先祖供養へのアプローチ
先祖供養へのアプローチ
Ⅰ儒教の視点
儒教では、秩序を大切にするために、先祖崇拝・子孫繁栄のために、祖先を祀ることが行われてきました。仏教が中国に入ったときに、仏教を布教させるために、中国仏教では祖先崇拝の儀式を取り入れました。その結果、日本には仏教と儒教の墓・仏壇が取り入れられることとなりました。いわば、日本の場合には、儒教仏教となったわけです。現在では、墓参りのときには、先祖崇拝の意味を込めて先祖への報告という意味合いを持っています。普段、墓参りに行けないことから、出張所として仏壇というものがあります。この仏壇も、先祖崇拝の気持ちで行うことが重要です。先祖崇拝という意味で、墓は子孫が建てるものという思想があります。儒教的視点に立てば、子孫が先祖崇拝で建てるのですから、自分で自分の墓を作るのは好ましくないと言えます。また、儒教では土葬が一般的です。
安岡正篤は、仏壇の前で浄土宗真宗の拝みの体操である、「真向法」(長井津の公案)を先祖崇拝もかねて200回、毎日仏壇の前で行っていたという話が伝わっています。
Ⅱ道教の視点
道教の視点では、風水を重要視し、陰宅風水ということで、墓を建てるときの土地に注目し、よい土地相を風水で探し、そこに墓を建てることで先祖崇拝・子孫繁栄になると考えました。死後、陽の魂は天に上り、陰の魄は地上に留まるとされています。
また、道教では死ぬと遺体は消え去り、霊魂だけが昇天すると説いていますし、その流れである神道や修験道では、守護神や使役霊を使い、託宣や調伏などの行法があります。
Ⅲ仏教の視点
本来、釈迦以来、葬式や先祖供養は在家信者の仕事であるとして、僧侶は葬式には関わってきませんでした。特に墓も必要はないとしていました。それが、中国を経由するときに、墓の考えが入り込み、日本に伝わりました。僧侶も当初、人の死の穢れには触れないという方針を取っていましたが、江戸時代になり、檀家を持つようになり、葬式仏教の役割を命じられたときに、大混乱したようです。そこで、僧侶の仲間にやっていた儀式を適用することにしました。一般庶民は、出家していないので、出家した名前を持っていません。そこで、まずは、出家させてから、読経をするという方針を立てたために、一旦、出家した証として、沐浴させたあと(湯灌)、戒名をつけました。こうして戒名の考えが成立しました。戒名は、本来は仏門に帰依し、修行を積んだものだけに与えられる名前でした。なお、インドでは出家したものは、沙門、釈氏といって俗名のままです。日本では法号が与えられるようになりました。
Ⅳ民俗学の視点
人の死は穢れとされ、死後には荒魂があばれ、人にとりついたりすると考えられてきました。それらは、祖霊と儀礼とによって、ありがたい祖霊となると考えました。モガリの習慣は、646年(大化2年)に「大化の薄葬令」で禁止されて、次第になくなっていきました。現在では火葬が中心ですが、1950年代ぐらいまでは土葬が中心でした。
また、一墓に一人、あるいは夫婦二人を納めることが行われてきました。民俗学的には、子孫繁栄のためではなく、夫婦が互いの来世の安穏と冥福とを祈ったものと考えられています。日本の場合、八百万の神々なので、神仏も祖霊も受け入れて、どれもありがたい霊的存在として扱ってきたようです。柳田国男は祖霊信仰について民俗学的に考察しました。
1単墓制
「埋め墓」と「詣り墓」を一つにする。
2両墓制
「埋め墓」と「詣り墓」を別にする。
3無墓制
散骨や放置したままにする。
Ⅴ心霊科学の視点
イギリス発祥のスピリチュアリズムである心霊科学的視点では、墓は、あの世へ導くためのものであり、あの世の存在を自覚していれば、墓はなくても問題がないとしています。
スウェーデンボルグという人物がいますが、彼は学者でもあり、幽体離脱をした霊能者でもありました。彼の『霊界日記』は今でも心霊科学では必要な書物となっています。スウェーデンボルグの記述の中に、墓に対する記述があります。その中には、「きちんとした墓を建てることにより、墓から天上界に向けて出ている光の筋を死者がみて、その方向に行こうとする」とあります。つまり、しっかりとした墓を建てることは、心霊科学的には、死者がしっかりと霊界に帰るのに重要ということになります。
おかしな墓だと、光の筋がないために、生前、霊界の存在を確信していないと成仏しにくく浮遊霊になりやすいという結論になります。通常は30年から50年ぐらいであの世にいくと考えられています。しかし、例外もあるとしています。
このように、心霊科学からすると、あの世の存在を自覚していないケースの場合、墓はしっかりとしたものを建てる意義があります。しかし、お墓がなくても、子孫が「あの世で安らかに過ごしてください」と祈れば、あの世にいくとも考えられます。やはり、祖先崇拝・子孫繁栄の儒教の精神で問題ないと言えます。また、先祖は見守る存在であるために、子孫に他たることはないと考えています。
葬式の意義としては、死んだことを自覚させて、あの世に行きやすくするということがあげられます。また、喪服は白でしたが、西洋式の黒へと明治以降は変化しました。伊藤博文の国葬あたりから黒になったといわれています。
Ⅵ霊的視点
(左と右)
1合掌
右手が仏
左手が人
拍手・・願望達成などの現世の祈り
静かに合掌・・墓参りなどのあの世への祈り
2左が神仏・右が先祖
神棚の榊をみていると、あれほど生命力の強い植物でも枯れるときがあります。そういうときには、何かの暗示と考えられています。つまり、向かって「左が神仏、右が先祖」といわれています。神社参拝や墓参りの時期だと考えるとよいでしょうね。
3左が異性・右が同性
生霊が男性か女性かは、右が同性、左が異性として判断します。女性であれば、左手をケガしたら、ご主人か恋人を怒らせたケースでしょうし、右手をケガしたら、女性の嫉妬を買ったということになりますね。
(お経)
「般若心経」は供養になる説
「般若心経」は理解していないと憑依するとする説-恐怖の般若心経-
「理趣経」は効果があるという説
「延命十句観音経」は効果があるとする説
「甘露の法雨」は効果があるとする説
(祝詞)
「天津祝詞」が効果があるとする説
天の数歌が効果があるとする説
アマテラスオオミカミが浄化させるとする説
(ハンドヒーラー)
大宇宙エネルギー
真光
(宗教・宗派)
家の宗教や宗派を変えると、墓に入る許可が得られないケースもありますし、先祖の拒絶感がすさまじいとする説もあります。現実的に、宗教・宗派を変えることはたいへんですし、弊害が多いとも言えます。
(転生)
火葬よりも土葬の方が、はやく生まれ変わるとする説
日本で最初に火葬にされたのは、僧侶の道昭、歴代天皇の中では持統天皇である。
ミイラにすると国が亡ぶとする説
(守護霊)
6から10代以上前の先祖が守護霊になる説
守護神・守護霊・主護霊を分けて考える説
両親・祖父母はモグリの守護霊とする説
(『日本書紀』の記述の「一霊四魂」)
一霊・・直霊(反省)
○進歩・向上・破壊
荒魂(勇)
奇魂(智)
○平和・調和・堕落
幸魂(愛)
和魂(和)
人間の魂は平和・調和・堕落の性質があり、その一方で、進歩・向上の破壊の性質があるので、その繰り返しで進化してきているのがよく示されています。また、内省・反省で自分を見つめることで、自己分析していることもよくわかります。さらには、「勇‐和」、「智‐愛」の組み合わせが、それぞれの課題であることも示されていて面白いものです。この考え方は、現代の性格心理学の特性論(ビッグ・ファイブ理論)と似ているので、注目されています。
死後の四魂の行方としては、以下のようになります。
荒魂(勇)は地下に眠って安息を得る。
奇魂(智)は実相会に昇天する。
幸魂(愛)は家庭の祭壇に祀られる。
和魂(和)招魂社や靖国神社などの祭壇に祀られる
これらの四魂は連携を保ちながら、霊的生活を営み、その霊的進化の程度に準じて霊界での修業を課せられ、また、使命の召喚に応じて、地上に生まれ変わって出てくるとされている。
※「魂魄は生まるればあり、死すればなし」(山片蟠桃『夢の代』)