アストンの受身記述

アストンの受身記述

アストン(1872)『文語文典』では、自動詞と他動詞とに分け、「るる」「らるる」で受動動詞を作り、可能動詞にも通じる点と自動詞から受動動詞が作られる点を強調している。

アストン(1871)『口語文典』(pp.60-61)では、areruを加えて受動動詞を作ることを述べ、以下のように、「聞こえる」「見える」「知れる」の例をあげ、能動性のない類似のものとしている。

Kikoyeru, from kiku, to hear
Miyeru, from miru, to see
Shireru, from shiru, to know  (p.60)

また、動作主のbyを「に」に当てて、以下の例を示している。

Jimmin ni kirawareru. He is hated by his subjects.
Sendo ni tasukeraremasita. He was saved by aboatman.  (p.60)

受身と可能についての関連についても、以下のように他の西洋人と同様に、潜在的には可能の意味を含んでいるとしている。

The passive forms,whether ending in areru or eru,have often apotential meaning.They are then equivalent to the tenses of the English verb which are compounded of the root of the verb and the auxiliary verb “can”  (pp.60-61)

アストン(1873)『口語文典 第三版』(pp.63-64)とアストン(1888)『口語文典 第四版』においても、アストン(1871)『口語文典 第二版』と同様に、自動詞も受動表現になり、「れる」「られる」で受動動詞を作ることを述べ、英語の動作主の「by」を「に」に当て、潜在的に可能の意味を含んでいることを述べている。ほぼ受身に関しては、アストンの考えは変化していないことがわかる。

アストンの受身記述はクルチウス、ブラウン、ホフマンの流れを受けたものであり、簡潔に整理したものと捉えることができる。このアストンの説明は、現在では、日本語教育の初級で説明されるような、整理された記述になっている。