『古今集遠鏡』その2
君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ 巻一・春上・二一
そこもとへ進ぜうと存じて、野へ出て此若菜を摘んだが殊の外寒い事で、袖へ雪がふりかかつて、ほとほとなんぎを致してつんだ若菜でござる。
立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む 巻八・離別・三六五
今此方は京を立つて別れて因幡国へ下るが、其の国の因幡山の峰に生えてある松の名のとほりに、そなたが此方を待つと聞いたなら、ぢきに又帰つてこうわさて。
ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは 巻五・秋下・二九四
此の龍田川へしげう紅葉の流れる所を見れば、とんと紅(べに)鹿(かの)子紅(こべに)しぼりと見へるわい。さてさて奇妙なことかな。神代にはさまざまの奇妙な事どもがあつたぢやが、此のやうに川の水を紅のくくり染めにしたと云ふことは神代にも一向聞かぬことぢや。
すみの江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人めよくらむ 巻一二・恋二・五五九
昼ほんまに通ふ道では、人目をば憚るも、其の筈のことぢやが。夜夢に通ふと見る道でまで、人目を憚つてよけるやうに見えるのはどうしたことぢややら。
いまこむと いひしばかりに 長月の ありあけの月を 待ちいでつるかな 巻一四・恋四・六九一
おつつけそれへ参らうと云うておこしたばつかりに、此の九月の末の夜の長いに、さてまつほどにまつほどに遅い有明の月がはやもう出たわい。約束もせなんだ有明の月さへ待ち出したに、それにさ待つ人はさてもさても来ぬことかな。これはまあどうしたことぞ。
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ 巻五・秋下・二四九
吹くと其のまま秋の草や木があのやうに悄(うれ)れれば尤(うべ)なことぢやそれで山の風を嵐とは云ふであらふ。
月みれば ちぢに物こそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど 巻四・秋上・一九三
月を見ればおれはいろいろと物がさ悲しいわい。おれ独りの秋ではなけれど。