふ。・・〈中略〉・・被役の助動詞には、るとらるとの二つがあつて、漢字見・被・為・為・・所等の義が之に当る。」と述べて文語の例をあげている。
鉄は熱せられて紅き内に打つべし。
古より大人と呼ばれ、豪傑と称せられし人は、大概皆分陰を惜みて機会を捉へし人なり。
人を罵りながらも、人に罵らるるを好まず、人を打ちながらも、人に打たるるを悦ばず。
人を臣とすると、人に臣とせらるると、人を制すると、人に制せらるると同日にして道ふべけんや。
先んずれば人を制し、後るれば人に制せらる。
さらに、「サ変の第一変化かららるに連続する時は、動詞の語尾と助動詞の頭部と縮約することが多い。例へば派遣せらる・訓誨せらるが、縮約して派遣さる・訓誨さるとなるが如きである。日本文では自動詞でも被役文になるものが少なくない。これは、注意すべきことである」と述べ、以下の自動詞と対応する被役の例文をあげている。この例文は、間接受身の特徴とされる、能動文で表出されないものが受身文では主語として出現することがはっきりわかる例文をあげている。
(自動詞文) (被役文)
雨降る 我、雨に降らる
妻病む 夫、妻に病まる
子泣く 母親、子に泣かる。
○東亜高等予備学校(1930)
東亜高等予備学校(1930)では、「第二篇 品詞詳説」において、「被役」として扱われ、「れる」「られる」の意義は「甲が乙の動作を受けるもの」、接続は「動詞第一変化に、四段活用・・れる、上一・下一・カ変・サ変・・られる」と述べ、「被役相では、動作を受ける者が主語となり、動作者が標的となつて、その次に置かれる。この標的には「に」「から」等の助詞が添はる」とし、以下の例文をあげている。
(通常の動詞) (被役の相)
子供が犬を打つ。 犬が子供に打たれる。
猟師が鹿を射る。 鹿が猟師に射られる。
主人が丁稚を褒める。 丁稚が主人から褒められる。
人が来る。 (私は)人に来られる。
敵が要塞を包囲する。 要塞が敵から包囲される。
また、補説として以下のように約音、自動詞による間接受身、使役受身の三つを指摘している。東亜高等予備学校(1927)の段階よりも受身文の特徴が詳しく述べられている。
1.サ変動詞に「られる」が附く時には、第一変化のせと「られる」の頭部らとが約つて「さ」となるのが普通である。
2.被役相で、直接に他から受ける動作は、当然他動性のものである。然るに日本語では、間接に、他から受ける被役の形があるので、前例の「来る」といふ様な自動詞にも、被役相にも、被役相が出来るのである。
3.使役・被役の助動詞を連ねて用ひることもある。