鈴木忍の受身記述

鈴木忍の受身記述

2.1鈴木忍の日本語教科書『NIHONGO NO HANASHIKATA』の受身記述

植民地支配の基本文型中心の日本語教育文法を、国際学友会の鈴木忍は継承・発展させ、現在の日本語教育文法に大きな影響を与えている。河路由佳(2009a・2009b・2011)の研究により、鈴木忍と高橋一夫の座談会の録音テープから、鈴木忍は日本語教育振興会(1941)と国際文化振興会(1944a)を参考にし、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)の日本語教科書(学友会の赤い本として親しまれた)の作成を行ったことが明らかになっている。その一方で、国際学友会[岡本千万太郎](1940)は使いにくい日本語教科書であったために、参考にしなかったことも明らかになっている。
なお、日本語教育振興会(1941)には、本文にも指導書にも受身の文型は掲載されていなかった。受身文は難易度的に初級後半なので、外したと推測される。
日本語教育振興会(1941)と国際文化振興会(1944a)を参考にして書かれた、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)とその改訂版である、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)は、基本文型を中心とし、表現文型の配列となっており、編集が鈴木忍・阪田雪子である点は同じであるが(1959では語彙調査に白石和子が加わっている)、全体の体裁も変わり、例文も大きく異なっている。
Kokusai Gakuyuu Kai(1954)では、「全44課の構成」「ヘボン式の表記」「150時間の学習」であるのに対して、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)は「全60課の構成」「訓令式を母体とする表記」「200時間の学習」と大幅に増えている。そのことは受身記述にも反映されており、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)では、33課「使役の意を表わす言いかた」、39課「受身を表わす言いかた」としているのに対して、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)では、56課「受身の意を表わす言いかた」、57課「使役の意を表わす言いかた」と受身と使役とを連続させて扱っている。これは、受身と使役を関連づけて教えるようにすることで、学習の効率を図ろうとするものであると言える。この違いは、受身記述の例文にも反映されている(注6)。以下に、例文と受身記述の例文で取り上げられている差異を示してみることとする。

(1954年版)39課
Anata wa sensei ni kawaigararete imasu ka, kirawarete imasu ka ?
Watashi wa sennsei ni kirawarete wa imasen.Shikasi, kawaigararete mo imasen.
Ano sennsei wa gakusei o shikarimasu ka ?
Warui koto o sureba shikarimasu ga, warui koto o shinakereba shikarimasen.
Anata wa sennsei ni shikarareta koto ga arimasu ka ?
Watashi wa sensei ni shikarareta kotow a arimasen.
Anata wa sennsei ni homerareta koto ga arimasu ka ?
Watashi wa sensei ni homerareta koto mo arimasen.
Watashi wa shikarareta koto mo arimasen shi, homerareta koto mo arimasen.
Ano sensei wa gakusei kara sonkeisarete imasu ka ?
Ano sensei wa minna kara sonkeisarete imasu.
Ano hito wa shojiki desu ka, usotsuki desu ka?
Ano hito wa usotuki desu.
Anata wa ano hito ni damasareta koto ga arimasuka ?
Watashi wa ano hito ni damasareta koto ga ikudo mo arimasu.
Ano hito wa minna kara kirawarete imasu ka, sukarete imasu ka ?
Ano hito wa usotsuki desu kara, minna kara kirawarete imasu.

(1959年版)56課
Sensei wa watasi o sikarimasita.
Watasi wa sensei ni sikararemasita.
Anata wa doosite sensei ni sikararemasitaka ?
Warui koto o sita node, sikararemasita.
Sesei wa Ee-san o homemasita.
Ee-san wa doosite sensei ni homeraremasita ka ?
Ii koto o sita node, homeraremasita.
WAtasitati wa anohito o kiratte imasu.
Anohito wa minna ni kirawarete imasu.
Doosite minna ni kirawarete imasu ka ?
Uso o tuku node, kirawarete imasu.
Anohito wa watasi no okane o nusunda rasii desu.
Anata wa dare ni okane o nusumaremasitaka ?
Watasi wa anohito ni okane o nusumareta rasii desu.
Anata wa kyoo Yamada-san kara syootaisarete imasu ka ?
Hai, watasi wa syootaisarete imasu.Anata mo syootaisarete imasu ka ?
Hai,watasi mo syootaisarete imasu.
Anata wa kinoo ame ni huraremasita ka ?
Watasi wa kinoo uti e kaeru totyuu de ame ni huraremasita.

(1954年版と1959年版の受身文の種類)
1954 1959
直接受身 ○ ○
ヲ格 ○
ニ格 ○ ○
カラ格 ○ ○
迷惑の受身 ○ ○
自動詞の受身 ○
持ち主の受身 ○

この表から、1954年版と改訂版の1959年版のものとでは、扱う例文が異なり、例文の充実を行っていることがわかる。しかし、共通している点もあり、以下に示してみる。

○「です・ます」体の会話体を基本にして、「主語の省略」を積極的に採用している例文である。
○「迷惑の受身」では「利益を被る例文」も採用している。
○「使役受身」「非情の受身」「自然的可能受身」は扱っていない。

このことから、基本文型を中心とした表現文型の配列で、わかりやすさを重視したという基本方針で共通していると言える。

2.2鈴木忍の受身の論−教科研文法の採用−

鈴木忍は、文法についての考え方を書き残している著作が少ない。その少ない中でも、鈴木忍(1972)は、鈴木忍の体系的な文法についての考え方が詳しく書かれている唯一のものといってよいであろう。その中の「第4 表現意図による文型と文法事項」の「3 判断の表現」の「様の表現」(受身・使役・自発・可能の表現)に受身記述がなされている。特徴としては、以下のように能動文を設定し分類しており、教科研東京国語部会(1963)の分類と同じである。参考文献としても教科研東京国語部会(1963)をあげていることからも、教科研グループの考え方を取り入れたものと考えられる。
この考え方の特徴は、能動文の「ヲ格」が主語になるものを直接受身とし、「ニ格」が主語になるものを間接受身としている。また、第三者の受身の中に、持ち主の受身、自動詞の受身を入れ、非情の受身・使役受身・自然可能的受身は扱っていない。なお、鈴木重幸(1972)は、「持ち主の受身」を立てて、「直接受身」「間接受身」「持ち主の受身」「第三者の受身」の四分類にしている。鈴木忍と鈴木重幸が同じ1972年に公刊したものにおいて、教科研東京国語部会(1963)の考え方をそのまま踏襲した三分類の鈴木忍と、修正し四分類とした鈴木重幸であるが、以後の受身文の考え方や研究の方向性としては、鈴木重幸(1972)の考え方が主流になっていくこととなった。
また、鈴木忍(1972)は、受身表現の典型を「SMニZ」「SMニMヲZ」としている。これは、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)の解説として扱うことができる。なお、鈴木忍の関わった日本語教科書の受身文では、能動文の段階で「ニ格」であるものは取り扱っていない。以下に教科研のものを踏襲したと思われる受身記述の三分類をまとめてみる。なお、記号はSが主語、Zが述語、Mが目的語を示す。

○直接的な受身
太郎ガ(S) 次郎ヲ(Mヲ) ナグル(Z)
次郎ガ(S) 太郎ニ(Mニ) ナグラレル(Z)
○間接的な受身
太郎ハ(S) 花子ニ(Mニ) ホレル(Z)
花子ハ(S) 太郎ニ(Mニ) ホレラレル(Z)
太郎ハ(S) 花子ニ(Mニ) 結婚ヲ(Mヲ) 申シコンダ(Z)
花子ハ(S) 太郎ニ(Mニ) 結婚ヲ(Mヲ) 申シコマレタ(Z)
太郎ハ(S) 花子ト(Mト) 絶交シタ(Z)
花子ハ(S) 太郎ニ(Mニ) 絶交サレタ(Z)
※「Mヲ」はそのまま残る
○第三者の受身(迷惑の受身)
雨ガ(S) フッタ(Z)
太郎ハ(S) 雨ニ(Mニ) フラレタ(Z)
母ガ(S) 死ヌ(Z)
太郎ハ(S) 母ニ(Mニ) 死ナレル(Z)
スリガ(S) サイフヲ(Mヲ) スッタ(Z)
太郎ハ(S) スリニ(Mニ) サイフヲ(Mヲ) スラレタ(Z)
女ノ人ガ(S) (太郎ノ)足ヲ(Mヲ) フンダ(Z)
太郎ハ(S) 女ノ人ニ(Mニ) 足ヲ(Mヲ) フマレタ(Z)

この鈴木忍(1972)には、最初から迷惑の受身と指導してしまうと、何でも迷惑を被るものとして考えられてしまうため、「工場を建テタ」という基本形を考えた上で「工場が建テラレタ」(直接受身)、「工場ヲ建テラレタ」(第三者の受身)とする指導の注意も書かれているのも大きな特色である。

2.3東京外国語大学附属日本語学校(1979)『日本語Ⅰ』(凡人社)の受身記述

東京外国語大学附属日本語学校(1979)『日本語Ⅰ』は、基本文型を習熟する目的で編纂され、主に鈴木忍が編集したテキストである。全32課から成り、30課で使役、31課で受身を扱っている。本文では、以下の例があげられている。

あなたは 先生に ほめられた ことが ありますか。
はい、ほめられた ことが あります。
どうして ほめられましたか。
しけんの せいせきが 良かったので、 ほめられました。
あなたは 先生に しかられた ことが ありますか。
はい、 しかられた ことも あります。
何を して、 しかられましたか。
友だちと けんかを して、 しかられました。
あなたは 先生に きらわれて いますか、 かわいがられて いますか。
わたしは どの 先生にも かわいがられて います。
どの 先生にも きらわれては いないと 思います。
電車に 乗ろうと した 時、 後ろから おされて ころびました。
前には、電車の 中で だれかに 足を ふまれました。
先日 こんだ 電車の 中で、 すりに さいふを すられました。
どろぼうに 何か ぬすまれた ことは ありませんか。
幸いに どろぼうには まだ 何も ぬすまれた ことは ありません。
さっき 水たまりの 中を 走って 来た タクシーに どろ水を ひっかけられたのです。
わたしは きのう 家へ 帰る とちゅうで 雨に ふられて、 ひどい めに あいました。

本文で扱われているものは、すべて主語が人で、一人称・二人称で構成されており、主語の省略もある。直接受身、持ち主の受身、ヲ格の受身、自動詞の受身、迷惑の受身が採用されている。迷惑の受身の中でも、被害だけではなく、恩恵を受ける例文も採用されている。非情の受身・自然可能的受身・使役受身の例はあげられていない。能動文に直すと「XはYに−する」という形(鈴木忍は間接受身としている)を受身にしたものも見られ、教科研の受身文の捉え方を反映している。自然な日常会話の例文で構成されている。

2.4『日本語初歩』の受身記述

国際交流基金日本語国際センター(1981)『日本語初歩』では、第31課で扱われ、本文では次の例があげられている。

ええ、 先生に しかられたんです。
あの人は 試験が よく できたので 先生に ほめられたのです。
友だちの たんじょう日に 招待されて、 夕方 家へ 帰る 時の ことです。
ところが、電車の 事故が あって、 駅で 三十分ぐらい 待たされて しまいました。
やっと電車が 来たのですが、 こんでいて となりの 人に 足を ふまれてしまいました。
それから、 駅の かいだんを 下りようと した 時、 今度は 後ろの 人に おされて ころんでしまいました。
いいえ、 さいふと いっしょに 電車の 中で ぬすまれたらしいんです。
すりに すられたのですね。
ええ、駅の 事務室へ 行って、 さいふと きっぷを ぬすまれたと 話しました。
事務室で 十五分ぐらい 待たされました。
やっと 駅を 出て、 家へ 帰ろうと すると とちゅうで 雨に ふられて しまいました。

これらの例をみると、主語の省略も採用し、直接受身・迷惑の受身・ヲ格の受身・持ち主の受身・自動詞の受身をバランスよく含み、非情の受身・自然的可能受身・ニヨッテ受身・使役受身は含まれていない。能動文に直すと「XはYに−する」という形(鈴木忍は間接受身としている)を受身にしたものは、見られない。自然な日常会話の例文で構成されている。このことは、教科研の影響が薄くなった印象を受ける。基本的な表現文型を目指したテキストであることを反映している。東京外国語大学附属日本語学校(1979)『日本語Ⅰ』よりも少ない例文で日本語の受身が示されているといえる。