基本文型と受身文

近代における日本語教科書の受身文4
−基本文型中心の日本語教科書−


本章では、基本文型の日本語教科書における受身文について扱ってみる。基本文型中心の日本語教科書は、主に植民地支配で用いられている(注1)。
基本文型とはどのようなものかについては、国語文化研究所(1941a・1941b)で特集が組まれているのが文型について本格的に扱った特集号として注目されているが、林四郎(1960)は、基本文型の体系が記述されはじめた時期の著作として以下の3冊を示している。

1岡本千万太郎(1940)「基礎文型の研究」『国語教育』
2(財)青年文化協会(1942)『日本語練習用 日本語基本文型』国語文化研究所[保科孝一今泉忠義、大西雅雄、黒野政市、輿水実の共同研究の成果]
3国際文化振興会(1944)『日本語表現文典』国際文化振興会[執筆は湯沢幸吉一郎]

岡本千万太郎の文型についての研究は、岡本千万太郎(1942a)にまとまって述べられており、「一文節型」「格助詞を目じるしとした文章」「複文の文章」の三つからなるが、日本語教育では大きな影響を与えずに、三尾砂(1948)の文章論を経て、国語教育で永野賢(1958)の「文の構造に関する文型」と「文表現に関する文型」の考え方に受け継がれ、宮地裕(1971)の文論にまとめられた。
本章では日本語教育として、戦後の鈴木忍につながる、(財)青年文化協会(1942)『日本語練習用 日本語基本文型』と国際文化振興会[湯沢幸吉郎](1944a)『日本語表現文典』の受身文を取り扱うこととする(注2)。


1.(財)青年文化協会(1942)の受身記述

(財)青年文化協会(1942)は、保科孝一今泉忠義、大西雅雄、黒野政市、輿水実の共同研究の成果である。編集者の一人である、輿水実(1942)は文型には「構文の基本形式を考へるもの」「語法の基本形式を考へるもの」「場合場合に応ずる表現の基本形式を考へるもの」の三つの考え方があることを述べている。
林四郎(1960)では、このテキストについて以下のように述べている。

青年文化協会の「日本語基本文型」は、文型を(1)表現の種々の場合における文型(2)語の用法に関する文型(3)文の構造に関する文型の3項目に分けて記述した。この本は、「日本語練習用」だけあって、おそろしくドライな本で、文型と文例だけが記してあって、解説的な文章は1行もない。したがって、文型がなぜ上記三種に分れるか、その理論的裏づけは知ることはできない。

(財)青年文化協会(1942)では81文型あり、この点については、松井利男(1963)も問題点として、「文型の数が多くなりすぎはしないか」「修飾語の質をどう考えるか」「修飾語の数をどう扱うか」「語のはたらきとの関係をどうとらえるか」の四つをあげ、表現意図を中心とする観点の重要性を指摘している。また、文型に関する代表的な考え方を三つあげている。以下にまとめてみる。

1宮地裕(1960)に代表される、コミュニケーションの立場から文型をとらえ、文の表現意図、構文、文末音調の三点から体系づけるもの。
2林四郎(1960)に代表される、言表の成立過程や構造を中心に、文型を立体的にとらえ、体系づけるもの。
3〈表現意図のしめしかた〉を中心に、〈表現意図の働きかけ〉や〈話し手の関心の度合い〉によって、下位分類するもの。

(財)青年文化協会(1942)では、「十七」と「十八」で授受表現と使役受身表現をセットで扱っている。以下に示してみる。

十八 ○○ハ△△ニ・・ラレマス〔テモラヒマス〕〔テクレマス〕

(九六)○○ハ △△ニ 「動詞」1 レマス〔ラレマス〕
① 私は昨夜犬に吠えられました。
② に私はがま口をすりにとられました。
③ 三郎さんはお母さんに叱られました。
(九七)○○ハ △△ニ 「動詞」テ モラヒマス〔イタダキマス〕
① 私は巡査に道を教へてもらひました。
② に私はお父さんにこの帽子を買っていただきました。
(九八)○○ガ △△ニ 「動詞」テクレマス〔テクダサイマス〕
① 巡査が私に道を教へてくれました。
② お父さんが私に帽子を買ってくださいました。
脚注
(九六)(九七)(九八)
受動の文形
(九六)例は他動詞ばかりであるが、自動詞にも
「私は母に死なれました」
の如き言ひ方がある

このように文型と文例をコンパクトに示しているものであり、林四郎(1960)も文型と文例だけが示してあると述べるように、受身についても典型的な文型中心の日本語テキストであることがわかる。また、宮地裕(1960・1971)は文型の立場で分類し、受身・可能・使役を「様の表現」とし、文末における表現が少なく、受身では迷惑の受身がほとんどであることを指摘している。
「る・らる(れる・られる)」の多義性についても、できるだけ少なくしたほうがよいとする立場から、岡本千万太郎(1942a)では、教授法の立場から自発の意味を受身に含ませて、可能や尊敬以前に、まず受身を理解させることの必要性を以下のように述べている。

〔受身・可能・尊敬〕
同じ形のル・ラル(レル・ラレル)が受身・可能・尊敬の三種に分かれるといふのだから、生徒はまごつく。いや教師も判断に迷ふ時があるから、うつかりしてはをれない。で、今その見分け方だけを示さう。大ざっぱではあるが、受身の時は動作をするものとされるものとが考へられ、その動作をするものの動作(それが動詞で表はされる)の影響を動作をされるものが、身に受けるのが、即ち受身だと教へる。勿論例をあげて、日本語の受身の特徴を了解させておく。

これに対して野村瑞峯(1942)は、中国人に対しては、受身と可能については、中国語ではまったく表現が異なるため、対訳すれば問題がないとし、敬語の「レル」「ラレル」、自動詞の受身に指導の注意が必要だとした。その指導法は、以下の通りである。

○敬語の「レル」「ラレル」
日本語の語意や日本文の文意の上から敬語法を説明する
○自動詞の受身
「する所となる」の表現を借りて説明する。「雨ニ降ラレル」は「為雨所下」、「子供ニ泣カレテ」は「為小孩子所哭」と訳して、日本語の自動詞の受動態をよく説明し、その事を語る者自身が動作の影響を受けてゐることを示す。

このように、中国語との比較から、具体的な指導のポイントを示している点が特徴的である。
また、阿部正直(1939)では、受動形をいかに修得させるかということに主眼を置き、「廿一 受動形」で、「ます型動詞」と「します型動詞」に分けて記述を行い以下のようにまとめている。

(一)ます型動詞はれます、或はられますをとる。この場合、規則動詞はれますをとり、不規則動詞はられますをとる。
受動形=ます型動詞の否定命令形の前半+れます型或はれます
(二)します型は常にされますをとる。
受動形=します型動詞−します+されます

このように、青年文化協会(1942)、岡本千万太郎(1942a)、阿部正直(1939)、野村瑞峯(1942)の日本語教育文法をみると、植民地支配での日本語教育では、いかにわかりやすく教えるかということに主眼が置かれていたことがわかるのである。


2.湯澤幸吉郎の受身記述

国際文化振興会(1944a)は、序文に湯沢幸吉郎によって主に書かれた口語テキストであることが示されている27の文型から成るテキストである。林四郎(1960)では、以下のように高く評価しており(注3)、寺村秀夫(1989)もこの表現文型の観点で日本語教科書を編纂している。

文表現の意図によって、日本語の「言い方」を整理したものでは、多分、前述した湯沢幸吉郎氏の「日本語表現文典」が最初のものに属するであろう。この本の特色は、表現意図を「希望」「命令」「意志」等等に分類したたけでなく、文成立の原理を、かなり根本的に考察していることである。

このテキストでは、第十八章で「受身の意を表す言ひ方」で扱われている。この章では、「他から動作・作用を受ける意味を述べるには、次のやうに、動詞に助動詞『れる』『られる』を附ける」と述べ「出る杭は打たれる」「善い者は賞められる」の例をあげ、活用表を示し、四段活用の未然形に「れる」、その他の活用の未然形に「られる」が接続することを述べ、「られる」がサ変動詞につくと「不親切にせられる」「他人から侮辱せられる」なるが、普通には「不親切にされる」「他人から侮辱される」のように「される」になることを述べている。また、よく用いられる連用形についても「又、助動詞『た』、助詞『て』は、次のやうに共に連用形に附いて『れ(られ)た』『れ(られ)て』の形となる」と述べて、「太郎が叱られた(叱られてゐる)」「次郎が賞められた(賞められてゐる)」の例をあげている。
 次に動作主について、「受身を表す文において、動作・作用の主体を表すには、次のやうな名詞・代名詞に格助詞『に』又は『から』を附ける。(更に添意助詞を附けることがある。)」と述べ以下の例をあげている。「からは」「からも」と副助詞を添えている例文をあげているのが特徴的である。
太郎は時々父に叱られる。
中村も社長に呼ばれた。
確かに言はれてそんな事をしたのか。
松本は仲間からは嫌はれている。
善い者は世間から賞められる。
冬の登山は学校からも禁じられた。
武田の旅行は、あなたからとめられたさうですね。
また、自動詞の受身についても以下の例をあげている。
斉藤は気の毒にも長男に死なれた。
(私は)毎夜子供に泣かれる。
(私は)昨夜も友達に来られた。
某は部下に逃げられた。
そして、「主語と動作・作用との関係は間接的であって、主語がその動作・作用の影響を受ける意となる。なほ、自動詞の受身は、必ず主語で表されてゐる者、又は話手に取つて不本意である意味を含むものである。」と述べ、自動詞の受身は迷惑の受身、間接受身であることを述べている。
他の大きな特徴としては、受身を肯定・打消・丁寧・過去にする場合についても述べていることがあげられ、以下の例をあげている。
善い者は叱られない(叱られぬ)。
武田は社長に呼ばれなかつた。
出る杭は打たれます。
二人は忽ち敵に見つけられました。
夏野登山は学校から禁じられません。
中村も昨日は叱られませんでした。
また、第十九章で「使役・被役の意を表す言ひ方」で使役受身を「被役」と呼んで扱っており、「他の使役を受ける(被役)意味を述べるには、次のやうに、使役の助動詞『せる』『させる』に、受身の助動詞『られる』の重なった『せられる』『させられる』を用ひる」「使役主を表す必要のある時は、『から』『に』を附けたものを用ひる」と述べ、以下の例をあげている。
私は時々友達からいやな話を聞かせられる。
太郎は今本を読ませられてゐる。
太郎は寂しい所に寝させられた。
私は兄に変な物を食べさせられた。
さらに注意事項として、「させられる」がサ変についた「せさせられる」の形は普通には「させられる」を用いる点、四段活用についた「せられる」は「される」になることを述べており、どの日本語テキストよりも詳しく書かれている。
このように、このテキストは受身について多くの記述がなされており、詳しいといえる。このテキストは、湯沢幸吉郎が中心になって執筆したものであるが、以下に湯沢幸吉郎の著作における受身文についての記述を概観してみることとする。合わせて湯澤幸吉郎の日本語教科書の位置づけも考えてみる。
日本語教育のために書かれた、湯沢幸吉郎(1944b)では、「第二章 動詞」の中で「『される』と『せられる』」、「『忘れられる』と『忘られる』」、「第四章 助動詞」の中で「使役の『せる、させる』と『す、さす』、及び被役の『せられる』と『される』」、「受身の言ひ方」として扱っている。
「第二章 動詞」の中の「『される』と『せられる』」では「される」口語文に広く用いられることを示し、「『忘れられる』と『忘られる』」では音転説を否定し、上代に見られる「忘る」の四段活用の未然形に「る・れる」、下二段活用に「らる・られる」の未然形に接続した流れであることを述べている。
「第四章 助動詞」の中の「使役の『せる、させる』と『す、さす』、及び被役の『せられる』と『される』」では、四段活用に「せられる」が続き、四段活用に「させられる」は誤りで「される」を正しいと述べた。ただし、「せられる」を基本とし、「される」も認めるという方針であることを述べている。
「受身の言ひ方」での受身についての考え方を以下にまとめてみる。

○日本語本来の受身は人を主体として「不本意・迷惑」の意味を示すが、西洋風の受身の言い方は不満・迷惑の意味はなく使われている。
○日本語では自動詞でも受身が使えるが、それは「不本意・迷惑」の意味のときに限られる。
○非情の受身で他動詞のときには「て(で)ある」を附け、「自動詞」のときには「てゐる」を附けて動作・作用の反復・継続、あるいは結果の状態を示すのが普通である。この非情物主語の言い方に受身の言い方が加わる言い方(「作られてゐる」「呼ばれてゐます」など)が増えてきており、これらには「不本意・不満」の意味はない。
○非情の受身は、文章が単調になることを防ぐことのできる表現である。有識者は西洋語にふれる機会が多いため、非情の受身が増える(注4)。
○非情の受身に「ねばならぬ」「なければならぬ」(「式は厳粛に挙げられなければならぬ」は本来「式は厳粛にあげなければならぬ」)は従来の表現ではない。「ねばならぬ」「なければならぬ」は、「人がそうするのが義務である」「人間がそうせずにいられない」という意味である。
○非情の受身のようなものを適度に用いることはよいが、必要もないのに多用するのはよくない。

湯澤幸吉郎(1951)でも同様のことを述べ、湯澤幸吉郎(1944b)の日本語教育のために書かれたものを多少整理する形でまとめている。基本的な受身についての論は湯澤幸吉郎(1944a・b)の段階で完結し、日本語教育の着想を生かしていることがわかる。
国語教育のために口語法について記した、湯澤幸吉郎(1953)では、受身は「れる」「られる」の助動詞で示され、「他の動作・作用を受けることを受ける」とし、動作主は連用修飾語の「に」で表され、「から」でも用いることができることを述べている。「によって」についても「これは大方英語のbyの直訳から来たものであろう」と述べている。また、他動詞に受身の助動詞の附いたものは直接動作を受けるものであり、自動詞に受身の助動詞が附いたものは間接にその動作の影響を受ける意味になることを述べている。また、近年の口語文や講演で非情の受身が用いられることについて、不本意・不満足の意味を伴わないことが多く、西洋語から来たものであることを述べている。接続については、五段動詞に「れる」、上一段動詞・下一段動詞に「られる」が付き、カ変動詞・サ変動詞では「こられる」「せられる」「しられる」となることを示し、サ変動詞の場合には「せられる」「しられる」は口語文や講演に用いられるが、談話では動詞「される」を用いることを示している。さらに他動詞に受身の助動詞がついて一つの動詞となった例として、以下のものをあげている。

○五段活用の自動詞となったもの
抱かる(抱かれる) 授かる(授けられる) おそわる(教えられる) 
助かる(助けられる) 仰せ付かる(仰せ付けられる) 言いつかる(言いつけられる)
ゆだる(ゆでられる) かぶさる(かぶせられる) 
○下一段活用の自動詞となったもの
もてる[優遇](持たれる) うてる[圧](撃たれる)
※「行われる」「けおされる」も一語として扱うことを述べている(注5)。

湯澤幸吉郎(1953)では、受身の動作主「によって」や受身動詞を示している特徴はあるが、湯澤幸吉郎(1944a・b)で述べた日本語教育のための記述を国語教育にも生かしていることがわかる。特に受身についての本音は、むしろ湯澤幸吉郎(1944a・b)に書かれていると言える。
初期の頃の湯澤幸吉郎の考えを知るために、文語を対象として書かれた湯澤幸吉郎(1931)を見ると、以下のように記されている。

受身の助動詞は、他のものの動作を受ける意を表すに用ゐるものである。
敵に民家を焼かる。
兄より英語を教へらる。
○漢文直訳読みの言ひ方で、「民家は敵の焼く所となる」のやうに、「・・所となる」の形で受身の意を示すことがあるが、助動詞とは関係がない。
○国語では、「前に立たる」「子に泣かる」のやうに、いはゆる自動詞も受身に用いられる点が、ヨーロッパ諸国の国語と異る所だと言はれる。彼の地で受身になるのは、他動詞のみだといふ。
○概言すれば、国語で受身に言ふのは、その動作を受けるもの、又は話手の不本意なる意を表す場合が多い(右の「焼かる」「立たる」「泣かる」等で考へ得る)。
然るに、近年ヨーロッパ語の影響で、必ずしも然らず、広くいふやうになつて来た(右の「教へらる」の例で考へ得る)。
○「人知れずこそ思ひそめしか」「見にくき姿を人に見えじ」などの「知れ」「見え」は、「知られ」「見られ」の遷つて一語となつたものである。この類のものには尚「助かる」「授かる」があり、又「教はる」(これは口語と認むべきである)ともいふ。

湯澤幸吉郎(1931)は、文語を対象としてはいるが、ヨーロッパ語や漢文訓読との関わりも意識していることがわかる。このように、湯澤幸吉郎の受身の論を語るとき、初期のころには触れていなかった事柄が、日本語教科書のために口語を対象として書いた、湯澤幸吉郎(1944b)には書かれており、湯澤幸吉郎(1944b)は、日本語教科書に際しての考え方の深化を垣間見ることができ、たいへん重要であることがわかる。また、口語の実態として、受身の助動詞としては、湯澤幸吉一郎(1929)(室町時代の抄物)では「るる」「らるる」、湯澤幸吉郎(1936)では「るる」「らるる」(近世前期)、湯澤幸吉一郎(1954)では「れる」「られる」(近世後期)が使われることを示しているが、細かい受身の論についての理論については触れていない。湯澤幸吉郎の受身の論については、日本語教科書、概説書、口語文法についての著作に詳しく書かれている。
このように湯澤幸吉一郎の著作をみると、青年文化協会(1942)、岡本千万太郎(1942)、阿部正直(1939)の日本語教育文法と比較すると、日本語教育の経験を生かしながらも、日本語学者としての視点が強く打ち出されているといえる。松下大三郎が日本語教育の経験から松下文法を作り上げる契機となっているのに対して、湯澤幸吉郎は伝統的な日本語学の通時的な手法でその後の論攷を発表していったことがわかる。


3.鈴木忍の受身記述

植民地支配の基本文型中心の日本語教育文法を受けて、国際学友会の鈴木忍は、継承・発展させ、現在の日本語教育文法に大きな影響を与えている。河路由佳(2009a・2009b・2011)の研究により、鈴木忍と高橋一夫の座談会の録音テープから、鈴木忍は日本語教育振興会(1941)と国際文化振興会(1944a)を参考にし、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)のテキスト作成を行ったことが明らかになっている。その一方で、国際学友会[岡本千万太郎](1940)は使いにくいテキストで参考にしなかったことも明らかになっている。
なお、日本語教育振興会(1941)には、本文にも指導書にも受身の文型は掲載されていなかった。受身文は難易度的に初級後半なので、外したと推測される。
輿水実(1942)は、日本語教育振興会(1941)が文型を扱うには外せないものであると評価する一方で、量的に少なすぎるために、増補・修正する必要がある記述をしている。
さて、日本語教育振興会(1941)と国際文化振興会(1944a)を参考にして書かれた、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)とその改訂版である、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)は、基本文型中心であり、表現文型の配列であり、編集が鈴木忍・阪田雪子である点は同じであるが(1959では語彙調査に白石和子が加わっている)、全体の体裁も変わり、例文も大きく異なっている。Kokusai Gakuyuu Kai(1954)では、「全44課の構成」「ヘボン式の表記」「150時間の学習」であるのに対して、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)は「全60課の構成」「訓令式を母体とする表記」「200時間の学習」と大幅に増えている。そのことは受身記述にも反映されており、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)では、33課「使役の意を表わす言いかた」、39課「受身を表わす言いかた」としているのに対して、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)では、56課「受身の意を表わす言いかた」、57課「使役の意を表わす言いかた」と連続させて扱っている。これは、受身と使役を関連づけて教えるようにすることで、学習の効率を図ろうとするものであると言える。この違いは、受身記述の例文にも反映されている(注6)。以下に、例文と受身記述の例文で取り上げられている差異を示してみることとする。

(1954)39課
Anata wa sensei ni kawaigararete imasu ka, kirawarete imasu ka ?
Watashi wa sennsei ni kirawarete wa imasen.Shikasi, kawaigararete mo imasen.
Ano sennsei wa gakusei o shikarimasu ka ?
Warui koto o sureba shikarimasu ga, warui koto o shinakereba shikarimasen.
Anata wa sennsei ni shikarareta koto ga arimasu ka ?
Watashi wa sensei ni shikarareta kotow a arimasen.
Anata wa sennsei ni homerareta koto ga arimasu ka ?
Watashi wa sensei ni homerareta koto mo arimasen.
Watashi wa shikarareta koto mo arimasen shi, homerareta koto mo arimasen.
Ano sensei wa gakusei kara sonkeisarete imasu ka ?
Ano sensei wa minna kara sonkeisarete imasu.
Ano hito wa shojiki desu ka, usotsuki desu ka?
Ano hito wa usotuki desu.
Anata wa ano hito ni damasareta koto ga arimasuka ?
Watashi wa ano hito ni damasareta koto ga ikudo mo arimasu.
Ano hito wa minna kara kirawarete imasu ka, sukarete imasu ka ?
Ano hito wa usotsuki desu kara, minna kara kirawarete imasu.

(1959)56課
Sensei wa watasi o sikarimasita.
Watasi wa sensei ni sikararemasita.
Anata wa doosite sensei ni sikararemasitaka ?
Warui koto o sita node, sikararemasita.
Sesei wa Ee-san o homemasita.
Ee-san wa doosite sensei ni homeraremasita ka ?
Ii koto o sita node, homeraremasita.
WAtasitati wa anohito o kiratte imasu.
Anohito wa minna ni kirawarete imasu.
Doosite minna ni kirawarete imasu ka ?
Uso o tuku node, kirawarete imasu.
Anohito wa watasi no okane o nusunda rasii desu.
Anata wa dare ni okane o nusumaremasitaka ?
Watasi wa anohito ni okane o nusumareta rasii desu.
Anata wa kyoo Yamada-san kara syootaisarete imasu ka ?
Hai, watasi wa syootaisarete imasu.Anata mo syootaisarete imasu ka ?
Hai,watasi mo syootaisarete imasu.
Anata wa kinoo ame ni huraremasita ka ?
Watasi wa kinoo uti e kaeru totyuu de ame ni huraremasita.

(1954年と1959年の受身文の種類)
1954 1959
直接受身 ○ ○
ヲ格 ○
ニ格 ○ ○
カラ格 ○ ○
迷惑の受身 ○ ○
自動詞の受身 ○
持ち主の受身 ○

この表から、1954年と改訂版の1959年のものとでは、扱う例文が異なっていることがわかる。しかし、「です・ます」体の会話体を基本にして、「主語の省略」を積極的に採用している例文である点、「迷惑の受身」では「利益を被る例文」も採用し、「使役受身」「非情の受身」「自然的可能受身」を扱っていない点は共通している。基本文型を中心とした表現文型の配列で、わかりやすさを重視したという基本方針では共通していると言える。

また、鈴木忍(1972)は、鈴木忍の文法についての考え方が詳しく書かれているもので、その中の「第4 表現意図による文型と文法事項」の「3 判断の表現」の「様の表現」(受身・使役・自発・可能の表現)に受身記述がなされている。特徴としては、以下のように能動文を設定し分類しており、教科研東京国語部会(1963)の分類と同じである。おそらく、教科研グループの考え方を取り入れたものだと考えられる。この考え方の特徴は、能動文の「ヲ格」が主語になるものを直接受身とし、「ニ格」が主語になるものを間接受身としている。また、第三者の受身の中に、持ち主の受身、自動詞の受身を入れ、非情の受身・使役受身・自然可能的受身は扱っていない。なお、鈴木重幸(1972)は、「持ち主の受身」を立てて、「直接受身」「間接受身」「持ち主の受身」「第三者の受身」の四分類にしている。鈴木忍と鈴木重幸が同じ1972年に公刊したものにおいて、教科研東京国語部会(1963)の考え方をそのまま踏襲した三分類の鈴木忍と、修正し四分類とした鈴木重幸であるが、以後は鈴木重幸(1972)の考え方が主流になっていく。
また、鈴木忍(1972)は、受身表現の典型を「SMニZ」「SMニMヲZ」としている。これは、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)の解説として扱うことができる。なお、鈴木忍の関わった日本語教科書の受身文、能動文の段階で「ニ格」であるものは取り扱っていない。

○直接的な受身
太郎ガ(S) 次郎ヲ(Mヲ) ナグル(Z)
次郎ガ(S) 太郎ニ(Mニ) ナグラレル(Z)
○間接的な受身
太郎ハ(S) 花子ニ(Mニ) ホレル(Z)
花子ハ(S) 太郎ニ(Mニ) ホレラレル(Z)
太郎ハ(S) 花子ニ(Mニ) 結婚ヲ(Mヲ) 申シコンダ(Z)
花子ハ(S) 太郎ニ(Mニ) 結婚ヲ(Mヲ) 申シコマレタ(Z)
太郎ハ(S) 花子ト(Mト) 絶交シタ(Z)
花子ハ(S) 太郎ニ(Mニ) 絶交サレタ(Z)
※「Mヲ」はそのまま残る
○第三者の受身(迷惑の受身)
雨ガ(S) フッタ(Z)
太郎ハ(S) 雨ニ(Mニ) フラレタ(Z)
母ガ(S) 死ヌ(Z)
太郎ハ(S) 母ニ(Mニ) 死ナレル(Z)
スリガ(S) サイフヲ(Mヲ) スッタ(Z)
太郎ハ(S) スリニ(Mニ) サイフヲ(Mヲ) スラレタ(Z)
女ノ人ガ(S) (太郎ノ)足ヲ(Mヲ) フンダ(Z)
太郎ハ(S) 女ノ人ニ(Mニ) 足ヲ(Mヲ) フマレタ(Z)

この鈴木忍(1972)には、最初から迷惑の受身と指導してしまうと、何でも迷惑を被るものとして考えられてしまうため、「工場を建テタ」という基本形を考えた上で「工場が建テラレタ」(直接受身)、「工場ヲ建テラレタ」(第三者の受身)とする、指導の注意も書かれているのも大きな特色である(注7)。


結−基本文型の日本語教科書−

基本文型中心の日本語教科書は、青年文化協会(1942)のように、できるだけはやく日本語を教えるという要求から生まれたものであり、そのことは受身文からも指摘できる。また、岡本千万太郎(1942a)のように、「る・らる(れる・られる)」の多義性もできるだけ効率的に処理しようとする試みも、日本語をはやく理解させたいという要求から生まれたものであろう。
その一方で、日本語学的な視点を生かした、国際文化振興会(1944a)を始めとする湯澤幸吉郎の日本語教科書・日本語学の著作も注目されるところである。中国人留学生を対象として日本語教育を行い独創的な文法を作り上げた松下大三郎と同様、その後の著作に日本語教育での論攷が通時的に生かされていると言える。松下大三郎が共時的日本語教育を生かしたとするならば、湯澤幸吉郎は通時的に日本語教育を生かしたと位置づけることもできる。
これら基本文型の流れを引き継いだ鈴木忍の日本語教科書は、日本語教育振興会(1941)と国際文化振興会(1944a)を参考にして書かれ、Kokusai Gakuyuu Kai(1954)とその改訂版である、Kokusai Gakuyuu Kai(1959)では、それまでの流れの日本語教科書の長所を生かしながら記述されており、日常会話で使われる形の表現文型を用いて、わかりやすく配列されている。その際、1954年と改訂版の1959年のものとでは大きく異なり、1959年の日常生活で使用される自然な例文で構成されている。この1959年のテキストの流れで、鈴木忍(1972)を解説として読むことができるが、その受身記述の解説は、教科研東京国語部会(1963)のものを採用しているが、教科研東京国語部会(1963)を修正して書いた鈴木重幸(1972)の論が日本語教育や日本語学では影響を与えることになっていったことを考え合わせると、1972年は受身の分類の分岐点に当たる年であるといえる。


(注)
1
林四郎(1960)は、基本文型と植民地支配の日本語教科書について、以下のように述べている。

さて、このような基本文型の第一開花期は、ちょうどそのまま、大東亜戦争の進行時期であった。戦争を別にしても、日本の勢力が東南アジアに伸びていった時期であった。当然の要求として、外国人に、なるべく早く日本語を教えなければならかった。そうなると、国語学者の書いた文法書は、少しも役に立たず、文法より文型が必要になった。その中でも、何はともあれ、まず身につけさせるべき「基本の文型を」を見つけることが必要であった。そういうわけで、国語における文型問題が、そもそも基本文型から出発したのであった。
2
国際学友会[岡本千万太郎](1940)は、使いにくいとされ、分かち書きも品詞別になされており、評価は高くなく、鈴木忍の日本語教科書には影響を与えていないとされているが、参考までに、国際学友会[岡本千万太郎](1940)における受身文を調査すると、「19 動詞.助動詞(三) エ エル エレ活用」の箇所に、「ヒト ニ タスケ ラレル」「ワタクシ ガ コマッ テ イル トキ ニ、コノ ヒト ニ タスケ ラレ マシ タ」の2例あげられている。
鈴木忍が影響を受けたと語っている、日本語教育振興会(1941)には、受身についての記述は例文も解説も見当たらなかった。
3
なお、林四郎(1960)は、受身・使役を「態の加わった用言による描叙」とし、「補助動詞」「補助形容詞」「接尾語」に分けて記述し、「れる・られる・せる・させる」を接尾語に分類している。林四郎(1960)が、定評があり、先行研究を踏まえた丁寧な記述を高く評価する、木枝増一(1937)では、松下大三郎(1930)や湯澤幸吉郎(1930)などを引用しながら、「れる・られる」を助動詞とし、「せられる(serareru)」が約まった「される(sareru)」というものを新しい受身動詞として扱っている。
なお、岡本千万太郎(1954)では、受身の付いた「・・が叫ばれながら」を「・・を叫ばれながら」とした自動詞・他動詞に関連する受身の例、非情の受身非固有説、利害の受身、自動詞の受身、受身と可能とが峻別できない自然的可能の受身の例、受身と敬語とが紛らわしい例を取りあげている。また、日本語の口語は整理され、日本語は進化しているととらえていることを述べている。その点で、岡本千万太郎(1939)では、文語文法を口語文法に当てはめただけの学校文法を痛烈に批判しているため、本音がよく表れている。岡本千万太郎(1942b)は、岡本千万太郎(1939)の続編として書かれたもので、「国語」「国語学」ではなく、開かれた「日本語」「日本語学」という名称が妥当であることや文法体系、口語については、国語学者以外のほうが熱心であるという現状への憂いなどについて述べている。
4
湯沢幸吉郎(1944b)の中で、注意として、以下のことを述べている。

受身であつても、古来不本意の意味の伴はないものがある。それは官位を授けられる場合であつて、例へば「大納言に任ぜられる」とか「五位に叙せられたり」とかいふ類である。これは事柄自体が恐悦すべきことであるから、当然である。その他「神童といはれた」「人に褒められる」の如き、一般に喜ぶべき事柄を言ひ表す場合も同様である。
5
湯澤幸吉郎(1959)では、「けおさる」「とらわる」について述べている。また、湯澤幸吉郎(1959)では、古典では「る・らる」で受身になり、持ち主の受身についてや動作主は「に」、「より」、「の・がために」(漢文訓読)、「から」(室町時代)で示されることについて述べている。
6
佐々木瑞枝(1994)では、日本語の「迷惑・被害の受身」などの「言外に迷惑の意味を含む」といった特徴、すなわち間接受身は英語などにはないもので、外国人にはわかりにくく、指導する日本語の中で、受身が重要な位置を占めることを指摘している。国際学友会の流れを汲む中で、富田隆行(1991)は、受身を「日本語本来の受身」と「日本語本来の受身ではない言い方」(非情の受身・自然可能的受身)に二種類に分けて記述しており、鈴木忍の日本語教科書とは異なったアプローチをしている点で特徴がある。
7
疑問点としては、間接受身は基本形の「ヲ格」が残るとしているが、第三者の受身の中の持ち主の受身に該当する例文も基本形の「ヲ格」が残ってしまうので、そのあたりの説明も必要であると思う。

(参考文献)
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