大学の現場と入試問題

 大学での学問研究の傾向が、入試問題にも影響を与えています。その例として文学部の近代・現代文学の専任の教員の数が年々、少なくなっていることがあげられます。そうすると、通常、文学部の現代文の問題は近代・現代文学の教員がつくりますが、他の学部には手が回らなくなります。そのため、現代文の問題作成を法学部や経済学部の教員に依頼して作成してもらうわけです。その結果、評論が増えることとなり、現代文での文学史の問題は少なくなります。しかも最近は、近代・現代の文学史は解体してしまっていると考える大学の教授が多数派になったので、文学部でも文学史が出題されにくくなりました。同じ評論でも、文学部の教員の場合は、小説・随筆・文芸評論を好みますが、他の学部の教員は論理的な知的で教養的な評論・評論的な随筆を好みます。また、近年は文学・社会学歴史学との融合でとらえようとする考え方が主流になってきために、学際化が進んできており、評論の種類も多岐にわたるようになりました。
 それに対して古文の場合は、文学部の日本文学科の教員がつくりますから、文学史の問題も多く出題されます。しかし、最近は、『源氏物語』をはじめとする平安朝の文学の研究よりは、近世の文学研究が盛んです。近世の出版物は次々に出てきており、どんどん開拓されています。以前は、「近世は雑学の塊」などといわれてきましたが、状況が変わりました。そして、近世の文章も増えてきました。ただし、雑学知識が必要なものや、大衆的な近世小説などの文法が守られないもの、格調の高い漢文調のものなどは、出題しにくい(平均点が下がり過ぎてしまう)ので、擬古文的な学者の書いたものが中心に出題されています。また、和歌の出題についても変わってきました。「縁語」があまり出題されなくなったのです。それは、何を縁語と認めるかといった問題があがるようになったためです。同様に、「切れ字」も出題されなくなりました。「切れ字論争」というものが起こり、何が切れ字か、わからなくなったのです。
 文法については、古典文法はいまでも出題されていますが、文法は解釈の道具と考える教員が多くなったので、純粋な文法問題としてよりも、傍線部解釈で助動詞・助詞・敬語・副詞などが正しく口語訳できるかを設問にするようになりました。ですから、文法問題は減りましたが、文法を知らないと正解できないように作ってきています。文法的に口語訳できることが大切なのです。以前は口語文法(現代語の文法)の問題もみかけましたが、見かけなくなりました。言語学も盛んになり、外国人への日本語教育も盛んになりました。そうなると、小学校・中学校で教わる口語文法は矛盾が出てきたのです。ですから、現代語の日本語教育では、ブロックという人のものをベースにした言語学的なものを使います。大きくいうと、古典語の文法は、近世の本居宣長の流れの文法で、現代語の文法は、ブロックの流れで考えているということになります。また、漢文が入試から外されるようになったのは、文学部の漢文の教員の数の激減ということもあげることができます。実学が重視される時代の風潮なのかもしれませんが、寂しい気持がします。