百人一首鑑賞12-100

一二
空吹く風よ、雲の中の通い路を吹きとざしてくれ。天女たちの舞姿をせめてもうしばらくここにとどめておこうと思う。

(鑑賞)天女のように見える五節の舞姫の美しさ
僧正遍照の出家前の歌
僧正遍昭は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心うごかすがごとし。(古今集・仮名序)

一三
筑波山の峰から流れ落ちる男女川の水量がどんどん増えるように、私の恋の気持ちもますます高まって、深い淵となってしまった。

(鑑賞)時がたつにつれて次第に深まる孤独な恋情
釣殿の皇女につかはしける(後撰集・七七六)
人間が恋に落ちるときの、普遍的な心の形が、男女川の景色に託されている。

一四
陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れているが、誰のせいで乱れはじめたのか。私のせいではないのに。

(鑑賞)恋してはならない恋(忍ぶ恋)に屈折して乱れる心
陸奥のしのぶもぢづり」の乱れ模様に、恋に動揺する心を託した。

一五
あなたのために、春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に、雪がちらちら降りかかってくる。

(鑑賞)若菜を贈り、相手の幸いを願う、やさしい心づかい。
「若菜(春・緑)」と「雪(冬・白)」
想った相手に二説
一 女  二 藤原基経

一六
人々と別れて因幡の国に去ったとしても、その国の稲羽山の峰に生えている松ではないが、人々が私を待っていてくれると聞いたならば、すぐにも帰ってくるとしよう。

(鑑賞)地方への赴任を前に別れを惜しむ心
江戸の町では、下の句を紙に書いて貼っておくと家出の猫が帰ってくるという、まじないがある。
貴種流離譚
貴族出身の者が身をやつし、遠い他国にさすらってゆくパターンの話。(折口信夫

一七
不思議なことのあったあの神代にも聞いたことがない。龍田川が唐くれない色に水をくくり染めにするとは。

(鑑賞)龍田川の紅葉の華麗な美しさ
「水くくるとは」の三説
一 水をくくり染めにする  二 紅葉の下をくぐって流れる  三 神が水をくくる
くれないの「紅」と水の「青」との対応
在原の業平は、その心あまりてことば足らず。しぼめる花の色なくて匂ひ残れるが如し。
古今集・仮名序)
二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に紅葉流れたる絵を描けりけるを題にて詠める(古今集・秋下二九四)

一八
住の江の岸による波ではないが、夜にでも夢の中の通い路を通って逢いに行かないのだから、自分は夢のなかでも人目をさけているのだろうか。

(鑑賞)夢の中でさえ、恋人に逢えないつらさを嘆く歌。
「人目よくらむ」の主語の二説
一 男  二 女

一九
難波潟の芦の、あの短い節と節の間のような、ほんのわずかの間も逢わずに、この世を終えてしまえと、あの人は言うのか。

(鑑賞)わずかの逢瀬も許されない恋への絶望感
難波潟でさびしくゆれている芦に、悲しい恋にもだえする女の姿を重ねてみることができる。
難波の芦は伊勢の浜荻

二〇
ここまで悩み苦しんでしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身をつくしても逢おうと思う。

(鑑賞)わが身を滅ぼしてもと思う激しい恋情
事出できての後に、京極御息所につかはしける(後撰集
二人の不義の恋の噂が世間に漏れてしまったときの歌

二一
あの人がすぐにも行こうと言ってよこしたばっかりに、九月の夜長に待ち続けているうちに有明の月が出てしまったことだ。

(鑑賞)来ない男のために、夜通し秋の夜長を待ち続けた女の恨み。
男を待つ女の立場で詠んだ歌(代詠の一種)
女が男を待った時間の二説
一 春・夏から晩秋・九月まで(藤原定家)  二 一晩(一夜説・契沖)

二二
それが吹くやいなや秋の草木がしおれるので、なるほど、山風を嵐というのであろう。

(鑑賞)草木を荒らし、枯れ衰える季節を暗示する秋の山風。
言葉遊びの機知が移り変わる季節の微妙な真相を見出す。
雪降れば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし(古今集・冬・紀友則
ことごとに悲しかりけりむべしこそ秋の心を愁といふらむ(千載集)
文屋康秀は、詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば、商人のよき衣着たらむがごとし。
古今集・仮名序)

二三
月を見ると、あれこれとめどなくものごとが悲しく思われることだ。なにも私一人だけを悲しませるために来た秋ではないけれども。

(鑑賞)月を眺めて感じられる秋の悲哀
平安初期以降、秋を悲哀の季節ととらえる。
本居宣長の字余り法則
句中の「あいうえお」がある。「あきにはあらねど」

二四
このたびは、ちゃんと幣を捧げることもできない。そのかわり手向山の紅葉の錦を、神の御心のままにお受けください。

(鑑賞)田向山の錦さながらの紅葉の美しさの強調
「幣もとりあへす」の理由の三説
一 急な旅行で用意ができなかった。 
二 公務としての旅なので、私的な幣は持っていなかった。 
三 布の切れ端は、紅葉の錦と比べると、あまりにも見劣りがする。

二五
逢って寝るという名を持っているならば、その逢坂山のさねかずらは、たぐれば来るように、誰にも知られずに逢えるてだてがほしいものよ。

(鑑賞)さねかずらを手繰り寄せるように偲んで逢いたい恋
鈴木日出男「掛詞縁語仕立て」
逢坂山 さねかづら 繰る・・物象
逢坂山―さねかづら―くる
逢ふ  さ寝    来る・・心象

二六
小倉山の峰のもみじ葉よ、もしも物事の情理をわきまえる心があるならば、もう一度のみゆきがあるまで、散らずに待っていてほしい。

(鑑賞)宇田上皇醍醐天皇行幸を勧めたくなるほどの小倉山の紅葉
嵯峨野の景観
嵐山・小倉山・大堰川

二七
みかの原を分けて、わきかえり流れる泉川の、その「いつ」ではないが、いつ逢ったというので、こんなにまで恋しいのであろうか。

(鑑賞)尽きることなく湧き出てくる恋の憧れ
「いつ見きとてか」の二説
一 まだ一度も逢ったことのない恋(未だ逢はざる恋)。
二 逢瀬を遂げた後に逢えないでいる恋(逢ひて逢はざる恋)。

二八
山里は都とはちがって、冬がとくに寂しさがまさるものだった。人も訪ねてくることがなくなり、草も枯れてしまうと思うので。

(鑑賞)孤独な寂しさをいっそう感じさせる冬の様里
「さびし」
生命あるものと、あいまみゆることのできない孤独な心細さ。

二九
当て推量で、折ろうというのなら折ってみようか。初霜を置いて見わけもつかず紛らわしくしている白菊の花を。

(鑑賞)初霜に紛れるほど純白な白菊の美しさ
純白の世界
「霜の白」と「菊の白」
正岡子規による酷評
此の躬恒の歌、百人一首のにあれば誰も口づさみ候へども、一文半文のねうちもこれ無き駄歌に御座候。

三〇
有明の月がそっけなく見えた、その、そっけなく思われた別れからというもの、暁ほどわが身を憂鬱に思うときはない。

(鑑賞)男が女と別れて帰っていくときの有明の月とともに思い出される恋のつれなさ
有明」と「あかつき」との時間の重なり
「憂き」と「つれなく」との対応
有明のつれなく」の二説
一 つれなかったのは女  二 つれなかったのは月(藤原定家
藤原定家の評価
これほどの歌一つ詠み出でたらむ、この世の思い出にはべるべし。

三一
夜がほの白くなって、有明の月かしらと思うほどに、吉野の里に白じろと降っている雪ではある。

(鑑賞)薄明りの中に降り積もる雪の白さ
「朝ぼらけ」と「有明の月」との時間的重なりとほのぼのとした雰囲気
「雪」の二説
一 深雪(契沖)  二 薄雪

三二
谷川に風がかけたしがらみとは、じつは流れきれずとどまっている紅葉のことだった。

(鑑賞)谷川の流れの中に散り、そして溜まる紅葉の美しさ。
「AはBなりけり」の構造(古今集に多い)
Aとは何かと思ったら、それはBだったよ。
照る月を弓張としもいふことは山辺をさしていればなりけり

三三
日の光がのどかにさしている春の日に、落ちついた心もないので桜の花が散っているのであろう。

(鑑賞)爛漫とした中で散り急ぐ桜のはかなさ
「春の日に」の「に」の二説
一 に  二 なのに(賀茂真淵
「しづ心なく花の散るらむ」の解釈の四説
一 落ち着いた心がなく、花が散っているのだろう。
二 落ち着いた心がなく、どうして花が散っているのだろう。(契沖・本居宣長
三 落ち着いた心がなく、花が散るというようなことよ。(時枝誠記
四 落ち着いた心がないので、花が散っているのだろう。
本歌取り)いかにしてしづこころなく散る花ののどけき春の色と見ゆらむ(藤原定家

三四
誰をいったい親しい友としよう。長寿の高砂の松でさえ、昔からの友ではないのだから。

(鑑賞)年老いて親しい友もいない孤独と悲哀の感懐
「松の千歳」「千代の松」で長寿と永続を祝う
「なくに」の二説
一 ではないのに  二 ではないので
本歌取り)いたづらに世にふる物と高砂の松も我をや友と見るらむ(紀貫之

三五
あなたは、さあどうだろう、人の気持ちというものは私にはわからない。昔なじみの地では、この花だけが昔のままの香りで咲き匂うのだった。

(鑑賞)変わらない自然に対照される人の心の移ろいやすさ
「移ろいやすい人の心」と「変わらない自然の景物」
「人」の四説
一 宿の主  二 人間一般  三 男(紀貫之の友人)  四 紀貫之の愛人(折口信夫

三六
夏の夜は、まだ宵のくちと思ううちに明けてしまったが、いま雲のどこに月は宿をとっているのだろうか。

(鑑賞)夏の短夜に見えなくなる月を惜しむ孤独さと明澄さ
月のおもしろかりける夜、暁方に詠める。(詞書)
「身体で感じる時の速さ」と「実際の時間の長さ」との差
夏は夜、月の頃はさらなり。(枕草子

三七
白露に風の吹きしきる秋の野では、緒で貫きとめていない玉が散り乱れたのだった。

(鑑賞)風に吹き散らされる秋の野の一面の白露の美しさ
「白露」で「命」や「涙」を暗示させる無常観
動的・躍動感・視覚的(文屋朝康)
静的「秋の野の草は糸とも見えなくに置く白露を玉とぬくらむ」(紀貫之

三八
忘れ去られる私自身のことは何とも思わない。ただ神かけて誓ったあの人が、命を落とすことになるのが惜しまれてならない。

(鑑賞)自分を捨てた男への諦めがたい恋の執着
永遠の愛を誓うと、裏切ったときに罰があたって命を落とすと考えられていた。
実感のこもる女心
一 心変わりした相手の身を案じる悲しい女心
二 相手を恨み切れない未練
三 強烈な皮肉
四 神にまで誓ってしまった自分の愚かさを悔やむ
「男に贈った歌」「独詠歌」の二説

三九
浅茅の生える小野の篠原ではないが、じっとしのんできたけれども、しのびきることもできずに、どうしてこうもあの人が恋しいのか。

(鑑賞)忍んでも忍びきれないあふれる恋情
(本歌)浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめやいふ人なしに(古今集・よみ人知らず・五〇五)

四〇
心のうちにしのびこめていたけれども顔色や表情に出てしまったのだった。私の恋は、恋の物思いでもしているのかと、人があやしみだずねるほどに。

(鑑賞)隠しきれずに他人に問われるほどの恋
忍ぶ恋の歌
「天徳内裏歌合」(九六〇年)平兼盛(勝)と壬生忠見(負)
優劣つけがたく、判者の藤原実頼も補佐の源高明も悩んでいたところ、村上天皇が「忍ぶれど・・」と口づさんだことで、平兼盛の勝ちとなった。

四一
恋をしているという私の噂が早くも立ってしまったのだった。誰にも知られないように心ひそかに思いそめたのに。

(鑑賞)秘めた恋が早くも人に気づかれてしまったとまどい
秘めた想いを素直に表現し、倒置法を用いて余韻を残す技法。
壬生忠見は)心ふさがりて、不食の病、付きてけり。(沙石集)

四二
固く約束をしたことだった。たがいに涙にぬれた袖をいく度もしぼっては、あの末の松山を浪が越えることのないようにとは。

(鑑賞)心変わりした女性に見限られた男性の恨みと諦めがたさ
心かはりて侍りける女に、人に代はりて(後拾遺集
心変わりした女性に不実を責める歌を人に頼まれて代作

四三
逢って契った後の、この恋しく切ない気持ちにくらべると、以前の物思いなどは、何にも思わぬにひとしいくらいなのだった。

(鑑賞)初めて逢瀬を遂げた後につのる苦しいばかりの恋しさの後朝の歌
「昔」は「相手と契る以前」、「のち」は相手と契ったあと。
はじめて女のもとにまかりて、またの朝につかはしける(拾遺抄)

四四
もしも逢うということが絶対にないのなら、かえって、あの人のつらさをも、わが身のはかなさを恨みはすまいものを。

(鑑賞)逢瀬を望み、相手をもわが身をも恨む恋。
「逢瀬」の二説
一 相手と一度も逢えていない。
二 逢うことはできたが、その後なんらかの理由で逢えないでいる。人目を忍ぶ不倫。
藤原定家

四五
私のことをあわれと言ってくれそうな人も思ってはくれず、私は恋いこがれながらむなしく死んでしまうにちがいない。

(鑑賞)最愛の人に同情さえもされない恋の孤独
恋の微妙で複雑な揺れ動きを、心の真実として捉えている。
物言ひはべりける女の、後につれなくはべりて、さらに逢はずはべりければ(拾遺集

四六
由の瀬戸を漕ぎ渡ってゆく舟人が、かいがなくなり行くえも知らず漂うように、どうなるのか見当もつかない恋のなりゆきであるよ。

(鑑賞)激流にもまれる小舟のように漂いさすらう恋への不安
「行方の知らぬ」の二説
一 櫂がなくなって漂う舟の行方
二 予想できない自分の恋の展開
「かぢを」の二説
一 舵(操縦に用いる道具の総称)  二 梶尾(櫂をつないだ縄)
本歌取り)与謝の浦に島がくれゆく釣船のゆくへも知らぬ恋をするかな(源俊頼

四七
幾重にも葎の生い茂っているこの邸のさびしい所に、人は誰も訪ねて来ないが、秋だけはやってきてしまったのだった。

(鑑賞)昔を偲びばせる荒廃した邸に、今年もやってくる秋の寂しさ。
河原院にて、荒れたる宿に秋来といふ心を人々詠みはべりけるに(拾遺集・詞書)
「さびしきに」の二説
一 さびしいところに  二 さびしいので・さびしいのに

四八
風がはげしいので、岩にうちあたる波が、己ひとり砕け散るように、私だけが心もくだけるばかり物事を思い悩むこのごろであるよ。

(鑑賞)岩うつ波のように、当たって砕け散る一方通行の恋のせつなさ。
「AをBみ」構文・・AがBなので
「岩」は相手(片想いの女性)の冷淡さ、「波」は自分(作者)の片想いの無力さ。

四九
みかきもりである衛士のたく火が、夜は燃えて昼は消えている。そのように私も、夜は恋の炎に胸をこがし、昼ははかなく消え入るばかりで、絶えず物思いにふけっているばかりである。

(鑑賞)夜は暗闇の中で炎と燃え上がり、昼は意気消沈する恋の苦しみ。
「夜はもえ」
彼女を求める心が燃え上がる。
「昼は消え」
心が沈んでもの思いにふける。別人のように意気消沈する。
「たく火→もえ→消え→思へ」
たく火に象徴された恋心の起伏

五〇
あなたのためには死んでも惜しくないと思っていた命までもが、逢瀬の叶えられた今となっては、末永くありたいと思うようになったのだった。

(鑑賞)恋の成就で改めて生命の永続を思う、欲張りになる心。
「女のもとより帰りて、つかはしける(後拾遺集・詞書)」
解釈の二説
一 死んでもいいから結ばれたいと思っていたが、実際に逢瀬を経たのちは、やはり死にたくないと思うようになった。
二 来世を思うと別に惜しくもなかった命であったが、逢瀬を経たのちは、あなたと結ばれたから惜しいと思うようになった。

五一
せめて、こんなふうだと言うことさえできない。伊吹山のさしも草ではないが、あの人はさしも知るまい。私の火のように燃えあがる胸の思いを。

(鑑賞)胸のうちに密かに燃える初恋のもの思い
「女にはじめてつかはしける」(後拾遺集
想いを寄せる相手に初めて心のうちを打ち明けた歌

五二
夜が明けてしまうと、やがて日が暮れ、そうするとまた逢えるのだとは知っているものの、それでもやはり恨めしい明け方であるよ。

(鑑賞)理屈ではわりきれない恋のせつなさ、自然の摂理をも恨む深い愛情。
美しい雪景色が引き立てる逢瀬の余韻
一年で一番短い冬の昼の間さえ待てないという思いの強さ

五三
嘆き嘆きひとり寝る夜の、その明けるまでの間がどんなに長いものか知っているだろうか、よもや知るよしもあるまい。

(鑑賞)ひとり寝の堪えがたい夜長の嘆き、浮気を糾弾する妻。
一夫一妻多妾制
入道摂政まかりたりけるに、門を遅く開けければ、「立ちわづらひぬ」と言ひ入れてはべりければ
拾遺集
(兼家の返歌)げにやげに冬の夜ならぬ槙の戸も遅くあくるは苦しかりけり

五四
私のことをけっして忘れまいと言うあの人の言葉も、遠い将来までは頼みにしがたいものだから、今日という日を最後とする命であってほしい。

(鑑賞)恋の成就の喜びと前途への不安、永遠の幸せを願うために死を望む。
暗示するもの
一 仏教的無常観  二 刹那主義  三 忘我の境地  四 一門衰亡の予感

五五
滝の水音は聞こえなくなってから長い年月がたってしまったけれども、その名声だけは流れ伝わり、今日でもやはり世間に知られている。

(鑑賞)華やかな宮廷の面影の残る旧跡の滝跡に思う懐古の情
藤原公任の時代には水は枯れていたが、滝殿に、水があふれていた、かつての栄えた姿を思い描き、名声は今の世にも伝わっているとする。(滝は枯れていなかったとする説もある)

五六
まもなく私は死んでこの世を去るであろうが、せめてあの世への思い出に、もう一度だけ逢いたいものである。

(鑑賞)あの世で思い出すために最後の逢瀬を死の予感で強まる一途な恋心
心地例ならずはべりけるころ、人のもとにつかはしける(後拾遺集
死が間近に迫ったと自覚された折に男のもとに贈った歌

五七
久方ぶりにめぐりあって、その人かどうか見分けがつかないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、あおの人はそそくさと姿を隠してしまった。

(鑑賞)あわただしく去っていった幼馴染みの友との束の間の再開を名残惜しむ
早くより童友だちにはべりける人の、年ごろ経て行きあひたる、ほのかにて七月十日頃月にきほひて帰りはべりければ(新古今集
表面は「月とのめぐりあい」、裏は「旧友との再会」。


五八
有馬山に近い猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと鳴る。さあそれよそれよ、忘れたのはあなた、私はどうして忘れたりしよう。

(鑑賞)風になびく笹原によせる忘れがたい恋心
葉音が「そよそよ」と非難する
離れ離れになる男の、おぼつかなくなど言ひたるに詠める(後拾遺集
契沖の説
「有馬山」は「男」、「猪名の笹原」は「女」。

五九
来ないことをはじめから知っていたら、ためらわず寝てしまっただろうに、今か今かと待つうちに夜がふけて、西に傾くまでの月を見たことだ。

(鑑賞)訪れてくれなかった男への、夜明けの女の諦めを含む嘆きと恨み言。
感情を露骨に示さない余情

六〇
母のいる丹後国までは、大江山を越え、生野を通って行く道が遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともないし、母からの文も見ていない。

(鑑賞)当意即妙の切り返しで歌才を発揮した、才気光る一首。
三つの地名を盛り込む
大江山・生野・天の橋立
縁語・掛詞仕立て
生野  踏み
いくの ふみ
行く  文
六一
昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、常にもましていちだんと輝かしく咲きほこっていることだ。

(鑑賞)当代の繁栄にふさわしい旧都の奈良の八重桜の美しさ
「いにしへ」と「けふ」との対応
「奈良(七)」「八」「九」の数字の対応
(返歌)九重に匂ふをみれば桜がり重ねてきたる春かとぞ思ふ(彰子)

六二
深夜のうちに、鶏の鳴きまねで人をだまそうとしても、あの函谷関ならいざしらず、この逢坂の関はけっしてゆるすまい。

(鑑賞)言い寄る男の言葉を漢詩文の教養で切り返す、教養高い二人の和歌のやりとり。
函谷関を越えようとしたとき、鶏の鳴きまねをして関所を開かせ、無事に通過したという『史記』の故事を踏まえる。
(返歌)逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけて待つとか
本歌取り)関の戸を鳥のそら音にはかれども有明の月はなほぞさしける

六三
今となっては、ただ、思い切ってしまおう、ということだけを、せめて人伝てではなく、じかに逢って言うてだてがあってほしいものだ。

(鑑賞)禁じられた悲恋への一途な思いの、美しく悲しい歌。
「今はただ―ばかり―の表現」
事態がぎりぎりまで追い込まれている作者の切迫した思い
斎宮
伊勢神宮奉仕の未婚の皇女で、男性関係が厳しく禁じられている。帝一代ごとに交替。

六四
夜があけそめるころ、宇治川の川面の霧がとぎれとぎれになって、その絶え間から点々とあらわれはじめる川瀬川瀬の網代木であるよ。

(鑑賞)冬の宇治川の川霧に見え隠れする網代
宇治にまかりてはべりける時詠める(千載集・詞書)
「宇治」
都の俗塵ののがれた清浄の地・霧のイメージ
墨絵のように読みあげた叙景歌・浮舟と薫の悲恋の地

六五
相手の薄情を恨み、わが身の不運を嘆いて、涙に乾く暇もない袖はやがて朽ちてしまうだろう、それさえ惜しいのに、ましてこの恋のために浮名を流して朽ちてしまう私の名はいかにも惜しまれる。

(鑑賞)報われない恋に、よくない評判を惜しむ女房の苦悩。
「ほさぬ袖だにあるものを(まして)」の二説
一 ほさぬ袖だに(朽ちて)あるものを
二 ほさぬ袖だに(朽ちず)あるものを

六六
私はお前をなつかしく思うように、お前もまた私をなつかしく思うてくれ、山桜よ。花のお前以外に、心を知る友もいないのだから。

(鑑賞)山中の孤独に堪える修行僧の山桜との共感。
大峰にて思ひがけず桜の花を見て詠める(詞書)
「大峰」という霊山の厳しく非情なたたずまい、神秘的な霊力。
「花」という人間的な親近感

六七
短い春の夜の夢ほどの、はかない手枕のために、何のかいもない浮名の立つというのでは、私にとってまことに惜しいことである。

(鑑賞)春の夜のはかない幻想的な恋のたわむれ
「春・夜・夢・手枕」の甘美なことば、妖艶な趣、恋情を誘うようなことば。
(返歌)契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき(藤原忠家

六八
この後、心ならずも憂き世に生きながらえたならば、その時、さぞかし恋しく思われるにちがいない、この夜半の月であるよ。

(鑑賞)月の輝きだけを心の頼りに、万感を胸にこみあげさせる夜半の月。
例ならずおはしまして、位など去らむと思しめしけるころ、月の明かりけるをご覧じて(詞書)
譲位を決意して、宮中の月を眺めて詠んだ歌

六九
風の吹き散らす三室の山のもみじ葉は、龍田の川の、目もあやな錦なのであった。

(鑑賞)龍田川に錦を織りなす三室山の紅葉の豪華絢爛な華麗さ
一〇四九年の内裏歌合せに出した歌で、題は「紅葉」
「三室の山」に「散る葉」(動)、龍田の川に「浮かぶ葉」(静)。

七〇
さびしさに堪えきれないので、庵を出て物思いにふけりながら眺めわたすと、どこもかしこも同じにさびしい秋の夕暮れであるよ。

(鑑賞)秋の山里にせまる一面夕暮れのもの寂しさ
新古今集』の三夕の歌
寂しさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮)
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家

七一
夕暮れになると、家の前の田の稲葉を、そよそよと音をさせて、それから芦ぶきの田舎家に秋風が吹きわたってくるよ。

(鑑賞)門田の稲葉を吹き渡ってくる秋風
貴族の立場で田園をうたっている
視覚・・夕暮れの風景から実りを迎えた田の稲穂
聴覚・・風と葉音
感触・・田舎家に吹いて肌に感じる

七二
噂に高い高師の浜のあだ浪はかけまい。噂に高い浮気な方の言葉にはかかわるまい。浪に袖をぬらすように、涙で袖をぬらすことになっては大変だもの。

(鑑賞)浮気な男の誘いを見事に切り返してみせる歌才
「かけじや」の解釈の二説
一 (波を)かけじや  二 (思いを)かけじや
人知れぬ思ひありその浦風に浪のよるこそいはまほしけれ(藤原俊忠)への返歌として読まれた

七三
遠くの高い山の尾根の桜が咲いてしまった。近い山の霞よ、どうか立たないでいてほしい。

(鑑賞)はるか遠くに霞む山の上の桜
「遠景」の「尾の上の桜」と、「近景」の「外山の霞」との視界の壮大な広がり。

七四
つれなかった人を、なびくように初瀬の観音に祈りこそしたが、初瀬の山おろしよ、おまえのようにひどくなれとは祈りもしなかったのに。

(鑑賞)冬の風にさらされながら初瀬に祈り、なおも叶わぬ恋への嘆き。
題「祈れども逢はざる恋」
観音信仰で知られた寺
清水寺京都市中)・石山寺(琵琶湖南端)・長谷寺大和国
「はげしかれ」の主語の二説
一 風  二 私に対する冷淡な気持ち

七五
約束してくれた「頼みにせよーさせも草」という、恵みの露のような言葉を命とも頼んできたのに、ああ、今年の秋も空しく過ぎ去るようだ。

(鑑賞)秋の終わりに、世の中に顧みられない我が子を思う父の嘆き。
子供の出世を願う切実な親心
僧・光覚が維摩会の講師になれなかった

七六
大海原に舟をこぎ出して眺めわたすと、はるかかなたに、雲と見まちがえるばかりに沖の白波が立っている。

(鑑賞)はるかに望まれる、海と空とが一体となる大海原の沖の白波。
空の青、雲の白、海の青、波の白。
海上遠望」(詞華集・詞書)

七七
川瀬の流れがはやいので、岩にせきとめられる急流が二つに分かれていても結局は落ち合う。同じようにあの人と別れていても将来はきっと逢うことになろうと思う。

(鑑賞)一念を貫いて運命を変えるほどの、ほとばしる恋の情熱と意志。
川の激しい流れが、崇徳院の恋心の比喩になっている。

七八
淡路島から通ってくる千鳥がもの悲しく鳴く声に、幾夜目をさましてしまうのであろうか、須磨の関守は。

(鑑賞)千鳥の鳴く冬の須磨の関の孤独な旅情
関は逢坂、須磨は関・・(枕草子
友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝覚めの床もたのもし(源氏物語

七九
秋風が吹くにつれて、たなびいていた雲の切れ間から、もれ出てくる月の光の、なんと澄みきった明るさであることよ。

(鑑賞)秋の夜の雲間から漏れ出るさわやかな月光
『久安百首』の中の一首

八〇
末長く変わらないという、あの人の心もはかりがたく、今朝の黒髪が寝乱れているように、心が乱れてあれこれと物思いがつのることだ。

(鑑賞)後朝の黒髪の乱れにつのらせる恋のもの思い
「白髪」が老い、「黒髪」が若さや若い女性を想起。
「乱れて」の主語の二説
一 黒髪  二 心

八一
ほととぎすの鳴いた方をながめやると、そこにはただ有明の月が残っているだけである。

(鑑賞)ほととぎすの鳴いた方角にはただ有明の月
一晩中待ち続けたところ、やっと暁になって、ほととぎすの一声を耳にした。
狂歌)ほととぎす鳴きつるあとにあきれたる後徳大寺のありあけの顔(太田南畝)

八二
つれない人ゆえに思い悩んでいても、それでも命だけはつないでいるのに、そのつらさにたえられないのは涙で、とめどなく流れ落ちたのだった。

(鑑賞)思うに任せず、涙を誘う恋のつらさ。
「命」(憂きにたえている)と「涙」(憂きにたえきれない)の対比

八三
この世の中には、のがれる道はないものだ。深く思いこんで分け入った山の奥でも、つらいことがあるらしく鹿の鳴く声がきこえる。

(鑑賞)現世から容易に逃れることのできない憂愁
「思ひ入る」
一 深く思いこむ・思いつめる  二 山に入る

八四
生き長らえていたら、今日このごろのことも思い出されるだろうか。つらいと思った昔の日々も、今では恋しく思われることだからだ。

(鑑賞)時の流れを思いながらの我が人生の述懐
作者の作歌年齢の二説
一 三〇歳の時の作  二 六〇歳の時の作

八五
夜どおし物思うこのごろは、いっこうに夜が明けきれず、つれない人ばかりが寝室のすき間までがつれなく思われるのだった。

(鑑賞)寝室の隙間までもつれなく思われるひとり寝のわびしさ
明けやらぬ閨のひま・・(千載集)秋
明けやらで・・(百人一首)春夏秋冬

八六
嘆けといって月が私に物思をさせるのか、いやそうではない。それなのに、月のせいだと言いがかりをつけるように、流れ落ちるわが涙である。

(鑑賞)月に相対して恋する人を思い、ふと落涙する孤独な姿態。
西行は、おもしろくて、しかも心も殊に深く、ありがたくいできがたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得の歌人と覚ゆ。おぼろけの人、まねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり。(後鳥羽院御口伝)

八七
村雨が降り過ぎて、その露もまだ乾いていない真木の葉のあたりに、霧がほの白く立ちのぼっている秋の夕暮れであるよ。

(鑑賞)村雨の後の霧が立ち上る深山の秋の夕暮れ
近景(上の句)と遠景(下の句)との静かな情感
書巻の気

八八
難波の入江の芦の刈根の一節ではないが、ただ一夜の仮寝のために、この生命をかけて恋いつづけねばならないのであろうか。

(鑑賞)難波江の芦の間の短さのような一夜限りのはかない恋
題「旅の宿りに逢ふ恋」
難波の江口あたりは多くの遊女がいたため、遊女の立場で詠んだとする説もある。

八九
わが命よ、絶えてしまうなら絶えてしまえ。このまま生き長らえていたならば、たえ忍ぶ心が弱まって、人目につくようにでもなったら困るから。

(鑑賞)忍ふ恋のつらさに絶命を願うほどの、忍ぶ恋の激しい思い。
「玉の緒」
魂を身体につないでおく緒・命
金春弾竹「定家」
定家と式子内親王を悲恋の仲に仕立てた

九〇
血の色に変わった私の袖を見せたいものよ。あの雄島の漁師でさえ、海水で濡れに濡れながらも、その色は変わることがないのに。

(鑑賞)恋のつらさから強い恨みを訴え、血の涙で染まった袖。
深い悲しみの涙「血涙」(紅涙)
(本歌)松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか(後撰集・八二八・源重之

九一
こおろぎの鳴く、この晩秋の寒々としたむしろの上で、私は衣の片方の袖を敷いてただひとり寝ることになるのだろうか。

(鑑賞)晩秋のきりぎりすの鳴く、孤独と寒さが身にしみる霜夜のひとり寝のわびしさ。
(本歌)さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫(古今集・六八九)
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(拾遺集・七七八)

九二
私の袖は、潮干の時にも海中に隠れて見えない沖の石のように、人は知らないであろうが、恋の涙で乾く間もない。

(鑑賞)海中に隠れて見えない沖の石のように人知れぬ恋の嘆き
題「石に寄する恋」
「石」は、無常なものの象徴

九三
この世の中は、永遠に変わらないでほしいものだ。この渚をこいでゆく漁夫の小舟の、綱手を引くさまが心にしみて、おもしろい。

(鑑賞)漁夫の小舟を見るにつけ、変わることのない日常を願う人の世の無常。
人丸ののちの歌詠みは誰かあらむ征夷大将軍源の実朝(正岡子規
(本歌)川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常の処女にて(万葉集・二二)
陸奥はいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手かなしも(古今集・一〇八八)

九四
吉野の山の秋風が夜ふけて吹きわたり、旧都の吉野の里は寒さが身にしみるとともに衣をうつ音が寒々と聞こえてくる。

(鑑賞)吉野の里の夜更けの秋風に、衣を打つ砧の音が旧都に響きあう。
本歌は視覚的で冬だが、本歌取りでは聴覚的で秋にした。
(本歌)み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり(古今集・三二五)

九五
身分不相応ながら法の師として、つらいこの世に生きる人々に、おおいかけることだ。比叡の山の杣山に住み、法を行っている私のこの墨染の袖を。

(鑑賞)仏法の力で万民を救いたいという宣言の抱負と決意を詠んだ歌。
(本歌)阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ(新古今集最澄・一九二〇)

九六
花を誘って散らす嵐が吹く庭は、まっ白に降りゆくが、じつは雪ではなく、真に古りゆくものは、このわが身なのだった。

(鑑賞)落花のきらびやかさの中で思う、我が老いの感慨。
「ふりゆく」に「降りゆく」「古りゆく」を響かせる

九七
いくら待っても来ない人を待つ自分は、松帆の海辺の夕なぎの頃に焼く藻塩ではないが、身もこがれつつ、いつまでも待ちつづけている。

(鑑賞)身をこがすような思いで、来ない男を待ち続ける恋のやるせなさ。
男を待つ女の立場
「新儀非拠達磨歌」(新しがりやで伝統に根差さない難解な歌)と呼ばれた。

九八
風がそよそよと楢の葉に吹いている、このならの小川の夕暮れは、すっかり秋の趣であるが、ただ六月祓のみそぎだけが夏のしるしであった。

(鑑賞)秋の気配を感じさせる、晩夏のならの水音が響く小川の夕暮れ。
「聴覚+視覚」の歌
(本歌)みそぎするならの小川の河風に祈りぞわたる下にたえじと(新古今集・一三七五)
夏山のならの葉そよぐ夕ぐれはことしも秋のここちこそすれ(後拾遺集・二三一)

九九
人がいとしくも、あるは人がうらめしくも思われる。つまらないものと現世を思うところから、いろいろと物思いをする自分には。

(鑑賞)人がいとおしくも恨めしくもあり、思うに任せないこの世への愁い。
「百人秀歌」には入っていない(定家ではなく為家が入れた可能性)
「百人秀歌」と「百人一首」は九四首が一致

一〇〇
宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、いくらしのんでもしのびきれないほどの、昔のよき御代ではある。

(鑑賞)聖代の輝かしさに憧れる一方で、今現在の傾きかけた皇室を憂う君主。
「百人秀歌」には入っていない。順徳院と後鳥羽院は悲劇の帝王。
「昔」の二説
一 天智天皇持統天皇  二 醍醐天皇村上天皇