係り結びの重要性

おはようございます。なんとなく、係り結びについての文法教育の重要性を考えてみました。論文調に書いてみたので、参考になれば幸いです。


「係り結びの重要性」


古文の入門期に中学校・高等学校において、必ずといってよいほど係り結びの法則について学ぶ。しかし、強調表現(プロミネンス)として「ぞ(そ)・なむ(なん・なも)・や・か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶといっておくだけでよいのだろうか。もう少し、係り結びを利用した古文読解を目指してもよいのではないだろうか。まず、口語訳はどうするのか。次に、強調とは具体的に文章の中ではどのように用いられてくるのかといった問題がある。さらには、結びの流れも理解しにくいものである。実際に予備校で生徒から繰り返し受けた質問をもとに考えてみる。
係助詞の口語訳については、「特に口語訳しない」としてある文法書が一般的である。しかし、古文を読解する上では、無駄な言葉はなく、できるかぎり口語訳したいというのが本音のところである。また、生徒も係助詞の口語訳について質問に来る場合が多い。係助詞の「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」についての口語訳の仕方を示したものとしては、国語教育の上で有益なものとして、大野晋氏の『古典文法質問箱』(角川文庫)と望月光氏の『古典文法講義の実況中継・上下』(語学春秋社)をあげることができる。
大野晋氏は『古典文法質問箱』の中でこの係り結びの口語訳の仕方を取り上げ、「ぞ」「なむ」「こそ」を、「ほんとに」「ねえ」などと口語訳して、うまくいかないときは、無理に口語訳しないことを勧めている。また、『常用国語便覧』(浜島書店)では、「ぞ・なむ」は強い指示で「こそ」、「こそ」は強意で「まことに」と口語訳している。塚原鉄雄氏は『新講古典文法』では、「ぞ・なむ」を「はまあ」とし、「こそ」を「こそ・実に・まったく」と口語訳している。
望月光氏は、『古典文法講義の実況中継』の中では、無理に口語訳せずに、自然に口語訳する方針をとっている。すなわち、「ぞ・なむ・こそ」を「は・が・を」で口語訳するのである。この方針でいくと、
水なむ飲む(水を飲む)
花こそ咲け(花は・が咲く)
我ぞ行く(私は・が行く)
となり、「係り結びの口語訳をどうしたらよいか」「口語訳しないのも不安だ」という生徒も安心するようで、たいへん国語教育の上では有効である。ただし、「は」と口語訳するか「が」と口語訳するかについての質問が出ることも多い。細かい点を置いておくのなら、「は」でも「が」でもどちらでもよいのだが、日本語教育や日本語学で用いられている考え方を使うと、新情報には「が」を、旧情報には「は」を使うとすればよいであろう。もうすこし、踏み込んで扱うのなら、「は」と似た機能をもつ「が」の用法について論じたものに、野田尚史氏の『「は」と「が」』(くろしお出版)があるので参考になる。この中で野田尚史氏は、排他の「が」と対比の「は」を似たものとしており、構造的に対比の「は」と排他の「が」を、
〇【伝えたいこと】が【主題】
〇【主題】は【伝えたいこと】
としている。たとえば、「あいつが許せない」だと、許せないのは、あいつであり、他の人ではないことを示し、「あいつは許せない」だと、あいつについて許せるか許せないかと考えると「許せない」になり、他の人について考えると「許せない」ことになる。一般に、「は」は「取り立て」といわれているので、その考え方で説明しておいてもよいであろう。
また、関谷浩氏は『古文解釈の方法』(駿台文庫)の中で、
係助詞『ぞ・なむ・こそ』は現代語では『は』となる。または、係助詞を口語訳しないで『ガ』『ヲ』を入れる。
と述べている。つまり、「は」と口語訳して、多少通りが悪ければ、「が」「を」と口語訳することを意味しているのである。次に「係り結びの省略」「係り結びの流れ」「はさみこみ(挿入句)」について考察してみる。
「係り結びの省略」の典型的なものは、
  ○徳の至れりけるにや。『徒然草
のように、「にや・にか」とあったら「あらむ」、「にこそ」とあったら「あらめ」を補うというものがある。(ただし、疑いの意味合いが薄ければ、「にや・にか」とあったら「ある」、「にこそ」とあったら「あれ」を補う。他に、「ありけむ」「ありけめ」もあるし、文体によっては「侍らむ」「侍らめ」「侍りけむ」「侍りけめ」もある。)
これに対して、結びの流れ(消滅・消去)は、わかりにくいようで、質問が多い。千明守氏は『勝つための古典文法五〇』(三省堂)のように、「文中に係助詞があって、その係助詞の結びとなるはずの部分の下に、(おもに)接続助詞が付いてしまい、係り結びが行われないこと」と説明する方法もあるが、むしろ図式化して、接続助詞によって結びが流されることが多いことに注目して、
―係助詞―結びになるはずの部分+接続助詞、
と整理したほうが、わかりやすであろう。このようにすれば、結びの流れの例文で使われる、『徒然草』の
たとひ耳・鼻こそ切れ失すとも、『徒然草
というところも、きれいに説明できるので、図式化を用いると有効で、生徒も理解しやすいようである。
「こそ」を用いて、已然形で結ぶ通常の係り結びと違い、一種のはさみこみ(挿入句)になっているのが逆接強調法の特徴である。図式化して、「―こそ―已然形、」と捉えるとよいであろう。逆接強調法のの例で使われる、
中垣こそあれ、『土佐日記
などもきれいに説明できる。
「はさみこみ(挿入句)」を提唱したのは、国語学者佐伯梅友氏である。これは、
―<―疑問語―推量、>―
の構造で、一種の独立文をつくるということである。したがって、係り結びも当然成立することになる。このあたりは、質問の多いところである。
疑問も、「か」だけでなく、
  ○御心や乱れ給はむ。『大鏡
のように、下に推量を伴ったときには「かもしれない」という口語訳が使われることにも注意しておきたいものである(注1)。
疑問とともに学ぶ反語には、主に三つの口語訳の仕方がある。一つ目は、「―か、いや―」と口語訳するものである。二つ目は、「いや―」の「―」の部分だけを口語訳するもので、結論をつかんだ口語訳である。三つ目は、「―ものか」と口語訳するもので最近はあまり見かけないが、たいへんセンスのある口語訳である。
反語をどのように考えるかであるが、疑問の強まったものが反語と考えておくとよいであろう。例えば、「やは」「かは」「疑問語+か」などが反語になりやすい。あとは、文脈でたどるには、反語の場合は答えを要求しない主張文になるので、答えを要求するのが疑問で、答えを要求しないで主張するのが反語と考えてもよいであろう。このように考えておくと、漢文訓読の際、疑問で読むか反語で読むかの基準としても有効である。また、
  ○このごろかかる犬やはありく。『枕草子
では、結論が否定になり、
  ○折にふれば、何かはあはれならざらむ。『徒然草
では、結論が肯定になることにも注意が必要である。
また、「ぞ」「こそ」に関連した、「もぞ」「もこそ」も係り結びにはなるので係り結びの用法と考えてよい。しかし、
○門よくさしてよ。雨もぞ降る。『徒然草
○烏もこそ見つくれ。『源氏物語
○人、あやしと見とがめもこそすれ。『源氏物語
などのように不安や危惧を示すので、慣用句的に指導する必要もある。
係り結びは、強調表現には違いないので、筆者や会話文の発話者の主張が読み取れるということは、文章読解では重要なことであろう。文法的には、古文と現代語との決定的な違いは、係り結びの有無にあるということも生徒には伝えて認識させたいところである。


(注1)岡崎正継氏は『国語助詞論攷』(おうふう)の中で、「問い」と「疑い」に分類し、推量を伴うものを「疑い」に分類している。また、「疑い」は「―ではないだろうか」と口語訳するとご教示いただいた。<引用文献>


佐伯梅友(一九五三)「はさみこみ」『国語国文』二十二巻一号
小西甚一(一九五五)『古文研究法』洛陽社
永野賢(一九五八)『学校文法概説』共文社
村上本二郎(一九六六)『古典文解釈の公式』学研
石井秀夫(一九八一)『文型の公式』聖文社
石井秀夫(一九八五)『文章吟味の公式』聖文社
塚原鉄雄(一九八七)『新講古典文法』新典社
高橋正治(一九八八)『古文読解教則本駿台文庫
関谷浩(一九九〇)『古文解釈の方法』駿台文庫
望月光(一九九四)『古典文法講義の実況中継』語学春秋社
千明守(一九九四)『勝つための古典文法五〇』三省堂
中村幸弘(一九九四)『先生のための古典文法Q&A一〇〇』右文書院
野田尚史(一九九六)『「は」と「が」』くろしお出版
岡崎正継(一九九六)『国語助詞論攷』おうふう
大野晋(一九九八)『古典文法質問箱』角川文庫
加藤道理(一九九九)『常用国語便覧』浜島書店