長沼直兄の日本語教科書の受身の全用例

(研究資料)

長沼直兄(1931−1934)での受身の用例は以下の通りである。
○巻一
第二部
(第三十二課)
リンカンは一家が千八百三十年にイリノイ州にうつってから家を出て或時は人にやとわれて働き、又或時はしょうにんになって色々のしょうばいをやりましたが、だんだん有名にんってとうとう千八百六十年にはアメリカ合衆国のだいとうりょうにえらばれました。
リンカンは一家が千八百三十年にイリノイ州にうつってから家を出て或時は人にやとわれて働き、又或時はしょうにんになって色々のしょうばいをやりましたが、だんだん有名にんってとうとう千八百六十年にはアメリカ合衆国のだいとうりょうにえらばれました。
それですからリンカンははじめのうちは南の州の人達にはよく思われませんでした。
又或人達からは悪く言われました。
或時リンカンがフォーズ座へ芝居を見にいった時、ジョンブースとゆう者にピストルでうたれました。
リンカンはすぐに近くの家へ送られていしゃの手あてをうけましたけれども、とうとう千八百六十五年になくなりました。
第三部
(第一課)
或時馬をぬすまれた人が別な馬を買いに馬市へ行きました。
見ると沢山の馬の中にぬすまれたのがいます。
よろこんでそのそばへよって「この間ぬすまれた馬が此所に居ます。これは私のです。」と言いました。
ぬすまれた人はすぐに両手で馬の目をかくして、・・。
そして馬はもとの主人にもどり、どろぼうはじゅんさの手に渡されました。
(第七課)
その中太平洋はアジア大陸と南北アメリカとの間にあるひじょうに廣い海で、大西洋は南北アメリカとヨーロッパ、アフリカ大陸との間にはさまれてゐます。
印度洋は印度の南にある海でアフリカとオーストラリヤにはさまれて居ます。
(第二十二課)
扇は風に吹かれて、くるくるまわって居ます。
赤い扇はかなめのきわをい切られて、空に高く舞い上って、ひらひらと二つ三つまわって波の上に落ちました。
(第二十四課)
旅人は警察署から裁判所へまわされました。
○巻二
第二部
(第一課)
新宿は近年大層にぎやかになって今では山の手の銀座と言はれ夜店も沢山でて市の西部の中心地となって居ます。
(第二課)
昔或所に木上りの名人と言はれた人がありました。
尋ねた人は「成程、名人と言はれる人の考へは何処か違った所がある。」と思って感心しました。
(第七課)
あけると中から白いけむりがぱっと出て今まで若かった浦島はたちまちしらがのおぢさんになって仕舞ひました。
(第十一課)
却って、はだみはなさず持って居た刀を見付けられて仕舞ひました。
かげひなたなく働く上に、人の仕事まで引き受けるやうにしましたので、「萬じゅ萬じゅ。」と人々に可愛がられました。
訳を尋ねますと、「あの中には石のらうがあって、唐糸様がおし込められて居られます。」と答へました。
(第十二課)
すずめは舌を切られて痛くてたまりませんからなきながら飛んで行きました。
(第十三課)
強力に案内されて登って行くと初めの中は道はやや平らで、木陰も多く、さまで困難ではないが、段々登るに随って、道はけはしく、草木は少く、仕舞ひには全く草木の無い岩山になって、歩くのがひじゃうに困難になる。
(第十五課)
地蔵様がしばられていらっしゃる。
越前守は呉服屋の番頭を呼び出して、其の中にぬすまれた品があるかどうかを調べさせました。
(第十七課)
残された犬市は待ちくたびれて、・・。
(第十八課)
其ノ上、道モ段々良クナリ、橋モ多クカケラレタ。
(第十九課)
根が正直なかにはだまされるとは知らず、・・。
若し行かなければうたがはれるにきまって居るので仕方なしに翌朝かにの家へ出掛けました。
それを見ると外に誰か木に登って居た様にも考えられますし、一寸見当がつかないんです。
遠山「米国と言へば僕はことによるとニューヨークの支店へ出張を命じられるかも知れないんですがね。」
(第二十二課)
さうすれば針の山へ追ひ上げられることもなく、血の池に沈められることもある筈は御座いません。
若し万一、途中で切れたと致しましたら、折角此處まで登って来た此の肝心な自分までも、元の地獄へ逆落としに落とされて仕舞はなければなりません。
(第二十三課)
銀貨、銅貨ハ広ク用ヒラレテ居ルケレドモ金貨ハ流通スルコトガ少イ。
之ハ金貨ニ代ル紙幣ガ行ハレルカラデアル。
(第二十四課)
前に集まった者が後から来た者に対して、待たされた小言を言いますと、・・。
待ってやって文句を言はれる様ぢゃつまらない。
(第二十五課)
飛行機は以前は大部分軍事上のみに用ひたが欧州戦争後には商業用に利用され郵便物や旅客の輸送に用ひられて居る。
飛行機は以前は大部分軍事上のみに用ひたが欧州戦争後には商業用に利用され郵便物や旅客の輸送に用ひられて居る。
(第二十六課)
それから数日たつと荒川さんのつくゑの上には履歴書のはいった封書が山の様に積まれました。
荒川さんはその中で適当と思はれる様な人を十名許り選んで面会日を通知しました。
(第二十七課)
すると切りぬかれた丸い板がポロリと落ちると、黒い大きな手が、ぬっと、丸い穴の中から現れた。
家人の手から彼が何を受け取ったか知らないが、懸声と一緒にスパリと手が落ちる代わりに、其の大きな手には一円札がにぎらせられた。
同時につかまれて居た手は放されて、大きな手は戸の向ふに引っ込んだ。
同時につかまれて居た手は放されて、大きな手は戸の向ふに引っ込んだ。
(第二十九課)
その音は元の各、官によって示されて居る。
応神天皇の時即ち紀元三世紀の終頃と考へられて居たが、今日の学者は一般に之を書物の伝来の時と考へ、文字はそれよりずっと以前に伝へられたものと考へる様になった。
応神天皇の時即ち紀元三世紀の終頃と考へられて居たが、今日の学者は一般に之を書物の伝来の時と考へ、文字はそれよりずっと以前に伝へられたものと考へる様になった。
音は大体においてその漢字が伝へられた当時の支那の発音であり、訓はその漢字の意味に相当する日本語である。
呉音といふのは何処の音であるか明らかでないが、南京を中心とする南方支那春秋時代から三国時代まで呉と称せられたのであるから恐らく支那南方揚子江沿岸地方の音であらう。
漢、呉音は之を用ひた方から見れば漢音は主として漢学者の間に、呉音は主に仏教の僧侶間に行はれたものであるから仏教に関係ある言葉は呉音で読むものが多い。
此の外に唐音及び宋音と言はれるものがある。
部首はその位置によって分類され、それぞれに名称がある。
今最も普通に使はれて居るものをあぐれば次の如くである。
(第三十課)
森田雪江夫人は美しい顔に面白そうな笑ひを浮かべて、今朝配達された一通の厚い封書を取り上げた。
何となく此の封筒の中に非常に面白い事がかくされて居る様に思はれたからである。
何となく此の封筒の中に非常に面白い事がかくされて居る様に思はれたからである。
こんな風に驚かされるのは決して悪くはないからな。
ピストルをつきつけられながら仕事をして居るのは余り気持ちのいいものぢゃない。
不意をうたれたお富は思はずピストルの引金を引いた。
あの快活な青年が僅か十円許の貯金しかない事を知られた時の顔ったら無かったわね。
○巻三
(第四課)
おたね また次のものを頼まれたり、何かしとつたもんだから。
母 へえ、(吸いつけられた様に玄関へ行く。以下声許聞える)
賢一郎 (やや冷かに)おれ達があれば八つの時に築港からお母さんに手を引かれて身投げをしないでもすんで居る。
賢一郎 父親に捨てられても一人前の人間になれると云ふ事を知らしてやりたいからだ。
賢一郎 おれは父親に少しだつて愛された覚はない。
父 お前はわしに捨てられて却つて仕合せだな。
(第五課)
明治維新マデハ教育ハ殆ド士以上ノモノニ限ラレ百姓ヤ商人ナドノ子供ハ読ミ、書キ、ソロバン初歩ヲ習フニ過ギズ、・・。
殊ニ女ノ教育ハ殆ドカヘリミラレズ、手紙ノ書ケルノハ良イ方デ大多数ハヤツト「イロハ」ガ書ケル程度若シクハ全クノ無学デアツタ。
其他裁縫、生花、礼式、料理等ガ加ヘラレル。
(第七課)
支那幾千年の歴史のうちには偉い学者、政治家は数知れぬ位あつたが、その中でもその人格、教養、学力の点において断然他に勝れ聖人として後人にうやまはれ、その徳の今日に及んで、居るものは孔子に及ぶものはない。
小さい時から学問を好み、成人してから役人となつて魯の君に仕へ、熱心に仕事をしたので大いに成績が良かったのであるが、久しく其の職に居ることが出来ず、とうとう魯の国を去った。
(第八課)
彼は此の後も尚研究に研究を重ね、工夫に工夫を積んで、世に柿右衛門といはれる立派な陶器を製作するに至った。
柿右衛門はひとり我が国内に於いて古今の名工と称せられて居る許りでなく、其の名声は遠く西洋諸国にまで聞えてゐる。
(第九課)
左は日本に於ける雑誌王と称されて居る講談社社長野間清治氏著「栄え行く道」を材料として書いたものである。
(第十課)
柳沢「便利な事と虚栄心との二つからだろうね。随つて小売商のお客は幾軒かの百貨店の為に取られて仕舞ふといふ形になるね。」
(第十一課)
例へば大正十四年十月一日に行われた国政調査の結果によれば我が国内地の総人口は、・・。
(第十二課)
丁度其の時飛下りて来た鳥が傷けられた虫をくちばしにくはへた。
併し彼は城の外にでる毎に、杖にすがるかあい相な老人や、息も絶えさうな病人や、墓場へ送られる死人を眼前に見て、益々人生の悲しみを感じた。
さうして此処で父王から送られた五人の友と、六年の間種々の苦行を試みた。
(第十四課)
マゼランの生まれた年は明らかではないが、西暦千四百八十年頃と言はれてゐる。
(第十五課)
若し此の上航海を続けたら、部下の為に殺されるかも知れない。
永く風波に苦しめられた後、一度海峡を出ると、天候は極めてよく、波は静かに、風は和らいで、如何にも平和の気に満ちてゐた。
マゼランは此の大洋を横断する風波に苦しめられることがなかつたので、平和な海といふ意味で、太平洋と名付けた。
其処に碇泊してゐる中、土人にボートや船具を盗まれたので、マゼランは此処を泥棒群島と名付けた。
マゼランはフィリピン諸島の征服に取りかかつたが、余りに功を急ぎ、自分の力を頼み過ぎた為に、多数の部下を失ひ、自分も遂に土人の為に殺された。
地球の円いといふことの証明せられたのも、此の航海の賜物である。
(第二十六課)
西洋人の精神的乃至物質的生活を何かに纏めて掌の上に載せて見せろと注文されたならば、私は鍵を出して見せようと思ふ。
始めてブリュッセルの素人下宿に這入った時、定められた自分の部屋を見廻して、私は鍵の多いのに驚いた。
此等の鍵を見て、道理から云へば私は安心すべきであらうが、実際は寧ろ浅い不安に襲われた。
其の声を聞く迄は、今ベルで呼ばれた下女でさへも、決して其の戸を開けぬのである。
(第十七課)
前に述べた最新式の大船舶は、実に此の航路に用ひられてゐるのである。
此の航路に使用せられる船舶は、北大西洋航路のものに比すると劣るが、・・。
(第十八課)
六畳の奥の壁には、大きい本棚があり、洋書と和書とが、半分宛位並べられてゐる。
ぬい子。・・わたしが捨てられるのに定まつてゐるのですものねえ。
ぬい子。・・厭になつたわたしに話し掛けられるんですものねえ。
栄作。・・そして夫に知られないやうに、外へ出ようとする。
(第十九課)
芳子。(誇りを傷つけられた如くにブンとして)
栄作。・・男と云ふものはやつぱり男としての意地がありますからね、女房から何か云はれると、男の意地として、つい心にもなく過激なことを云つて仕舞ふのです。
栄作。貴女の場合は、此処まで無事に来られたからいいやうなものの、若し途中の電車の中位で、親切さうな男からでも話を仕掛けられるでせう。
栄作。家を出て、むしやくしやして居ると、寂しいし、つい甘い言葉を掛けられると、その男に頼る気が起るでせう。
栄作。處が、貴女に家出されたむしゃくしゃしで、屹度カフエへ行かれるでせう。
栄作。初めは、貴女の行方を探すつもりで居たのが、この女給に気を取られてゐるので、探す気がなくなる。
(第二十課)
栄作。うむ、困つた。あんな人に居られちや何も書けやしない。
栄作。こんな狭い家に他人に居られちや、気になつて、何も出来やしない。
ぬい子。延長もいいけれど、こんな所へ来て泊られちや迷惑ですわ。
ぬい子。だつて、ゆつくりなんか帰られちや此方が困るわ。
ぬい子。・・(・・。六畳との間の障子は閉められ、栄作は、机に向つてゐる。・・。)
ぬい子。まあ、驚いた。横浜まで持つて行かれちや飛んだ恥をかくところだつた。
(第二十一課)
満三拾歳に達した伯爵、子爵、男爵で同じ爵の中から互選されたもの
国家に功労があり、又は学識のある満三拾歳以上の男子中から勅任された者
満三拾歳以上の男子で帝国学士院会員の中から互選された者
満三拾歳以上の男子で北海道各府県で土地或は工業・商業に就き多額の直接国税を納める百人中より一人、二百人中より二人互選された者
衆議院衆議院議員選挙法によつて国民中より選挙された所謂代議士から成り、其の任期は四年である。
之を通常議会と云ひ、必要に応じて臨時に招集されるものを臨時議会と云ふ。
それは貴族院は解散されることがないからである。
衆議院が解散された時には新に議員の選挙を行ひ、解散の日から五カ月以内に召集せねばならない。
(第二十一課)
これ等三つの弓形と樺太、朝鮮とによつて日本海オホーツク海、東支那海が区別されて居る。
又流の早いことと水量の多いことは、発電に便利であるから、近年水力電気の事業が急に発達し、其の電気は電燈、電車の動力、工場の動力等に広く利用されてゐる。
又川の沿岸の平地は産業・交通に利用され、殊に大きな川の下流や河口付近の沿岸には、割合に広い平地があつて我が国の主なる農業地となり、交通も便利で、都市も多い。
これ等の農産物は大部分が食用に供せられ、一部分が工業品の原料に用ひられてゐるが、製茶・蜜柑が多少輸出されるのみで、其の他は大抵国内の消費に足らず、米でさへも輸入を待たなければならない。
これ等の農産物は大部分が食用に供せられ、一部分が工業品の原料に用ひられてゐるが、製茶・蜜柑が多少輸出されるのみで、其の他は大抵国内の消費に足らず、米でさへも輸入を待たなければならない。
これ等の農産物は大部分が食用に供せられ、一部分が工業品の原料に用ひられてゐるが、製茶・蜜柑が多少輸出されるのみで、其の他は大抵国内の消費に足らず、米でさへも輸入を待たなければならない。
この二品は何れも大部分が、横浜からアメリカ合衆国及びフランス・イギリスに送られるのである。
(第二十三課)
森林は其の面積が我が国の総面積の約五割に当たつて居て、各地で木材が伐出されてゐる。
牛・馬・豚は諸地方でかはれて、大抵需要を充たしてゐるが、我が国は気候・地味・地勢の関係上、牧畜は余り振はない。
いわし・にしんは食料に供せられ、又肥料ともなる。
いわし・にしんの外に、かにの缶詰、するめなども輸出される。
石炭は産額が最も多く、主として九州の北部、北海道・茨城県等で掘り出され、国内の需要を充たし、其の上、支那其の他、東洋各地に輸出される。
石炭は産額が最も多く、主として九州の北部、北海道・茨城県等で掘り出され、国内の需要を充たし、其の上、支那其の他、東洋各地に輸出される。
銅は足尾・別子・日立・佐賀県・小坂等の諸鉱山で採掘・製錬される額が甚だ多い。
それで我が国は世界に於ける銅の主要な産地として認められてゐる。
其の不足の分は主にアメリカ合衆国から輸入される。
(第二十四課)
絹織物の主なるものは羽二重で、生糸と共に大部分がアメリカ合衆国へ、一部分がフランス・イギリスへ輸出せられ、、綿織物・綿糸は支那・印度を主なる市場として居る。
綿は主としてアメリカ合衆国及び印度から、鉄及び鉄材、機械其の他の鉄製品は主としてアメリカ合衆国及びイギリスから、鉄鋼は主として支那から輸入される。
又無線電話も已に賓用に供せられて居る。
(第二十五課)
世界に平和が維持され、全人類が互に親しみ共同して文化の進歩の為努力することは極めて望ましいことである。
兵役に就いては、明治六年に定められた規則に依つて居たのであるが、昭和二年に新たに兵役法が出来、之に代ることとなつた。
そして身体検査、学術検査の結果軍人となるに適すると認められた者は、それぞれの兵種に配当される。
そして身体検査、学術検査の結果軍人となるに適すると認められた者は、それぞれの兵種に配当される。
併し陸軍では、実際に兵営内で訓練を受けるのは一年六ヶ月で、学校で軍事教練を受けたものは八ヶ月乃至一ヶ年に在営年限が短縮されるのである。
○巻四
(第一課)
条約とは国家間に締結される国際法上の約束であつて、其の目的に依り内容には種々あるけれども、・・。
(第二課)
上海ハ専ラ商業ノ都市トシテ知ラレテヰルガ、近時工業モ次第ニ盛ニナツテ、紡績・造船・製粉・製紙、其ノ他ノ諸工場ガ勢ヨク黒煙ヲ立テテヰル。
(第三課)
東方見聞記は、諸国語に翻訳されて今も世に伝はり、歴史家の尊重する記録である。
三人の中マルコが殊に才能があつて、諸国語に通じて居たので、或は外国に使し、或は国務に参与して、非常に重く用ひられたが、支那に留ること拾七年で、三人共にヴェニスに帰った。
マルコは艦長として之に加はつたが、戦いに敗れて捕虜となり、ゼノアの獄中に囚れた。
マルコは後に許されて故郷に帰り、天命を全うして終わった。
又我が日本が、チバンの名を以て、此の書により始めて西洋に紹介せられたのは、吾々にとつて最も興味の多い事である。
王宮は全部黄金でふかれ、床には総べて指二本程の厚さの金の延板を敷きつめてある。
間もなく水素瓦斯を満たした軽気球も発明されて、大いに世人の注意を引いたが、・・。
其の最初の気球はアルミニウム製の骨で長さは四百二十尺、全部が十七区に分たれ、一部に破損を生じても他の区分の瓦斯がもれないやうにしてあつた。
飛行機は十六世紀の頃、既に考案されたが、実際に飛行したのは独逸人リリエンタールで、・・。
次いで英国人ピルチャーは、・・、又もや風に吹き飛ばされて墜死した。
兄弟が・・飛行したのは当時の優勝と認められたが、其の後益々経験を積み、・・。
(第六課)
我々ハ暗夜ニ燈ヲ失ヒ、又ハ耳目ヲ奪ハレタ如ク感ズルデアラウ。
一体新聞ハドウシテ作ラレ、又如何ニシテ我々ノ手ニ達スルノデアラウカ。
世界各国主要ノ地ニハ特派員又ハ通信員ガ置カレテ居ル。
刷上ツタ新聞ハ、直グニ販売部カラ遠近ノ地ヘ発送サレル。
其ノ記事ハヨク三面記事ト言ハレテ居ルケレドモ、・・。
(第七課)
其速度は常に人生の定則の範囲を超えた超スピードは許されて居ない。
自他に安全であること、又そろばんを取つてみて経済的であること、並に之に乗つて愉快であることがスピードに対し許されたる定則である。
最近英国で乗馬と自動車との競争が行はれた。
此の競争は競馬場で行はれたのであつて、・・。
自動車やオートバイの速力は今日一時間八十里から百幾里まで出ると称せられて居るが、・・。
又乗馬にしても巧妙な騎手に依つて操縦されれば楽々と随分早い速力を出すが、・・。
(第八課)
世界平和は遠い昔からの人間の意志であつて、過去に於ても種々の努力が試みられた。
就中著しいのは万国平和会議が前後二回に亙つて、和蘭のヘーグで開かれたことがある。
第一回は明治三十二年即ち西暦千八百九十九年に露西亜皇帝ニコラス二世の発議によつて開かれ、二十六箇国の代表者が集つた。
第二回は日露戦争の翌々年即ち明治四十年(千九百七年)露帝並に米大統領ルーズヴェルトの発議によつて開かれ四十四箇国の代表者が集つた。
連盟理事会は日・英・仏・獨・五ヶ国の代表者(常任理事国)と総会に於て其他の国から選定せられた九ヶ国の代表者(非常任理事国)とから成り総会に於ける議案を作製し、総会で議決したことを実行するのである。
(第九課)
三歳の時父を失ったので、母の手一つで育てられた。
諭吉は其の頃横浜に行つて外人の店へ寄つたが、オランダ語では全く用が足らず、世界の言語中、英語の最も広く行はれる事を聞いて、是より熱心に英語の研究を始めた。
文久元年(千八百六十一年)幕府が使節をヨーロッパに派遣した時諭吉も選抜され同行を命ぜられて、フランス・イギリス・オランダ・ドイツ・ロシヤ・ポルトガル等の諸国を巡視した。
文久元年(千八百六十一年)幕府が使節をヨーロッパに派遣した時諭吉も選抜され同行を命ぜられて、フランス・イギリス・オランダ・ドイツ・ロシヤ・ポルトガル等の諸国を巡視した。
人々によく了解することが出来、其の著書は広く世人に読まれたのである。
(第十課)
「仮にと仰有つても、事実そんな事を頼めば叱りつけられますから、どうでもして自分で取りますわ。」
(第十一課)
明治維新後、旧大名ノ権力ハ凡テ中央政府ノ手ニ収メラレタ。
然シ憲法発布前後ニ至ツテ、地方自治ノ制度ガ布カレ、府県ハ自治国体デアルト共ニ・・。
唯前術ノ如ク立法・司法・行政ノ三権ハ総督ノ権力下ニ統一サレテ居テ植民地人ニハ兵役ノ義務無ク、衆議院議員選挙法モ施行サレテ居ナイカ帝国議会ニモ代表サレズ、特殊ナ行政ガ行ハレテ居る訳デアル。
唯前術ノ如ク立法・司法・行政ノ三権ハ総督ノ権力下ニ統一サレテ居テ植民地人ニハ兵役ノ義務無ク、衆議院議員選挙法モ施行サレテ居ナイカ帝国議会ニモ代表サレズ、特殊ナ行政ガ行ハレテ居る訳デアル。
唯前術ノ如ク立法・司法・行政ノ三権ハ総督ノ権力下ニ統一サレテ居テ植民地人ニハ兵役ノ義務無ク、衆議院議員選挙法モ施行サレテ居ナイカ帝国議会ニモ代表サレズ、特殊ナ行政ガ行ハレテ居ル訳デアル。
官吏ハ・・、強制サレルコトハナイ。
兵卒ハ臣民ノ義務トシテ強制的ニ召集サレルノデアルカラ官吏デハナイ。
高等官中任官ノ形式ガ親任式ヲ以テ行ハルルモノヲ親任官ト云ヒ、親任式ニヨラズシテ勅任セラルルモノヲ勅任官ト云ヒ、内閣総理大臣及ビ各省大臣ノ推薦ニヨリ任命サレルモノヲ奏任官ト云フ。
高等官中任官ノ形式ガ親任式ヲ以テ行ハルルモノヲ親任官ト云ヒ、親任式ニヨラズシテ勅任セラルルモノヲ勅任官ト云ヒ、内閣総理大臣及ビ各省大臣ノ推薦ニヨリ任命サレルモノヲ奏任官ト云フ。
高等官中任官ノ形式ガ親任式ヲ以テ行ハルルモノヲ親任官ト云ヒ、親任式ニヨラズシテ勅任セラルルモノヲ勅任官ト云ヒ、内閣総理大臣及ビ各省大臣ノ推薦ニヨリ任命サレルモノヲ奏任官ト云フ。
(第十二課)
尤も書いてある記事が・・、事実といふ事は別問題として、単に昔の人の画かれた考として見るだけでも色々の意味で面白い事が沢山にある。
若し何か自分の悪事が見付かって罰せられさうになると、大急ぎでその毒を呑んで自殺しようとする。
それにも拘わらずこの様な事が繰り返されて居たとすれば解毒剤の効力の及ばない場合が相当に多かつたのかも知れない。
若し出れば死刑に処せられる。
かういふ法律は、今日では賛成者が少さうに思はれる。
(第十三課)
「煙草を呑むな」と云ふことを「・・」などと直訳して笑はれた事は、よく耳にする話である。
人の感情は顔に現れる様に造られて居るのである。
それ故恥づかしい時には袖で顔を隠したり、顔を脇へ向けて人に見られない様にする。
「・・」と言はれるのは斯ういふ時である。
叱られる方では「大目玉を食ふ」と感ずる。
又目は判断力の意味に用ひられ「目が利く」、「目が高い」などの慣用句を作る。
(第十四課)
鼻は高いのが上等と思はれたから自慢することを「鼻に懸ける」と云ひ、・・。
そんな人は気を付けるないと「鼻を折られる」。
「鼻つまみ」は他人に嫌はれるの意味であるが、・・。
所が「口車に乗せられる」のはだまされるのであるから用心が要る。
所が「口車に乗せられる」のはだまされるのであるから用心が要る。
口は又就職先や嫁入り先などの意味に用ひられ、「口を捜す」「口がある」などといふ。
「耳にする」、「耳に這入る」など共に聞くの意味に用ひられる。
「腹が減る」、「腹がふくれる」は当然の事であるが、此処も感情を表す所と見られて「腹が立つ」といふのは考へれば面白い。
手や腕が能力とか仕事や仕事をする人などに関連して用ひられることは一寸考へて見れば直ぐ判ることであつて、・・。
「足を洗ふ」といふのは可なり違つた意味に用ひられ、芸者や女郎などの様ないやしい商売を止めて正しい職業に就く場合に用ひられる。
「足を洗ふ」といふのは可なり違つた意味に用ひられ、芸者や女郎などの様ないやしい商売を止めて正しい職業に就く場合に用ひられる。
之は鎌倉時代にも既に用ひられて居たのである。
(第十五課)
財政ノ二大要素ハ収入ト支出デアツテ、之ハ年ヲ以テ単位トスルガ故ニ通常歳入・歳出ト呼バレル。
効力上ノ特色ハ政府ノ支出ハ絶対ニ予算ニヨッテ拘束サレ、予算ニ依ラナケレバ一銭一厘デモ支出シ得ナイコトデアル。
予算外或ハ予算超過ノ支出ヲナスコトモ差支ナイガ国家ノ予算デハ厳禁サレテ居ル。
各省間ニ猛烈ナ予算争奪戦ガ行ハレ、又大蔵当局トノ交渉ガ行ハレルガ結局或所デ妥協一致スルノガ普通デアル。
各省間ニ猛烈ナ予算争奪戦ガ行ハレ、又大蔵当局トノ交渉ガ行ハレルガ結局或所デ妥協一致スルノガ普通デアル。
歳出ハ経費ノ性質ニ関係ナク各省ニ区分サレテ・・。
政府ノ歳出ハ凡テ予算ニヨリ拘束サレルノデアルガ已ムヲ得ザル突発的事情ノ発生ニヨリ予算外ノ支出ヲ余儀ナクサレルコトガアル。
政府ノ歳出ハ凡テ予算ニヨリ拘束サレルノデアルガ已ムヲ得ザル突発的事情ノ発生ニヨリ予算外ノ支出ヲ余儀ナクサレルコトガアル。
例ヘバ洪水ヤ地震ノ為道路ヤ橋ガコハレタトスル。
此ノ必要ニ充テル為予備費ナルモノガ設ケラレテ居ル。
而シテ之ガ合法的ニ実施サレテ居ルヤ否ヤヲ・・。
(第十六課)
同情深い妻の言葉に、主人は心を動かされ、・・。
「・・。私は佐野源左衛門常世と申して、元は三十余郷の領主、それが一族共に領地を奪はれて此の通りの始末で御座います。」
一語一語、心の底から出る主人の物語に、非常に心を動かされた旅僧は、両眼に涙を浮かべて聞いて居た。
やがて常世は御前に召された。
(第二十七課)
百七十名の乗組客中百二十九名は菊水丸に救助されたが約四十名は行方不明、・・。
昨日から曇り勝なので何うかと思はれた所、・・。
海軍大佐ジョン・バッス氏も重傷後死亡した旨公表された。
尚国民政府の露支国交断絶に関する宣言は明二十日公表される筈。
次の政府が将来如何なる政策を採るかに就て財界・政界共甚大なる興味と関心とを以て論議されて居るがル氏政府が憲法修正に努力することは既定の事実とみられ、氏は就任早々差当り麦酒の飲用を合法化するものと期待される。
次の政府が将来如何なる政策を採るかに就て財界・政界共甚大なる興味と関心とを以て論議されて居るがル氏政府が憲法修正に努力することは既定の事実とみられ、氏は就任早々差当り麦酒の飲用を合法化するものと期待される。
次の政府が将来如何なる政策を採るかに就て財界・政界共甚大なる興味と関心とを以て論議されて居るがル氏政府が憲法修正に努力することは既定の事実とみられ、氏は就任早々差当り麦酒の飲用を合法化するものと期待される。
財政政策では現共和当政府のそれと大きした変化は期待されないが、・・。
大体に於て親日とは行かぬ迄も従来よりも協調的態度をとるものと見られて居る。
挙国一致内閣の組織に就き希望を述べたが独逸政界の現状から察すればその実現の可能性に乏しいものとみられて居る。
(第十八課)
十一月となり、十二月となり、職場は雪や氷に閉ざされて仕舞つた。
蝋燭の火に照らされた大将の蒼い顔を見ると、それ以上のことが中佐の口から漏らし兼ねた。
中佐の口から我ともなしに吐出された。
併し刀・槍など武士の魂と呼ばれる物は何時もきらきら光つて居たといふことである。
此の父母の下に、此の家に育つた乃木大将が終生、忠実質素で押通して武人の手本と仰がれる様になつたのは誠にいはれのないことではない。
(第十九課)
以前市街が城壁で囲まれて居た時代の出入口だが今でも城壁は大部分昔の面影を留めて居るし他の門も主なるものは昔建てられた儘に残つて居る。
以前市街が城壁で囲まれて居た時代の出入口だが今でも城壁は大部分昔の面影を留めて居るし他の門も主なるものは昔建てられた儘に残つて居る。
龍山は・・両方が町続きになつて今では京城編入されて居る。
随つて傘などは厄介物扱いされる訳だ。
(第二十課)
佐久間は冷淡と思はれる程落ち着いた調子で答へる。
伯爵 大勢の人に挨拶されるのは面倒だから暫く此処に居よう。
三宅 御用学者達の呆気に取られた顔が見物ですな。
伯爵 そして誤られて居る維新史を多少なりとも訂正したいのだ。
三宅 怪しまれるといけませんから失礼いたしませう。
佐久間 子供の時から余り厳しくやられ過ぎたからさ。
佐久間 さう言はれると恐縮だ。
○巻五
第一部
(第一課)
元帥はその頃建てられた開成所といふ陸海軍学校に入学したが、・・二十四歳の時明治政府の軍艦の見習士官に任命され、英国海軍将校の下で約三ヶ月訓練を受けた。
元帥はその頃建てられた開成所といふ陸海軍学校に入学したが、・・二十四歳の時明治政府の軍艦の見習士官に任命され、英国海軍将校の下で約三ヶ月訓練を受けた。
元帥も其の選に加へられて、いそいそと浪路遥かに渡英の途に上った。
明治十一年(一八七八年)日本政府が英国に建造を依頼した三隻の軍艦の一隻比叡の回航員となり帰朝し同年七月海軍中尉に任ぜられた。
(第二課)
日本と清国との関係が非常に緊張して今にも戦端が開かれんとした時、・・。
規律も厳しくなく訓練にも不充分な所が見受けられた上に、・・。
郷中将は再び常備艦隊司令長官となり、次いで連合艦隊が組織されると共に其の長官となり、日露宣戦布告されるや旅順を・・。
郷中将は再び常備艦隊司令長官となり、次いで連合艦隊が組織されると共に其の長官となり、日露宣戦布告されるや旅順を・・。
電報「・・」は飛ばされた。
二時二分得意の丁字戦法は日本海上に描き出された。
戦後大将は戦功を以て国家の最高勲章たる大勲位菊花大綬章並びに功一級金鵄勲章を賜はり伯爵を授けられた。
大正天皇御即位後元帥府に列せられ、大正三年には東宮御学問所総裁を仰付けられ、・・。
大正天皇御即位後元帥府に列せられ、大正三年には東宮御学問所総裁を仰付けられ、・・。
(第三課)
ソレノミナラズ人ハ又反対に自然ソノモノニ支配サレル。
個人ノ場合ニ於テモ此ノ理ヲヨク会得シテ置カナイト米国ノ会社デ非常ニ有利ニ利用サレテ居ル・・。
気候及ビ地勢ノ如何ガ一国経済ノ発達ニ大ナル影響アルコトハ・・一般的ニ知ラレテ居ルコトデアル。
最近燃料トシテノ石炭ノ重大位置ガ石油ニヨツテトツテ代ラレントスルニ至ルヤ、・・。
(第四課)
此の中の誰の心が一番よく練れ一番尊く磨かれて居たか。
或歌自慢の人が私を訪ねて歌を見て呉れと請はれた。
(第五課)
都合十六隻の商船が或は捕獲され、或は沈められ、その犠牲となつてひどい目に逢つた。
都合十六隻の商船が或は捕獲され、或は沈められ、その犠牲となつてひどい目に逢つた。
これが為にエムデンの名は、一時海の魔物として恐れられ、航行の汽船は何時エムデンより砲丸の御見舞を受けるか判らずびくびくものであつた。
殊に彼の愛国心に至つては、如何なる武人も及ばぬ所がありはすまいかと思はれる程であつた。
此の二艦は豪州から欧州に向けて派遣された陸軍軍送船の護衛艦であつたが、・・。
九時四十分に戦闘は先づエムデンから開始された。
却つてシドニーからの砲弾の為に前方の煙突を打ち折られ、航行の不自由を感ずることとなつた。
これぞ元の英国石炭輸送船ブレスクで、エムデンに捕獲され、今ではエムデンの為に諸種の補給をして居るものであつた。
如何に苦戦であつたかは之によつて察せられるであらう。
(第六課)
海相の進退問題は再燃し、其の病状は重視せらるるに至つた。
海相の辞職は・・議会開始前に実現するのではないかと見られて居る。
例年の陸軍観兵式は八日午前十時より、代々木練兵場に於て挙行された。
(第七課)
我国ニハ久シク専制政治ガ行ハレテ居タガ、明治二十年(千八百八十九年)憲法ガ発布サレ、翌二十三年帝国議会ガ開設サレテヨリ立憲政治ガ行ハレル様ニナツタ。
我国ニハ久シク専制政治ガ行ハレテ居タガ、明治二十年(千八百八十九年)憲法ガ発布サレ、翌二十三年帝国議会ガ開設サレテヨリ立憲政治ガ行ハレル様ニナツタ。
我国ニハ久シク専制政治ガ行ハレテ居タガ、明治二十年(千八百八十九年)憲法ガ発布サレ、翌二十三年帝国議会ガ開設サレテヨリ立憲政治ガ行ハレル様ニナツタ。
我国ニハ久シク専制政治ガ行ハレテ居タガ、明治二十年(千八百八十九年)憲法ガ発布サレ、翌二十三年帝国議会ガ開設サレテヨリ立憲政治ガ行ハレル様ニナツタ。
我ガ立憲政治ハ・・基礎ハ既ニ定メラレ、明治八年四月ニハ新タニ元老院及ビ大審院ヲ設ケラレ、六月ニハ第一回地方官会議ヲ開催サレタ。
我ガ立憲政治ハ・・基礎ハ既ニ定メラレ、明治八年四月ニハ新タニ元老院及ビ大審院ヲ設ケラレ、六月ニハ第一回地方官会議ヲ開催サレタ。
我ガ立憲政治ハ・・基礎ハ既ニ定メラレ、明治八年四月ニハ新タニ元老院及ビ大審院ヲ設ケラレ、六月ニハ第一回地方官会議ヲ開催サレタ。
各府県ニ府県会ヲ設ケラレタ。
翌二十三年十一月、第一回帝国議会ハ召集セラレ、ココニ我ガ立憲政治ハ確立ヲ見ルニ至ツタ。
斯クシテ帝国憲法ハ外国ノ例ニ見ルガ如キ何等ノ流血ヲ見ルコトナクシテ発布セラレ立憲政体トナツタ。
人民ハ法ニ由ルノデナケレバ強制サレルコトモナク罰セラレルコトモナイ。
人民ハ法ニ由ルノデナケレバ強制サレルコトモナク罰セラレルコトモナイ。
(第八課)
切腹は全公使立会の下に行はれ、・・。
切腹が最も広く武士の間に行はれる様になつたのは、源平時代以後のことで、・・。
敵の手にかかつて残酷な殺し様をされる辱めを受けるのは名誉ある武士の対面を汚すことの・・。
敵軍の為に幾月か包囲され、城中弓矢尽き、・・。
此の時代の頃から、切腹は刑の執行方法として用ひられる様になつた。
而も切腹は身分ある武士に対する処刑としてだけ用ひられ、身分の低い雑兵はこれに与ることを得なかつた。
義士の面々は・・当時の法令に由り当然強盗殺人と同一視されて、討首にされることと思つて居たからである。
義士の面々は・・当時の法令に由り当然強盗殺人と同一視されて、討首にされることと思つて居たからである。
(第九課)
間もなく書生の手で、私は用心深く下ろされた。
案の定、私は母から烈しく叱られた。
後年もこれを憶ふたびに、いつも私は涙に誘はれた。
私は突き返されるたびに、遮二無二打突かつて行つた。
間もなく私は父の膝の下に組み敷かれて了つた。
私は手を放されても、未だ泣止めることが出来なかつた。
(第十課)
当時休職引退して居たヒ元帥は俄に東方正面軍司令官に任ぜられた。
空前の大会戦と称せられるマルヌの決選に於て・・。
四里許り退却を余儀なくされ、防戦三日、決然踏み留まつたが容易に進出しない。
(第十一課)
幾百株の柏の林は、赤褐色の葉が霜にうたれて縮んで居るが、・・。
湿気と埃との二つから、全く解放されて居る。
濁つた重苦しい都会の空気に抑へ付けられて居た人間の魂が、・・。
錦の様な山々の懐に抱かれて、平和な山村が秋の日を浴びて輝いて居る。
(第十二課)
即チ国務ニツイテハ・・外部ニ発表サレルコトハナイ。
唯我ガ官制ニ於テハ原則トシテ此ノ両資格ヲ同一人ニ当テラレルヲ以テ、・・。
故ニ国務大臣ハ・・辞職ニヨ由ツテ其ノ責任ヲ解除サレル。
枢密院ハ議長、副議長及ビ顧問官二十四名ヲ以テ組織セラレ、何レモ親任官デアル。
然シコノ事ハ枢密院ガ合議体ナルコト及ビ国務大臣モソノ議決ニ参加シ得ルコト等ノ理由ヨリシテ実際上ハ行ハレ難ク、・・。
結局国務大臣ガ枢密院会議デ顧問等ノ反対ニ遇ヒ敗レタル時ハ自己ノ不可トスル意見ガ採用サレルコトニ就キ責任ヲ負ハネバナラヌコトニナルカラ・・。
(第十三課)
ツエベリン伯号は少しの動揺もなく地上を離れて、極く軽く蹴られた風船玉のやうにゆるやかに百廿五メートルの高さまで直線的に舞ひ上つた。
燃料節約は固より、斯うすれば大事な発動機に時々休息が与へられる。
(第十四課)
見下す下界はいつの間にか一面の白煙に包まれ、全く展望がきかない。
恐ろしい雷雨に見舞はれて土産話をつくるのではないかと案じられたが、・・。
恐ろしい雷雨に見舞はれて土産話をつくるのではないかと案じられたが、・・。
海上も空も濃霧に覆われて眺望を遮られて居たが・・。
海上も空も濃霧に覆われて眺望を遮られて居たが・・。
(第十五課)
乃木将軍追憶の集ひに招かれた一人に乃木第三軍司令官の高級副官退役歩兵大佐塚田清市(七九)氏がある。
同氏によつて今迄廿八年間世に秘められて居た将軍の凱旋美談が話し出された。
同氏によつて今迄廿八年間世に秘められて居た将軍の凱旋美談が話し出された。
日支紛争事件に関する十九ヶ国委員会は英国委員の奔走にも拘わらず小国の盲目的強硬態度に操られ未だ打開策発見見せられず、・・。
日支紛争事件に関する十九ヶ国委員会は英国委員の奔走にも拘わらず小国の盲目的強硬態度に操られ未だ打開策発見見せられず、・・。
(第十六課)
勤先から帰って見ると清から麻布の局の消印のある速達で突然上京したから今晩お訪ねするといふ葉書が来て居た時には全く夢かと思はれた。
机の上はきちんと片付いて居て上には読みさしの婦人雑誌と清からの速達が置かれ、一輪ざしには紅い造化のバラがさしてある。
縁側には自炊に使ふらしい鍋や瀬戸物などの器と小さい牛乳の瓶が本棚を利用した低い棚の上に並べられ、その前には、・・。
石けんとぬれた手拭とが籠に入れた儘置かれてあつた。
そして如何にも見られまじきものを見られたとでもいふ風に、いきなりあわてて手で隠した。
そして如何にも見られまじきものを見られたとでもいふ風に、いきなりあわてて手で隠した。
(第十七課)
最大排出量ガ制限サレタノデ現ノ如クナツテ居ルガ、・・。
備砲ノ口径ハ八吋以下ニ制限サレタノデアルガ我ガ海軍ニハ・・。
軽巡洋艦ハ船体ガ小サク軽快ナノガ特徴デ数隻デ戦隊ヲ編成シタリ水雷戦隊ノ旗艦トナリ外国警備ニ派遣サレタリスル。
飛行機ノ発着ハ甲板上デ行ハレ・・。
甲板ニハ魚雷発射管ヲ多数備ヘ、・・見張リ其他ニ使用サレ、・・。
十時間以上ニナルト炭酸瓦斯ガ蓄積サレルカラ・・。
掃海艇ハ機雷戦ノ防御方面ヲ担当スルモノデ艦隊航行ニ当ツテ其ノ前路ニマカレタ敵ノ機雷を掃除スルモノデアル。
甲乙二隻ノ間ニ鋼鉄製ノ太イ針金ヲ引張ツテ沈メラレテアル機雷ヲ捕ヘ・・。
(第十八課)
全く反対の意味のことわざが共に世に行はれて居るのは此の訳である。
以下普通に行はれて居ることわざを少しつなぎ合わせて挙げてみよう。
世に天才は生まれるもので、作られるものではないといふ。
其の天才を発揮し発達させるに適した境遇が与へられぬと往々にして「宝の持腐れ」となる。
(第十九課)
お父さんはダニエル、お母さんは同じ名のハンナと言ひ女史はその一人娘として育てられた。
唯一人残されたリデル女史は伝道の道に入った。
女史は初めて日本・熊本・阿蘇山地震の四つを強く印象づけられた。
そして翌年一月当時の九州の文化の中心熊本へ赴任を命ぜられ、五高の学生に対する伝道の傍ら、・・。
私は其の美しい眺めにしばし心を奪はれて居ましたがそれも一瞬時に過ぎませんでした。
而もその悉くが顔面と言はず手足と言はず癩病の為に懐しい我が家を追はれ、定住する所もなく、・・。
女史は当時許された三ヶ月を限り熊本に滞在し其の期間が切れると居留地たる長崎に帰らねばならなかつた。
世に捨てられた病人達の為に祈り彼等と「友」としての交りを始めた・・。
併し博愛の精神其の物の如き女史の熱情はやがて酬いられる時が来た。
故国の友人より激励の言葉と共に相当の補助金を贈られたので勇躍した女史は・・。
(第二十課)
予て本妙寺で親しく慰めの言葉をかけられて居た病者達は新しい我等の天国とばかりに回春病院に集まつた。
だが、凡そ世の中で此の病気位他人に嫌悪され、排斥され、其の結果患者自らの自尊心を失はしめるものは他に類がない。
だが、凡そ世の中で此の病気位他人に嫌悪され、排斥され、其の結果患者自らの自尊心を失はしめるものは他に類がない。
回春病院が開かれて間も無く明治三十三年招かれて院長に就任しリデル女史と力を・・。
回春病院が開かれて間も無く明治三十三年招かれて院長に就任しリデル女史と力を・・。
昭和二年十一月在職の儘永眠する迄患者達に慈父の如く敬はれた誠に得難き徳望の士であつた。
大願を立て身命を抛つたリデル女史の努力はここに完全に酬いられたのである。
寄る年波に体の自由も思ふに任せぬながらも手押車に乗せられながら親しく病者を訪ねて慰安に努めて居た「病者の慈母」は一人の愛姪ライト嬢に看護されながら・・。
寄る年波に体の自由も思ふに任せぬながらも手押車に乗せられながら親しく病者を訪ねて慰安に努めて居た「病者の慈母」は一人の愛姪ライト嬢に看護されながら・・。
葬儀の日には東伏見宮妃殿下より御花輪を霊前に贈られるの光栄に浴した。
斯くて其の遺骨は生前の遺言に基き院内の納骨堂に納められた。
そして患者達の遺骨に囲まれて死しても尚病者の慈母として・・。
第二部
(練習第六十)
出ル杭ハ打タレル。 出る杭は打たれる。
彼ハ人ニ憎マル。 彼は人に憎まれる。
此ノ新聞ハ広ク読マル。 此の新聞は広く読まれる。
其ノ名海外ニマデ知ラル。 其の名が海外にまで知られている。
親切ハイツカ報イラル。 親切はいつか報いられる。
通行人馬ニ蹴ラル。 通行人が馬に蹴られる。
首相暗殺セラル。 首相が暗殺される。
(練習第六十)
井上蔵相ハ暴漢ニ殺サレタリ。 井上蔵相は暴漢に殺された。
我幼ニシテ父母ニ死ナレタリ。 私は小さい時父母に死なれた。
彼ハ此ノ大任ヲ任セラレタリ。 彼は此の大任を任された。
彼ハ反対黨ヨリ大ニ攻撃セラレタルモ屈セザリキ。 彼は反対黨から大層攻撃されたけれども屈しなかった。
(練習第六十二)
聖書ハ世界中最モ広ク読マルル書ナリ。 聖書は世界中で一番広く読まれる本である。
見ラルル如キ荒屋ナレドモ入リテ休マレヨ。御覧の様な荒屋ですが這入つて御休み下さい。
飲メザル酒ヲ強ヒラルルハ困ルコトナリ。 飲めない酒を強ひられるのは困ることである。
彼ガ尊敬セラルルハ其ノ高キ人格ノ為ナリ。彼が尊敬されるのは其の高い人格の為である。



(第四課)
此ノ神社ヲ建テラレタルハ明治二年ニシテ社殿ハ上古ノ風ヲ移シテ造リ、・・。
本社ノ大祭ハ毎年二回春秋ニ行ハル。
近年マデハ春ハ五月、秋ハ十一月ニ行ハレシガ今ハ春祭ハ四月三十日、秋祭ハ十月二十三日ニ行ハルルコトトナレリ。
近年マデハ春ハ五月、秋ハ十一月ニ行ハレシガ今ハ春祭ハ四月三十日、秋祭ハ十月二十三日ニ行ハルルコトトナレリ。
両度ノ大祭ニハ必ズ勅使ヲ遣ハサレ陸海軍将卒ノ参拝アリ、・・。

○巻六
第一部

(練習)
甘言ニ惑ハサルル(コト)勿レ。(39) 甘言に惑はされるな。
彼ノ葬儀ハ青山ニ於テ行ハレタリ。(56) 彼の葬儀は青山で行はれた。

(第二課)
ボートハヤガテ福井丸ノ傍ニ下サレテ一同乗リ移レリ。
ボートハ水ニ落ツル弾丸ノシブキニ包マレタリ。
中佐ハ一片ノ肉塊ヲボートニ残シテ海中ニ葬ラレタリ。
(第三課)
然れども日光街道の杉並木の如きは・・これに匹敵するもの世界中にも少しと称せらる。
東照宮の造営せられし時各大名は争ひて高価なる灯篭などを献ぜり。
(第四課)
正成果タシテ戦死シテ、其ノ首ハ家ニ送ラレタリ。
(第五課)
第十九條 日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ應シ等シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第二部
(第一課)
それが為に今まで単に一方言として卑しまれて来た東国語が甚だしく当時の標準語たる京都語に影響を与へ京都語は漸次昔日の地位を失ふに至つた。
鎌倉時代も・・東西方言の混和に伴つて国語史上稀に見る程の大変化が行はれたのである。
書簡文も国語化された漢文調を用ひたのであるが、これには平安朝期から大いに用ひられた「候」といふ語を極めて多く使用したので所謂「候文」と称する書簡文書用体を生ずるに至つたのである。
書簡文も国語化された漢文調を用ひたのであるが、これには平安朝期から大いに用ひられた「候」といふ語を極めて多く使用したので所謂「候文」と称する書簡文書用体を生ずるに至つたのである。
(第二課)
然れども入墨を施すことは今は全く禁ぜられたり。
殺したる熊の頭は垣に懸けて永く保存するを以て垣の上には多くの頭蓋風雨に曝されて残れり。
(第三課)
而も其の三権が独立して互に犯さるることなきは立憲政治の特色である。
裁判官はまた他の行政官と異り終身官であり、刑法の宣告又は懲戒処分による外、其の職を免ぜらるることがない。
原則上其の本人の同意なくして転任、停職、免職せらるることなく減俸せらるることすらないのである。
原則上其の本人の同意なくして転任、停職、免職せらるることなく減俸せらるることすらないのである。
行政官庁の違法処分により侵害されたる権利の救済を目的として居る。
凡そ裁判は訴訟があるによつて行はれる。
訴へる者を原告、訴へらるる者を被告といふ。
愈々公判となれば原則として一般に公開される。
(第四課)
学問の進歩に伴なひて種々の書籍も此の時代に選ばれたり。
此等の書物は多く漢文にて綴られ漢字の使用漸く盛となり、・・。
其の音と訓とを以て国語を記す方法も亦行はれたれば、・・。
萬葉集といふ歌集も選せられたり。
歳末の除夜に「豆まき」の式を行ふことなどは大抵奈良朝時代に唐より伝はれるものにして今も尚行はる。
(第五課)
吾々は子供の時から嘘を言うてはならぬものだということを充分に教へ込まれて居る。
終には本当に羊を狼に食われて仕舞つた羊飼の少年の話が自然と浮かび出る。
それ程、吾々の頭には嘘を言うてはならぬといふことが深く刻み込まれて居る。
所がそれ程刻み込まれて居るにも拘らず、世の中には嘘が沢山横行して居る。
已むを得ざる嘘、已むを得るに拘らず言ふ嘘、密かに言はれて居る嘘、大つぴらに行はれて居る嘘、否時には法律に依つて保護された−。
現今世に行はれて居る裁判が兎角人情に適しないとか冷たくて・・。
然らば越前守が斯くの如く賞賛され講談にまで伝へられる程人気があつたのは果たして何故であらうか。
然らば越前守が斯くの如く賞賛され講談にまで伝へられる程人気があつたのは果たして何故であらうか。
越前守の裁判が何故に人情の機微を穿つた名裁判と言はれるのであらうか。
例へば羅馬の如きでも片輪の児を殺した母をして殺人の罪を免れしむるが為に屢々「鬼児」の法理を応用したと謂はれて居る。
乙から損害賠償請求の訴が起されても・・。
斯くすることによつて裁判官は欺かれて厳かに離婚を言い渡す。
故に西洋でも実際に於て当事者の協議により離婚が行はれて居て、・・。
(第六課)
弘法大師の号を贈らる。
此の二僧は・・世人に尊ばれたれば、これより此の両宗専ら行はれたり。
これより先平仮名片仮名案出せられ、国語を記すこと容易となりたれば国文学は著しく進みたり。
仮名文字は平易なるより、女文字といはれ主に女子の間に行はれて女流の文学を発達せしむる助となれり。
仮名文字は平易なるより、女文字といはれ主に女子の間に行はれて女流の文学を発達せしむる助となれり。
一条天皇皇后上東門院に召されて其の師となれり。
源氏物語は当時に於ける上流社会の人情風俗を写せる麗しき名文にて古今の名文と称せらる。
枕草子も世に稀なる名文として源氏物語と並称せらる。
又当時の貴族は大いに仏教を信仰し御堂を建つること行はれたり。
其の中に安置せらる仏像及び壁書は藤原時代の美術の好標本と称せらる。
(第七課)
世界経済会議は昭和八年六月十二日午後三時厳かに開かれた。
これは年を逐うて失業者数の増加せることによつて余りに明瞭に示されて居る。
協力の価値とが新たに認識されるに至つた。
(第八課)
又尚武の時勢につれて仮名交じり文を以て綴れる平家物語源平盛衰記等の軍記物語出でて広く人々に愛読せられ、中にも平家物語は琵琶に合せて歌はれ、長く世にもてはやさる。
又尚武の時勢につれて仮名交じり文を以て綴れる平家物語源平盛衰記等の軍記物語出でて広く人々に愛読せられ、中にも平家物語は琵琶に合せて歌はれ、長く世にもてはやさる。
又尚武の時勢につれて仮名交じり文を以て綴れる平家物語源平盛衰記等の軍記物語出でて広く人々に愛読せられ、中にも平家物語は琵琶に合せて歌はれ、長く世にもてはやさる。
和歌はさすがに京都に於て盛に行はれ著名なる歌人藤原定家西行法師などあり。
伝ふるものは世にいふ百人一首にして今に至るまで珍重せらる。
上流の間には主として禅宗行はれたり。
禅宗の行はるるにつれ・・。
(第九課)
それが広狭種々に累ねられ結合されて、大小高低種々の建築物となつて居る。
それが広狭種々に累ねられ結合されて、大小高低種々の建築物となつて居る。
日本式の料理屋でも可なりに大きい宴会が催されぬこともないが、・・。
(第十課)
種々無理なる注文が全体の為に要求さるる事となる。
全体との釣合を保つ為に、或は枝を切られ、又は幹を曲げられ、非常な抑圧を加へられつつ甚だ窮屈なる思ひをして生を保つて居るのである。
全体との釣合を保つ為に、或は枝を切られ、又は幹を曲げられ、非常な抑圧を加へられつつ甚だ窮屈なる思ひをして生を保つて居るのである。
全体との釣合を保つ為に、或は枝を切られ、又は幹を曲げられ、非常な抑圧を加へられつつ甚だ窮屈なる思ひをして生を保つて居るのである。
(第十三課)
八日の朝には室戸岬に流れ着くべしと期待せしが風波に妨げられて果さず、・・。
遂に暗礁の為、舟を破られ泳ぎ着きて漸く溺死を免れたり。
一同は天にも昇る心地して必死に救を求め遂に救助さるるを得たり。
土佐藩にては万次郎を士分に取立てしが、翌年幕府に召さる。
偶々米国の使節ペリー提督来朝の事ありしより、万次郎は漸く用ひらるるに至りぬ。
之が随行を命ぜられ、帰途布哇に寄港し、・・。
元治元年(1864年鹿児島藩に招かれ、軍艦を教授し、明治元年(1868年)再び高知藩に召されて、百国を給せらる。
元治元年(1864年鹿児島藩に招かれ、軍艦を教授し、明治元年(1868年)再び高知藩に召されて、百国を給せらる。
後開成学校中博士に任ぜられ、三年大山巌、林有造等と共に・・。
(第十二課)
雨の趣味が発揮されるのである。
数時間も降り続いて居る中におのづと其の趣味が味はれるのである。
雨の色は余り趣味に関係しないが、雨によつて湿らされた色は甚だ趣味の深いものである。
(第十三課)
雪舟は早くより天才を以て知らる。
日夜筆をのみ手にしたれば或日師の僧に戒められて柱に縛せらる。
雪舟は捕せられたる儘・・。
太平記は文章流麗にして大いに世人に愛読せられたり。
(第十四課)
所が翌日の夕飯の膳部が吉宗公の前に差上げられたのを見ると木芽田楽は影も形も無いのであつた。
だが田楽が調理されて御膳に差出された時は吉宗公はもう食事を了つて食後のお湯を召上つて居た。
だが田楽が調理されて御膳に差出された時は吉宗公はもう食事を了つて食後のお湯を召上つて居た。
(第十五課)
翻訳の書物も発行せられ、・・。
其の頃伝へられし外国語の今日国語として通用するもの尠からず。
(第十六課)
慶事必ずしも安心を許さぬことのたとへに用ひられる句である。
翁の子は不具の為出征を免除され余生を楽しむことができた・・。
呉王に破られた越王は余兵を以て会稽山に進み散々に打破られ、遂に呉王に降伏して辛うじて帰国を許された。
呉王に破られた越王は余兵を以て会稽山に進み散々に打破られ、遂に呉王に降伏して辛うじて帰国を許された。
呉王に破られた越王は余兵を以て会稽山に進み散々に打破られ、遂に呉王に降伏して辛うじて帰国を許された。
(第十七課)
諸大名の間にも学者を招聘して政治上の顧問とし、教学を掌らしむること次第に行はれたり。
斯く全国各地に私塾開かるると共に各町村には寺子屋ありて・・。
柔術、槍術等を教授する道場は全国到る所に設けられたり。
江戸時代には直垂など武家の正装と定められ、・・。
袴・羽織・袴の類、広く土民の間に用ひられたり。
元禄の頃は人々太平に慣れて漸く遊情に流れ、奢の風一般に行はれしかば、服装も甚だ華美となりぬ。
其の著せる道中膝栗毛は大いに世に行はれ、・・。
之等の文藝に飾られたる文化・文政の時代は・・。
(第十八課)
歳出総額は・・・と伝へられて居る。
満州国の秩序も恢復され・・。
世界経済は漸次恢復好転の兆候が随所に看取される。
(第十九課)
後陸軍大将に任ぜらる。
旧藩主は知藩事に任ぜられしを以て、・・。
明治四年に至り更に孝允等の尽力により廃藩置県の事行はれ、・・。
其他元老院の設けられ、地方官会議の開かれたるも皆孝允の首唱に因るといふ。
其他元老院の設けられ、地方官会議の開かれたるも皆孝允の首唱に因るといふ。
明治十年後進に擁せられて乱を起こして敗れ城山に自刃す。
後朝廷其の罪を赦して正三位を贈られ、其の子に侯爵を授け給ふ。
(第二十課)
「・・」なんて言はれても、・・。
一生涯無筆で終る様な事になりまして、お子供衆にまでも甘く見られる様な悲惨事と相成ります。


○巻七
第一部
(第一章)
此の形式上の特質は・・商業文、公用文などに盛に用ひられて居る。
(第二章)
「拝啓」「謹啓」「蕭啓」「拝呈」「謹呈」等が最も広く行はれて居る。
「・・候」などが多く用ひられる。
(第八章)
追書は「・・」と呼ばれるのである。
其他「・・」などとも書かれる。
袖書は昔追書を書く慣例の無かつた時代に行はれたものであるが、・・。
(第九章)
之も大体に通じて居らぬと没常識と言はれる羽目に陥らぬとも限らぬから略述すつこととしよう。
紙質の薄きものも丁重の意を欠くものとされて居る。
又墨継も先方の代名詞、尊称及び人名などでは中間で墨を継ぐのは忌まれて居る。
・・こと、などが昔から注意されて居る。
(書簡文例)
拝啓陳謝小林海軍大佐今般米国駐在帝国大使館附武官に補セラレ近々赴任ニ付・・(転任披露招待状)
萩、女郎花などの秋草清く掃き清められたる路傍に咲き乱れ、・・。(雑事文)
陸軍部隊等見学ノ許可セラレタルニ付・・。(公用文)
小倉兵器製造所ハ都合上差支有之許可セラレズ・・。(公用文)
特別砲兵演習見学ハ許可セラレザルニ付・・。(公用文)
上海に派遣セラレタル帝国軍艦・・。(公用文)
搭乗者・・ハノーバー号ニ救助収容セラレ・・。(公用文)
同船長以下・・当大臣ヨリ厚ク謝意を表セラルルト共ニ・・。(公用文)
高橋三吉閣下其ニ後任トシテ海軍軍令部次長ニ補セラレ、・・。(公用文)
陳者来ル十一月開催セラルベキ国際・・。(公用文)
帝国外務大臣ハ・・帝国官憲ヨリ供与セラレタル好意ニ・・。(公用文)
政府ノ訓令ニヨリ・・ジョージ・ガスリー氏ニ付与セラレタル栄誉ニ対シ・・。(公用文)
第二部
(第一課)
幼にして父母に従ひて萩に出で、諸家に雇はれて具に艱難を嘗む。
連合艦隊は下関を砲撃して長州藩の兵大いに破られ、博文等惨憺たる苦心も全く水泡に帰せしかば、・・。
維新の業成るや、博文は二十八歳にして兵庫県知事に抜擢せられ、次いで明治三年、貨幣制度及び銀行制度取調のため亜米利加合衆国に派遣せられ、翌年また岩倉大使の副使として欧米を巡遊し、帰朝後直ちに参議兼工部卿に任ぜらる。
維新の業成るや、博文は二十八歳にして兵庫県知事に抜擢せられ、次いで明治三年、貨幣制度及び銀行制度取調のため亜米利加合衆国に派遣せられ、翌年また岩倉大使の副使として欧米を巡遊し、帰朝後直ちに参議兼工部卿に任ぜらる。
維新の業成るや、博文は二十八歳にして兵庫県知事に抜擢せられ、次いで明治三年、貨幣制度及び銀行制度取調のため亜米利加合衆国に派遣せられ、翌年また岩倉大使の副使として欧米を巡遊し、帰朝後直ちに参議兼工部卿に任ぜらる。
既にして韓国の統監に任ぜられ、鋭意韓国の指導啓発に当たる。
二十六日ハルビンに於て兇漢に狙撃せられ、光輝赫々たる一生は其の終を告げぬ。
(第二課)
先づ一室へ案内されて暫く待つて居ると、西郷は庭の方から、古洋服に薩摩風の下駄を履いて、・・。
自分が西郷に送られて立つて居るのを見て、一同恭しく棒銃の敬礼を行つた。
(第五課)
日本政府の批准寄託書が駐米大使出淵勝次氏によつて米国国務省に寄託せらるるや・・。
予め用意された式場に於いて不戦条約当時の・・。
余はここに列席せらるる各国外交官費に向かつては各々其の本国政府に対して、・・。
今や本条約の効力発生によつて吾人に与へられたる輝しき機会と大なる責務とは・・。
不戦条約宣布式正午華盛頓に於て挙行されたる旨の公電に接し我が政府は二十五日・・。
(第六課)
楚の項羽が垓下で漢の軍に包囲された時、漢軍で楚の歌を歌ふ者が多かつた。
つまらぬ争をして居ると両方が第三者の為利用されて仕舞ふの意。
途中、夢中で時の権知事(韓退之)の行列に衝突して引き立てられ、愈の意見で敲の字に決したといふ故事より来る。
(第七課)
敵の司令長官ロジエストウエンスキー中将は、昨日の戦闘に傷を負ひ幕僚と共に一駆逐艦に移りしが我が漣(さざなみ)・炎二隻の駆逐艦に追撃せられ、遂に捕へらるるに至れり。
敵の司令長官ロジエストウエンスキー中将は、昨日の戦闘に傷を負ひ幕僚と共に一駆逐艦に移りしが我が漣(さざなみ)・炎二隻の駆逐艦に追撃せられ、遂に捕へらるるに至れり。
此の両日の戦に敵艦の大部分は、我が艦隊の為に或は撃沈せられ、捕獲せられて、三十八隻の中、遁れ得たるもの巡洋艦以下数隻のみ。
此の両日の戦に敵艦の大部分は、我が艦隊の為に或は撃沈せられ、捕獲せられて、三十八隻の中、遁れ得たるもの巡洋艦以下数隻のみ。
(第八課)
諸君、私は諸君の御推薦に依りまして先刻我が栃木県会議長に任ぜらるるの光栄を荷ひました。
諸君、唯今御報告せられました如く本日をもちまして私は我が茨城県人会幹事の職を解任せられました。
諸君、唯今御報告せられました如く本日をもちまして私は我が茨城県人会幹事の職を解任せられました。
(第十一課)
恐怖に戦く人々の叫喚、火に追はれ煙にむせびながら一条の遁道を発見しようとする大群衆の騒擾はさながらに見る焦熱地獄であつて凄絶を極めた。
流言蜚語は疾風の様に数万人の耳から口へ伝へられ人心の不安と動揺とは刻一刻秒一秒と其の度を増すのみであつた。
(第十二課)
十一月三日は明治時代の天長節にて明治節と呼び神宮競技開かる。
(第十三課)
天地は忽ち硝煙の雲霧に鎖された。
予備兵たりし二個小隊も、工兵も亦第一戦線へ増遣せられた。
(第十四課)
国民の経済生活は脅され民心の不安は益々甚だしきを加へ実に憂慮に堪へないのであります。
現内閣は既に述べました通り現下の重大なる時局に稽へ所謂挙国一致の基礎の上に組織せられたのでありまして立憲政治更新の為に・・。
(第十五課)
八畳敷の部屋の片隅には所々染のついた古ぼけた机が置かれて其の上には・・。
それは純金でなくて銅を多分に含んだ十八金の色をして居たり、一度融かされた粒状になつて居たりするのは随分可笑しいので、・・。
彼はこんな所へ来たくはなかつたのだが、友人の松江に無理やりに連れて来られたのだつた。
多くの人が幻惑されて容易に看破出来なかつたが、・・。
松江は皮肉られたと思つたらしく機嫌が悪かつた。
松江も思はず釣込まれて合槌を打つた。
仇名を鬼権といふ強欲な高利貸が一夜何者にとも知れず惨殺されたのだが、・・。
彼は殺される時余程抵抗したものと見えて、口の中に犯人の指と思われるものを二本まで噛み取つて居た。
彼は殺される時余程抵抗したものと見えて、口の中に犯人の指と思われるものを二本まで噛み取つて居た。
犯人が凶行後盗み取つたものと見られて居る。
食切られた指から推して、犯人は比較的若い、小柄な、労働に従事した事のないもので、・・。
「・・」と言はれたものである。
さうして一儲けしようといふ商人風な男や、出資を強いられさうな小金を持つて居るらしい太い金鎖をつけた官吏上り風の男や、赤胴色の顔に眼のギロリとした、・・。
松江は掌中の珠でも奪はれたかの様にがつかりした調子で言つた。
「実は私の友達が喧嘩をしましてね。指を食ひ切られましたんです。」
食ひ切られた指、秘密の治療。
あの犯人は指を二本まで食ひ切られた。
今はなさらなくでも学生の時にはやられた筈だ。
天野は相手の剣幕に呑まれた。
何も指を食ひ切られたからと云つて、あの殺人犯と極つた事はないし、よし犯人だつた所で真逆殺されもしまい。
何も指を食ひ切られたからと云つて、あの殺人犯と極つた事はないし、よし犯人だつた所で真逆殺されもしまい。
漸く梶棒が下された所は真暗な狭い横町だつた。
それから天野は・・引張り廻された挙句、とあるささやかな一軒建の家の中へ招き入れられた。
天野は舌を強張らせた儘呆気にとられて呆然として突立つて居た。
斯うズバリと単刀直入に云はれると天野は又うろたへた。
天野は心臓が凍るかと思はれ頭がクラクラした。
天野は思はず釣込まれて訊いた。
つい今朝の新聞に掲載されて居た鬼権の蓄財以外に何物もない・・。
私では、斯うして科人をかくまつて置いたり縁続きではあるし共犯と言はれても証が立ちませんから手が出せないんです。
そんな事でだまされるもんか。
虐げられた者は疑深い。
天野理学士は・・小切手を書いて彼に与へて、案内されて再び外へ出た。
忽ち手品を看破られたんだからな。
若者はなみなみと注がれた杯を口の方へ持って行きながら薄笑した。
そこで二三日して始めて一杯食はされたと気のついた天野理学士は・・。