鈴木忍以降の学友会の受け身文の扱い

3.2鈴木忍以降の学友会系の受身文の扱い

3.2.1北海道大学日本語研究会(1986)『日本語初歩 文法説明』の受身記述

北海道大学日本語研究会(1986)『日本語初歩 文法説明』は、国際交流基金日本語国際センター(1981)『日本語初歩』の解説として編纂されたもので、大学院レベルの研究留学生に対する6ヶ月の集中日本語研修コースのための解説として書かれたことが記されている。この中では、直接受身・ヲ格の受身・持ち主の受身・迷惑の受身・自動詞の受身・使役受身を扱っている(pp.182-185)。ただし、迷惑の受身の中に、自動詞の受身と持ち主の受身を入れ、持ち主の受身を説明していない。

3.2東京外国語大学留学生日本語教育センター編(2010)『初級日本語・下』の受身記述

東京外国語大学留学生日本語教育センター編(2010)『初級日本語・下』では、24課で受身文が扱われている(pp.102-103)。
24課の「本文」では、非情の受身は扱われていないが、「ぶんけい」の箇所では、「は」「が」「を」「に」の格関係を中心に6つのパターンに分けており、有情の受身と非情の受身とに大きく二分類した例文で構成され、動作主は「ニ格」で統一して述べている。「はじめに」で、目標を「知識〇から一年間で大学で学ぶ力を育成する」としているテキストであるため、明治期以降の書き言葉の説明文で用いられる日本語非固有とされる表現も盛り込んだテキストであることが反映されている。

3.2.2富田隆行の受身記述

国際学友会の流れを汲む中で、富田隆行(1991)は、受身を「日本語本来の受身」(直接受身・ヲ格の受身・持ち主の受身・自動詞の受身・迷惑の受身)と「日本語本来の受身ではない言い方」(非情の受身・自然可能的受身)に二種類に分けて記述している。
鈴木忍の日本語教科書では、日本語本来の受身で本文は構成され、文型練習で日本語本来の受身ではない言い方を扱っていたものであり、鈴木忍の日本語教科書の精神を受け継いでいると考えてよいであろう。

[受身−Ⅰ]
Aさんは先生にしかられました。
わたしは弟にカメラを壊されました。
わたしは、今朝、電車のドアにかばんを挟まれました。
わたしは弟にケーキを食べられました。
わたしは、昨日、スピードを出し過ぎたので、警察官に車を止められました。
わたしは、ゆうべ、友達に遊びに来られたので、勉強することができませんでした。
AさんとBさんは先生に「授業中に話をしてはいけません。」と注意されました。
[受身−Ⅱ]
この歌は、今、若い人たちに歌われています。
富士山は日本でいちばん美しい山だと言われています。
この建物は200年前に建てられました。
この公園には桜の木がたくさん植えられています。
この雑誌は毎月15日に発行されます。
オリンピックは4年に1度開催されます。  (pp.55-56)

[関連知識]の項目では、受身の解説が施され、「受身Ⅰ」の例外として説明することを述べているのは、以下の「ほめる」「誘う」「招待する」「助ける」「頼む」などの動詞のケースである。

Aさんは先生にほめられました。
わたしはBさんに「映画を見に行きませんか。」と誘われました。
わたしはCさんに誕生日のパーティーに招待されました。  (p.58)

また、使役受身について使役の箇所で「使役の表現場面で、行為の受け手がその行為を迷惑だと感じた場合には、その受け手を主語(主題)にして『受身の言い方』を使っていいます」と説明している(pp.63-64)。「ニヨッテ格」を用いる例文をあげ、中級レベルの用例としてあるものをみると、非情の受身の中でも、主語が連体修飾になっている例である。

アメリカ大陸はコロンブスによって発見されました。
たばこはポルトガル人によって日本に伝えられました。
太陽に/よって温められた空気が・・。(中級レベルの用例)
波に/によって浸蝕された岩が・・。(中級レベルの用例)  (p.59)

このように、鈴木忍以降の学友会系の受身文の扱いは、主語に注目し、「非情の受身」という近代以降の日本語本来ではない言い方ではあるが、論説などで用いられるものを採用していったことがわかる。