トランスパーソナル心理学

ロジャーズやマズローらの人間性心理学の自己超越の概念を発展させて、個を超える領域への精神的統合を重んじる心理学。臨床的には一定の効果が確認されているが宗教、神秘主義であるという批判も根強い。代表者はスタニスラフ・グロフ、ケン・ウィルバー
トランスパーソナル心理学は、哲学であり、思想であり、学問であり、幸福論であり、自分学であり、医療であり、すべての科学の理論(物理学や量子力学をも含む)と、実証されたことを結集して、より高度な心理状態を達成しようというものであり、セラピーやワークをともなう。
 孤立、不安、悩み、いらだち、身勝手さ、憎しみ、争い、奪いあい、殺しあい、とめどもない精神破壊、環境破壊から、個人や人類が生き延びるためにはどうしたらいいのか。
 近代的なアメリカ式個人主義は、すでに限界に来ており、その限界は越えなければならないし、越えられるということである。
 個人や国家が健やかに生きるために、資本主義も、社会主義も行き詰まってしまった現代において、この思想以外に信じるべきものが、ぼくには他に見当たらないのだ。
 これは、現代思想の最前線にあり、政治・経済の体勢だけでなく、人間の”心”をどうするかについて、普遍的で妥当な提案を含んでいる。
 心のそれぞれの発達段階、心の層に応じたさまざまなセラピーの統合、というトランスパーソナルの骨組みは、孤立した個人性という意識を越え、個を越えたもの(他者・共同体・人類・生態系・地球・宇宙、そしてブラフマン・神・空といった)との一体感を回復するという意味できわめて宗教的でありながら、排他的でなく、他者による再実験・反論・修正が可能でオープンな仮説であるという意味で科学なのだ。
 トランスパーソナルの主張をまとめると、次の3つのポイントになる。
1.人間の成長は、自我の確立、実存の自覚、自己実現などの言葉で示される
  <人格=個人性=パーソナリティ>の段階で終わるのではなく、他者・共同
  体・人類・生態系・地球・宇宙との一体感・同一性(アイデンティティ)の
  確立、すなわち<自己超越>の段階に到達することができる。
2.人間の心は生まれつき、構造的にそうした成長の可能性をもっている。
3.その成長は適切な方法の実践によって促進できる。
 周囲に流されることなく、自ら判断し、自分の命の、かけがえのないすばらしさ、愛しさを知っているからこそ、他者の命をも尊重することのできる、理性、批判力、独立性、自律性といった、個人的なもっとも正当で生産的な面を充分に包み込みながら、それを越えていくこと、”自己放棄”ではなく”自己確立”を経たうえでの”自己超越”(トランスパーソナル)である。
 いい人にならなければならない、なりたい、なろうと思うだけではなれないのは、エゴイズムが、知識、理性、意識の問題ではなく、人間の魂の奥深いところの問題、いわば「深層心理」の問題であるからではないのか。とすれば、いかにして、心の深層に深く根を張ったエゴイズムを絶ち切り、枯らせてしまうことができるのか、しかしそれは、他人の話しではなくまず自分のことにおいてなのだ。このことこそが、ずっとぼくが抱え込んできた問題なのだ。
 トランスパーソナルな人たちは、エゴイズムの根深さ、深層性を十分認識したうえで、それでも人間の心は構造的にエゴイズムを越えることができるようにできていると主張する。
 キリスト教の”原罪”、仏教でいう”無明”の再発見であったといってもいい。その点で「人間は根本的に罪深いもので、原罪は人間の力では解決できない」とする正統キリスト教よりも、「闇がどれほど深くても光が照ったとき、たちまちにしてなくなるように、永遠の昔からの無明も悟ったとたんに克服される」とする仏教思想に近いのだ。
 トランスパーソナルは、西洋科学(心理学)と東洋宗教(特に禅)の統合という面をもっている。最終的に目指す心理状態は、悟りなのだ。
 アメリカでは、禅は、鈴木大拙の英文の著作によって知識として早くから知られていた。それに加えて、臨済宗系は西海岸の千崎如幻や東海岸の佐々木指月らの活動、曹洞宗系は鈴木俊隆のサンフランシスコ禅センターや前角博雄のロサンジェルス禅センターにおける活動などによって、坐禅の実習が広範囲に行われるようになっていた。カリフォルニアでは、神父、牧師たちが座禅をしているという。
 般若心経の最初に出てくるように、仏教が生み出したものの中で禅が何よりも重視しているのはキリスト教と同じく言葉である。
  形は空と異ならず
  空は形と異ならず
  形はまさしく空であり
  空はまさしく形である
 二千年後、西洋の物理学がこの説に同意した。
 科学的な宇宙の考え方は量子力学と、エネルギーと物質を別の物と考えることに疑問を呈したアインシュタシンの相対性理論によって、根本的に変わった。宇宙が論理的に行動する微細な固形物で出来上がっているという都合のよい考え方はこっぱみじんに吹き飛んだ。粒子は別個の存在ではなく、互いに関連している。世界は相互に関連した出来事の連続であり、とぎれることのない動的な総合だ。科学者は今、観察者ではなく参加者になった。そして物理学と神秘主義には、はっきり平行線に達し、ひとまわりして元に戻った。ぼくの性格も、ひとまわりして元に戻った。
「(現代物理学の)発見には強力な認識がひそんでいる。すなわち、これまで気がつかなかった精神の力を認識することで《現実》が形づくられるのであり、その反対ではないということである。その意味で物理学の原理と、悟りの原理である仏教の原理に一線を画せなくなる」
 誤解を恐れずに端的に言うと、トランスパーソナルとは、それぞれの心理の成長段階に適した心理的処方をあたえる事により、個人が個人意識を越え宇宙のふところに深い安らぎを見いだした心境、<宇宙意識>=個と宇宙の一体感(仏教でいう悟りの境地)にまで、誰でも到達することができるという体系なのだ。
 そして処方を与えるのは、自分自身であるから、自分を突き詰めて行くことこそが、最大の主題になる。

日本トランスパーソナル心理学/精神医学会のホームページ
設立趣旨
日本におけるトランスパーソナル心理学/精神医学研究の発展をめざして
 トランスパーソナル心理学/精神医学がわが国に紹介されるようになって、十数年が経過し、主要な理論的書物の公刊のみならず、その実践も行われるようになってきた。しかし、わが国ではいまだ専門的な学術研究や議論が十分に行われるまでに至っていない。米国でのおよそ30年に及ぶ歴史やその進展には、現代において注目されるべき数々の学問的主張や業績が積み重ねられており、現在その活動は、欧州の数ヶ国や豪州、ロシアなどでも行われるようになっているが、わが国でも本格的な研究や議論が精力的になされることが待たれており、その期は熟したと考えられる。本学会はこうした研究と議論の場として、わが国において中心的役割を担うことを目的とするものである。主な研究活動には以下のものが含まれる。
人間の成長発達と潜在的可能性についての心理学的・精神医学的研究の推進
 トランスパーソナル心理学/精神医学のアプローチは、まず第一に「人間性心理学」の延長上でそれを乗り越えていこうとする動きとして現れたが、心理学や精神医学の従来の枠組みの拡大を要請するものとなり、理論のみならず、心理療法の臨床実践にも新しい影響を数々与えている。現代では人間の心理的成長・発達や潜在的可能性に対する関心が、一般社会のなかでも大きく広がってきており、その求めに応じてさまざまな心理学理論や心理療法が生み出されるようになっているが、こうした状況が拡大するにつれ、それらに関する現代の科学的・学術的・専門的研究活動の意義と必要性はますます高まっている。

 トランスパーソナル心理学/精神医学では、人間は発達の後期段階において、個人的な関心を超えたものに重点をおくようになるという点が重視され、従来の心理学的発達論が拡張されて捉えられている。すなわち人間の発達は、自我の確立以前の「前個的(プレパーソナル)」段階から、個人として十全な自我機能をもつ「個的(パーソナル)」段階を経て、(その確立の後に)さらにより包括的な視点をもった「超個的(トランスパーソナル)」段階へと至る広範囲な枠組みに立つ点が重要な特徴である。ここでは従来の心理学や精神医学において一般的に認められてきた「生物・心理・社会的モデル」は、「生物・心理・社会・霊的(biopsychosocial-spiritual)モデル」へと広げられている。人間の「心」には、従来の科学的学問の枠組みからは抜け落ちてしまう重要な要素が数多く認められるが、上記の枠組みに立ち、新たな現代的・科学的観点に立って心理学的・精神医学的研究の推進を図ることが本学会の主要目的の一つである。

 研究の視野は、身体技法や諸種の東洋的意識鍛錬実践を含めた新たな心理療法に関する臨床的・理論的研究、人間の変容と治癒に関する研究、心理学諸派の理論や実践との比較・統合的研究(とくに人間性心理学およびユング心理学との対話)、心理学および心理療法と宗教(とくに仏教)との関係に関する研究、創造性や芸術の心理療法的意義に関する研究、臨死状態やターミナルケアなどに関する研究の領域にも広がりをもっている。
人間の「意識研究」の重要性
 上記のアプローチは、人間が取りうるさまざまな「意識(状態)」を重要視することにもつながる。「意識」というものは、哲学的にも定義づけの不可能な概念と言われるが、それは人間という存在にとって最も根本的な重要問題であることは明白である。心理学や精神医学は、本来、この意識という問題にもっとも密接に関わる学問領域であるが、従来のそれらは、「科学的学問」としての方法論上の問題と関係して、この「意識」に直接アプローチすることを避けてきたように思える。トランスパーソナルのアプローチは、これらの「科学的学問」の問題にも挑戦しながら、あくまでも科学として人間の「意識」という問題にも新たに取り組もうとする姿勢をもつ。

 この姿勢には、東洋の伝統文化に存在する各種の瞑想的伝統や修行による「意識状態」への関心を強くもつ点も際だった特徴の一つとして含まれている。東洋にこれまで積み上げられてきた「心理学的体験の記述や洞察」は、人間がどのような意識状態を取りうるのか、意識状態によってどのような認識や知覚の変化があるのか、意識をいかにして変容させることができるのかといった「意識研究」の成果であると考えることもできる。最新の西洋科学の「意識研究」と伝統的東洋哲学の「意識研究」との交流や統合は、現代におけるもっとも重要な研究領域の一つであり、それらをつなぐことのできる「トランスパーソナル」というフィールドは現在世界的に大きな注目を集めている。こうした研究は、世界全体から見た地理的、文化的特質からして、とくにわが国で盛んな研究や議論がなされることが期待されている。

 研究の視野は、意識および変性意識の実践的・理論的研究、瞑想をはじめ意識の変容に関わる世界の伝統的諸技法やシャーマニズムの研究、それらの現代における意義についての研究、文化および社会と意識との関係に関する研究、物質と意識(脳と精神)、身体と意識(精神)の関係についての研究など、幅広い分野を含む。
学際的広がりとしての「トランスパーソナル学」の展開
 「トランスパーソナル」は、もともと心理学の中から必要性に迫られて生まれた概念だが、近年では他の学問諸分野からも大きな関心が寄せられるようになっている。すでにトランスパーソナル精神医学、人類学、宗教学、社会学生態学などの名称も使用されるようになり、学際的交流と研究活動が行われるようになってきた。従来の科学的諸学問の枠組みからは排除されがちであった人間のある種の心理的体験が、トランスパーソナルという用語で学術的に取り上げられたことによって、そうした人間の体験がそれら諸学問のなかでも本来重要な位置を占めていることが再評価されようとしている。この動きは、ただ学問的研究にとってだけでなく、現代社会に生きる人間にとって非常に重要な意味を含んでいると考えられる。このような議論を深めていくためには、従来の学問枠にとらわれることなく、さまざまな学問領域からの発言を活発に行える場が必要になってきているが、本学会ではそれらの議論に積極的な場を提供したい。
新たな世界観の探究に向けて
 トランスパーソナルな発達段階における人間の体験的意識は、古来から世界の各地で、人間の生にとってかけがえのない貴重な洞察を残してきたものと考えられる。科学主義的・合理主義的・個人主義的世界観が行き渡ったように見える現代が一種の行き詰まりを見せ、それに変わる新たな世界観を必要としているとすれば、これまでその現代的価値観の進展ゆえに排除され、蔑視されてきたとも言えるそれらの貴重な諸洞察を、人間の心理学的体験として正当に評価しなおし、それらを再発掘しながら、現代の学問的立場に立った議論を行うことは重要な意義をもつ。また、そうした大きな時代の転換期のなかで新たに浮上しつつある人間の意識の変化は、トランスパーソナルという概念と深い関連をもつものであり、それらを積極的に取り上げることは大きな価値をもつ。

 その中心的課題としては、西洋近代科学と東洋哲学や宗教との対話・そして統合への努力、多文化間の対話、霊性と宗教、霊性現代社会、地球規模の危機への反応、これらに関わるオルタナティヴの模索、現代思想におけるトランスパーソナル理論の位置づけおよび従来の諸学問との関係や対話に関する研究などが挙げられる。
日本トランスパーソナル心理学/精神医学会では、
 これらの研究促進を目的に、年次大会の開催や講演会などを通しての一般社会への普及活動、海外も含めた研究成果の発表や紹介(会誌の発行)、ニュースレターの発行、わが国のシンクタンクとして諸外国との交流などを行う。