可能動詞の指導法

「可能動詞」と「ら抜きことば」の指導法

可能動詞については、本来、四段・五段動詞から作られるものであるが、近年、四段・五段動詞以外でも作ってしまうことが多い。例えば、次のようなものである。
○見る(上一段)→見れる(本来は「見られる」)
○捨てる(下一段)→捨てれる(本来は「捨てられる」)
これらは、「ら抜けことば」や「れ足すことば」などと言われている現象である。また、文語文法の指導の際には、次のような例を一語として扱ってしまう間違いが続出するということが起きる。
○書ける人→基本形を「書ける」としてしまう。(本来は「書く」+「り」の連体形)
○読めるとき→基本形を「読める」としてしまう。(本来は「読む」+「り」の連体形)
これらの文法指導の問題点としては、次のようにまとめることができる。
1文語文法の指導の際、四段動詞の已然形+完了・存続の助動詞「り」の連体形が下接するときに、一語として扱ってしまい、可能動詞と間違いやすいということ。
2口語文法の指導の際、「れ足すことば」や「ら抜けことば」にしてしまいやすいこと。
以下、この現象を文法指導の際、どのように説明すれば理解しやすいかについて考察していくこととする。
まず、文語文法の「る」「らる」と連続する「れる」「られる」の接続についての説明を、教師用指導書として用いられている渡辺正数(1993)及び会田貞夫・中野博之・中村幸弘(2004)を参照してまとめると、以下のようになる。

「れる」は「ある」以外の五段動詞の未然形「ア段」と、サ変の未然形「さ」につき、「られる」は右以外の動詞の未然形および助動詞「せる」「させる」「たがる」の未然形につく。

次に、可能動詞についての記述の説明についても渡辺正数(1993)及び会田貞夫・中野博之・中村幸弘(2004)を参照してまとめてみると、次のようになる。

可能動詞は、「できる」という意味が加わったもので、五段活用動詞に可能を表す助動詞「れる」が付いて、「書かれる→書ける」となったものと推測される。ただし、「ある」などのように、五段活用がすべて可能動詞になるわけではない。可能動詞の活用は下一段活用動詞と同じであるが、命令形はない。可能動詞に命令形がないのは、可能の助動詞「れる」に命令形がないからである。

これらの説明は一般的な記述と言えるが、実際の生徒指導の際には、理解させることは容易ではない。他に日本語教育の立場での記述をみてみると、寺村秀夫(1982)の流れで記述している山田敏弘(2004)がある。山田敏弘(2004)では、学校文法の「書く(五段動詞)→書ける(可能の形)」「食べる(一段動詞)→食べられる(語幹+可能の助動詞)」「する(サ変動詞)→できる(特殊形)」の例をとりあげて、次のように日本語教育を生かした特色ある説明をしている。

明治時代   昭和後期
五段動詞 書かれる →     書ける
一段動詞 食べられる           →(食べれる)
今でも地方によって、また語によっては「行かれる」など五段動詞の可能形を長い形で言う人もいます。「食べれる」はいわゆるら抜きことばです。
この変化をローマ字で書くと次のようになります。
五段動詞 kak-are-ru→kak-e-ru
一段動詞 tabe-rare-ru→(tabe-re-ru)
五段動詞の「書ける」はひらがなで書く以上、語幹の母音が変わって可能動詞になったと説明するしか方法がありませんが、ローマ字書きをすればeが取り出せます。このeが五段動詞に続く可能の「助動詞」です。
また、この「書ける」は「食べれる」というら抜きの形と対応していることもよくわかります。
このような歴史的変化に加え、「する」に対しては特別な動詞「できる」を用いることから、複雑な対応をしているのです。
可能動詞という考え方は、歴史的変化のつじつま合わせです。少なくとも意志的動作を表す五段動詞にはすべてeを介した可能の形があります。この可能の形を可能動詞と呼び、これ以上切れない単位と考えるのは、ひらがなという表記法にしばられた考え方でしかありません。
(注)
○学校文法では「れる」「られる」を可能の助動詞と教えています。つまり「行かれる・食べられる」こそ正式な形ということです。
○短くなっていくのは、ほかに尊敬や受身の意味をもつ「れる・られる」の役割を1つでも減らそうとする動きと考えられます。
○一段動詞ではreという助動詞によっていわゆるら抜きの可能形ができます

この説明では、ローマ字書きすることで視点を変える見方を示している。また、ことばは変化し、システム化するという考え方をしている。しかし、この日本語教育の方法では、国語教育として、生徒に理解させることは容易ではない。むしろ、便法のようなものが必要ではないだろうか。それでは、どのように生徒に指導するのが実践的であろうか。永野賢(1958)では、次のような原則を立てることを述べ、判断を下すことを述べている。

「五段活用の動詞には、可能動詞の形がある。」「それ以外の動詞には、可能動詞の形はなく、未然形に「られる」(サ変は「れる」をつけて「される」となる)をつける。」というような原則を立てることができる。こういう原則によって、正俗の判断を下すことができるであろう。

この記述は、原則を立てることで生徒の理解のためには有益である。論者が用いている説明は、さらに便法的なものである。それは教師用指導書の類には見当たらない説明ではあるが、山田孝雄(1908)と井上史雄(1998)の説明を活用したもので、生徒に理解させるのに大変役立っている。
「ら抜けことば」の接続については、山田孝雄(1908)の未然形の音に注目する方法を採用している。すなわち、「ア音(未然形)+れる」「イ・エ・オ音(未然形)+られる」とするのである(注)。この方法を用いれば、
書く→書か(ア音)+れる→書かれる
食べる→食べ(エ音)+られる→食べられる
のように、実践的に比較的容易に理解できる。実際に生徒指導の際に用いてみると、助動詞の接続の説明を行っていなくても、比較的容易に理解できるようである。また同様に山田孝雄(1908)の方法で「ア音(未然形)+せる」「イ・エ・オ音(未然形)+させる」とすれば、
書く→書か(ア音)+せる→書かせる
食べる→食べ(エ音)+させる→食べさせる
となるので、「さ入れことば」の判定にも役立つ。
また、「る」を省くと命令形として意味が通るか否かで「可能動詞」か「ら抜けことば」なのかを判定するという、井上史雄(1998)の方法はたいへん有効で、
書ける→書け→命令形として意味が通る→「書ける」は「可能動詞」
食べれる→食べれ→命令形として意味が通らない→「食べれる」は「ら抜けことば」
となり、この方法は文法が苦手な生徒でも理解しやすく、生徒指導で大変役立っている。
また、日本語教育の立場として、萩原一彦(2008)は、可能表現として、「動詞の可能形」と「動詞(辞書形)+ことができる」の二つをあげ、「動詞の可能形」として、次のように「ラ抜き」を認めている。
5段動詞→命令形+る
1段動詞→ます形+られる(ます形+れる[話し言葉・ラ抜き])
する動詞→−できる
来る→来られる(来れる[話し言葉・ラ抜き])
また、「見える」「聞こえる」「わかる」には、もともと可能の意味が含まれているので、可能表現にはしないと述べている。日本語教育の立場は、国語教育や日本語学とはスタンスが異なるようである。
以上、「可能動詞」と「ら抜けことば」の指導法について述べてきた。本稿では、山田孝雄(1908)と井上史雄(1998)の論を活用して「可能動詞」と「ら抜けことば」を指導する有効性について述べた。

(注)
山田孝雄(1908)よりも早い段階では、近代の日本語教科書として書かれた大矢透(1902)がある。この中では、「る・らる」を動的語尾とし、終止形を「ウ韻字母」と呼び、その上で「る」を「ア韻字母」(甲則)、「らる」を「エ韻字母」(乙則)に接続すると説明し、「る」と「らる」を第一類と第二類とに分類している。