小西甚一の古文学習三部作の価値−佐伯文法の影響を中心に−

2018年3月24日(土)
国語教育史学会・第60回例会
早稲田大学・発表資料

小西甚一の古文学習参考書三部作の価値
−佐伯文法の影響を中心に−


國學院大學兼任講師
大東文化大學非常勤講師
     岡田 誠


小西甚一は、日本文学研究社として数多くの分野で業績を残したが、古文の学習参考書の名著を書き残したことでも知られている。小西甚一の書いた代表的な古文の学習参考書をあげると以下の三冊になる。
『古文研究法』(洛陽社)昭和30年
『国文法ちかみち』(洛陽社)昭和34年
『古文の読解』(旺文社)昭和37年
これらの三冊は、その水準は高く、後の学習参考書の模範とされたといわれている。これらの学習参考書は、初版が旧制から新制に学校制度が切り替わってから10年以内に書かれたもので、共通一次試験、センター試験導入以前の時期であり、入試問題も現在のような客観式のマーク問題ではなく、じっくりと読解させるものが主流であるため、教養としての要素も含み、学術の世界の事柄も紹介され、知的好奇心をかきたてる内容となっている。伊藤和夫(1997)が述べるように、現在の学習参考書の流れとしては、ソフトカバーがハードカバーを駆逐した時代である。その背景には、センター試験をはじめとした入試問題のあり方との連動も考えられるだけではなく、藤原マリ子(2004)の述べる、1970年代から1980年代にかけての教養主義の衰退とも呼応しているようにも見える。
本発表では、ハードカバーで教養あふれる小西甚一の三冊の古文学習参考書の価値を述べてみる。テキストは、ちくま学芸文庫版を用いる。また、小西甚一の時代は「日本語学」ではなく、「国語学」であるため、「国語学」という用語を用いる。


1『古文研究法』の価値

『古文研究法』は、小西甚一の古文の学習参考書の代表作で、「第一部 語学的理解」「第二部 精神的理解」「第三部歴史的理解」三部から構成されている。特に「第二部 精神的理解」の評価は高く、高等学校や予備校の現場でも推奨されてきた(注1)。この章立てについては、以下のように垣内松三の影響がわかる。

垣内教授の講義は、専門の国文学者として高度の研究をしてゆくための方法論であった。私が述べようとするのは、大学の教養課程に進む人たちが、最低限度として要求されるだけの勉強を、どんな筋道でやってゆくかである。だいぶん隔たりがある。しかし、正しい筋途を立てるという精神においては、少しも違うわけではない。(p.16)

1.1全体の構成

1.1.1語学的理解

第一部「語学的理解」は、「一 語彙」と「二 語法と解釈」を扱ったものである。「語彙」では中古語の重要語の44語を「現代語にないもの」(17語で助動詞「むず」の入れてある)と「現代語と意味のちがうもの」(17語)とに分け、丁寧に解説したあと、その他の中古語のリストを掲載してある。そればかりではなく、上代語、中世語、近世語のリストを掲載している点が特徴的である。このリストは、時代別の古典文学作品を読むうえで重要であり、大きな特徴といえる。この語彙については、後の小西甚一の単独の辞書である『基本古語辞典』につながる内容である。「二 語法と解釈」では、以下のように品詞分解を否定的にとらえ、「解釈と結びついた文法」として助動詞から説き起こしている。

ところで、私は、その説明を、助動詞からはじめるつもりである。・・〈中略〉・・私が説明の必要を認めるのは語法なのだから、助動詞からで十分なのである。それから、「文法」といえば品詞分解のことだ−と思い込んでいる諸君も、いくらか期待はずれの感じをお持ちかもしれない。しかし、品詞分解は、代数における因数分解が数学の中で占める地位と同様、古文研究の中の時代遅れの部分にすぎない。品詞分解の重要性を力説するのは結構だけれど、そればかり熱中していると、もっと重要な「解釈と結びついた文法」を勉強する時間がなくなる。(p.195)

この記述に見える「解釈と結びついた文法」であるが、後の『国文法ちかみち』ではさらに国語学の知見を佐伯梅友の影響を受けながら述べ、ある程度体系的に述べているが、解釈を意識している点では同様である。『国文法ちかみち』は、『古文研究法』の「語学的理解」の章を発展した形であると考えられる。修正が必要な点としては、地の文の場合にはすべて話し手からの敬意にする必要がある点があげられる。つまり、『古文研究法』のp.389の一のbの(イ)(ロ)(ハ)及びp.392の(ロ)(ニ)の解答は、誰からの敬意の箇所を作者(筆者・話し手)にする必要がある点である。この箇所を修正しておかないと、誤りとされてしまう(注2)。また、p.380では下二段の「たまふ」を佐伯梅友の説に従って、丁寧語に分類しているが、これは「謙譲語」に分類したほうがよいであろう(注3)。

1.1.2精神的理解

第二部の「精神的理解」は、「一 古典常識」「二 修辞のいろいろ」「三 把握のしかた」「四 批評と鑑賞」から成り立っている。この第二部の「精神的理解」の記述の「一 古典常識」は秀逸とされ、「(イ)生活」「(ロ)社会」「(ハ)宗教」についてわかりやすくまとめており、多くの高校生が「精神的理解」の項目は読んでいたといわれている。また、「二 修辞のいろいろ」では、切れ字論争や「は」の清濁などについても触れられており、学術への好奇心をかきたてる内容となっている。小西甚一の『俳句の世界』『宗祇』『道−中世の理念』などの著作との関連もうかがえる記述となっている。

1.1.3歴史的理解

第三部の「歴史的理解」は、「一 事項の整理」「二 表現との連関」「三 時代と思潮」から成り立ち、特に「事項の整理」の中の「文学精神史の要点」は、「まこと」「もののあはれ」「幽玄」「有心」「艶・妖艶」「花」「さび・わび」「にほひ・うつり・ひびき」「かるみ」「をかしみ」「粋・通」という文芸理念をわかりやすく説いたもので秀逸である。小西甚一の著作との関係でみると、この第三部は、『日本文学史』『道−中世の理念』『日本文藝史』『宗祇』『俳句の世界』『能楽論集』などにつながる知見を盛り込んだものであるとみることもできる。

1.2引用されている研究者

『国文法ちかみち』では索引で国語学者をとりあげているが、『古文研究法』において本文で示しているが、索引では研究者の名前は取り上げていない。しかし、統一を図る意味でも索引に示したほうがよいであろう。『古文研究法』の本文で示されている研究者をページとともに以下に示してみる。

垣内松三p.15・・「国文学方法論」の講義の思い出
橋本進吉p.210・・完了・存続の「り」の接続
佐伯梅友p.222・・推定伝聞の「なり」、p.239・・「らむ」の用法、p.354・p.355・・「はさみこみ」
松尾捨治郎p.222・・推定伝聞の「なり」
池田亀鑑p.242・・『枕草子』の「らむ」
田中重太郎p.242・・『枕草子』の「らむ」
細江逸記p.264・・「き」と「けり」
本居宣長p.319・・「すら」「だに」「さへ」
馬淵和夫p.386・・「対象尊敬」
藤原定家p.616・・「有心」
観世寿夫p.617・・「花」・能楽
藤原俊成.618・・「さび・わび」
心敬p.618・・「さび・わび」
宗祇p.618・・「さび・わび」
芭蕉p.618・・「さび・わび」
穎原退三p.622・・「かるみ」

観世寿夫については、『能楽論集』の中にも引用されており、謡曲についても、『古文研究法』(p.366)、『国文法ちかみち』(p.111)、『古文の読解』(p,143)で取り上げられている。能楽についての教養が深く、能勢朝次を師とした小西甚一の論考の端を垣間見ることができる。また、歌論及び二条良基連歌論あたりから能楽論や俳諧論などをとらえており、連歌については山田孝雄を師とした教養が感じられる。

1.3『基本古語辞典』と『古文研究法』との関係性

『古文研究法』の第一部「語学的理解」の「一 語彙」と「二 語法と解釈」を整理したものとして、『基本古語辞典』があげられる。この辞典は、序文には小西甚一が一人で書き上げたものであると記されている。そのため、『古文研究法』と関連付けて読むと知識が整理され、『古文研究法』の語彙の整理版と言えそうである。また、『古文研究法』の第三部に見られる文芸理念についての詳細も書かれており、諸説についても触れている。日本文学者としてのこだわりを感じさせる記述となっている。南不二男(1966)は、『基本古語辞典』の特色として、「見出しのえらびかた」と「各項目の解説の詳しさ」をあげ、「この辞書は受験生諸君だけのものには惜しい気がする」と述べている。


2『国文法ちかみち』の価値

2.1全体の構成

『国文法ちかみち』は、全体が「第一部 文法そのもの」、「第二部 文法と古文解釈」、「余論 表記法のはなし」から構成されている。「第一部 文法そのもの」は、品詞分類・文節・用言を扱っている。「第二部 文法と解釈」では、主に中古の文章解釈に必要な助詞・助動詞・敬語を扱うだけではなく、上代、中世、近世の用言・助詞。助動詞を扱っており(p.283−300)、『古文研究法』の語彙で示したのと同様な歴史的な変遷を示している。「余論 表記法のはなし」では、歴史的仮名遣いだけではなく、上代特殊仮名遣いも示している。島内景二(2016)の解説には、国語学の範囲については、築島裕の講義の際に山田孝雄の示す用例を絶賛していたこと、「ら抜き言葉」を言葉の変遷ととらえる小西甚一の記述の紹介、そして、島内景二(2016)も大学院入試の際に読み返したことが述べられている。実際に、『国文法ちかみち』にも、「全体として、この本に書いてあることは、大学院の国文科を志望する人に十分な程度の内容をもっている」(p.6)と記述されている。

2.1引用されている国学者国語学者

『国文法ちかみち』の「はしがき」に、文法教科書の編纂を通じて文法を構築した佐伯梅友の名前があげられている。

それほど文法に弱かったわたくしが、とにかく人前で文法の話を持ち出せるようになったのは、佐伯梅友先生のおかげである。わたくしは、昭和21年から6年間、先生と同じ研究室にいさせていただいた。・・〈中略〉・・そんな先生と、文法ぎらいのわたくしとが幾年も仲よく同室していたのは、まことに皮肉といえば皮肉だが、結果としては、わたくしにたいへん幸せをもたらしたようである。この本の中で先生のことがよく出てくるのは、そういった理由からである。(p.4)

また、内容について、「説かれている文法そのものは、なるべく穏当な学説に従ったつもりである」(p.5)と述べられている。特に、佐伯梅友の書いた文法教科書の『国文法 高等学校用』『明解古典文法』の影響が色濃く反映されている。
『国文法ちかみち』には、具体的な国語学者の名前も索引に記されている点で、『古文研究法』と大きく異なる。つまり、『古文研究法』では研究者の人名は索引には記されていなかったのに対して、『国文法ちかみち』では、参考にした国語学者の学説がわかるという特徴がある。以下に巻末の索引を用いて、太字で頻度の高い人名、書名も引用されているものについては併記、該当項目について要点を示してみる。

石塚龍麿・・上代特殊仮名遣い
大槻文彦『大言海』・・「用ゐる」と「用ふ」
大矢透・・五十音図
荷田春満・・五十音図
楫取魚彦・・歴史的仮名遣
賀茂真淵・・五十音図
北山谿太・・源氏物語の「が」(格助詞)
藤原定家・・歴史的仮名遣
行阿・・歴史的仮名遣
金田一京助『辞海』『明解古語辞典』・・形容詞と形容動詞の活用
倉石武四郎・・外国人の敬語の使用
契沖・・五十音図歴史的仮名遣
小松登美・・「めり」
佐伯梅友・・まえがき・「アイウエ式活用」・「イ・イル式活用」・「イ・ウ・ウル式活用」・
「エ・ウ・ウル式活用」・「エ・エル式活用」・「き」の未然形・品詞分解・係り結び・
「らむ」・推定・伝聞の「なり」・はさみこみ・下二段の「たまふる」・志向形
武田祐吉・・「見しか」「見てしかな」
時枝誠記・・形容動詞・「ない」・「は」と「が」・「らし」・「じ」・「う」・「よう」・「まい」・
「る・らる・れる・られる」・「す・さす・せる・させる」・「らしい」・文節
橋本進吉・・五十音図上代特殊仮名遣い・形容動詞・「る・らる・れる・られる」・
「す・さす・せる・させる」・「らしい」・文節・「なふ」と「なし」・副助詞と終助詞・「り」
細江逸記・・「き」と「けり」
松尾捨治郎・・推定・伝聞の「なり」
松尾聡・・推定・伝聞の「なり」
馬淵和夫・・「多かり」・上代特殊仮名遣いと「り」・
源親行・・歴史的仮名遣
本居宣長・・「用ゐる」と「用ふ」・上代特殊仮名遣い
山田孝雄・・五十音図・「べらに」・「る・らる」の可能・親しみの自敬表現
湯澤幸吉郎・・「せらる」から「さる」

この中で、佐伯梅友は直接的に影響を受けた人物として、「はしがき」にも書かれているが、他に橋本進吉時枝誠記山田孝雄を多く引用している。佐伯梅友の影響で橋本進吉を引用し、その対照的なものとして時枝誠記を引用している。そして、語法のところで山田孝雄を引用するスタイルをとっている。このことは、三大文法とも呼ばれているものに触れることにもなり、水準の高さが感じられるところである。
学校文法でよいということであれば、橋本進吉佐伯梅友で十分なはずであるが、時枝誠記山田孝雄を入れているのは、国語学の有名な学説についても触れたいという現れではないだろうか。『宗祇』や『能楽論集』には、山田孝雄から連歌を教わった思い出が記載されており(注4)、『宗祇』の中では山田孝雄の『連歌概説』は必読であることが記されている。その点、小西甚一山田孝雄とのその交流も垣間見える。また、五十音図の研究者についても、山田孝雄以外にも、契沖・荷田春満賀茂真淵、大矢透、橋本進吉が引用してあるのは、五十音図に対しての自説もあるからのようである。
また、「余論 表記法のはなし」において、上代特殊仮名遣いで本居宣長石塚龍麿橋本進吉をあげ、歴史的仮名遣いの個所で、行阿、源親行、契沖、楫取魚彦をあげており、表記法について詳しく扱っていることがわかる。
修正が必要な点としては、会話文であるため、話し手からの敬意にする必要がある点があげられる。つまり、『国文法ちかみち』のp.492の解答で、「きこえ」も「させたまふ」も、誰からの敬意の箇所を話し手である「惟光」にする必要がある点である。この箇所を修正しておかないと、誤りとされてしまう。また、p.473では下二段の「たまふ」を佐伯梅友(p.475)の説にしたがって、丁寧語に分類して謙譲語の意味も含ませる意味で「ております」と口語訳をつけているが(『基本古語辞典』では「です・ます」と口語訳)、これは「謙譲語」に分類したほうがよいであろう。

2.2『土佐日記評解』と『国文法ちかみち』との関係性

『国文法ちかみち』の中で、小西甚一は品詞分解についてこだわることを佐伯梅友との会話を紹介し、『土佐日記評解』は珍しく文法について熱をいれて執筆したことが記述されている(pp.207−208)。そこで、『土佐日記評解』の中で、索引では示されていないが、引用されている国学者国語学者の名前をそのページ数とともに示してみる。

契沖p.122・・『代匠記』
本居宣長p.80・・『玉勝間』
橘守部p.107・・『舟の直路』
細江逸記p.58・・「き」と「けり」
山田孝雄p.138  p.142  p.184  p.193・・『土佐日記
佐伯梅友p.2  p.169・・序文・「らむ」
小松登美p.2・・序文
今泉忠義p.99  p.126  p.154  p.193・・『土佐日記精解』
春日政治p.57  p.81  p.112・・『西大寺本金光明最勝王経古点の国語学的研究』
吉澤義則p.144・・『国語史概説』
奥村三雄p.144・・「韻尾国語化について」
石井秀夫p.99・・並立の「ば」

p.37−p.40で注釈書をあげているが、その中で国語学者としては、山田孝雄今泉忠義のものが掲載されている。他の論文や参考文献については省略されており、本文の語釈の中でとりあげられているものを示してみた。山田孝雄今泉忠義以外では、春日政治訓点語の引用が多く、佐伯梅友、小松登美、石井秀夫など旧東京教育大学の出身者のものが多いことがわかる。『国文法ちかみち』でも取り上げられていた人物としては、契沖、本居宣長佐伯梅友、小松登美、細江逸記、山田孝雄があげられている。このように、小西甚一が文法に力を入れた著作として、『土佐日記評解』があり、その流れで『国文法ちかみち』が成立していると推測される。

2.3アメリカ式の効果的な学習法の影響と小西甚一の語学

小西甚一は、語学に明るい文学者として知られている。『国文法ちかみち』の「はしがき」に、動機として「アメリカ式の教育については、わたくしも、かなり意見がある。けっして良い点ばかりではない。しかし『きまった内容を効果的に教え込む技術』という点では、ほんとうに進歩している」(p.5)と述べており、一年半のアメリカ滞在で目にしたアメリカの語学教育の影響を述べている。そして、以下のように大局的に考えることの必要性を述べている。

この本における説明の順序は、わたくしがアメリカでスタンフォード大学のR・Hブラワー教授及びカルフォルニア大学のE・Rマイナー教授と共同研究していたとき発見したAssociation and progressionという原理を応用してみた。この原理そのものは、文法とは何の関係もないのだが、いろんな方面に応用がきくので、なるべく頭に入りやすいような工夫のひとつとして、試みたわけ。・・〈中略〉・・その結果、ところどころ、文法に直接関係のないような事がらや、むだ話みたいなことが出てくるのは、あらかじめおことわりしておこう。・・〈中略〉・・むだに見えることがあってこそ、直接必要な知識がいちばん効果的にとらえられるのであって、直接必要なことだけを述べたのでは、直接必要なことがうまく頭に入りにくい。(pp.19−20)

Association and progressionの原理についての説明はないが、この記述からすると、背景的な知識などを盛り込んで、記憶に役立つという意味合いで用いているようである(注5)。これらの記述から、佐伯梅友を中心とした学説を汲んでいるだけではなく、アメリカ式の効果的な学習法を心がけたことがわかり、学習参考書への執筆への執念のようなものを感じることができる。また、『源氏物語』の口語訳でp.493で谷崎潤一郎訳を名訳として紹介するだけでなく、p.449でアーサーウェイリーの英訳を紹介し、索引では本文でも触れている英語・フランス語と日本語との対応が引けるようになっており、語学に明るい小西甚一の比較の観点が示されている。これはまた、外国語と国語との連携意識というものが垣間見える記述である。その流れのためか、国文法と英文法との比較なども試みた説明も行っており、日本語教育的な要素も感じさせる内容であり、「き」「けり」の違いについての研究で知られる英語学者の細江逸記を思わせる博識ぶりも紹介されている。語学に明るい小西甚一らしく、細江逸記の引用は、『土佐日記評解』『古文研究法』『国文法ちかみち』でなされており、英語との比較での説明の個所も多い。細江逸記については、「き」「けり」の説明で「この区別をはじめて言い出したのが、国文法の学者ではなく、英文法の細江逸記だったのは、ちょっと皮肉ではないか」(p.312)と述べていることからも、注目していることがわかる。ただし、細江逸記には他にも、「む」などの叙法やヴォイスなどにも業績があるがその点は述べられていない。
古典文法だけではなく、現代の文法との比較を行いながら記述しており、日本語の文法を巨視的に扱っている本格的なものであるといえよう。


3『古文の読解』の価値

3.1全体の構成

『古文の読解』は、全体は「第一章 むかしの暮らし」「第二章 むかしの感じかた」「第三章 むかしの作品」「第四章 むかしの言いかた」「第五章 解釈のテクニック」「第六章 試験のときは」の六章から構成されており、『古文研究法』と『国文法ちかみち』を折衷した講義形式の形態をとっている。『古文の読解』は、旺文社ラジオ講座の原稿をもとにしたものであり、連載時の入試問題の大学名を削除したものであることが、武藤康史(2010)によって指摘されている。古文の読解に必要な知識をコンパクトにまとめた本である。
研究者の人名は『古文研究法』では本文のみで示し、『国文法ちかみち』では本文だけではなく、索引でも引けるようになっている。それに対して、『古文の読解』は、受験向きのラジオ講座のため、やさしい語り口調による高校生向けという印象を受け、語学春秋社から発売された実況中継シリーズの先駆け的なものを感じさせる。研究者の人名も本文でのみ引用している。しかし、以下のように、その人名の数は少ない。

本居宣長p.409・・「に」
石原正明p.409・・「も」
森蘊p.25・・泉殿
佐伯梅友p.212・・はさみこみ、p.270・・「らむ」(現在の伝聞・婉曲)
松尾總p.270・・「らむ」(現在の伝聞・婉曲)

「第一章 むかしの暮らし」は、『古文研究法』の第二部の「精神的理解」の「古典常識」が反映されている。「第二章 むかしの感じかた」は、『古文研究法』の第三部の「歴史的理解」の中の「事項の整理」の中の「文学精神史の要点」が反映されている。「第三章 むかしの作品」は、『古文研究法』の第三部の「歴史的理解」を反映させて書かれており、文学史が整理されている。「第四章 むかしの言いかた」は、『古文研究法』の第一部「語学的理解」の「語彙」と「語法と解釈」をやさしく改めた感じのものである。パターンとして囲み枠があるのも特徴的である。「第五章 解釈のテクニック」は、問題形式で文法を反映した解釈を目指し、第二部の「精神的理解」の「修辞のいろいろ」「把握のしかた」「批評と鑑賞」が反映されている。「第六章 試験のときは」は、『古文研究法』『国文法ちかみち』には見られないもので、客観問題(第一回共通一次の問題)と記述問題の解き方や考え方が示されているのが特徴的である。旺文社ラジオ講座がもとであり、「そこで、合格できるだけの点は確保する−というのが、わたくしのねらいなのである。それも、ギューギュー詰めの内容と眼の色を変えながら格闘するのではなく、のんびり散歩するような歩調で、たのしく古文の合格点を取ってもらいたい。およそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしに、この本を書いた」(p.5)と記載がある。
全体的に、『古文研究法』と『国文法ちかみち』は本気で執筆し、その二作を踏まえた上で『古文の読解』は気軽に執筆した印象を受ける。要点についても、第一章から第五章にかけて、パターン1からパターン36という囲み枠事項がある。この囲み枠をさらに末尾で整理した一覧にしてある。『古文研究法』と『国文法ちかみち』をわかりやすく整理したといえるであろう。

3.2文法用語の統一

『古文研究法』と『国文法ちかみち』では佐伯梅友の説いた下二段「たまふ」を丁寧語としてあったものが、『古文の読解』では謙譲語とし、誰に対する敬意であるかを重点的に示している。また、『古文研究法』と『国文法ちかみち』では助動詞「む」の「意思」という表記が、『古文の読解』では「意志」に変更されている。このように『古文の読解』では、オーソドックスなものに変更されており、使用しやすい用語になっている。教養としての古文と受験としての古文との整合性の意識が反映されていると言えそうである。

3.3佐伯梅友の文法との関係性

小西甚一は、佐伯梅友から文法を学んだことは『古文研究法』『国文法ちかみち』『土佐日記評解』などの著作から明らかである。武藤康史(2010)は解説として、『古文の読解』の第四章の「その2 太っ腹文法」の以下の文節批判の部分が改訂版では削除されていることを指摘している。

たとえば、文節というものをとりあげてみよう。高校生諸君の大部分は、文節こそ文法の根本であると信じているにちがいない。ところが、わたくしが、旧制中学のころ、文節などというものは、どの文法教科書のどの部分にも存在しなかった。文節がやかましく言われだしたのは、たぶん昭和十七八年ごろからのことで、やっと二十年ほどの歴史をもつにすぎない。しかも、これから何年ぐらい保つだろうか。わたくしはかなり悲観的である。

この文節批判が削除された理由として学校文法で一般化したことが考えられるが、橋本進吉の発想を「文素」(佐伯梅友1938・1948)と表現し、のちに「文節」(佐伯梅友1953・1969)と改め、晩年は「語句」(佐伯梅友1988)と発展させた佐伯梅友の影響を受けているため、小西甚一自身も佐伯梅友との交流の中で、『国文法ちかみち』(改訂版)では橋本進吉の文節を絶賛しているようになったことが考えられる。そのため、『古文の読解』も『国文法ちかみち』に合わせたと言える。この点は、大幅に記述を書き改めた例として注目でき、佐伯梅友の影響の強さがわかる箇所である。しかし、佐伯梅友は「文素」「文節」「語句」のように表現を変えている。最晩年の『古文読解のための文法』では、「文節」を「語句」と呼び変え、「文節」を批判までしている。そのあたりのことは『国文法ちかみち』にも『古文の読解』にも反映されていない。また、下二段の「たまふる」は特殊な謙譲語として知られているが、佐伯梅友に従って、小西甚一は、『古文研究法』(p.380)と『国文法ちかみち』(pp.473−475)では特殊な丁寧語に分類し、『古文の読解』では謙譲語に分類している。さらには佐伯梅友の「はさみこみ」などを盛んに紹介している(注6)。以上の点からも、佐伯梅友の文法の色合いが濃いと言える。
武藤康史(2010)は、「佐伯梅友昭和12年以来、多くの文法教科書を執筆しているが、学習参考書は書いていないようだ。佐伯文法を広めたのが小西甚一だったと言えるかもしれない」と述べている。しかし、実際に調査したところ、現在のようなソフトカバーの学習参考書ではないが、ハードカバーで多少古いものであれば、佐伯梅友は共著の形式で『国文解釋の方法と技術』(至文堂)、『古典文法要講』(武蔵野書院)、『マイティ古典文』(三省堂)のような学習参考書も書いている。


結び

旧制から新制へと学校教育が切り替わって10年経過していない時期に小西甚一の古文学習三部作は書かれた。そのため、旧制の高等学校の水準が保たれた学習参考書であり、教養を感じることができ、現在では、大学生や教授資料(別記)として機能を十分に果たすことができるといえる。
『古文研究法』は、他の著作や交友関係との関連性が見える小西甚一の思考が反映されている。『国文法ちかみち』には、佐伯梅友アメリカの教育に触発されて記述している小西甚一の文法観が見られ、日本語教育にもつながる要素を含んでいる。そして、『古文の読解』はラジオ講座を基にしたもので、『古文研究法』と『国文法ちかみち』をわかりやすくし、随所に本音も述べられている。以下に、述べてきた事柄を列挙してみる。

a.国語学との関係
国語学の基盤としては、『土佐日記評解』を著したあたりから始まっており、『古文研究法』、『国文法ちかみち』に流れている。
○『基本古語辞典』は『古文研究法』の語彙編を反映している。
小西甚一は、佐伯梅友の文法を強く反映している。
○英語やフランス語での対応表現を示し、英語と国語との連携意識が垣間見える。
国学者国語学者の引用が多く、小西甚一国語学概論の要素を含んでいる。
b.連歌能楽の教養
○能勢朝次を師として学び、観世久夫と交流した能楽の教養が反映されている。
山田孝雄連歌の師とした連歌俳諧の教養の深さが反映されている。
c.古文学習三部作の関係性
○『古文研究法』で総合的な古文解釈法を提示し、『国文法ちかみち』で文法について、佐伯梅友を軸に国語学の知見を取り入れた形で展開した。その二作を踏まえた上で、『古文の読解』というラジオ講座を基にしたものがある。そのため、『古文の読解』は、『古文研究法』と『国文法ちかみち』を踏まえたものであるため、理解しやすいともいえる。『古文の読解』を読んだあとで、『古文研究法』と『国文法ちかみち』を読むのもよいと考える。
d.修正した方が適切であると考えられる点
佐伯梅友が下二段の「たまふる」を丁寧語に分類しているため、『古文研究法』と『国文法ちかみち』では「たまふる」を下二段に分類しているが、一般的には謙譲語のほうがよい。
○『古文研究法』と『国文法ちかみち』で示されている敬語の敬意の方向については、謙譲語の誰からの敬意であるかについては、現在の話し手からの敬意で地の文も会話文も統一する形式に、修正したほうがよい。
○『古文研究法』と『古文の読解』では、研究者の名前も本文で示すだけではなく、索引にも示したほうがよい。

センター試験を始め、文章の長いものを効率よく読解し、出題者の意図に合わせて解いていく入試問題の流れではあるが、このようにじっくりと読解し、知的好奇心をかきたてる真の意味での本格的な参考書が広まり、読み継がれ、勉学の面白みに目覚める高校生が育成されることを期待したいと思う。書店の参考書のコーナーはソフトカバーがハードカバーを駆逐したといわれている。その本格的なハードカバーの参考書が、こうして文庫で読めることは、価値のあることだと思う。大学の教養レベルまでの事柄が述べられており、研究者の名前が記されているので学習の参考になるばかりでなく、大学院入試にも活用されたように、教養から専門的な内容にまで踏み込んだものである。現場の教員が別記(教授資料)として工夫して授業の中に取り入れるようにすれば、たいへん効果的であると考える。小西甚一の古文学習三部作は、受験としての古文と教養としての古文の整合性、外国語と国語との連携意識が反映された巨視的で価値の高いものであると言える。


(補説)
1.漢文と現代文
小西甚一は日本の古典の重要性を指摘しており(『古文研究法』pp.679−680)、漢文と現代文の学習参考書は著していないが、その考え方を示している記述があるので、参考として以下に考察してみる。
1.1小西甚一の漢文
小西甚一の漢文についての学習参考書はないが、小西甚一(1966)には、漢文好きであったが、能勢朝次の意向で国文科に回されたことや、江戸時代後期の訓読が、徂徠学派の影響及び漢学者のギルド化によるとして以下のように批判している。
漢文教育が株屋仲間でジリ貧と称する様相を濃くしてゆくのは、要するに、漢学者諸公が18世紀の亡霊につかれているからであって、この亡霊を追っ払うことが、さしあたっての急務だと思う。かさねて言う。なぜ18世紀の日本の漢学だけに執着しなくてはならないのか。シナは世界のシナであり、悠久三千年のシナなのである。
また、研究書で有名な『文鏡秘府論考 研究篇上』の序に以下のように記されている。
漢文化に対する理解が浅薄であるとき、純粋に日本的なるものを正しく把握できるかどうか疑はしい。独りでは自身の姿を視ることができず、他にしみるものが有つてこそ、始めて真にみづからを理解するのである。・・〈中略〉・・寧ろ、真の日本的なものを完成するため、みづからに無いものを培はうとするのである。そこに新しい世界性も展けるのではなからうか。
このように、漢文への造詣の深さを持っていることを考えると、漢文の学習参考書がないのが残念である。
1.2小西甚一の現代文
小西甚一には、石井庄司との共編で『新国語辞典』がある。これは中学校・高等学校の教科書に使用されていることばを中心に採集し、中学生・高校生・一般社会人向けに著したもので、『基本古語辞典』に通じる面がある。渡辺実(1963)は「語釈をきりつめて、多くの語の多義を押さえようとするのである。・・〈中略〉・・本書のような洩らすことの少ない小辞典は重宝である」と述べている。また、小西甚一(1964)に見られるような現代文学の書評も書いている。
武藤康史(2015)によると、小西甚一の『古文研究法』よりも先に、「受験」という雑誌があり、そこに連載していたとのことである。『古文研究法』のあとには、「現代文講座」も連載していたそうである。分析批評が教育の現場に受容されたことを考えるとき、今後、「現代文講座」の連載も刊行されることを期待したいところである。
2.国語教育史における小西甚一
渡辺春美(2014)は、戦後の古典教育の基礎論として、西尾実時枝誠記、荒木繁、益田勝美、西郷竹彦、増淵恒吉を取り上げ、田近洵一(1991)は戦後文学教育として、他に奥田靖雄、太田正夫などもあげている。中野登志美(2011)は、ニュー・クリティシズムを日本に最初に導入した小西甚一が提唱した分析批評について、それが文学教育に受容されていくまでの史的変遷を川崎寿彦、井関義久、向山洋一、西郷竹彦の順で述べている。また、濱田美貴(2014)は、西尾実の批評に対立するものとして、小西甚一の分析批評が国語教育の世界に導入されていき、中学校のカリキュラムでの扱いについて考察している。分析批評とは、小西甚一(1964)をみると時枝誠記のものとも異なるようである。その基礎には、欧米の研究を積極的に摂取していった垣内松三の方法論的な教えも大きいと考える。

(注)
1
合理的な受験勉強法を説く、精神科医和田秀樹(1900)においても、『古文研究法』に対しても非合理的と否定するが、「精神的理解」の箇所は読む価値があると勧めている。和田秀樹の考え方は、小西甚一が『国文法ちかみち』で述べる、一見非合理的に見える事柄から教養も高めようとする方針とは大きく異なる考えである。
直接必要なことだけを経済的に憶えこもうという考えだと、よけいなものはいっさい切り捨てた方がよいと思われるかもしれない、しかし、実は、そうではない。むだに見えることがあってこそ、直接必要な知識がいちばん効果的にとらえられるのであって、直接必要なことがうまく頭に入りにくい。しかも、直接必要といったって、何が「直接」なのか。国文法を勉強するつもりでいたら、いつの間にか国語学一般や英文法の知識まで増えてしまったところで、別に『損をした』と考えるにはおよぶまい。気を大きく持って、要するに「学力」がつけば良いんだと腹をすえることである」(p.20)
藤田崇夫(2015)は、以下の小西甚一の記述を引用し、英語界に限らず、学者が一般向けの文法書や学習参考書を執筆することの必要性と、学問的良心の重要性を述べている。
これからの日本を背負っていく若人たちが、貴重な青春を割いて読む本は、たいへん重要なのである。学者が学習参考書を著すことは、学位論文を書くのと同等の重みで考えなくではいけない。りっぱな学者がどしどし良い学習書を著してくれることは、これからの日本のため、非常に望ましい。私は、学者としてはほんお端くれにすぎないけれど、心がまえだけは、そうありたいと思っている。(『古文研究法』p.6)
これに対して、内藤一志(2006)は、受験と古典との深い関わりについて論じ、「受験対策用の参考書の多くが、小西甚一の『古文研究法』(洛陽社)の出現以来、その構成(文法事項・語彙・文学史・文化史など)に倣いほとんど変化がない。本書は昭和30年に初版が発行され、現在もなお改訂を加えながら刊行されている。その不変性を安定性と判断し、受験対策の方法的確立と見ることができよう」と述べている。それまで参考書としてロングセラーになっていた、塚本哲三の『国文解釋法 全』からの脱却とも考えられそうである。
また、加藤睦(2010)は「自分が高校生時代に活用し、後に予備校で虎の巻としても恩恵を受けた書物に、偉大な文学者であった故小西甚一の著した『古文研究法』『国文法ちかみち』(洛陽社)、『古文の読解』(旺文社)の三部作があります。今流布している学習参考書は、目先の受験対策に終始していて、かつての参考書のレベルに達していません。偉大な先達の著作を目標とするのは気がひけますが、なんとかその域に近づき、できればそれを凌駕するような充実した入門書・参考書を完成させられればと思っています」と述べており、受験参考書の質の低下に触れている。
2
この点については、高等学校、代々木ゼミナールで教鞭をとり、大学で国語科教育法などの講義も担当していた山本康裕(2001)が、以下のように述べている。
昭和30年代の終わりごろまでは、かぐや姫が「奉る」んだから、かぐや姫から帝に対する敬意だ、といっていました。その後、修正されて今では、「すべての敬意は話し手から出る」と説明されています。(p.94)
このように述べ、「すべての敬意は、話し手から出る。地の文なら、話手は作者。会話文なら、話手はその会話の発言者」(p.99)とまとめている。実際に発表者も、予備校の授業において、学校で旧説を教わったために、高校生が模擬試験や入試問題の模範答案が理解できずに、質問を受けたことがある。これは、高等学校の授業担当者が『古文研究法』『国文法ちかみち』で身につけた知識で記憶し、修正されたことに気づかずに授業を展開してしまったケースであると考えられる。実際に小西甚一の講義を受講した土屋博映(2001)は、『古文研究法』を「程度は高いが、本物の力がつく名著」(p.98)と絶賛しているが、この点については触れていないが、自身の著作では修正された「すべての敬意は話し手から出る」という修正説で記述している。なお、『国文法ちかみち』『古文の読解』は特に紹介していない。
3
馬淵和夫(1963a・1963b)は、動作主尊敬・対象尊敬・謙譲・丁寧に分類し、下二段「たまふる」を謙譲に分類しており、小西甚一『古文研究法』(p.387)ではその分類で記述してあるが、『国文法ちかみち』ではその分類は示していない。田辺正男・和田利政(1964)は謙譲語に分類するが、「です・ます」の口語訳を示している。村上本二郎(1966)、関谷浩(1990)は謙譲語に分類するが丁寧語説も紹介し、「させていただく」「です・ます」の口語訳を示している。また、杉崎一雄(1977)は、分類にはこだわらず、「させていただく」と口語訳し、かしこまり改まった気持ちの丁重な物言いという下二段「たまふる」の特性を説明することが最優先としている。これに対して土屋博映(1981)は、下二段「たまふる」を「申し上げる」としている。田辺正男・和田利政(1964)では、以下のように記述してある。
文法書・学術論文として丁寧語ないしは特別な敬語の一種とすべき旨を説いたものもあり、また、高等学校の教科書の中に、丁寧語として扱っているものもある。しかし一般には謙譲語とするほうが行われている。したがって、入試問題などで、『給ふる』の種類を問われた場合には謙譲語と解答するほうがよい。  
(p.460)
この記述は、佐伯梅友(1953・1969・1988)の三省堂の文法教科書を示唆したものであろう。佐伯梅友(1969)は以下のように述べている。
たまふ(ヘ・フ・フル〈下二段〉活用)
これも元来はいただくという気持ちの謙譲語であったが、物語などでは、「見たまへて」「思ひたまへて」「聞きたまへて」というように、もっぱら「見る」「聞く」「思う」について、それが話し手(まれには話し手の側の人物)の動作である場合に用いられ、したがって、会話の文にだけ出てくるというわけで、丁寧の中に入れる。
1990年代頃までは入試問題の選択肢にも謙譲語と丁寧語の二説に割れるものがある。佐伯梅友は最後の文法書は1988年に出版されており、そこでも丁寧語にしている。その文法教科書の影響力が残存していた。そのため、下二段の「たまふる」の謙譲語説と丁寧語説及びその訳出をめぐって揺れていたと考えられる。
4
実際に山田孝雄の自宅で連歌を教わった大友信一氏によると、山田孝雄は甘いものが好きで、酒はあまり飲まず、連歌五十音図の研究を盛んに勧めていたそうである。また、係助詞は振り仮名が記載されていないが、命名者の山田孝雄は「かかりじょし」と呼んでいたそうである。それを反映しているためか、小西甚一の学習参考書では、「かかりじょし」で引くようになっている。
5
佐々木倫子先生からの御教示では、「assosiation」とは、日本語教育では「連想」という意味で使用しているとのことである。
6
数多くの学習参考書を執筆したことで知られる土屋博映は、その一連の学習参考書では佐伯梅友の「はさみこみ」を「挿入句」という用語で受験業界に広めた。


(参考文献)
池田亀鑑(1954)『国文解釋の方法と技術』至文堂
石井庄司・小西甚一編(1963)『新国語辞典』大修館書店
伊藤和夫(1997)『予備校の英語』研究社
岡田誠(2004)『日本語の味覚』武田出版
岡田誠(2017)『新版 日本語の味覚』Kindle書籍
奥田靖雄(1970)『国語科の基礎』むぎ書房
小田勝(2015)『実例詳解 古典文法総覧』和泉書院
垣内松三(1922)『国語の力』有朋堂
垣内松三(1947)『国語の新生』非凡閣
鹿島茂(2017)「書評『古文の読解』−助動詞『む』は『will』から類推せよ−」ちくまweb
加藤睦(2010)「古典和歌を読み直す」『立教』第211号【朝日新聞デジタル「立教ジャーナル2015」】
鎌田正・井関義久・山井湧・小西甚一・馬淵和夫(1966)「〈シンポジウム〉『古典』教育における漢文」『国文学 言語と文芸』45(大修館書店)
川崎寿彦(1976)「分析批評の方法」『国文学 解釈と鑑賞』10月臨時増刊号(至文堂)
観世寿夫(1979)『心より心に伝ふる花』白水社
金田一秀穂(2016)「書評『古文の読解』−小西甚一『古文の読解』復刊に際して−」ちくまweb
小西甚一(1948)『文鏡秘府論考 研究篇上』大八洲出版
小西甚一(1951)『文鏡秘府論考 研究篇下』大日本雄弁会講談社
小西甚一(1953)『文鏡秘府論考 攷文篇』大日本雄弁会講談社
小西甚一(1951)『土佐日記評解』有精堂
小西甚一(1955)『古文研究法』洛陽社【テキストは(2015)「ちくま学芸文庫版」・底本は1965年の改訂版】
小西甚一(1959)『国文法ちかみち』洛陽社【テキストは(2016)「ちくま学芸文庫版」・底本は1973年の改訂版】
小西甚一(1961)『能楽論研究』塙書房
小西甚一(1962a)『古文の読解』旺文社【テキストは(2010)「ちくま学芸文庫版」・底本は1981年の改訂版】
小西甚一校註(1962b)『梁塵秘抄朝日新聞社
小西甚一(1964)「分析批評の有効性」『文学』6月号(岩波書店
小西甚一(1965)『基本古語辞典』大修館書店
小西甚一(1966)「漢文私見」『国文学 言語と文芸』45(大修館書店)
小西甚一(1967)「分析批評のあらまし−批評の文法−」『国文学 解釈と鑑賞』5月号(至文堂)
小西甚一(1971)『宗祇』筑摩書房
小西甚一(1947)『俳句の世界』講談社【テキストは(1995)「講談社学術文庫版」】
小西甚一(1953)『日本文学史講談社【テキストは(1993)「講談社学術文庫版」】
小西甚一(1964)「〈新刊書評〉長谷川泉著『随筆読解の理論』」『国文学 解釈と鑑賞』9月号(至文堂)
小西甚一(1975)『道−中世の理念』講談社
小西甚一(1998)『日本文藝の詩学 分析批評の試み』みすず書房
小西甚一(2004)『世阿弥能楽論集』たちばな出版
小西甚一(1985−1992)『日本文藝史Ⅰ−Ⅴ』講談社
小西甚一(2009)『日本文藝史 日本文学原論(付)日本文藝史全巻索引』笠間書院
佐伯梅友(1937)『新日本女子国文法 初年級用』三省堂【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友(1938)『新日本女子国文法 高学年用』三省堂【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友(1948)『中等文法 口語』三省堂【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友(1948)『中等文法 文語』三省堂【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友(1953)『国文法 高等学校用』三省堂【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友(1959)『古典文法要講』武蔵野書院
佐伯梅友(1960)『ことばのきまりと働き』【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友(1968)『マイティ古典文』学習研究社
佐伯梅友(1969)『明解古典文法』三省堂【テキストは森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
佐伯梅友監修・鈴木康之(1977)『日本語文法の基礎』三省堂
佐伯梅友・鈴木康之監修(1986)『文学のための日本語文法』三省堂
佐伯梅友(1988)『古文読解のための文法 上 下』三省堂
島内景二(2016)「解説」『国文法ちかみち』ちくま学芸文庫
杉崎一雄(1977)「古文敬語の指導法」『文語文法の教え方』右文書院
杉山英昭(2006a)「古文入門期指導の周辺−『国語総合・古典編』説話文学教材をめぐって−」『國學院大學教育学研究室紀要』第41号
杉山英昭(2006b)「古典の教材観への挑戦−古典科目の教材における国際化と教材開発−」『国語教育史研究』第7号
杉山英昭(2008)「古典文学の教育への二三の考察−現代語を用いた学習材を中心に−」『國學院雑誌』109巻3号
関谷浩(1990)『古文解釈の方法』駿台文庫
田近洵一(1991)『戦後国語教育問題史』大修館書店
田辺正男・和田利政(1964)『学研国文法』学習研究社
塚本哲三(1923)『国文解釋法 全』有朋堂書店
土屋博映(1981)『土屋の古文公式222』代々木ライブラリー
土屋博映(2001)『古文なるほど上達法』ライオン社
土屋博映(2015)「解説」『古文研究法』ちくま学芸文庫
時枝誠記(1948)「国語教育に於ける古典教材の意義について」『国語と国文学』4号(東京大学国語国文学会)
時枝誠記(1956)「古典教育の意義とその問題点」『国語と国文学』4号(東京大学国語国文学会)
時枝誠記(1963)『改稿 国語教育の方法』有精堂
戸田功(2011)「国語教育学の再構築の試み−村井実の教育学議論を手掛かりに−」『埼玉大学紀要教育学部』60巻1号
内藤一志(2006)「『古典教育の現在』についての覚書」『語学文学』第44号(北海道教育大学語学文学会)
中野登志美(2011)「文学教育における批評概念の史的検討−ニュー・クリティシズム・分析批評を中心に−」『広島大学大学院教育学研究紀要』第2部第60号
西尾実(1948)「これからの国語教育の出発点−時枝誠記氏の批評に答えて−」『国語と国文学』4号(東京大学国語国文学会)
西尾実(1950)『国語教育学の構想』筑摩書房
野地潤家(1985)『国語教育学史』共文社
濱田美貴(2014)「中学校国語教科書における『批評』カリキュラムの研究」『語文と教育』鳴門教育大学国語教育学会
藤田崇夫(2015)「文法学習の重要性について」『英語と文学・教育の視座』DPT出版
藤原マリ子(2004)「古典教育の再生を目指して−高校生への意識調査をもとに−」『国文学 言語と文芸』第121号(おうふう)
増淵恒吉(1956)「古典教育覚え書」『国語と国文学』4号(東京大学国語国文学会)
増淵恒吉(1981)『増淵恒吉国語教育論集 上巻 古典教育論』有精堂
馬淵和夫(1963a)『古文の文法』武蔵野書院
馬淵和夫(1963b)『古文の文法別記』武蔵野書院
湊吉正(2014)「垣内松三」『日本語大事典 上』大修館書店
南不二男(1966)「わたしの読んだ本−小西甚一著『基本古語辞典』−」『言語生活』8月号(筑摩書房
武藤康史(2010)「解説」『古文の読解』ちくま学芸文庫
武藤康史(2015)「書評『古文研究法』−小西甚一『古文研究法』ができるまで−」ちくまweb
村井実(1976)『教育学入門 上下』講談社学術文庫
村上本二郎(1966)『古典文解釈の公式』学習研究社
森野宗明・北原保雄小松英雄編(1980)『佐伯文法−形成過程とその特質−』三省堂
山田孝雄(1937)『連歌概説』岩波書店
山田孝雄(1938)『五十音図の歴史』宝文館
山田孝雄(1956)『俳諧文法概論』宝文館
山本康裕(2001)『大学入試センター試験 古文[国語Ⅰ・Ⅱ]』語学春秋社
渡辺哲男(2002)「国語教育における文学教育と言語教育−西尾実時枝誠記の論争を中心に」『教育学雑誌』第37号
渡辺春美(2014)「戦後古典教育論の展開」『語文と教育の研究』高知大学教育学部国語教育(研究社)
渡辺実(1963)「わたしの読んだ本」『言語生活』7号
和田秀樹(1900)『志望大学・学部別 試験に出る参考書』光文社

【謝辞】
本発表にあたり、北澤尚先生、佐々木倫子先生、服部隆先生、尾城久雄先生、笹川勲氏からご意見をいただきました。また、中村幸弘先生の『古文読解のための文法』をテキストにした講読会で学んだことも、たいへん参考になりました。御礼申し上げます。