受身論争1

久野翮・黒田成幸の受身記述−受身論争1−

受身文に対する生成日本文法の論争として有名なものとして、久野翮(1983・1986)と黒田成幸(1985)による論争が有名である。
久野翮(1983)は、中立受身と被害受身(間接受身)とに分け、黒田成幸(1979)の「affectivity」という概念は「感情性」であると解釈し、その意味的効果を説明していないことを批判し、新たに「involvement」を提唱し、二格に行為・心理状態に直接的な「involvement」の度合いが少なければ「被害受身」(間接受身)になり、多ければ「中立受身」になると述べた。
これに対し、黒田成幸(1985)は「affectivity」という概念は「感情性」ではなく「作用性」であると論じ、久野翮(1983)のいう「involvement」の「インヴォルヴされる」は「含まれる」という解釈になり、「作用性」を用いるほうが、状況変化の把握ができるため、適切であることを述べ反論した。
この黒田成幸(1985)の批判に対して久野翮(1986)は、やはり辞書的には黒田成幸(1979)の「affectivity」という概念は「感情性」であるとして「作用性」とは解釈できないと再反論し、「involvement」は「関与させる・参加させる」「巻き込む」から、その否定的な含意を取り除いたものとして使っていることを述べている。この論争は、黒田成幸(1979)の「affectivity」の解釈からはじまり、久野翮(1983・1986)の「involvement」と黒田成幸(1985)の「作用性」という根本的な性質のとらえかたの違いを鮮明にしたものであったといえる。