観音信仰

観音菩薩と観音信仰−開運−

観音菩薩は、仏教の菩薩の一つであり、北伝仏教、特に日本や中国において古代より広く信仰を集めている尊格である。「観世音菩薩」または「観自在菩薩」ともいう。「救世菩薩」(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。中心が聖観音であり、33相に化身して人々を救う、オールマイティな仏である。

(名称の由来)
梵名のアヴァローキテーシュヴァラとは、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+īśvara(自在者)という語の合成語との説が現在では優勢である。玄奘三蔵による訳「観自在菩薩」はそれを採用していることになる。鳩摩羅什の旧訳では観世音菩薩と言い、当時の中国大陸での呼称も、観世音菩薩であった。
玄奘三蔵以降の新訳では観自在菩薩と訳しており、玄奘は「古く光世音、観世音、観世音自在などと漢訳しているのは、全てあやまりである」といっている。「観自在」とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味する。また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者、世を救済するので救世大士ともいう。

(信仰・位置づけ)
観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。浄土教では『観無量寿経』の説くところにより、観音菩薩(慈悲のまま救う)は、阿弥陀如来阿弥陀浄土に連れて行く)の脇侍として勢至菩薩(天来の知恵を授ける)と共に安置されることも多い。
中国では六朝時代から霊験記(『観世音応験記』)が遺され、日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されている。『観世音菩薩往生浄土本縁経』によると、過去世において長邦(ちょうな)というバラモンの子・早離(そうり)であったとされる。彼には速離(そくり)という兄弟がおり、のちの勢至菩薩だという。早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死したが、早離は餓死する寸前に「生まれ変わったら自分たちのように苦しんでいる人たちを救いたい」と誓願を立てたため、観音菩薩になったという。なお、父の長邦は未来に釈迦として生まれ変わった。

チベット仏教における位置づけ)
チベット仏教では、チベットの国土と衆生は「観音菩薩の所化」と位置づけられ、最上位に位置する化身ラマダライ・ラマ観音菩薩の化身とされている。居城であるラサのポタラ宮の名は、観音の浄土である、ポータラカ(Potaraka、補陀落)に因む。チベットでは、観音菩薩はチェンレジーとして知られる。

(性別)
観世音菩薩は、本来男性であったと考えられる。例えば、松原哲明は、梵名のアヴァローキテーシュヴァラが男性名詞であること、華厳経に「勇猛なる男子(丈夫)、観世音菩薩」と書かれていることから、本来男性であったと述べている。しかしながら、「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い。これは、例えば地蔵菩薩が観音と同じ大悲闡提の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い。観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性には女性に変身して説法するともあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなった。これは中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山(浙江省舟山群島)から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や道教の媽祖信仰などの女神と結び付いたためと考えられている。したがって、観音の性別を法華経の「変成男子(へんじょうなんし)」と関連して論じる向きもあるが、これは関係ないとされる。

(観音経)
観音について説かれた仏教経典は数多いが、最古かつ最も有名なのは妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、別名「観音経」である。この略本と考えられている十句観音経や、十一面観音について説かれた十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経がよく読誦される経典である。これらの経典は、普門品偈文(観音経)に、「衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ。」とあるように、観音の慈悲が広く、優れた現世利益を持つことを述べている点が共通している。

(普門示現)
観音が世を救済するに、広く衆生の機根(性格や仏の教えを聞ける器)に応じて、種々の形体を現じる。これを観音の普門示現(ふもんじげん)という。法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれている。なお、観音経とは別に、密教経典『摂無礙経』にも三十三身の記載があり、両者は細部が異なる。西国三十三所観音霊場三十三間堂などに見られる「33」という数字はここに由来する。なお「三十三観音」(後述)とは、この法華経の所説に基づき、中国及び近世の日本において信仰されるようになったものであって、法華経の中にこれら33種の観音の名称が登場するわけではない。この普門示現の考え方から、六観音七観音十五尊観音三十三観音など多様多種な別身を派生するに至った。このため、観音像には基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、密教の教義により作られた、十一面観音、千手観音など、変化(へんげ)観音と呼ばれる様々な形の像がある。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強い。そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多い。

六観音
真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音如意輪観音准胝観音六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道聖観音、餓鬼道−千手観音、畜生道馬頭観音修羅道−十一面観音、人道−准胝観音、天道−如意輪観音という組み合わせになっている。
なお、千手観音は経典においては千本の手を有し、それぞれの手に一眼をもつとされているが、実際に千本の手を表現することは造形上困難であるために、唐招提寺金堂像などわずかな例外を除いて、42本の手で「千手」を表す像が多い。観世音菩薩が千の手を得た謂われとしては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の最後に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されている。

真言
聖観音−オン・アロリキヤ・ソワカ 
十一面観音−オン・ロケイ・ジンバ・ラ・キリク・ソワカ / オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ
千手観音−オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ
准胝観音−オン・シャレイ・シャレイ・ソンデイ・ソワカ
如意輪観音−オン・ハンドマ・シンダ・マニ・ジンバ・ラ・ソワカ
馬頭観音−オン・アミリト・ドバンバ・ウン・パツタ・ソワカ
白衣観音−オン・シベイテイ・シベイテイ・ハンダラ・バシニ・ソワカ
不空羂索観音−オン・アボキャ・ビジャシャ・ウン・ハッタ / オン・ハンドマダラ・アボキャジャヤニ・ソロソロ・ソワカ
楊柳観音−オン・バザラダラマ・ベイサジャ・ラジャヤ・ソワカ