西洋人の日本語研究−受身記述の場合−

西洋人の日本語研究−受身記述の場合−



はじめに

西洋人の日本語研究は、日本語学に大きな影響を与えている。日本語教育においても、日本語教育の根幹をなしたと評価されている長沼直兄は、日本語教授法の面では音声を重視するパーマーの影響を受けていることは広く知られ、長沼直兄の論文やエッセイの中でも、たびたび紹介されているが、関正昭(1997)では、長沼直兄は西洋人の日本語研究の影響が見られることを指摘している(注1)。そこで、主な西洋人による日本語研究の受身記述と、日本人の洋学者の受身記述とを比較してみることとする。

1.西洋人の受身記述

西洋人の本格的な日本語研究は、ロドリゲスから始まり、チェンバレンで完成した形になるとされている(注2)。この流れは、受身記述をたどってもいえることである。以下に受身記述の箇所についてみていくこととする。

1.1ロドリゲス

ロドリゲス(1604-1608)『日本大文典』では、「れ・られ」によってつくられる「受動動詞」という扱いをしており、動詞の接尾語として扱っている。また、動作主は奪格の「より」「から」「に」で示され、「より」や「に」で示される場合には上品になると説明している。また、「胸を討たるる」「手足を切られた」など、身体の一部を対象とした対格を取る動詞の種類も示し、対格は元の動詞のときにも存在していたもので、間接受身に気付いている記述をしている。自動詞を中性動詞とし、使役受身や受身使役の例もあげられている。
ロドリゲス(1620)『日本小文典』では、細かい受身の記述はなく、第一種活用の動詞には「られ」、第二種及び第三種活用の動詞には「れ」を伴って受動動詞になることを述べている。また、自動詞は受身になることに注目しており、自動詞を中性動詞としている(注3)。
これらロドリゲスの著作は、杉本つとむ(1989)によると、「1825(文政8)年、刊行に百年後に、フランスでランドレス、レミュザの両学者によって仏訳され、これによって、ヨーロッパにおける東洋語学者、日本語学者の間に一大福音旋風をおこすこととなった。」と述べており、幕末の西洋人の日本語研究家にとってロドリゲスの著作は、必読のものとなったことがわかる。

1.2コリャード

コリャード(1625)『日本文典』では、受動動詞は「れ・られ」で作られることを述べ、受身動詞は可能の意味にも用いるとし、対応する自動詞は中性的意義を持つとする。また、使役動詞の箇所で「させられる」という、使役受身も扱っている。
杉本つとむ(1989)によれば、コリャードの『日本文典』には、ロドリゲスの日本文典を土台にしたことが書かれており、草稿はスペイン語で書かれていたが、刊本はラテン語で書かれていたために、19世紀の学者には読みやすく、利用価値が高かったと述べている。

1.3ホフマン

ホフマン(1867-1868)『日本文典』では、受動動詞を三つに分類して、「れる・られる」の接続の違いを説明し、日本語では自動詞でも受動表現になり、日本語の受動表現はあからさまなものではなく、受動表現は潜在的に可能の要素を含むと述べている。また、「受動動詞の支配」という言い方をし、動作主は「に」「より」「から」「のために」で示し、対格は目的語として受動表現になってもとどまることを示している。
また、ホフマンの著作に先行するクルチウス(1857)『日本語文典例証』には、「動詞の受動形(ホフマンに依る説明)」とあり、同様の記述になっているが、受動表現は潜在的に可能の要素を含むことには触れられていない。

1.4アストン

アストン(1872)『文語文典』では、自動詞と他動詞とに分け、「るる」「らるる」で受動動詞を作り、可能動詞にも通じる点と自動詞から受動動詞が作られる点を強調している。
アストン(1873)『口語文典』では、自動詞も受動表現になり、「れる」「られる」で受動動詞を作ることを述べている。また、英語の動作主の「by」を「に」に当てている。

1.5ヘボン

ヘボン(1886)『和英語林集成 第三版』では、序の箇所に日本語の文法について述べられており、四段・五段活用の例を用いて、軽く受動動詞を表にして触れており、受動動詞は可能動詞の意味にもなるものとしている。

1.6チェンバレン

チェンバレン(1889)『日本口語文典』では、受身の動詞は対応する自動詞の能動態から得られるとし、第一活用、第二活用、第三活用から成り立ち、不規則動詞を別に扱っている。また、自動詞も受身にできることを述べ、動作主は「に」で示している。なお、受動態は可能態につながることも指摘し、対格の「ヲ」が目的語としてもとのまま残る文は習得が難しいことを述べ、直接目的語につく「ヲ」は注意する必要があるとしている。チェンバレンは日本語の自動詞に注目しており、使役動詞の箇所で使役受身についても扱っている。
チェンバレン(1889)『日本口語文典』では、「英語の受身の動詞の多くは、日本語の自動詞によって翻訳されるはずである。これはその考えが、必ずしも他の行為者の行為を意味しないときに起こる。・・中略・・日本語の受身構文の使用における嫌な点は、明白である。英語の受動態の十中八九は、日本語では今示したような自動詞、または主語のない能動態の構文に訳さなければならないのである。・・中略・・日本語には、一般に英語の受動態や、可能構文によって翻訳できる、多くの種類の動詞があるが、日本語の動詞自体が、正確に話すと、自動詞なのである。」と述べている。

このように西洋人の日本語研究では、受動動詞(受身動詞)は可能動詞の意味を含むという視点でとらえられている。そのため、長沼直兄の『FLN』において、受身については受身の課だけではなく、可能の課においても論じていることは、西洋人の日本語研究の影響と考えることができる。

2.洋学者の受身記述

国学者の先行研究を幕末の西洋人の日本語研究家は参照したことについては、古田東朔(1977)が論じている。一方で、国学者と洋学者という立場の違いも存在する。そこで、日本の洋学者の受身記述をみてみることとする。明治前期の洋風文典として古田東朔(2002)の指摘する、田中義廉、中根淑、物集高見に加えて、鶴峰戊申、馬場辰猪についてみてみる。

2.1鶴峰戊申

鶴峰戊申(1833)『語学新書』は蘭文典に依ったもので「現在格」の箇所次のように述べている。
格なるをながるゝといふことは、る居ながらにして、みづからを受くる辞となる也。・・〈中略〉・・れるもるると同格なり。
またふるくはるを延てらくと言へり。・・〈中略〉・・見らくすくなくこふらくのおほきなど。
また万五、又十五などに泣るをなかゆといひ、同二十などに厭れをいとはえといへるなどはみな古語也。
ここでは、動詞の語尾としての「る」と助動詞としての「る」「れる」を、古典の例では区別しているが、口語では区別しないで、同じものとして扱っている。

2.2馬場辰猪

馬場辰猪(1873)『An elementary grammar of the Japanese language』は英文典に依ったもので、受身はActive Voice に対するPassive Voice としており、可能の意味にもなっていることを指摘しており、西洋人の視点に近いことがわかる。

2.3田中義廉

田中義廉(1874)『小学日本文典』は蘭文典に依ったもので、以下のように助動詞として扱っている。
生徒ガ教師ニ教ヘラル 木ガ風ニ倒サル などいふときは、生徒及び木は、教師及び風の作動を受くるを以て、これを受動といふなり。他動詞の能動は、本然の形を変することなし。其受動は、ル(被、此詞は有の受動形なり)ラル(有被の約言)なる助動詞と結合す。・・〈中略〉・・ここにル ラル スなる詞は、動詞に結合して、恰も語尾の如くなれども、其実は助動詞にして、他の語尾と全く異れり。

2.4物集高見

物集高見(年次不詳)『日本文語』はは蘭文典に依ったもので、「作用言」として、他動・自動・対動(他動にも自動にも用い物にはたらきかけるもの)・通動(自動にも他動にも用いるもの)・受動の五つをあげ、「受動について」以下のように述べている。
自他、両性の、能動尾辞のらるを加尾せらるるに依りて成る者なり。されば、直接、間接の両態ありて、直接は、直に、其の業作の、其の人に帰する者にして、間接は、其の業作の他者に帰する者なり。・・中略・・また、受動は、専ら、他動より来たると雖も、自動も、対動に用ひられたるは、間接の態にては見はるるなり。
このように、動詞の語尾としてとらえており、直接受身と間接受身にわけ、自動詞の受身を間接受身としていることがわかる。

2.5中根淑

中根淑(1876)『日本文典』は英文典に依ったもので、受身の「る・らる」は主客が変化すると考えて、以下のように動詞の語尾として扱い「逆用動詞」としている。
逆用動詞ノ例ヲ挙ゲテ云ハバ、余人ニ頼マル・人余ニ導カル・ト云フ類ニテ、前文ハ主ノ余ガ客ノ人ヨリ働キヲ受ケ、後文ハ主ノ人ガ客ヨリ働キヲ受クルノ故、共ニ之ヲ逆用動詞トスルナリ。

このように明治前期の洋風文典においては、「る・らる」「れる・られる」を動詞の語尾とするものと助動詞とするものとがあることがわかる。国学の系統とロドリゲス以降の西洋人の日本語研究では、「る」「らる」を動詞の語尾として扱ってきた。
このような流れの中で、大槻文彦(1897)が助動詞とし、Voiceを「相」と訳し、受身を「所相」、可能を「勢相」と訳すことで、方向性を決定づけた。この大槻文彦(1897)の考えが学校文法に取り入れられることとなり、主流となったといわれている(注8)。
斉木美知世・鷲尾龍一(2012)では、助動詞という概念を用いたことは日本的な発想であり、Voiceを動詞の形態によらずに、相として助動詞として説明するのがよいと大槻文彦は判断したためであるとしている。
このように西洋人の日本語研究家、国学者の捉え方を考慮すると、日本語教育の場合には、N.NAGANUMA(1945)『FIRST LESSONS IN NIPPONGO』やNaoe NAGANUMA(1950)『Grammar & Glossary』、カイザー・シュテファン編集による、TSUKUBA LANGUAGE GROUP(1991-1992)『SITUATIONAL FUNCTIONAL JAPANESE VOLUME1-3』(以下略称、『SFJ』)のように、積極的に「受動動詞」「使役動詞」として一語化で扱った日本語教科書も学習の上では効果的であるといえる。


結び

以上述べたことから、結びとしてまとめてみる。
○ロドリゲスからチェンバレンまで、先行研究を積み上げる形で記述されていることがわかる。共通項として、動詞を接尾語として扱い「受動動詞(受身動詞)」とし、可能動詞とつながるものととらえ、自動詞から受身が作られ、対格(直接目的語)の存在に注意していることがわかる。
○日本の国学者と西洋人の日本語研究との共通点として、「る・らる」「れる・られる」を接尾語として扱い、動詞の一部に組み入れて考えることがあげられる。一方、日本の洋学者は「る・らる」「れる・られる」を助動詞として扱ったり、扱わなかったりとさまざまなであり、大槻文彦が学校文法で助動詞とする流れを作ったが、諸説あり、議論の残るところである。むしろ、日本語教育の場合には、カイザー・シュテファン代表編集による『SFJ』のように、積極的に「受動動詞」「使役動詞」として一語化で扱った日本語教科書も学習の上では効果的であるといえる。



1
関正昭(1997)は、以下のように今日の日本語教育文法に至る流れを以下のように5つにまとめている。
① 16‐17世紀のロドリゲス、幕末・明治期のホフマン、S.R.ブラウン、アストン、サトウ、チェンバレンら外国人日本語研究家の文法
② 中国からの留学生のために、松下大三郎・松本亀次郎らが考案された文法
③ 旧植民地・占領地に対する日本語普及のための教材開発の一環として考案された文法
④ 戦前自ら開発した教科書シリーズとそのグラマーノートが大戦下のアメリカに大々的に用いられ、世界的に広まった長沼直兄の文法(その文法は戦後初期に集大成され、戦後の「日本語教育文法」の基幹となった)
⑤ ③を継承して戦後の日本語教育への橋渡しをし、同じく戦後の「日本語教育文法」の基盤作りをした鈴木忍の文法
2
古田東朔(1977)は、明治末期までの外国人の日本語研究を、第一期をロドリゲス、第二期をホフマン、第三期をヘボンとアストンの三期に分けている。これらは思弁的な方法や実際的な方法の差になってあらわれているとしている。古田東朔(1977)では、アストンはホフマンの研究や日本人の国学者の先行研究を参照しているため、高く評価している。また、杉本つとむ(1989)は、ホフマンは遣欧使節をライデンに迎え生きた日本語を耳にし、さらにはシーボルトとホフマンの出逢いにより、ホフマンはシーボルトの弟子となり、その才能を開花させ、収集資料を十分に活用させたとして、ホフマンを中心とする論を展開している。坂梨隆三(2006)は、ロドリゲスの日本大文典は、読み返すごとに新たな発見があるすぐれた西洋人の日本語研究であると評価している。
3
土井忠生・森田武・長南実(1980)は、「日葡辞書で能動動詞または受動動詞と注記したものは、前記“敷カルル”以外はすべて同一語根の他動詞と自動詞とを関連づけて説いたものである。その部類の自動詞を他動詞の受動態ということは日本語に合わないので、ロドリゲスは中性動詞として受動動詞からは切り離して取り扱った。しかし一般には、これら自動詞も葡語では他動詞の受動態に訳されるところから、受動動詞と呼んでいたので、日葡辞書の編者たちがそれを踏襲したのである。」と述べている。
4
古田東朔(1981)では、「る・らる」「す・さす」について次のように指摘している。
「この中で、「す・さす」と「る・らる」の類を「助動詞」に含めたことは、以後問題とされる。山田孝雄橋本進吉も、この類が他の類のものとは異なったものであることを指摘し、時枝誠記は、「助動詞」から除外し、接尾語として扱う。(江戸期の他の国学者たちも、これらの付いた動詞を一語として扱うのが普通であったし、幕末から明治へかけての外国人の日本語研究者たちも、その付いたものをcausative verb あるいは potential(passive) verb などとするのが普通であった。)」
5

参考文献
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河路由佳(2012)「長沼直兄の戦前・戦中・戦後−激動の時代を貫いた言語教育者としての信念を考える−」『日本語教育研究』第58号
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TSUKUBA LANGUAGE GROUP(1991-1992)『SITUATIONAL FUNCTIONAL JAPANESE VOLUME1-3』凡人社
鶴峰戊申(1833)『語学新書』[テキストは福井久蔵編(1938)『国語学大系』図書刊行会]
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N.NAGANUMA(1945)『FIRST LESSONS IN NIPPONGO』開拓社
Naoe NAGANUMA(1950)『Grammar & Glossary』開拓社
Naoe NAGANUMA(1950)『BASIC JAPANESE COURSE』開拓社
長沼直兄(1931−1934)『標準日本語読本』財団法人言語文化研究所
中根淑(1876)『日本文典』森屋治兵衛版
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古田東朔(1974)「アストンの敬語研究−人称との関連について」『国語学』第96集
古田東朔(1977)「ホフマンの『日蘭辞典』『日英辞典』」『国語学』108集
古田東朔(1978a)「アストンの日本文法研究」『国語と国文学』第55巻第8号
古田東朔(1978b)「ホフマン『日本文典』の刊行年について」『国語国文論集』第7号
古田東朔(1981)「大槻文彦の文法」『月刊言語』第10巻第1号
古田東朔(2002)「明治前期の洋風日本文典」『国語と国文学』第79巻第8号
ヘボン(1886)『和英語林集成 第三版』三省堂[テキストは講談社学術文庫版]
ホフマン(1867-1868)『日本語文典』[テキストは三沢光博訳(1910)『日本語文典』明治書院]
丸山敬介(1997)「構成とシラバスの点から見た『標準日本語読本』」『(財)言語文化研究所日本語教育叢書 復刻シリーズ第一回 解説』(財)言語文化研究所
物集高見(年次不詳)『日本文語』[テキストは物集高量(1935)『物集高見全集 第三巻』物集高見全集編纂会]
ロドリゲス(1604-1608)『日本大文典』[テキストは土井忠夫訳(1955)『日本大文典』三省堂]
ロドリゲス(1620)『日本小文典』[テキストは日埜博司編訳(1993)『日本小文典』新人物往来社]