小西甚一『国文法ちかみち』の価値

2『国文法ちかみち』の価値

2.1全体の構成

『国文法ちかみち』は、全体が「第一部 文法そのもの」、「第二部 文法と古文解釈」、「余論 表記法のはなし」から構成されている。島内景二(2016)は、大学院入試の際にも読み直したそうであるから、その水準の高さがうかがえる。

2.1引用されている日本語学者

『国文法ちかみち』の「はしがき」に「それほど文法に弱かったわたくしが、とにかく人前で文法の話を持ち出せるようになったのは、佐伯梅友先生のおかげである」(p.4)と述べられており、文法教科書の編纂を通じて構築された国語学佐伯梅友の名前があげられている。さらに内容について、「説かれている文法そのものは、なるべく穏当な学説に従ったつもりである」(p.5)と述べられている。『国文法ちかみち』には、具体的な日本語学者の名前も索引に記されている点で、『古文研究法』と大きく異なる。島内景二(2016)の解説には、日本語学の範囲については、「ら抜き言葉」を言葉の変遷ととらえる小西甚一の記述の紹介と、築島裕の講義の際の山田孝雄の用例のすばらしさの回想を示す程度にとどまっているが、『古文研究法』では研究者の人名は索引には記されていなかったのに対して、『国文法ちかみち』では、参考にした国語学者の学説がわかるという特徴がある。以下に太字で頻度の高い人名、書名も引用されているものについては併記、該当項目について要点を示してみる。

石塚龍麿・・上代特殊仮名遣い
大槻文彦『大言海』・・「用ゐる」と「用ふ」
大矢透・・五十音図
荷田春満・・五十音図
楫取魚彦・・歴史的仮名遣
賀茂真淵・・五十音図
北山谿太・・源氏物語の「が」(格助詞)
藤原定家・・歴史的仮名遣
行阿・・歴史的仮名遣
金田一京助『辞海』『明解古語辞典』・・形容詞と形容動詞の活用
倉石武四郎・・外国人の敬語の使用
契沖・・五十音図歴史的仮名遣
小松登美・・「めり」
佐伯梅友・・まえがき・活用形・「き」の未然形・品詞分解・係り結び・「らむ」・
推定・伝聞の「なり」・はさみこみ・下二段の「たまふる」
武田祐吉・・「見しか」「見てしかな」
時枝誠記・・形容動詞・「ない」・「は」と「が」・「らし」・「じ」・「う」・「よう」・「まい」・
「る・らる・れる・られる」・「す・さす・せる・させる」・「らしい」・文節
橋本進吉・・五十音図上代特殊仮名遣い・形容動詞・「る・らる・れる・られる」・
「す・さす・せる・させる」・「らしい」・文節・「なふ」と「なし」・副助詞と終助詞・「り」
細江逸記・・「き」と「けり」
松尾捨治郎・・推定・伝聞の「なり」
松尾聡・・推定・伝聞の「なり」
馬淵和夫・・「多かり」・上代特殊仮名遣いと「り」
源親行・・歴史的仮名遣
本居宣長・・「用ゐる」と「用ふ」・上代特殊仮名遣い
山田孝雄・・五十音図・「べらに」・「る・らる」の可能・親しみの自敬表現
湯澤幸吉郎・・「せらる」から「さる」

この中で、佐伯梅友は直接的に影響を受けた人物として、「はしがき」にも書かれているが、多く引用されているのは、橋本進吉時枝誠記であることも興味深い。その次が佐伯梅友山田孝雄という引用個所の多さの順になっている。佐伯梅友の影響で橋本進吉を引用し、その対照的なものとして時枝誠記を引用している。そして、語法のところで山田孝雄を引用するスタイルをとっている。
学校文法でよいということであれば、橋本進吉佐伯梅友で十分なはずであるが、時枝誠記山田孝雄を入れているのは、日本語学の有名な学説についても触れたいという現れではないだろうか。また、五十音図の研究者についても、契沖・荷田春満賀茂真淵、大矢透、橋本進吉山田孝雄を引用してあるのは、小西甚一の自説も五十音図にはあるからのようである。
また、「余論 表記法のはなし」において、上代特殊仮名遣いで本居宣長石塚龍麿橋本進吉をあげ、歴史的仮名遣いの個所で、行阿、源親行、契沖、楫取魚彦をあげており、表記法について詳しく扱っていることがわかる。


2.2アメリカ式の効果的な学習法の影響

はしがきに、動機として「アメリカ式の教育については、わたくしも、かなり意見がある。けっして良い点ばかりではない。しかし『きまった内容を効果的に教え込む技術』という点では、ほんとうに進歩している」(p.5)と述べており、一年半のアメリカ滞在で目にしたアメリカの語学教育の影響を述べている。「全体として、この本に書いてあることは、大学院の国文科を志望する人に十分な程度の内容をもっている」(p.6)とあり、島内景二(2016)も大学院入試の際に読み返したことが述べられている。
これらの記述から、佐伯梅友を中心とした学説を汲み、アメリカ式の効果的な学習法を心がけたことがわかり、学習参考書への執筆への執念のようなものを感じることができる。
また、国文法と英文法との比較なども試みた説明も行っており、日本語教育的な要素も感じさせる内容であり、英語学者であった細江逸記を思わせる博識ぶりが感じられる。
古典文法だけではなく、現代の文法との比較を行いながら記述しており、日本語の文法を巨視的に扱っている本格的なもので、日本語学的にもすぐれているといえよう。