百人一首8-11


私の庵は都の東南、このように心のどかに住んでいる。だのに、この世を憂しとして逃れ住んでいる氏山だと、人々は言っているようだ。

(鑑賞)宇治での隠棲生活ののどかな心
宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにして、はじめおはりたしかならず、いはば、秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし。(古今集・仮名序)
泰平の眠りを覚ます蒸気船たつた四杯で夜も寝られず(狂歌


私の花はすっかり色あせてしまった。むなしく春の長雨が降り続いていた間に。そしてむなしく私が生きていることの物思いをしていた間に。

(鑑賞)色あせる桜に託して、容色と人生の衰えを嘆いた歌。
小野小町は、いにしへの衣通姫の流れなり。あはれなるやうにてつよからず、いはばよき女の、悩めるところあるに似たり。強からぬ女の歌なればなるべし。(古今集・仮名序)

一〇
これがあの、出て行く人も都に帰る人も、ここで別れては、そして知っている人も知らない人も逢うという、その名も逢坂の関である。

(鑑賞)会うは別れの始め(会者定離)を思わせる逢坂の関
会者定離」(仏教)としての理解(中世)→無常観

一一
海原はるかに、数えきれない島々めがけて舟を漕ぎ出してしまったと、人には告げてくれ。海人の釣舟よ。

(鑑賞)流離に旅立つ身の悲しみを孤独と不安の貴種流離譚の一種
貴種流離譚の一種
隠岐の国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、京なる人のもとにつかはしける。
古今集・四〇七)