和歌と短歌

和歌・短歌の捉え方


本稿では、韻文の代表である和歌・短歌の説明方法について、外国人向けの和歌・短歌について扱ったもの、国語便覧や国語教科書での和歌・短歌の取り扱い、日本語学者の和歌・短歌の説明を概観することで、日本語教育・国語教育・日本語学の三つの立場から概観することとする。


1.日本語教育の視点−外国人を対象としたもの

姫野昌子・伊東祐郎(2006)『日本語基礎B−コミュニケーションと異文化理解』(放送大学教育振興会)では、第一部が「外国人学習者用」、第二部が「日本人教師用」となっており、各課に「日本の詩歌」という箇所がある。その中で、和歌について扱っている課と、そこで取り上げられている和歌を示してみる。

○第1課・・俵万智(1962-)の短歌 二首
「寒いね」と話かければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日
〔話かけたとき、答える人がいる人がすぐそばにいる。とてもあたたかい、幸せな気持ちになる。〕
〔恋人にサラダを作った。恋人が食べて、おいしいと私の手料理をほめた。だから、今日は、忘れることができない、すばらしい日だ。〕
*(あたたかさ:あたたか(い)+さ)
短歌は和歌ともいいます。5・7・5・7・7の31文字から作られています。俵万智は、日常の会話体で短歌を作り、現代の人にも身近なものにしました。それで、人気があります。若い作者は、恋人がいて、うれしい、幸せだと素直に表現しました。多くの若い人たちがこの歌に共感を持ちました。
○第3課・・石川啄木(1886-1912)の短歌 二首
はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしゃば)の人ごみの中(なか)に
そを聴きにゆく

〔働いても働いてもまだ私の生活は楽にならない。苦しくてじっと手を見る〕
〔私の生まれた故郷のことばが懐かしくて、聞きたい。それで、人でこんでいる駅へ、そのことばを聞きに行く。〕
*(なつかしい=なつかしい そを=それを)
石川啄木は、東北地方の岩手県に生まれました。十代のころから東京に出て、文学の活動をしましたが、家族もいたので、生活が苦しくて、たいへんでした。結核の病気になって、27歳で亡くなりました。初めの歌では、がんばっても生活が苦しいと嘆いています。次の歌では、大都会東京の生活に疲れた、作者の寂しい気持ちが表れています。上野駅は、故郷の東北から来た汽車が着く所、そして、故郷へ帰る汽車が出る所です。故郷の人が乗っているだろう。故郷へ帰ることはできないが、そのことばを聞き、心を慰めたいと思って、大勢の人がいる駅の中に、一人で立っている孤独な作者の姿が想像されます。
○第7課・・与謝野晶子(1878-1942)の短歌 二首
清水(きよみず)へ祇園(ぎおん)をよぎる桜(さくら)月夜(づきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき
金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いちょう)ちるなり夕日(ゆうひ)の岡に
清水寺へ夜桜を見に行く人たちだろうか。月が出ている今夜、祇園で、すれちがう人たちはみな、いつもよりも美しく見える〕
*(うつくしき=美しい)
〔夕日に照らされた岡の上に立つ、黄葉した銀杏の木から次々と葉が散っている。金色の小さな鳥が舞っているように見える〕
*(ちひさき=小さい ちるなり=散っているよ)
与謝野晶子は、大阪府堺市生まれです。短歌の先生だった与謝野鉄幹との恋愛問題は当時有名になりました。多くの優れた、情熱的な歌を作り、そのほか、教育、女性、社会などの問題についても指導的な意見を発表し、大きな影響を与えました。与謝野晶子の歌は、情景の美しさとリズムの美しさに満ちています。
○第13課・・若山牧水(1885-1928)の短歌 二首
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
幾(いく)山河(やまかわ)越(こ)えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
〔白鳥は悲しくないのだろうか。ただひとり、空と海の青い色に染まらないで白い姿のまま、水の上に浮いて揺れている。私はまるでこの白鳥のようだ〕
〔いくつ山や川を越えて行ったら、この旅の寂しさがなくなるのだろうか。いや、この寂しさはなくならないのだ。このようにして、私は今日も旅を続ける。〕
*(哀しからずや=哀しくないのだろうか 染まず=染まらないで)
*(越えさり行かば=越えて行ったら 終てなむ=終わるのだろうか)
若山牧水は、九州の宮崎県の生まれ、恋・旅・酒・自然を題材として、多くの和歌を作りました。この二つの歌では、自然の景色の中に作者の孤独な気持ちが表されています。

与謝野晶子から俵万智まで、文語体から口語体まで幅広く採用している。このことは、近代以降のものを対象としたことを示している。また、短歌と和歌とを区別する説明はなされず、短歌と和歌を同じものとしている。第二部の「日本人教師用」の箇所は、その作者のプロフィールが詳しく書かれているもので、和歌・短歌についての記述は見当たらない。このことは、日本人の代表的な歌人を学ばせたいという意図を示すと考えられる。
この姫野昌子・伊藤祐郎(2006)『日本語基礎B−コミュニケーションと異文化理解』(放送大学教育振興会)は、姫野昌子・伊藤祐郎(2006)『日本語基礎A−文法指導と学習』(放送大学教育振興会)(日本語能力試験4級レベル)の続編であり、前書きに「日本語能力試験3級レベルで、平易な日本語の説明がわかる外国人学習者を対象としている。コミュニケーション能力と異文化理解能力の養成を図りつつ、基本的な文法事項の復習と、日本の社会と文化の一端を紹介するものである」と書かれている。そのため、「日本の社会と文化の一端を紹介する」という意味で、近代以降の代表的な人物の和歌を取り上げたことがわかる。

次に、日本文学者が外国で和歌を講じたものとして、鈴木日出男(1999)『古代和歌の世界』(ちくま新書)を取り上げる。この本の草稿は「あとがき」によると、ジュネーブ大学で客員教授として赴いたときに講義の一つとして「和歌について」を担当したときのものであることが述べられている。また、対象としては日本学科の学生だけでなく、日本学科以外の学生も聴講できるように、二宮正之教授のフランス語の翻訳付きで講義が進められたことが述べられている。目次は以下の通りである。

序章 古代和歌のあらまし
一和歌のはじまり・二『万葉集』の時代・三『万葉集』から『古今集』へ・四歌集の構成と部立・五八代集の時代
第一章 場の共同性
一通達と和歌・二独詠歌・三贈答歌の方式・四歌垣と贈答歌・五贈答歌の方式(続)・六唱歌
第二章 類歌−言葉の共同性(1)
一類同の言葉・二類歌(1)・三集団と個・四類歌(2)・五共同の言葉としての類似性
第三章 枕詞・序詞
一枕詞とは・二『万葉集』の枕詞・三序詞とは・四人麻呂の枕詞と序詞・五『古今集』の枕詞・序詞
第四章 『万葉集』の世界
一歌謡と和歌・二作歌方法の多様化・三歌風の個性化・四歌風の個性化(続)
第五章 歌言葉−言葉の共同性(2)
一歌言葉とは・二春の景物・三秋の景物・四恋の景物・五歌枕・六歌言葉の規範性
第六章 掛詞・見立て
一掛詞とは・二縁語掛詞仕立て・三見立てとは・四擬人法
第七章 『古今集』の世界
一事実の再構成・二観念的表現・三時の流れ・四『万葉』の歌の感動・五紀貫之の歌
第八章 女歌の表現性
一『和泉式部日記』の女歌・二『万葉集』時代の女歌・三王朝の女歌・四男の女歌
第九章 物語の和歌
一『竹取物語』に即して・二『伊勢物語』の和歌・三『源氏物語』の和歌
第十章 『新古今集』への道
一和歌史の転換期・二「余情」の歌・三『新古今集』の表現・四『新古今集』の表現(続)
終章 古典詩歌の共同性
一共同の歌・二歌合せ・三題詠・定数和歌・四連歌・五俳諧・六自然の表現の様式
あとがき

内容的には、鈴木日出男氏の専門が日本古代文学研究(物語と和歌の業績が有名)であることを反映して、和歌の修辞技巧などだけにとどまらず、上代から中世初期までの和歌および物語での和歌を中心に物語の和歌を講じたことがわかる。


2.国語教育の視点

中学生向けの国語便覧ではどのように扱っているかを見てみることとする。浜島書店編集部(2001)『東京都版・国語便覧』(浜島書店)では、次のように「和歌」と「短歌」とを分けて記述している。

「和歌の知識」
○和歌のリズム
句切れ
○和歌の表現技巧
枕詞・序詞・掛詞・縁語・体言止め・本歌取り
○歌枕
○和歌で注意する語句
やも・かも・けり・らむ
「近代短歌の知識」
○短歌のリズム
句切れ
○短歌の表現技巧
比喩・倒置法・体言止め・押韻・字余り・枕詞
○短歌鑑賞の手引き
感動の中心をつかむ・感動を表す語には「けり」「なり」「かな」「かも」などがある・声に出してよむ

中学校の国語教科書、加藤周一木下順二ほか(2006)『伝え合う中学国語』(教育出版)では、第二学年に「短歌」、第三学年に「和歌」が掲載されている。それぞれ、どのような和歌・短歌が採用されているかを示すと、次のようになる。

『伝え合う中学国語2』教育出版
○短歌とは
○句切れ
斎藤茂吉石川啄木若山牧水与謝野晶子

『伝え合う中学国語3』教育出版
○『万葉集
持統天皇額田王大伴家持山上憶良
東歌・防人の歌・長歌反歌
○『古今和歌集
紀貫之藤原敏行小野小町
○『新古今和歌集
西行法師・藤原定家式子内親王
○和歌の句切れとリズム

短歌と和歌とを区別しており、短歌に掲載されている歌人は、日本語教育のテキスト、姫野昌子・伊藤祐郎(2006)『日本語基礎B−コミュニケーションと異文化理解』(放送大学教育振興会)にも掲載されている。

次に高等学校の国語教育向けに書かれた、佐伯梅友(1988)『古文読解のための文法・下』(三省堂)の第一章に和歌の記述があるので、その目次をみてみる。この本は学校文法をもととして古文の読解に必要な文法的事項を述べたものである。

第一章 かけことば・縁語など
一 かけことば
二 かけことばで圧縮する言い方
三 物名
四 縁語
五 枕詞・序詞

このように掛詞を中心に縁語を説明し、枕詞と序詞の説明の扱いを少なくしている。このことは、高等学校での和歌では修辞技巧としては掛詞と縁語を主に学ばせたいということを意味すると考えられる。

次に佐伯梅友氏の文法論を継承・発展させ、高等学校の古典の文法書として編纂された、中村幸弘(1993)『生徒のための古典読解文法』(右文書院)では、その第八章に和歌の説明があり、次のようにその目次は次のようになる。

第八章
一 枕詞
二 序詞
三 掛詞
四 縁語
脚注 主な枕詞にはどんなものがあるか・枕詞と序詞とはどう違うか・序詞を現代語訳するときには・本歌取り・主な縁語を覚えておこう・物名

この本の指導資料にあたる、中村幸弘(1993)『先生のための古典読解文法Q&A100』(右文書院)では高等学校の現場の教員の声を反映したQ&A方式が採用され次の三項目が取り上げられている。

Q98(枕詞・序詞・掛詞)
枕詞や序詞が、掛詞を利用して導き出す語について、詳しく説明してください。
Q99(掛詞の掛け方)
掛詞の、二つの意味の掛け方には、なにか二とおりの掛け方があるように思えるのですが、どうなのでしょうか。本テキスト125ページの図解の意味も含めて、説明してください。
Q100(掛詞の例)
文法書に引かれる掛詞の例は、どうしても有名な例に限られます。掛詞の例を数多く、具体的な歌とともに紹介してください。

この現場の教員の質問例から、掛詞の指導を中心とした説明が高等学校で行われていることがわかる。

高等学校向けに書かれた、加藤道理ほか(1999)『常用国語便覧』(浜島書店)では、「古典文学編」の箇所で「和歌の修辞技巧一覧」があり、次のように三つに分類して書かれている。なお、「近代文学編」には修辞技巧は記されていない。

「和歌の修辞技巧一覧」
○韻律的な形式・調べ
句切れ
○連想に関するもの
枕詞・序詞・掛詞・縁語・本歌取り・折り句・歌枕・体言止め
○余情・余韻
体言止め

国語教育の和歌の取り扱いで気づくのは、序詞の説明が軽く扱われているということである。このことは、序詞は枕詞の長いものにすぎず、一回性が強いため、指導しにくいことを反映しているのであろうか。それとも、あまり重要性を見出していないためであろうか。

高等学校の現場で用いられ、高等学校と大学教育とをつなぐ役割を果たした、村上本二郎氏と石井秀夫氏の著作の記述をみてみることとする。

○村上本二郎(1966)『文法中心・古典文解釈の公式』学研
「枕詞」
1原則として五音からなり、一定の語を導き、修飾または句調を整えるのに用いる。
2枕詞も、訳の上に表わす場合がある。
「序詞」
1七音以上からなり、ある語句を導くための前置きとして用いられる。
意味内容の面から関係を持つもの・音調の面から関係を持つもの・掛詞としての用法の上で関係を持つもの
2序詞は、すじのうえには関係はないが、背景・気分の上では意味を持つ。
「掛詞」
1掛詞は、一つのことばに二つの意味を持たせ、技巧的に修飾するはたらきをする。
2掛詞は、二つの意味を訳のうえに表わす場合がある。
3縁語は掛詞と併用されることが多い。
石井秀夫(1985)『古文読解のための文章吟味の公式』聖文社
第十五章 各種の修辞に関するもの 
公式157ある語句を導く三から五音の修飾句は枕詞
公式158枕詞は初句か第三句
公式159ある語句を導く七音以上の修飾句は序詞
公式160序詞の三通りのでき方
公式161枕詞・序詞は散文にも用いられる
公式162一語に二通りの意味を含ませる修辞は掛詞
公式163掛詞は「単独」と「他の修辞」の二種
公式164中心語句に関係ある語を使う修辞は縁語
公式165物名を隠して歌中に詠み込む修辞はもののな
公式166和歌の折句・沓冠
公式167和歌で漢字を分解して詠みこむものは離合
公式168古歌を自分の和歌に借用する技巧は本歌取り

村上本二郎(1966)の説明は比較的オーソドックスで、伝統的に行われている和歌の修辞に関する一般的な説明といえる。それに対して佐伯梅友の門下生であった石井秀夫(1985)の方は、公式の分類もたいへん細かく、修辞技巧について細かく取り上げている印象を受ける。


3.日本語学的の視点

和歌・短歌は、日本語学者も文学者も研究しているが、本稿では日本語学者の論を中心に、日本語学的な視点をもつ論を整理してみることとする。


富士谷成章

 富士谷成章は、『あゆひ抄』において、和歌を例に出しながら、助詞・助動詞の部分に口語訳を施している。その口語訳は、和歌を解釈する上で、助詞・助動詞を重要と考えていたことを示している。その口語訳や説明により、本格的な助詞・助動詞の研究の出発点となっている。そこで述べられている助詞・助動詞についての口語訳を整理してみると、次のようになる。

(助動詞)
「る・らる」ラレル/「す」サス・セル/「む」ウ/「らむ」デアラウ・デアラウズレ/「けむ」タデアラウ・タコトデアラウ・タモノデアラウ/「まし」ウモノヲ/「ませば・ましかば」ウモノニシテミタラバ/「ず」ヌ・ナンダ/「じ」マイ/「べし」コロアヒ・ネバナラヌ・ハズ・ソナ・コトガナルサウナ・レラソナ/「まじ」ソモナイ・ハズデナイ/「らし」サウナ/「めり」オモムキヂャ・様子ヂャ/「し」タ・サキダッテ/「しか」タコトデアッタノニ/「けり」タコトヂャ・タモノヂャ/「つ」タゾ/「ぬ」テシマフ・ダンニナル・ヤウニナル・テシマフタ・ヤウニナッタ・タ/「たり」トイフテアル・テアル・テヰル/「り」アル・ヰル
(助詞)
「かも」カサテモ/「かな」コトカナ/「な」ナア/「ぞ」ノヂャゾ/「よ」イノ・ゾイノ・ハイノ/「も」サテモ/「なむ」テクレヨ/「ばや」タイゾ/「もが・もがも・もがな」ドウモ・アッタラヨカロ・ドモナラヨカラウ・ドモアリタイ・ドウモアルニシテ・ミタラバヨカラウ/「てしか・てしかな」タイモノヂャニ/「かし」タガヨイハ・サテ・トアレカシ・ハサテ/「て」ホドニ・ヨトイフホドニ・/「で」イデ/「ものゆゑ」クセニ/「ものを」ノニ/「つつ」テソレナリニ・テコレナリニ・シテ・テカラニ/「ながら」ナリニ・ナリデ/「のみ」バカリ・バッカリ/「ばかり」ホド・ダケ/「だに」サヘ・ナリトモ・デモ/「さへ」マデガ・マデモ/「すら」デサエ/「まで」クラヰニ・ジブンマデ/「や」カ/「か」ノカ/「やは」カヤ・カイヤイ/「かは」カイノ・ゾイノ/「より」カラ/「に」ニ・ヘ・デ・ノニ/「を」ヲ・ノヲ・ヂャノニ/「へ」ヘ・ニ/「の」ノ・ガ・ノヤウニ/「が」ガ・ノガ/「して」デアッテ/「をば」ヲ・コレハ/「もぞ・もこそ」バワロイニ・ウコトヂャニ「な―そ」テクルルナ・コトハオケヤメニセヨ・ヨシニセヨ/「ゆめ―な」カマエテ―ナ/「―み―み」―タリ―タリ/「がてら」カタガタ

このように、富士谷成章は、和歌の解釈という視点からの助詞・助動詞の口語訳を中心とした解釈を施している。この口語訳は、現在でも用いられているものもあり、言語観の鋭さを改めて感じさせられる。


和歌の句読法と句切れ

 和歌を構造的に考えるために、修辞技巧による以外に、和歌の句読法の利用について考えてみたい。和歌の句読法については、大岡信氏の『大岡信の日本語相談』の中でも、若山牧水折口信夫が短歌に句読点を施したとして紹介されている。その中でもとりわけ、折口信夫釈迢空)が生涯、和歌に句読点を施し続けたことは最も興味深いし、近代の句読法の元祖的なものとして、大類雅敏訳注(1986)による、権田直助の『権田直助 国文句読法』にも詳しく載っている。しかし、現在では、和歌の句読法はあまり行われていない。おそらく、現代語訳に句読点を施すので、その必要はないと考えられているためであろう。しかし、和歌に句読点を施すということには、和歌を構造的にとらえようとする気持ちが表れている。句切れの認定についても、広義では、「作品を読む時の調子や朗誦する際に感じるリズムなどによって認める立場」や「それぞれの場合に応じて、適当につき混ぜて句切れを認める立場」などもあるが、江湖山恒明(1955)の客観的に句切れを認める立場(文法的に見て休止があると認められる場合だけ句切れを認める立場)が狭義ではあるが、一番利用しやすく折口信夫や権田直助もそのあたりに認めているようなので、その定義にしたがって実際に句読点を打ってみると、
春日野は今日はな焼きそ。わか妻のつまも籠れり。われも籠れり。(古今集・春・上・読み人知らず)
などのように、①終止形の下、②係り結びの結びの下、③命令形の下、④連体止めの下、⑤終助詞の下、⑥体言止めの下に打つこととなる。
また、読点については、折口信夫『口語訳万葉集』や権田直助『国文句読考』をみると、①「ば」「ど」「とも」「て」などの接続助詞の下、②倒置法の結句末の下、③活用語の連用中止法の下、④場所・時間・目的格・対象を示す格助詞の「を」「に」の下、⑤準体言になる連体形の下、⑥連用修飾の「の」の下、⑦連体修飾で示された主語を示す「の」「は」「も」の下、⑧呼びかけの「や」「よ」の下に施しているようである。
 では、意味の切れ目としての句切れは、なぜ起きるのであろうか。その理由としては、松田武夫(1969)は、①名実ともに倒置法的表現をとった場合(倒置)―知るらめや 霞の空を眺めつつ花もにほはぬ春を嘆くと(新古今集)、②呼びかけ的表現がなされる場合(呼びかけ)―玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする(新古今集)、③繰り返しに同一または相等しい語句が用いられる場合(繰り返し)―年のうちに春は来にけり ひととせを去年とやいはむ 今年とやいはむ(古今集)、という三つに分けて考えている。他には、三句切れの場合は和歌を音読すると、生理的に三句めで休止するほうが楽であるとか、連歌の発達で上の句と下の句とでは詠み手が異なるからであるとか、という説があるようである。句切れも一箇所か二箇所での句切れがほとんどである。坂野信彦(1996)は、日本語学のリズム原論の立場から、もともと奈良時代は、和歌の結句を繰りかえしており、五七・五七・七(七)であったものが、平安時代にはいり、結句を繰り返さなくなり、さらには、第一句めを導入として使用するようになった結果として、五・七五・七七となったと述べている。このリズムから考えると、奈良時代の五七調から平安時代の七五調の変化も明快し説明できるし、句切れについても、理解しやすい。
 また、久保田淳(1969)では、
桜あさのをふの下草しげれ ただあかで別れし花のななれば(新古今集・185)
のような「句割れ」の例も紹介している。
 小松英雄(1997)のように、日本語学者でありながら、和歌を「仮名連鎖構文」と名づけて、あまり句切れを重視しない立場のものもある。


和歌と短歌

江湖山恒明(1958)は、「現代短歌」を明治和歌革新運動が起こってからのものとし、和歌と現代短歌とを分類し、次の六項目について比較検討を行っている。
1枕詞・序詞・懸詞・縁語などを中心とする修飾
2五七調・七五調との違いを生み出す句切れ
本歌取り
4体言止め・用言止めなどを中心とする結句における止め方
5うたことば(歌語)といわれる用語
6言語の省略と順序
これらの結果を次のようにまとめている。
1と3は、現代短歌ではあまり用いられていない。
2と4は、現代短歌ではまちまちの減少で、現代短歌としての特徴をまとめるのが難しい。
5は、現代短歌では活発に用いられている。
6は、現代短歌では、省略されていることばの判断が難しい。
江湖山恒明(1960)では、時枝誠記の論を受けて、和歌に接続語(思想の展開や論理の積み重ねを示す役割)がまったくといってよいほど用いられていない理由として、
○叙情詩として気分や情緒を盛り上げるところに中心の狙いがある。
○音数律の制限内で表現しなければならない。
をあげている。


修辞技巧の捉え方

江湖山恒明(1960)は、表現技巧の面から「枕詞」と「序詞」を「第一類の修辞」、「掛詞」と「縁語」を「第二類の修辞」と二分類しており、この分類で執筆されているものが多い。また、遠藤嘉基・松井利男(1955)は、「掛詞」の技法を中心に据えて、「序詞」を「(修飾語的な性格を持った」懸詞的序詞」と「(音感覚の連想による」音調的序詞」、枕詞を「懸詞的枕詞」と「音調的枕詞」に分類している点が特徴的である。


枕詞

 枕詞は、三音・四音・五音・六音のものなどがあるが、「あしひきの」「ちはやぶる」「たらちねの」「ぬばたまの」といった五音のものがほどんどで、口語訳しない。口語訳しないのは、語義未詳のものが多いためであり、機能としては、ある特定の語が下にくるのでその語をほめるほめことばと考えられたり、
折口信夫の述べるように、枕詞は呪術的なことばとして発生し、祭事と関わる歌謡の世界とともに成長してきたとされる。また、地名や神名に枕詞や序詞が多く使われるのは、起源的に注意されるところである。枕詞の研究史と解釈としては、福井久蔵(1927)がよく知られている。また、鈴木日出男(1999)は、『古代和歌の世界』の中で、「古代の人々はこのように、畏怖すべきもの、美しいものなどを言う場合、そのイメージを繰り返し言うような形で、枕詞を用いて強調したのである」と述べている。また、「あしひきの」なら「山」、「ちはやぶる」なら「神」、「たらちねの」なら「母」、「ぬばたまの」なら「黒」といったように、ある特定の語を引き出す。それらは、①「草枕―旅」のように枕詞が受ける語を意味的に修飾する場合、②「梓弓―春」のように枕詞が受ける語と同音または類似音の他の語(掛詞)にかかる場合、③「父の実の―父」のように枕詞と同音または類似音をもつ語にかかる場合、④「ささなみの―志賀」のように枕詞が地名にかかる場合の四つに整理できる。また、枕詞の位置は、
ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは(古今集・秋下・在原業平
のように第一句目にくる場合が多いが、
わたのはらこぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波(詞花集・雑下・藤原忠通
のように第三句目にくる場合(半臂の句と呼ばれる)も見られる。
此島正年(1969)は、日本語学の立場から、品詞別に枕詞の構成を「名詞」「名詞プラスの」「名詞プラスを」「名詞プラスに」「名詞プラスよし・やし・をし」「名詞プラスなす」「名詞プラスじもの」「名詞プラスのごと」「動詞連体形」「動詞連体形プラスや」「動詞連用形」「動詞プラスども」「動詞プラスて」「動詞プラスず」「動詞プラスぬ(否定)」「形容詞語幹」「形容詞連体形」「その他」の18種類に分類し、用例数を示し「動詞プラスの」が一番多いとした上で、これらの枕詞を大きく二つに大別している。一つは、「名詞を根幹とするもの」であり、もうひとつは、「用言を根幹とするもの」である。そして、名詞を根幹とするもののうち、「名詞プラスの」は一番用例数が多く、「あしひきの山」のように、固定的慣用性が強く純粋に連体法に立つ場合と、「咲く花のうつろひにけり」のように、流動性・創造性にまさり、主格として比喩のように解釈され、用言に続く比喩の序詞と似た場合とに分けている。「名詞プラスなす」や「名詞プラスじもの」「名詞プラスのごと」も同様に、比喩としている。次に多い、「名詞」だけのものについても、「名詞プラスの」と同様に、連体的用法と連用的用法とに分けている。そして、「名詞」と「名詞プラスの」で注意しなければならないのは、「ちちのみの父」「さゆり花ゆりも逢はむと」のように音調によって下の語を引き出す用法が多いことであると、述べている。「名詞」「名詞プラスの」以外では、「名詞プラスよし・やし・をし」は「あをによし奈良の都」などのように意義の続き方のはっきりしないものがあり、成立の古さを感じさせるが、「名詞プラスを」と「名詞プラスに」については、格観念の発達した後の新しい成立としている。用言を根幹とするものについては、「花ぐはし」など形容詞はきわめて少ないこと、「いさなとり海辺をさして」のように、本来は動詞の連用形であっても結果的に連体になってしまったものが多いこと、などを具体的に鹿持雅澄の『万葉集枕詞解』に出ている枕詞を用例数で示して述べている。
 此島正年(1969)のこの考察は、日本語学者の視点からか、用例数を示して、すっきりと整理されている。さらには、枕詞の形態からの視点により、枕詞をとらえるのにたいへん有用である。
 日本語のリズム原論の立場から、坂野信彦(1996)は、第一句めの枕詞を奈良時代は長くのばして詠んでいたので、三音・四音の枕詞でもよかったが、平安時代になると、長くのばさなくなり、第一句めを導入として使うようになり、枕詞は五音が原則になったことを述べている。


序詞

 序詞は、契沖が「序は枕詞の長きなり」と述べているように、枕詞と性質は似ているが、二句以上、または、七音以上でその場その場で臨時的に自由に創作される。序詞にあたる部分は、上田設夫(1983)が述べるように、土地や情景になる場所であることが一般的で、そこから心情を表す部分を導き出すと、考えられる。そのあたりを意味してか、佐伯梅友(1958)や森重敏(1967)は「枕詞は体言にかかる」「序詞は用言にかかる」としている。枕詞と序詞を分けて考えるようになったのは、宗祇を中心とした連歌師あたりからであるし、機能的にもよく類似しているので、このように考えてもよいであろう。山口正・福井久蔵・境田四郎といった、数多くの先行研究から、序詞を見つけるには、序詞を主に三つのパターンに分けることが一般的である。すなわち、
①あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(拾遺集・恋三・柿本人麻呂
のような「の」による比喩のパターン、
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり(新古今集・羇旅・在原業平
のような同音反復のパターン、
③風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ(古今集・雑下・読み人知らず)
のような掛詞を引き出すパターンに分類できる。①は比喩式で「有心の序」、②と③は同音式と掛詞式で「無心の序」と呼ばれ、比喩式が一番多い。この比喩式は「―の(連用格)」はよいとしても、「―名詞」で終わるものの場合、その比喩かどうかの認定の有無には、個人の主観が入るところがあり、はっきりした断定はしにくいものもある。でまた、「木曾の麻衣あさからず」「諏訪の海のふかきなさけに」(『来目路の橋』)のように中世・近世では序詞が散文でも使われることも多い。
 此島正年(1969)は、序詞も枕詞とそれほど形態的に変わるものではないとして、『万葉集』の中でもっとも多く序詞が用いられている巻16の171例を整理し、「―名詞プラスの」「―名詞」「―名詞プラスに」「―名詞プラスを」「―名詞プラスなす」「―動詞連用形」「―動詞連体形」「動詞連用形プラスて」「―み」の九種に分類した。そして、枕詞と同様に、「名詞」と「名詞プラスの」が多いことを指摘し、動詞で続くもののうち、枕詞と異なり、動詞連用形の体言化が少ないこと、枕詞の連体的傾向に比べて序詞が連用形に勝っていること、歌の主要部に対して枕詞は従属性が高く、序詞の方は対立性が高いことを述べている。
此島正年(1969)の研究は、それまでは文学的・修辞的な特異さに注意するだけだったが、それを文構成にあてはめ、体系的かつ実証的・形態的考察によって、枕詞と序詞の比較をしている点でその類似性と相違点を浮き彫りにしているといった点で価値があるといってよいであろう。


掛詞

 掛詞は、あることばに二つ以上の意味を持たせる技法で、
もの思ふ心の闇は暗ければ明石の浦もかひなかりけり(後拾遺集・羇旅・藤原伊周
人知れぬ身は急げども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰集・恋三・藤原伊尹
など比較的地名におこりやすい。また、掛詞の見つけかたとしては、
①都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関(後拾遺集・羇旅・能因法師
のように、「都」「霞」ということばから、「たち」が「発ち」と「立ち」との掛詞になっているものと、
②秋の野に人まつ虫の声すなり我かとゆきていざとぶらはむ(古今集・秋上・読人知らず)
のように「人」を「待つ」と「松」虫というように、上からの流れと下への流れの二重性を持つものがある。また、「待つ」と「松」といった、一語と一語とが対応する交代型とでも呼べそうなもののほかに、
秋霧のともに立ちいでて別れなば晴れぬ思ひに恋ひやわたらむ(古今集・離別・平元規)の「思ひ」という語の一部の「ひ」に「火」を掛けるといった、包含型とでも呼べそうなものや、「憂し」と「宇治」のように清濁の許容されるものなどがある。一般に、掛詞は中古に入ってからとされているが、井出至(1967)は、万葉集における掛詞と呼んでもよいような例を示し、掛詞の源流を万葉集に見られることを示している。
尾上柴舟(1932)の掛詞の論が文学的視点の最たるものとして知られ、その対極にある、日本語学的視点の江湖山恒明(1955)は、時枝誠記の論を発展させて、「掛詞は縁語との併用で効果は一層強化される」とし、掛詞を句が意味上自然に連接してゆくものを、「体言または用言同士の間に成立し表裏二つの意味の流れが成立する」として、それを甲類と名づけて『古今集』に多いとし、前句からの接続が掛詞で断ち切られ、ついでその掛詞が新しい文脈を呼び起こしていくものを、「体言と用言相互の間に成立し、断絶と飛躍の間の心理的屈折がある」として、それを乙類と名づけて『新古今集』に多いとしている。非常に国語学的視点に立った整理と言えるし、掛詞を品詞からとらえる点でわかりやすい。


縁語

 縁語は、掛詞とともに用いられることが多く、掛詞の中でも「物象」と「心象」とが掛けられている場合の「物象」と結びつくという、鈴木日出男(1999)が述べている説明がわかりやすい。たとえば、「かれはてむ後をば知らで夏草の深くも人の思ほゆるかな」(古今集・恋四・凡河内躬恒)は、「かれ」は「枯れ」と「離れ」との掛詞で、「枯れ」という物象を示すものが「夏草」「深く」と縁語の関係になる。この縁語掛詞仕立てを基本として考えておくとよい。また同じく、鈴木日出男(1990)は、この縁語・掛詞じたては、六歌仙時代から成立したもので、詠み人知らずの枕詞・序詞の心物対応構造の変形したものとしている。また、藤井貞和氏(1998)は、「縁語という、和歌の技巧としてはよく注意される技巧は、掛詞と表裏一体のそれとして理解しておくのがよい。掛詞の意外性は和歌の中では、かなり薄められ、慣用的な共通の理解を求めるほうが優先する。和歌の技巧的な苦心としては、掛詞を利用して、縁語をたくみに並べた〈詩〉の世界を一首のなかにあらわすことに、重心が移ってきている。掛詞のあるところに縁語あり、縁語のあるところに掛詞あり、という原則をおさえておくのがよかろう」と述べている。リズム原論の立場からは、坂野信彦(1996)が、句ごとの結びつきが強くなった結果として、掛詞・縁語が生じたとしている。
また、片桐洋一氏は、『歌枕歌ことば辞典』において、三代集和歌の表現上の特色を縁語の駆使とし、歌枕をキイ・ステーションとして、「ステーションから発する指令によって一つ一つの縁語がそのそれぞれにふさわしい対応をするのである」と歌枕の重要性についても述べている。
 縁語は掛詞の附属として論じられることが一般的で、縁語についてのまとまった論文はなかなかないのだが、尾上柴舟(1932)は、文学者でありながら、縁語を品詞別に扱おうとしている。つまり、中心になる名詞が必ず一つは存在していて、①第一種(二語からなる。名詞と動詞または名詞・形容詞)②第二種(名詞と動詞と形容詞または名詞と動詞三語からなる)③第三種(四語からなる名詞と名詞と動詞と形容詞または名詞三つ)で、五語以上は、少ないとするのである。やや、複雑な感じは否めないが、中心になる名詞があるとするのはよく、縁語の個数を示したのも目安になりそうである。


体言止め

 体言止めは、体言で終止させることで、余情・余韻をもたせるための技巧である。『古今和歌集』には体言止めの歌はあまりなく、『新古今和歌集』に多い。一般に、『古今和歌集』は、江湖山恒明(1955)のいう、用言止めという言い方でとらえられている。ただし、その用言止めも、広く、「袖ひぢてむすびし水のこほれるを春る立つ今日の風やとくらむ(古今集・二)」の「らむ」のように、助動詞止めの場合も含めて考える場合もある。
 森重敏(1967)は、『萬葉集』と『古今集』の体言止めを、『萬葉集』の体言止めは主語の側に焦点を置く傾向で、『古今集』の体言止めは述語の側に焦点を置く傾向であると述べている。その上で、『新古今集』の体言止めは、喚体句ではなく、文としての力価を持つこととなり、上三句と下二句とが接続的相関ではなく、深く切れ、深く続いており、下句の上句への相関の仕方は、『萬葉集』は直観的・意欲的な即時性、『古今集』は反省的・情緒的対立性、『新古今集』は自覚的・対立合一性にあるとし、「それはまさしく飛躍的な断続関係であり、典型的に連文性の相関である。一首全体としての推論もその相関を通して行われるといってよい。連歌の成立も、このような和歌からは目前である。」と述べて、連歌の成立に至るまでの成り行きも視野にいれた言語哲学的な論を展開している。


連体止め

 連体止めは、連体形で文を終止する表現形式である。その形式としては、①係り結びの結びとして連体形が用いられる場合、②係り結びの形式ではなく、連体形で結ぶ場合とがある。和歌の場合、
み吉野の山の白雪ふみ分けて入りにし人のおとづれもせぬ(古今集・三二七)
のように、②の形式で余情・余韻といったものをあらわす。ただし、山口明穂氏が述べるように、時代が中世に入ると、連体形が終止形の代用をするようになるので、連体形が余情・余韻をあらわさなくなるので、その点、注意が必要である。


本歌取り

 本歌取りは、以前に詠まれた、すでにある名歌・古歌を本歌として踏まえた上で、その一部分を詠みこむことによって、本歌のもつ趣向・情景・発想などを新しい歌に取り入れ、歌の内容を広く深くしようとする技巧で、『新古今和歌集』でもっとも盛んとなる。本歌取りの分類については、木越隆(1969)が、形式的分類(本歌をどのように取るか)と内容的分類(本歌をどのように生かすか)とに分けて考察している。すなわち、形式的分類としては、和歌一首をふまえたもの・和歌二首をふまえたもの・漢詩をふまえたもの・詞書をふくめての和歌をふまえたもの・物語をふまえたもの・故事等をふまえたものに分類し、内容的分類としては、本歌の心とほぼ同じもの・本歌の心を引き継いで変化・発展させたもの・本歌の心を反対からよんだもの・本歌の心と相違した別の心の転化させたもの・本歌の心に贈答したものに分類している。
 本歌取りは、藤原俊成が推進したが、法則化した人物としては、藤原定家をあげることができる。藤原定家は、その歌論、『近代秀歌』『毎月抄』『詠歌大概』において、本歌取りの基本的な考え方を述べている。『詠歌大概』では、「……但取本歌詠新歌事、五句之中及三句者頗過分珍気。……猶案之以同事詠古歌詞頗無念歟。……」とあり、『近代秀歌』では、「……ふるきをこひねがふによりて、むかしのことばをあらためず、よみすへたるを、すなはち、本歌とすと申す也。たとへば、五七五の、七五の字を、さながらをき、七々の字を、おなじくつゞけつれば、あたらしき歌に、きゝなされぬところぞ侍。……」とあり、『毎月抄』では、「……又本歌とり侍るやうは、さきにもしるし申候ひし花の歌を、やがて花によみ、月の歌を、やがて月にてよむ事は、達者のわざなるべし。春の歌をば、秋・冬などによみかへ、恋の歌などをば雑や季などにて、しかもその歌をとれるよと、きこゆるやうによみなすべきにて候。本歌のこと葉を、あまりにおほくとる事は、あるまじきにて候。そのやうは誰もおぼゆる詞二ばかりとりて、今の歌の上下句にわかちをくべきにや。……又、あまりにかすかにとりて、その歌にて詠めるよともみえざらむは、なにのせむか侍べきなれば、よろしく、これらは心えてとるべきにこそ。……」とある。また、藤原為世の『和歌秘伝抄』には、本歌取りの長さや位置や適する和歌の条件についても、「一本歌事 いかにも本歌の文字のをき所をたがふべし。はじめの五文字は第三句めにおくべし。若置れずは二字くはへて七字になして、第二句めにも第四五句めにも置かふべし。本歌の文字一二句に過ては更にとるべからず。亦取るべき句などのなくてしかも取ぬべからん萬葉集などの歌をば心をも取なり。……また人のいたくしらぬ歌本歌に取べからず、作者よく取たると思へども、人知しらぬは無念也、またあながち本歌とる事は宜しからぬ事也。近代の人の歌取べからず冥加なき事なり。」と述べている。
 以上の記述をまとめると、本歌取りのきまりとしては、①本歌から取る歌詞の長さは多くても二句と三四字までであること、②取った歌詞は本歌と位置を変えること、③本歌の季節や主題を変えて詠むこと、④本歌は三代集時代あたりのすぐれた歌の中からとり、近代の歌の中からはとらない、ということになるであろう。
森重敏(1967)は、本歌の取り方に、形態的・機能的・意味的の三段階の区別を認め、「新古今集にあっては、すでに短歌形式も意味的に練成されるに至っている以上は、本歌の意味を手段とすることなく、ただちにその意味全体そのままに呼応しそれに応答するような、連歌でいえば、物付・心付ならぬ匂付に当たるような本歌取りの仕方、おそらくは連文性の相関の一つの極致ともいえる方法もとられたであろうと考えられるが、…〈中略〉…本歌取り新古今集の精神である。上来、短歌形式の方から高度の飛躍的な連文性の相関といい、場の内面への近迫―迫真といい、主体的対決の方法といい、自覚的な対立合一といい、伝統的と創造などといってきたものも、新古今集にとってはすべて本歌取り一つに要約しうるであろう。本歌そのもののありかたとしての時間性に即すれば、それは、言語―文学ないし言語場についての、ことには伝統と創造との転換論的な、つまりは、歴史的なありかたにほかならない。なお、短歌形式の文法―構造から入って本歌取りという表現―構成に出たということ自体もが、このありかたと揆を一にしたものであることは、付け加えるまでもないであろう。」と述べている。…〈中略〉…したがって新古今集では、そのおのづから得られ来る「こころ」もまた個性的であり、本来の第三人称者にしてしかも本来の第一人称者たる『われ』―本歌の内容における人物と作者自身とが一枚であるような―こころとなるわけである。これが、古今集の情緒に対して、さきに情趣といいわけたものであるにほかならない。また、新古今集はすなわちこの意味でのこころのまさしく歴史的なことのは化である」と、ダイナミックに本歌取りについて述べ、歴史的な視野も入れながら、その価値を論じている。他の先行研究で、これほど本歌取りの意義を述べたものは他には見当たらない。


倒置法

 倒置法は、
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に(古今集・113)
春霞かすみていにしかりがねは今ぞ鳴くなる秋ぎりの上に(古今集・210)
のように本来は、それぞれ
いたづらにわが身世にふるながめせしまに花の色は移りにけりな
春霞かすみていにしかりがねは秋ぎりの上に今ぞ鳴くなる
という論理上の普通の語順をかえることで、強く印象づけるものである。山口明穂(1969)は、「倒置は、詩歌などの中においても、人々の感ずる意外性ということを裏付けされて、特殊な効果を生み出す。あることがらの強調、あるいは、感動、そのような効果をねらうものが、倒置法と呼ばれる表現技法である。」「人々の感覚にそぐわない語序をとることによって、一つの緊張感を作り上げ、さらに、それを、感動の表現に展開するというように考えられようか。」と述べている。


歌枕

 歌枕は、和歌に詠まれた地名である。しかし、それだけにとどまるものではなく、他の和歌の修辞と密接な関わりをもつ。小町谷照彦(1969)は、「地名が和歌によまれることによって、現実の土地の持っている雑多な要素が捨象され、類型的な美意識が生じたもの、また、地名に観念的に対することによって、現実の土地の具体相から離反し、記号的な表現機能を示すようになったものである。このような表現意識は万葉集にも萌芽が見られるが、都の文学化した古今集でその再生産または拡充という形で顕著となる。」と述べ、歌枕の表現を、①歌枕が特定の景物と結びつくもの、②歌枕が掛詞によって別な意味内容を生じるもの、③歌枕を形成していることばから他の物や性格を連想するもの、④歌枕がある特定の印象を生じるもの、⑤序詞に用いられた歌枕、という五つに分類している。
 このうち、②と⑤とは、和歌の修辞と密接に関連する。②は、「明かし」と「明石」といった具合に、地名に使われる掛詞も多いことから、頻繁に見られるし、⑤も、序詞は場所や地名といった景物から心情を導き出す性質があるため、地名を含んでいる例が多く、大きな役割を果たしているのも当然である。
 片桐洋一(1999)は、歌枕の範囲を広げ、地名だけではなく、「月」「鶯」「霞」「露」といった歌ことばについても歌枕とした点に特色がある。そして、歌枕と本歌取りについての関係にも触れ、「歌枕のほとんどは古歌の本歌取によって成立していると言っても過言ではないのである。」と述べ、さらに、枕詞・縁語・秀句について、「枕詞が発達して一首全体を統括するようになって歌枕となる。また本歌の心を凝縮して成立した歌枕も新たな一首の核となって全体を統括する。このように歌枕が一首を統括するということは、一首の中のすべての語がこの歌枕と呼応することである。…〈中略〉…古典和歌の中核というべき三代集和歌の表現上の特色を一口に言えば、縁語の駆使ということに尽きると私は思うが、このような見方をすれば、歌枕はキイ・ステーションである。ステーションから発する指令によって、一つ一つの縁語がそのそれぞれにふさわしい対応をするのである。当時の人は、これを秀句とよんでいるが、言葉を選ぶことが言葉をなすことであった時代には、まことに重要な知識だったのである」と述べている。これは、歌枕が和歌で用いられる言葉であるから、修辞技巧とも密接に関わることを述べたものであろう。


物名歌

 物名歌は、歌題または物名・人名を一首の中に隠して詠み込んだものが中心で、これを隠題と呼び、『古今集』巻十には、物名としてあげられている。物名のうちの隠題については、鈴木日出男(1990)は、掛詞の一種で、心物対応構造にならずに、物象叙述だけので、隠題として任意の文脈の中に何の脈絡もなしにある物の名称を繰り込ませると定義し、吉野樹紀(2003)もそれにしたがって考察を加えている。「心から花の雫にそほちつつ憂く干ずとのみ鳥の鳴くらむ(古今集・422)」の「憂く干ず」と「うぐひす」のように、これらの類は、掛詞の一種として差し支えないと考えられる。
 しかし、物名歌の中に分類される折句や沓冠については、あまりにも脈絡がなく、ある物の名称を詠み込んでいくので、形式的に過ぎているため、掛詞の一種としてはみなすことはできないであろう。


見立て

 見立てについては、見立てと擬人法を同一視する考え方もあれば、見立てと擬人法とを区別する考え方もあり、認定が一定していない。吉野樹紀(2003)は、このことについて、現段階では、「〈見立て〉とは、視覚的印象を中心とする知覚上の類似に基づいて、実在する事物Aを非実在Bと見なす表現である」「自然と人事を結ぶ見立てと自然物相互の見立てとがある」とする鈴木宏子氏の説をもっとも整ったものとして紹介し、その説に従っている。


和歌特有の語法

 佐伯梅友氏は、岩波日本古典文学大系古今和歌集』の解説において、和歌特有の文法として枕詞・序詞・掛詞・縁語のほかに、「なれや」「らむ」「なくに」「を」「―を―み」「結果的表現」「連体修飾の場合」「いづくはあれど」をあげている。橘誠氏は、他に、「已然形+や」「べらなり」をあげている。他に考えられるものとして、
照る月の流るる見れば天の川出づるみなとは海にざりける(土佐日記)」
の「ざり」のように「ぞあり」の約まった「ざり」というものや、
春過ぎて夏来らるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
のような「けるらし」の約まった「けらし」なども、解釈する際に注意しなければならないであろう。疑問語についても、疑問副詞の場合は結びは連体形になるが、疑問名詞の場合には、
君恋ふる涙に濡るるわが袖と秋の紅葉といづれまされり(後撰集)のように終止形で結ぶのも、和歌特有の語法であろう。


日本語学者の視点は、和歌の修辞については、福井久蔵(1927)・江湖山恒明(1955)・時枝誠記(1965)・此島正年(1969)・山口明穂(1969)などによって代表されるように、形態的考察を重視しながら、その本質に入っていくという手法をとっており、論理的にかつ、実証的に扱おうとしているのが、大きな特徴である。しかしその一方で、佐伯梅友(1958)のように、文学的な妙味も考え、自然な解釈も視野に入れながら、日本語学的に分析をおこなったり、別宮貞徳(1977)や坂野信彦(1996)のように日本語のリズムから考えたり、森重敏(1967)のように言語哲学的に扱う国語学者もいる。また、国文学者の中にも、尾上柴舟(1932)・鈴木日出男(1990)のように、日本語学的視点を重視して分析する研究者もいるのである。

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