「る・らる(れる・られる)」の多義性と文法教育

また、この「る・らる(れる・られる)」の多義性について、自発根源・受身根源・中相・出来文などの考え方があるが、文法教育を考えたときに、日本語教育では受動態を基軸にして説明しようとすることが多く、松下大三郎(1930)はすべてを受動態で整理した。それに対して学校文法では、四つの意味分類を行うことが一般的である。森山卓郎(2002)や町田健(2002)は、そのような学校文法のあり方に疑問を呈している。森山卓郎(2002)は、日本語教育のように受動文と自動詞を扱い、現代の詩を教材とし、文学作品を文法的に味わうことを目指している。町田健(2002)は、自発根源説で原義をとらえているが、用法として「る・らる(れる・られる)」を見た場合、自発・可能・尊敬などは実際には使われることが少なく、日本語として受身は特徴的であり、頻繁に使われることに注目し、以下のように受身を重視して学校文法を批判している。

日本語でこの助動詞がもっている一番大事な働きが「受け身」だということになります。そして日本語の受け身は、ほかのいろんな言語と比べても、幅広い条件で使われることができるという特徴をもっています。日本語より受け身を使う条件が限られている英語の文法でさえ、「受動態」は重要な項目として取り扱われているのに、私たちの国文法では、一つの助動詞の、さらにいくつかの働きの一つとしてさらっと説明されているだけです。本当に勉強する価値のある文法として国文法を変革するとしたら、まず「受け身」のことを真剣に考えてほしいものです。