釈迦は合理的?中庸?

釈迦について、私は以前は僧侶の方の解釈に従って、「中庸」だと思っていました。しかし、栗田昌裕さんの著作や心霊科学などを学んだり、心理学を学ぶうちに、最近は、釈迦は実は合理的な方だと思うようになってきました。たとえば「努力」についても、釈迦の教え全体を現代風にしてみると、次のようになります。
努力は尊いもので、「努力即ち幸福」とする教えもあります。しかし、努力の仕方にも三つの注意点があります。それに気をつけていないと、ただの無駄な努力になります。意外と盲点で「こんなに努力しているのに報われない」とぼやいたり、「ただの無駄なことをやり続ける」というケースがよくあります。では、その努力の反省の仕方を、三つをあげてみます。
◯「根本的な努力不足」
◯「努力の内容が工夫されていない」
◯「努力の仕方がポイントからズレている」
不適切な努力は自分を消耗させ、適切な努力は自分を向上させ、パワーを増強させます。努力についても、反省してみましょう。
このような具合に、最近は釈迦の「八正道」は理にかなったものではないか、と考えています。