百人一首鑑賞1-7


秋の田のほとりに作った仮小屋の、その苫の網み目があらいので、私の袖は露にしっとりとぬれぬれてゆくばかりである。

(鑑賞)暮れていく晩秋の静寂な収穫期の田園風景
奈良時代の農民が作った労働歌が、時代の流れとともに、天智天皇の作で、天智天皇が農作業の苦労を思いやって作られた歌とされてしまった。
秋田刈る仮庵を作り我が居れば衣手寒く露そおきにける(万葉集・巻一〇・二一七四)


春がすぎて夏がきてしまったらしい。夏になるとまっ白な衣をほすという天の香具山なのだから。

(鑑賞)衣の白と山の緑との目に鮮やかな初夏の到来
春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山(万葉集・巻一・二八)


山鳥の尾のその垂れさがった尾の長々しいように、秋の長々しい夜を、たったひとりで寝ることになるのだろうか。

(鑑賞)秋の夜長をひとり寝る恋のわびしさ
万葉集』(巻一一・二八〇八)では作者不詳であるが、平安時代以降は柿本人麻呂の作とされた。
男の来訪を待ちわびる立場の歌の二説
一 男の立場  二 女の立場


田子の浦に出てみると、まっ白な富士の高嶺に雪はいまもしきりに降っていることよ。

(鑑賞)風景の中心を占める富士山の山頂の風景美
田児之浦従打出而見者真白衣不尽能高嶺尓雪波零家留(万葉集・巻三・三二一)


奥山で紅葉をふみしだき妻を求めて鳴く鹿の声を聞くときこそ、ひとしお秋は悲しいものと感じられる。

(鑑賞)鹿の鳴き声に悲しみきわまる秋
「紅葉踏み分け」の主体の二説
一 鹿  ニ 人
本歌取り)秋山は紅葉踏みわけとふ人も声きく鹿の音にぞなさぬる(藤原定家


かささぎが翼を広げて天の川にかけているという橋、つまり宮中の御階(みはし)に、今おりている霜の白いのをみると、夜ももうふけてしまったのだった。

(鑑賞)冴えわたる冬の夜空に描く幻想
冬の夜更けの厳しい寒さを、宮中の御階(階段)におりた霜の白さによってとらえている。
「鵲の渡せる橋」の二説
一 天上界の橋(天上説)  ニ 宮中の階段(地上説)


大空をはるかにふり仰ぐと、いま見るこの月は、かつて春日の三笠山に出た、あの月にほかならぬのだ。

(鑑賞)帰国を前に胸にこみあげてくる望郷の念を、明るく高らかに歌い上げた。
遣唐使留学生として三〇年過ごし、帰国を前に人々との別れを惜しんだところ、月が美しく上ったのを見て詠んだ。
「記憶にある月」と「いま見る月」