俳諧と俳句

俳諧と俳句
俳諧連歌」と呼ばれるものがあります。「俳諧連歌」は「滑稽な連歌」のことで、「俳諧」と略されます。この俳諧芭蕉によって芸術的に完成されました。
ところが、明治時代になると正岡子規が、俳諧連歌の芸術性を完全否定しました。そして、正岡子規は発句だけが価値のあるものとしました。その発句を「俳句」と呼び変えました。こうして「俳句」が誕生したのです。