百人一首1-30の寸評
一
秋の田のほとりに作った仮小屋の、その苫の網み目があらいので、私の袖は露にしっとりとぬれぬれてゆくばかりである。
(鑑賞)暮れていく晩秋の静寂な収穫期の田園風景
二
春がすぎて夏がきてしまったらしい。夏になるとまっ白な衣をほすという天の香具山なのだから。
(鑑賞)衣の白と山の緑との目に鮮やかな初夏の到来
三
山鳥の尾のその垂れさがった尾の長々しいように、秋の長々しい夜を、たったひとりで寝ることになるのだろうか。
(鑑賞)秋の夜長をひとり寝る恋のわびしさ
四
田子の浦に出てみると、まっ白な富士の高嶺に雪はいまもしきりに降っていることよ。
(鑑賞)風景の中心を占める富士山の山頂の風景美
五
奥山で紅葉をふみしだき妻を求めて鳴く鹿の声を聞くときこそ、ひとしお秋は悲しいものと感じられる。
(鑑賞)鹿の鳴き声に悲しみきわまる秋
六
かささぎが翼を広げて天の川にかけているという橋、つまり宮中の御階(みはし)に、今おりている霜の白いのをみると、夜ももうふけてしまったのだった。
(鑑賞)冴えわたる冬の夜空に描く幻想
七
大空をはるかにふり仰ぐと、いま見るこの月は、かつて春日の三笠山に出た、あの月にほかならぬのだ。
(鑑賞)帰国を前に胸にこみあげてくる望郷の念
八
私の庵は都の東南、このように心のどかに住んでいる。だのに、この世を憂しとして逃れ住んでいる氏山だと、人々は言っているようだ。
(鑑賞)宇治での隠棲生活ののどかな心
九
私の花はすっかり色あせてしまった。むなしく春の長雨が降り続いていた間に。そしてむなしく私が生きていることの物思いをしていた間に。
(鑑賞)色あせる桜に寄せる人生の衰えの予感
一〇
これがあの、出て行く人も都に帰る人も、ここで別れては、そして知っている人も知らない人も逢うという、その名も逢坂の関である。
(鑑賞)会うは別れの始め(会者定離)を思わせる逢坂の関
一一
海原はるかに、数えきれない島々めがけて舟を漕ぎ出してしまったと、人には告げてくれ。海人の釣舟よ。
(鑑賞)流離に旅立つ身の悲しみを孤独と不安の貴種流離譚の一種
一二
空吹く風よ、雲の中の通い路を吹きとざしてくれ。天女たちの舞姿をせめてもうしばらくここにとどめておこうと思う。
(鑑賞)天女のように見える五節の舞姫の美しさ
一三
筑波山の峰から流れ落ちる男女川の水量がどんどん増えるように、私の恋の気持ちもますます高まって、深い淵となってしまった。
(鑑賞)時がたつにつれて次第に深まる孤独な恋情
一四
陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れているが、誰のせいで乱れはじめたのか。私のせいではないのに。
(鑑賞)恋してはならない恋に屈折して乱れる心
一五
あなたのために、春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に、雪がちらちら降りかかってくる。
(鑑賞)若菜を贈り、相手の幸いを願う、やさしい心づかい。
一六
人々と別れて因幡の国に去ったとしても、その国の稲羽山の峰に生えている松ではないが、人々が私を待っていてくれると聞いたならば、すぐにも帰ってくるとしよう。
(鑑賞)地方への赴任を前に別れを惜しむ心
一七
不思議なことのあったあの神代にも聞いたことがない。龍田川が唐くれない色に水をくくり染めにするとは。
(鑑賞)龍田川の紅葉の華麗な美しさ
一八
住の江の岸による波ではないが、夜にでも夢の中の通い路を通って逢いに行かないのだから、自分は夢のなかでも人目をさけているのだろうか。
(鑑賞)夢の中でさえ、恋人に逢えないつらさを嘆く歌。
一九
難波潟の芦の、あの短い節と節の間のような、ほんのわずかの間も逢わずに、この世を終えてしまえと、あの人は言うのか。
(鑑賞)わずかの逢瀬も許されない恋への絶望感
二〇
ここまで悩み苦しんでしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身をつくしても逢おうと思う。
(鑑賞)わが身を滅ぼしてもと思う激しい恋情
二一
あの人がすぐにも行こうと言ってよこしたばっかりに、九月の夜長に待ち続けているうちに有明の月が出てしまったことだ。
(鑑賞)来ない男のために、夜通し秋の夜長を待ち続けた女の恨み。
二二
それが吹くやいなや秋の草木がしおれるので、なるほど、山風を嵐というのであろう。
(鑑賞)草木を荒らし、枯れ衰える季節を暗示する秋の山風。
二三
月を見ると、あれこれとめどなくものごとが悲しく思われることだ。なにも私一人だけを悲しませるために来た秋ではないけれども。
(鑑賞)月を眺めて感じられる秋の悲哀
二四
このたびは、ちゃんと幣を捧げることもできない。そのかわり手向山の紅葉の錦を、神の御心のままにお受けください。
(鑑賞)田向山の錦さながらの紅葉の美しさの強調
二五
逢って寝るという名を持っているならば、その逢坂山のさねかずらは、たぐれば来るように、誰にも知られずに逢えるてだてがほしいものよ。
(鑑賞)さねかずらを手繰り寄せるように偲んで逢いたい恋
二六
小倉山の峰のもみじ葉よ、もしも物事の情理をわきまえる心があるならば、もう一度のみゆきがあるまで、散らずに待っていてほしい。
(鑑賞)宇田上皇が醍醐天皇に行幸を勧めたくなるほどの小倉山の紅葉
二七
みかの原を分けて、わきかえり流れる泉川の、その「いつ」ではないが、いつ逢ったというので、こんなにまで恋しいのであろうか。
(鑑賞)尽きることなく湧き出てくる恋の憧れ
二八
山里は都とはちがって、冬がとくに寂しさがまさるものだった。人も訪ねてくることがなくなり、草も枯れてしまうと思うので。
(鑑賞)孤独な寂しさをいっそう感じさせる冬の様里
二九
当て推量で、折ろうというのなら折ってみようか。初霜を置いて見わけもつかず紛らわしくしている白菊の花を。
(鑑賞)初霜に紛れるほど純白な白菊の美しさ
三〇
有明の月がそっけなく見えた、その、そっけなく思われた別れからというもの、暁ほどわが身を憂鬱に思うときはない。
(鑑賞)男が女と別れて帰っていくときの有明の月とともに思い出される恋のつれなさ