松下大三郎の受身の論について

松下大三郎の文法論は、徳田政信(2004)によると、大きく三期の変化を経て完成するとされている。本稿はこの徳田政信(2004)の三区分にしたがって論を進めることとする。また、日本語教育としての立場から、松下大三郎(1906)と松下大三郎(1907)を調査対象とし、鈴木一(2006)の指摘にもあるように、松下大三郎(1923)及び松下大三郎(1927)も松下文法を考える際、重要な位置にあると考え、これらも調査対象として加えることとし、受身の論からみても、松下大三郎の日本語教育の実践の立場も、文法三部作につながる松下文法を考える上では、一連の流れとして、必要不可欠であったことを述べる。

Ⅰ期

松下大三郎(1901)の文法研究のスタートの段階では、次のように述べ、「れる」「られる」の接続を中心に述べている。

被動とは他にせらるゝ作用をあらはす職任なり。人ニ行カレテ困ッタ、私ニ云ハレタッテイヽの行カレル、云ハレルなとの如し。被動をあらはすには四段活にはレルを附す、行カレル、云ハレルなとの如し。他の活の動詞にはラレルを附す。逃ケラレル、下リラレルなどの如し。加行佐行變格のスルといふ詞すりぎりシラレルといふべきをサレルということ多し。

Ⅱ期

松下大三郎(1906・1907)の日本語教育に関する時期の著作について、見てみることとする。松下大三郎(1906)では、「被動動詞」という項目の中に、受身と可能について述べている。このことから、受身から可能が派生したと考えているようである。受身については、
−レル   被・・―    為・・所
−ラレル  被・・―    為・・所
と示し、以下の例文をあげ、「コウイウ風ニ動詞ハ『レ』『レル』『ラレ』『ラレル』ヲ附ケルト事件ヲ被ル意味ヲ表ハシマス。ソレヲ被動ト云ヒマス。」と説明を加えている。

電車ノ中では注意シナイト掏兒(スリ)二掏ラレマス。
アノ人ハ泥棒ニ金ヲ盗マレタ。
利巧ナ人ハ人ニダマサレナイ。
ソンナデハ人ニ笑ハレル。
泥棒ガ巡査ニ洋刀(サーベル)デナグラレル。
マヅイ所ヲ見ラレタ。
勉強シナイト入学試験ニ撥ネラレマス。
罪人ガ牢ヘ入レラレル。
子ガ親ニ育テラレル。

松下大三郎(1907)では、「動助詞之意義」という項目の中で、「レル・ラレル之意義」として、次のように述べている。

レル・ラレルハ同ジデス。レルハ活用シテレ、レレトナリ、ラレルハ活用シテラレ、ラレレトナリマス。両方共三ツノ意味ガ有リマス。

また、この項目の中に受身・可能・尊敬について扱っており、受身については、「被、見、為其所ナドノ意味デス。遭トイウ字ノ意味ノコトモアリマス。他ノ物カラ被ル動作ヲ表ハスノデス。被動ノ動助詞ト云ヒマス。」と述べ、「レル・レ・レレ」「ラレル・ラレ・ラレレ」の例として次のように示している。

盗賊ニ着物ヲ偸(ヌス)マレル。
子供ガ御父(オトウ)サンニ叱ラレル。
人ニ笑ハレル。
泥棒ガ巡査ニ殴(ナグ)ラレマシタ。
私ハアノ人ニ怨(ウラ)マレマシタ。
私ハマダ入学ヲ許サレマセン。
病気ニ取リ附カレレバ医者ニ見テ貰ハナケレバナリマセン。
先生ニ指サレレバ立ッテ答ヘナケレバナリマセン。
私ハ去年妻ニ死ナレマシタ。
年ノ行カナイ母親ハ子ニ余リ泣カレルと自分モ一緒ニ泣キマス。
世ニハ年ヲ取ッテカラ子ニ捨テラレル親ガアリマス。
人ニ敬シテ遠ザケラレル。
私ハ少(チヒ)サイ時ニ親ニ別レテ伯父ニ育テラレマシタ。
夜晩(オソ)ク変ナ風ヲシテ町ヲ歩クト屹度(キット)巡査ニ調査(シラ)ベラレマス。
惘(ボン)然(ヤリ)シテ町ヲ歩クト自転車ヤ人力車ニ突(ツ)ッ懸(カ)ケラレマス。
人ハ誰デモ人ニ賞(ホ)メラレレバ慢心シマス。
此の頃ハ友達ニ頻(シキリ)ニ来ラレテ復習スルコトガ出来マセン。
客ガ主人ニ頻ニ酒ヲ侑(スス)メラレル。

Ⅲ期

この時期は、文法三部作といわれる一連の著作である。鈴木一(2003)の指摘に従い、松下大三郎(1923・1927)も扱うこととする。特に、松下大三郎(1927)は日本語教育でも重要と考えられるので、以下に内容を見てみる。
「被動態」の種類について、『標準日本文法』(1923)、『標準漢文法』(1927)・『改選標準日本文法』(1928)、『標準日本口語法』(1930)を比較してみる。日本語の「被動態」の種類について整理し、本文で採用されている例文をあげてみると以下のようになる。

『標準日本文法』
被動態は動作動詞に属する間接動態の一種であつて他物から其の動作を受けることを自己の形式的意義とし、其の受けた他物の動作を自己の動作の材料とした動作を表はすものである。・・〈中略〉・・被動は本来依拠性である。しかし自己被動では出発性にも用ゐ得る。「人に笑はる」「人に怨まれる」は「人より笑はる」「人から怨まれる」とも云へる。「盗賊の為に著物を盗まる」「雨に由つて出発を妨げらる」などいふのは矢張依拠性である。・・〈中略〉・・口語では「る」「らる」は下一段活で「れる」「られる」である。そうして特別ラ行変格と特別サ行変格は四段系ではあるが「れる」が附かない。口語ではサ行変格の「す」は被動性転活用で「される」となる。「殺害される」「買収される」などといふ風にいふ。これはもと「せられる」の約音であるが大抵は「される」の方を使ふ。人格的被動を表はす方法はまう一つある。其れは「・・て」の下へ「貰ふ」「戴く」を附け「行つて貰う」「教へて戴く」などの様に云ふのであるが、これは他人から受ける動作が自己の利益となることの意が深いので特に利益態と云ふ。
人格的被動
自己被動・・自己が動作を受ける
      人、盗賊に殺さる。小児、蜂に刺さる。
所有物被動・・他物の動作を自己の所有物へ受ける
       人、盗賊に物を偸まる。小児、蜂に顔を刺さる。
所有物自己被動・・所有物の動作を自己の利害として受ける
         父、子に死なる。妻、夫に遊ばる。
他物被動・・他物の自己に関係なき間接の被害と見る
         雨に降らる。自己は失敗して他人に成功せらる。
可能的被動
自然的被動
既然的被動
※他の例文
人、盗賊に「殺さる」(殺される)。・・[盗賊が人を殺す]
瀑に「打たるれ」ば涼し(打たれれば)。・・[瀑が打つ]
自ら軽んずるものは人に「軽んぜらる」(軽んぜられる)。・・[人が軽んずる]
人に「賞めらるれ」ば慢心す。(賞められれば)・・[人が賞める]
人、盗賊に物を「偸まる」。
妻、夫に「捨てらる」。
小僧、主人に「信用せらる」。
捨児人は「拾はる」。
植木、虫に「枯さる」。
兎、犬に「捕へらる」。
大阪大火の時或る消防隊はぐづぐづして居る内に軍隊に火事を「消され」てしまった。
お前はどうして入学が出来ないか。よその方ばかり「及第され」て悔しくはないかい。
子女を世間に出して人に「揉まれさす」。・・被動の使動
惜しき勇士を敵に「打たれしむ」べからず。・・同
下戸、人に酒を「飲ませらる」。・・使動の被動
小僧、夜主人に使に「行かせらる」。・・同

『標準漢文法』
日本語では被動態を示すには「殺さる」「助けらる」などの様に動詞へ「る」「らる」といふ助辞を附ける。そうして被動態の用法が甚だ広い。自動でも他動でも非帰着動詞でも被動態になる。
自己被動     人、盗賊に殺さる。
所有被動     人、盗賊に物を偸まる。
所有物動作被動  父、子に死なる。
他物動作被動   雨に降られて家に籠る。
※日本語の例文は、この四例。

『改選標準日本文法』
被動とは他から或る動作をされるのである。他物から其の動作を受けることを自己の形式的意義とし、其の受けた他物の動作の材料とした動作を表すものである。・・〈中略〉・・被動は本来依拠性である。しかし自己被動では出発性にも用ゐ得る。「人に笑はる」「人に怨まれる」は「人より笑はる」「人から怨まれる」とも云へる。「盗賊の為に著物を盗まる」「雨に由つて出発を妨げらる」などいふのはやはり依拠性を非依拠化して用ゐたのである。・・〈中略〉・・口語では「る」「らる」は下一段活で「れる」「られる」である。口語ではサ行変格の「す」は被動性転活用で「される」となる。「殺害される」「買収される」などといふ風にいふ。これはもと「せられる」の約音であるが大抵は「される」の方を使ふ。
下二段活  れ  れ  る  るる  るれ  れよ
同     られ られ らる らるる らるれ られよ
人格的被動
自己被動・・自己が動作を受ける
      人、盗賊に殺さる。小児、蜂に刺さる。
所有物被動・・他物の動作を自己の所有物へ受ける
       人、盗賊に物を偸まる。小児、蜂に顔を刺さる。
所有物自己被動・・所有物の動作を自己の利害として受ける
         父、子に死なる。妻、夫に遊ばる。
他物被動・・他物の自己に関係なき間接の被害と見る
         雨に降らる。他人に成功せらる。
可能的被動
自然的被動
※他の例文
人、盗賊に殺さる(殺される)。・・[盗賊が人を殺す]
瀑に打たるれば涼し(打たれれば)。・・[瀑が打つ]
自ら軽んずるものは人に軽んぜらる(軽んぜられる)。・・[人が軽んずる]
人、盗賊に物を偸まる。
妻、夫に捨てらる。
小僧、主人に信用せらる。
捨児人は拾はる。
植木、虫に枯さる。
兎、犬に捕へらる。
大阪大火の時或る消防隊はぐづぐづして居る内に軍隊に火事を消されてしまった。
お前はどうして入学が出来ないか。よその方ばかり及第されて悔しくはないかい。
子女を世間に出して人に揉まれさす。・・被動の使動
惜しき勇士を敵に打たれしむべからず。・・同
下戸、人に酒を飲ませらる。・・使動の被動
小僧、夜、主人に使に行かせらる。・・同

『標準日本口語法』
被動とは或るもの(例、子ども)が他物(犬)からある動作を蒙ることをいふのであつて被動の被動たる所以は蒙ることそのこと(れる)をいふのである。蒙る所の材料(噛ま)をいふのではない。・・〈中略〉・・実質被動も形式的被動も活用語へ「れる」「られる」を附けることに由つて表される。「れる」「られる」は活用語の第一段へ附いて、共に一語を成し、被動の語を構成する。そうして「れる」は四段活系−四段、ラ変−へ附き「られる」は一二段活系−上一段、上二段、下一段、カ変、サ変−へ附く。この区別は使動に於ける「せる」と「させる」との別と同様である。「られる」がサ行変格の「為」へ附けば「せられる」であるが口語では「せられる」は約音で「される」となるのが普通である。この約つた「される」は一語となつてゐるから之を「する」に対する転活用といふ。
      第一段活 第二段活 第三段活 第四段活 第五段活
下一段活  れ    れ    れる   れる   れれ  
下一段活  られ   られ   られる  られる  られれ 
実質的被動・・被動の主体が実質的に客体から動作又は利害を被るもの
一、単純被動 旗が立てられた
    被動の主は非人称
    被動の客は非人称で客語がない
二、利害被動 子どもが犬に吠えられた
    被動の主は人格
    客は非人称
   動作を自己へ被る
     子どもが犬に噛まれる(他)
     子どもが犬に飛び附かれる(自)
   動作を自己の所有物へ被る
     武士が敵に刀を落とされる(他)
     武士が敵に手許へ飛び込まれる(自)
   所有物の動作に由つて利害を被る
     亭主が女房に癪を起される(他)
     亭主が女房に死なれる(自)
   他物の動作に由って利害を被る
     他人に名を成される(他)
     他人に成功される(自)
形式的被動・・客体の能力を受ける能力を表すに在る
三、可能被動 此の本が私に読める
    被動の主は非人称
    客(可能の主)は人格/客が大主にもなる
四、価値被動 此の酒が中々飲めるよ
    被動の主(価値の主)は非人称
    被動の客は一般人で客語ではない
五、自然被動 拙い字が書けた
    被動の主は非人格(自動ならば主語はない)
    被動の客は特定人で客語はない/客は大主にもなる
※他の例文
子どもが犬に噛まれる。(被動)    犬が子どもを噛む。(原動)
武士が大名に抱えられる。(被動き)  大名が武士を抱える。(原動)
花が風に散らされる。
女が薄情な男に捨てられる。
犬に飛びつかれる。
子どもに泣かれる。
大工が人に雇われる。
怠け者が人に信用されますか。
国旗は高く掲げられた。
国旗は水夫に由つて高く壇上に掲げられた。
家毎に門松が立てられた。
自治制度が布かれ国会が招集された。
店の改革が若主人に由つて企てられた。
かはいい子どもを世間へ出して人に蹂まれさせる。
下女が主婦に夜遅く使に行かせられる。

このように、「被動」の種類が次第に整理されてきていることがわかる。「自己被動」「所有被動」「所有物動作被動」「他物動作被動」が『改選標準日本文法』では、「人格的被動」と一括しているが、晩年の『標準日本口語法』では「利害被動」としており、「被動」の種類も増えて整理されて、次第に考えが深まっていった過程をみることができる。『標準日本口語法』では、受身を自動詞と他動詞および主語と客語の関係として整理しており、後の奥津敬一郎の自動詞と他動詞の受身の関係や金水敏の受身文の主語や旧主語の人格・非人格性の研究方法に影響を与えている。
ここでの大きな特徴としては、「利害被動」という考えを打ち出していることである。受身というものを漢文訓読で述べたものを和文脈の中に適用したときに、「る」「らる」は漢文訓読の上ではすっきりと「受身」として分けることができたものが、和文でもその整合性をはかった結果、自発や可能も「被動」として一括して扱うこととなり、利害に絡むものとしての枠組みを設定する必要が生じたのであろう。この点から、松下大三郎は「る」「らる」を受身根源説でとらえていると考えられる。
松下大三郎(1927)は、漢文訓読としての受身について、「使動・被動を示す方法」として、
一、原動の詞がそのまゝ使役、被動の意味を帯びる場合
二、形式動詞を附加する場合
の二つを挙げて、使役を示す「使」や受身を示す「被」「見」「遭」「遇」の文字を形式動詞としており、「見」「遭」「遇」は、原動の主に対する依拠性がないために、動詞の下に「於」を置かないと受身では使用できないと述べている点は、鋭い考察である。さらに、受動態を「被動態」と呼び、その種類として、日本語では
自己被動     人、盗賊に殺さる。
所有被動     人、盗賊に物を偸まる。
所有物動作被動  父、子に死なる。
他物動作被動   雨に降られて家に籠る。
の四種類があるとし、そのうち、自己被動と所有被動は漢文にはあるが、所有物動作被動(他物の動作を自己へ被るもの)と他物動作被動(他物の動作を直接自己へ被らずに自己の所有物へ被るもの)はないとして、
自己被動  人被盗賊殺
所有物被動 人被盗賊偸物
の例をあげて、漢文の被動態と日本語の被動態との比較をしている。なお、「所有物動作被動」と「他物動作被動」は、現在では「被害の受身」と言われ、広く知られているところである。松下大三郎(1923)では、「英語や漢文の被動は自己被動と所有物被動だけである」と記されている。
また、一般的には「−為−所−」も受身と考えて受動態とするところであるが、「所−」が名詞化しており、「為」は「その原動が名詞に由って表わされてゐる」ところから、「準被動態」と呼んで区別している。この記述は、現在では、モノとして主観に引き込む、名詞節・名詞句というものに気付いていることを示している。
ここで鈴木一(2002)にもあるように、『標準漢文法』を別物としないで、『改選標準日本文法』の前に置いて、一連のものとして考えることができるという点に注目したい。鈴木一(2002)は、松下大三郎の動詞論と品詞論を扱う視点から『標準漢文法』の位置づけをとらえているが、本稿の受身の視点においても、『標準漢文法』を一連の流れの中に位置づけることができるのである。つまり、松下大三郎は漢文をベースにして、日本語文法を考えており、それを和文の中でも不整合を生じないように適応しようとした努力の結果があらわれているのである。さらには、そのスタートとしての松下大三郎(1901)の論から日本語教育としての松下大三郎(1906)の受身の論をその原型として、後の一連の著作に反映されている。その意味でも、日本語教育が松下大三郎の文法論の成立に果たした役割は、受身からもうかがえる。

松下大三郎の受身の用例の特徴を、以下にまとめてみる。

1901 1906 1907 1923 1927 1928 1930
直接受身  ○  ○  ○  ○   ○  ○  ○ 
間接受身(ヲ格)     ○  ○  ○   ○  ○  ○ 
持ち主の受身     ○  ○  ○   ○  ○  ○ 
迷惑の受身        ○  ○  ○  ○   ○  ○  ○ 
非情の受身                 ○      ○  ○ 
自動詞の受身             ○  ○   ○  ○  ○ 
使役受身               ○  ○      ○  ○ 
動作主ニ格        ○  ○  ○  ○   ○  ○  ○ 
動作主カラ格                ○      ○    
動作主ニヨッテ格              ○      ○  ○ 

○れる・られるについての記述
1901(口語) 1906(口語) 1907(口語) 1923(文語) 1927(文語) 1928(文語) 1930(口語)
○被・見・為・所についての記述
1907・1927
○能動文の設定
1923・1928
○約音の記述
1923・1928・1930

○1923と1928非情の受身については人格的被動として扱い、その例文は主語が「動物・植物」をあげている。1930では非情の受身とニヨッテ格を「単純の被動」としており、日本語本来の言い方ではないと述べている。
○1923・1928の受身の例文は網羅的であまり差し替えは行われていないが、受身についての定義の記述は大きく書き換えられている。
○1930ではカラ格は扱っていないが、記述は自他に注目し、その深化をみることができる。
○1906から1907への日本語教育としての深化がわかり、1907と1927は、日本語教育の流れであることがわかる。












3.結び−松本亀次郎と松下大三郎の受身の論について

以上、宏文学院教授であった松本亀次郎と松下大三郎の受身の論と例文から、その特徴を概観してみた。
松本亀次郎は、日本語教科書として受身文の用例を増補したり、削除したりすることで、日本語教育という立場で、テキストにこだわって記述し、深化させていったことがわかる。一方、松下大三郎は、日本語教育の著作の中で、「る」「らる」に関しては、「受身」の用法を中心に据えて記述し、文法三部作につながる考えが記されていることがわかる。その意味で、『日本俗語文典』から文法三部作につながる日本語教育の時期は、日本語教科書として多くの例文を示し、深化させ、松下文法成立に大きな役割を果たした時期であることがわかる。


参考文献
松本亀次郎(1904)『言文対照漢訳日本文典』中外図書局
松本亀次郎(1906)『日本語教科書 第一巻』東京金港堂書籍株式会社(吉岡英幸監修(2011)『松本亀次郎選集・第二巻』冬至書房所収)
松本亀次郎(1914)『漢訳日本語会話教科書』東京光栄館書店
松本亀次郎(1919)『漢訳日本口語文法教科書』笹川書店
松本亀次郎(1934)『詳解日語肯綮大全』有隣書屋(吉岡英幸監修(2011)『松本亀次郎選集・第六巻』冬至書房所収)
松本亀次郎(1940)『日本語会話教典』有隣書屋(吉岡英幸監修(2011)『松本亀次郎選集・第七巻』冬至書房所収)
松下大三郎(1901)『日本俗語文典』誠之堂書房
松下大三郎(1906)『漢訳日語階梯』誠之堂書房
松下大三郎(1907)『漢訳日本口語文典』誠之堂書房
松下大三郎(1923)『標準日本文法』紀元社
松下大三郎(1927)『標準漢文法』紀元社
松下大三郎(1928)『改選標準日本文法』紀元社
松下大三郎(1930)『標準日本口語法』中文館書店
徳田政信(1980)「日本俗語文典の特色と史的意義」『日本俗語文典』勉誠社
徳田政信(1975)「松下漢文法の成立と特色」『校訂解説・標準漢文法』勉誠社
徳田政信(1974)「松下文法への招待・その特色と構造」『改選標準日本文法』勉誠社
徳田政信(1977)「松下文法の原理と方法−口語法研究を中心として」『増補校訂・標準日本口語法』勉誠社
徳田政信(2004)「解説 漢訳日本口語文典の成立−近代口語研究三つの流れ−」『漢訳日本口語文典』勉誠出版
岩下裕一(2003)『「意味」の国語学 松下文法と時枝文法』おうふう
鈴木一(2003)「松下大三郎著『標準漢文法』の国語学的考察−松下日本文法論の軌跡をたどる」『國學院雑誌』第103巻第12号
鈴木一(2006)『松下文法論の新研究』勉誠出版