南不二男の受け身記述

南不二男の受身記述−関与者の視点−

南不二男(1993)は、教科研グループの研究を微視的な分析であるとし、構造で扱っているのが特徴である。接続助詞をもとに分類し、描叙・判断・提出・表出とした。描叙は「関与者構造」をなすものとして、その中で「使役」「受身」「授受」「尊敬・謙譲」を一括して扱っている。それらについての南不二男(1993)の主張をまとめると、以下のようになる。

○関与者構造は、格構造を前提とする。つまり、格構造がないと、関与者構造が決まらない。可能の表現には関与者構造は認められない。
○問題となる事物(のある項目)を、いわば「人間扱い」にする。つまり、有生のものが登場するのは普通のことであるが、無生のものもあり、擬人的と思われるものが少なくない。
○使役は受身に先立ち、受身は授受に先立つ。尊敬・謙譲と使役・受身・授受表現との関係は、はっきりしない。
○直接受身、間接受身の旧主語「ニ格」は関与者として扱われる。「ヲ格」は関与者構造に直接関わる成分とは考えない。
○修飾構造(様態関係・程度や量関係・アスペクト関係)は、格構造および関与者構造による表現を、さらに詳しく描くことに関わる。

南不二男(1993)では、角田大作(1990)の「所有傾斜」に注目し(注)、間接受身の中でも「持ち主の受身」と呼ばれるもののニュアンスの違いを「所有傾斜」であるとして、以下の例文をあげて検討している。
1私ハ、混雑スル会場デ上衣ノボタンヲ引キチギラレタ。
2竹田先生ノ新著ガ店頭デ万引キサレタ。
3生田万規夫ノ版画ガ展覧会場カラ盗マレタ。
4県立美術館ノミレーノ絵ガ盗マレタ。
1と4は特に問題はないが、2では万引きされたのが「竹田先生」なのか、書店(の主人)なのかがはっきりせず、3では盗まれたのが「生田万規夫」なのか、展覧会の主催者(あるいは画商)なのか、はっきりしないと指摘する。こうした曖昧さが残るのは、現在の所有者と生産者(著者、画家)との差がつけられない、「所有傾斜」の程度の問題であるとする。4では現在の所有者と生産者(著者、画家)との差があるので曖昧さがないとする。