『古今集遠鏡』その3

このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢのにしき 神のまにまに 巻九・羈旅・四二〇

此の所の旅は御供ゆえ、ぬさも得用意致さなんだ。其れ故、神は御心まかせにと存じて、即ちこの山の紅葉の錦をそのままで手向けまする。

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば 巻六・冬・三一五

山里はいつでもさびしいが、冬はさべつしてさびしさがまたつたわい。人のこぬことを人目が枯ると云ふぢやが、今までは偶々見えた人目もかれる、草も枯れたによつてさ。

心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 巻五・秋下・二七七

あのやうに初霜が置いて、花やら霜やら知れぬやうにまがうて見える。白い菊の花は大概推量で折らば折りもせうが、なかなか見分けらるることではない。

ありあけの つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし 巻一三・恋三・六二五

まへかた女と暁に別れたときに、有明の月を見たれば、しきりにあはれを催して、あああの月は夜のあけるも知らぬ顔で、あのやうにぢつとゆるりとしてあるに、あれは夜があければ、帰らねばならぬこととて、残り多い所を別れることかやと、身にしみじみと思はれたが、其の時からしてよに暁程ういつらいものはないやうに思ふ。

あさぼらけ ありあけの月と見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 巻六・冬・三三二

かう夜のぐわらりつと明けた時に見れば恰度有明の月の残つた影と見える程に吉野の里へ雪がふつた。

山川に 風のかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみぢなりけり 巻五・秋下・三〇三

山川へあれ風がもてきてしがらみを掛けたと見えるのは、え流れもせずに止まつてある紅葉ぢやわい。あれは風が吹くで余りしげう紅葉が散つてせきかけせきかけ流れてくるによつてさらさらと下へ、え流れてはいかずにあのとほりにしがらみのやうによどむぢや。

ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ 巻二・春下・八四

日の光の、長閑なゆるりとした春の日ぢやに、どう云ふことで花はこのやうに、さわさわと心急はしうちることやら。



たれをかも しる人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに 巻一七・雑上・九〇九

おれは此のやうにきつう年が寄つて、今ではもう同じ頃あひの友もねからないが、誰をまあ相手にはせうぞ。山の上の松が年久しい物なれど、それも昔からの友でなければ相手にはならぬ。もう松より外におれがくらゐ年へたものはとんとない。

人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける 巻一・春上・四二

人はどうぢややら、心も変わらぬが、変わつたか知らぬが、馴染の所は梅の花がさ私が来たればこれこのやうにまへかたのとほりの匂ひにあひ変わらず匂うわいの。

夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雪のいづこに 月やどるらむ 巻三・夏・一六六

ああよい月であつたに、夏の夜の短いことはまだ宵の儘で更る間もなしに早や明けたもの。此夜の短さでは月は西の方の山まで行きつく間はあるまいが、あの暁の雲のどこらにとまつたことやら。