ニ格の受け身

受身文や使役文の場合、
○田中が山田に殴られた。
○洗濯物が風に吹き飛ばされた。
○先生が花子にピアノを弾かせた。
のように動作主はニ格で示されることが多い。これは、古典文の場合にも共通することである。金水敏(1992)では、山田孝雄(1908)を引用しながら日本語の受身文を近代以前から存在し、話ことばにも用いられる「固有の受身」はニ格の受身であるとし、一方、近代以後の外国語の影響によって発達し、書きことばに限って用いられる「非固有の受身」を動作主を表示する場合には、ニ格を用いることができず、ニヨッテ句や、その他の手段を用いるものとし、「非固有の受身」の例として、次の例をあげている。
○この橋は私の高名な建築家によって建築された。
ノーサイドの笛が審判によって吹かれた。
○教授会は、学部長によって召集された。
そこで、金水敏(1992)のいう、「ニ格の受身」について、古典文の場合、どの程度存在するのかについて、調査してみることとする。また、ヴォイスとの対応関係の視点から、ニ格の使役についても扱ってみることとする(注)。なお、ここで対象とするのは、動作主を表すニ格であって、
○(頭の弁ガ)桃の花をかざしにささせ、・・。(枕草子・9段)
○硯に紙のすられたる。(枕草子・28段)
○衣のすそ、裳などは、御簾の外にみなおしいだされたれば、・・。(枕草子・104段)
のように、場所・帰着点・比較・状態を示すニ格を除く。
以下、そのニ格の受身と使役の表出率の割合の調査結果である。

ニ格受身     ニ格使役
万葉集       50.9        17.3
竹取物語      21.4       10.5
土佐日記      0.0        33.3
伊勢物語      36.4       13.1
大和物語      25.7       16.7
古今和歌集     34.5       100
落窪物語      22.0       4.4
枕草子       32.2       19.9
紫式部日記     14.7       8.7
源氏物語      24.8       5.4
堤中納言物語    45.5       15.0
方丈記       16.7       0.0
徒然草       38.2       25.0


参考文献

三矢重松(1907)『高等日本文法』明治書院
山田孝雄(1908)『日本文法論』宝文館
山田孝雄(1936)『日本文法学概論』宝文館
橋本進吉(1929の講義・1969に刊行)『助詞・助動詞の研究』岩波書店
松下大三郎(1930)『標準日本口語法』中文館書店
松下大三郎(1930)『改選標準日本文法』勉誠社
浜田敦(1930)「助動詞」『万葉集大成6』平凡社
松尾捨治郎(1936)『国語法論攷』白帝社
佐伯梅友(1936)『国語史−上古篇』刀江書院
時枝誠記(1941)『国語学原論』岩波書店
金田一京助(1949)『国語学入門』吉川弘文館
金田一春彦(1957)『日本語』岩波新書
田中章夫(1958)「語法からみた現代東京語の特徴」『国語学』9号
土屋信一(1962)「東京語の成立過程における受身の表現について」『国語学』12号
森重敏(1959)『日本文法通論』風間書房
森重敏(1965)『日本語文法−主語と述語−』武蔵野書院
大野晋(1955)「万葉時代の音韻」『万葉集大成6』平凡社
大野晋(1967)「日本人の思考と日本語」『文学』12号
大野晋(1968)「助動詞の役割」『解釈と鑑賞』
橋本進吉(1969)『助動詞の研究』岩波書店
今泉忠義・宮地幸一(1950)『現代国語法・四』有精堂
宮地幸一(1968)「非情の受身表現考」『近代語研究』第2集
和田利政(1969)「る・らる(付ゆ・らゆ)−受身(古典語)」『助詞助動詞詳説』学燈社
長谷川清喜(1969)「しむ−使役(古典語)」『助詞助動詞詳説』学灯社
金田一春彦・奥村光雄(1976)「国語史と方言」『国語学』3号
藤堂明保編(1978)『学研漢和大辞典』学研
小杉商一(1979)「非情の受身について」『田辺博士古稀記念国語助詞助動詞論叢』桜楓社
小路一光(1980)『萬葉集助動詞の研究』明治書院
大坪併治(1981)『平安時代における訓點語の文法』風間書房
近藤泰弘(1983)「可能」『研究資料日本古典文学12巻』明治書院
山口尭二(1983)「す・さす」『古語大辞典』小学館
国語学会編(1985)『国語学大辞典』東京堂
鈴木一彦・林巨樹編(1985)『研究資料日本文法・第七巻』明治書院
奥津敬一郎(1983)「何故受身か?」『国語学』132集
奥津敬一郎(1987)「使役と受身の表現」『国文法講座・第6巻』明治書院
小林賢次(1987)「古文における使役・受身の助動詞」『国文法講座2』明治書院
金水敏(1991)「受動文の歴史についての一考察」『国語学』164集
金水敏(1992)「場面と視点−受身文を中心に」『日本語学』11巻8号
金水敏(1993)「受動文の固有・非固有について」『近代語研究』第9集
川端善明(1993)「日本語の品詞」『集英社国語辞典』集英社
川端善明(1997)『活用の研究Ⅱ』清文堂
小池清治(1994)『日本語とはどんな言語か』ちくま新書
高見健一(1995)『機能的構文論による日英比較』くろしお出版
窪薗晴夫(1997)「音声学・音韻論」『日英対照による英語学概論』くろしお出版
尾上圭介(1998)「文法を考える―出来文①―」『日本語学』
近藤泰弘(2000)『日本語記述文法の理論』ひつじ書房
韓静妍(2010)「近代以降の日本語における非情の受身の発達」『日本語の研究』第6巻4号