古典語の構文における受身表現

古典語の構文における受身表現

 岡田 誠

1.「る・らる」の語源

「る」と「らる」は、橋本進吉(1925・1969)の述べるように、自動詞語尾「る」と関係のあるものと考えられているが、その語源については諸説ある。その諸説を整理すると、次のようになる。

「る」
1「ゆ」の音韻交替(yu→ru)説・・浜田敦(1930)・松尾捨治郎(1936)
2「生る」が連用形についたとする説・・金田一京助(1949)
3ラ変動詞「あり(有り)」が四段・ナ変・ラ変などについたとする説・・大野晋(1955)
4「ある(有る)」の活用が下二段に変わったとする説・・松下大三郎(1930)
「らる」
1四段動詞に「る」のついた「取らる」「切らる」などからの類推・・金田一京助(1949)
2「らゆ」の音韻交替(rayu→raru)とする説・・浜田敦(1930)
3二段動詞の未然形に「r」を挿入してから「あり(有り」」がついたとする説・・大野晋(1955)(注)

(注)大野晋は、「生る」と「有り」は、語源が同じであるとしている。


2.「る・らる」と「す・さす」との対応

「る・らる」の四つの意味(受身・可能・自発・尊敬)と「す・さす」(使役・尊敬)との意味対応について、和田利政(1969)によると次のようにきれいに対応させることができるとしている。

使令−受身
許可−可能
誘発−自発
敬意−敬意

近藤泰弘(1983)では、「受身」と「自発(肯定形)・可能(否定形)」に二つに大別して記述している。


3.「ゆ」「らゆ」について

3.1「ゆ・らる」と「る・らる」

上代で使用されている「ゆ」「らゆ」については、尊敬の意味がないことが注目される。まだ、尊敬の意味にまで達していなかったのであろう(注)。
「ゆ」は、
○か行けば人に厭はえかく行けば人に憎まえ老男はかくのみならし(萬葉集・巻五・804)受身
○天ざかる鄙に五年住まひつつ都の手ぶり忘らえにけり(萬葉集・巻五・880)自発
○堀江越え遠き里まで送り来る君が心は忘らゆましじ(萬葉集・巻二十・4482)可能
のように、受身・自発・可能の意味を持つが、「知る」「忘る」などの限られた語につくので、しかも、それらの動詞は心情を示すものであるため、原義は自発とみて、ほぼ間違いないであろう。活用形は、
え・え・ゆ・ゆる・ゆれ・○
であり、命令形がない。現在でも「あらゆる」「いわゆる」のような形で、「ゆ」は化石化して残っている。
「らゆ」については、さらに意味が少なく、
○妹を思ひ寝の寝らえぬに秋の野にさを鹿鳴きつ妻思ひかねて(萬葉集・巻十五・3678)
のように、「可能」の意味しか存在しない。さらに、活用形も不完全で、
らえ・○・○・○・○・○
のように、未然形しか使われない。しかも、上接する語が「寝」「寝ぬ」しかなく、しかも、慣用的に「寝の寝らえぬに」となり、「眠ることができない」という不可能の意味になる。そのような点で、あまり発達しなかった語であると言える。その発達しなかった理由として、佐伯梅友(1936)は、「見ゆ」「射ゆ」などは「らゆ」が付くはずであったが、「らゆ」ができる前に「見ゆ」「射ゆ」などと慣用化してしまったと推測している。
また、佐伯梅友(1936)は、上代での『萬葉集』の仮名書きの例を引きながら、「ゆ」と「る」の使い分けとして、
受身にも可能にも用いられてゐるが、受身には「る」の例が多く、可能には「ゆ」の例が多い。また、その可能といふものも、いはゆる自然的可能といはれるものが多いが、それは用例が自らさうかたよったものであらう。
と述べ、上代の「ゆ」と「る」の役割の使い分け傾向について触れている。また、橋本進吉(1925・1969)は「ゆ」と「る」はどちらが古形か不明であるとし、松尾捨治郎(1936)は「ヤ行音からラ行音」を自然として「ゆ」を古形とするが、金田一春彦・奥村光雄(1976)では「ラ行音からヤ行音」を自然として「る」のほうを古形としている。

(注)なお、上代の「る」にも尊敬の例はない。

3.2『萬葉集』と『古今和歌集』の受身表現

萬葉集

 『万葉集』における受身の意味を表す助動詞の例を次に検討することにする。用例調査にあたっては、岩波日本古典文学大系の訓み下しに従った。用例は以下のとおりである。なお、訓みが割れるものは※の記号を付し(訓みに問題のあるものは、「所」の部分でわかれている。また、3791の「如是所為故為」は、定訓がなく、「らる」でよめば、上代に「らる」の存在を示すこととなる)、訓みに特に問題がないものには、◇を付した。

1◇昔こそ難波田舎と(難波は)言はれけめ(所言奚米)今は京引き都びにけり(巻三・312)
2※天雲の向伏す国の武士といはゆる人は(所云人者)皇祖の神の御門に外の重に・・(巻三・443)
3◇山菅の実成らぬことをわれに依せ言はれし君は(言礼師君者)誰とか宿らむ(巻四・564)
4◇青山を横切る雲の著ろくわれと咲まして(私たちは)人に知らゆな(人二所知名)(巻四・688)
5◇わが思ひかくてあらずは玉にもが真も妹が手に(私は)巻かれむを(手二所纏乎)(巻四・734)
6◇言問はぬ木すら紫陽花諸茅等か練の村戸に(私は)あざむかえけり(所詐来)(巻四・773)
7◇・・腰にたがねてか行けば(私は)人に厭はえ(比等尓伊等波延)かく行けば人に憎まえ老男はかくのみなしたまきはる命惜しけどせむ術もなし(巻五・804)
8◇・・腰にたがねてか行けば人に厭はえかく行けば(私は)人に憎まえ(比等尓迩久麻延)老男はかくのみなしたまきはる命惜しけどせむ術もなし(巻五・804)
9◇・・戴き持ちて唐の遠き境に(人々が)遣はされ(都加播佐礼)罷り坐せ海原の辺にも奥にも(巻五・894)
10◇白珠は人に知らえず(人尓不所知)知らえずともよし知らずともわれし知れらば知らずともよし(巻六・1018)
11◇橋の本に道履む八衢にものをそ(私は)思ふ人に知らえず(人尓不所知)(巻六・1027)
12◇うべしこそ見る人ごとに語り継ぎ偲ひけらしき百代経て偲はえゆかむ(所偲将往)清き白浜(巻六・1065)
13◇あぢ群のとをよる海に船浮けて白玉採ると(あなたは)人に知らゆな(人所知勿)(巻七・1299)
14◇遠浅の磯の中なる白玉を(私は)人に知られず(人不知)見むよしもがも(巻七・1300)
15◇南淵の細川山に立つ檀弓弓束纏くまで(私たちは)人に知らえじ(人二不所知)(巻七・1330)
16◇わが屋前に生ふる土針心ゆも(土針は)想はぬ人の衣に摺らゆな(衣尓須良由奈)(巻七・1338)
17◇伏し超ゆ行かましものを守らひに(私は)打ち濡らさえぬ(所打沾)波数まずして(巻七・1387)
18◇御幣帛取り神の祝が鎮斉く杉原薪伐り殆しくに(私は)手斧取らえぬ(手斧所取奴)(巻七・1403)
19◇この花の一枝のうちは百種の言持ちかねて(花は)折らえけらずや(所折家良受也)(巻八・1457)
20◇夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は(不所知戀者)苦しきものそ(巻八・1500)
21◇沫雪に降らえて咲ける(所落開有)梅の花君がり遣らばよそえてむかも(巻八・1641)
22◇・・天雲の別れし行けば闇夜なす思ひ迷はひ射ゆ猪鹿(所射十六乃)の心を痛み葦垣の・・(巻九・1804)
23◇女郎花花咲く野に生ふる白つつじ知らぬこと以ち言はえしわが背(所言之吾背)(巻十・1905)
24※春山の馬酔木の花の憎からぬ君にはしゑや(私は)寄さゆともよし(所因友好)(巻十・1926)
25◇わが屋外に植ゑ生したる秋萩を誰か標刺すわれに知らえず(吾尓不所知)(巻十・2114)
26◇を男鹿の朝伏す小野の草若み隠ろひかねて(私たちは)人に知らゆな(於人所知名)(巻十・2267)
27◇わがゆゑに言はれし妹は(所云妹)高山の峯の朝霧過ぎにけむかも(巻十一・2455)
28◇打つ田には稗は数多にありといへど擇らえしわれそ(擇為我)夜をひとり寝る(巻十一・2476)
29◇誰そこのわが屋戸に来喚ぶたらちねの母に嘖はえ(母尓所嘖)物思ふわれを(巻十一・2527)
30※おぼろかの心は思はじわがゆゑに(あなたは)人に事痛く言はえしものを(所云物乎)(巻十一・2535)
31◇たらちねの母に知らえず(母尓不所知)わが持てる心はよしゑ君がまにまに(巻十一・2537)
32◇夕凝りの霜置きにけり朝戸出にはなはだ踏みて(あなたは)人に知らゆな(人尓所知名)(巻十一・2692)
33※しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ縁さえし(名耳所縁之)隠妻はも(巻十一・2708)
34※一に云はく、(私は)名のみよさえて(名耳所縁而)恋ひつつやあらむ(巻十一・2708)
35※牛窓の波の潮騒島響み寄さえし君は(所依之君)逢はずかもあらむ(巻十一・2731)
36※浅茅原刈り標さして空言も寄さえし君が(所縁之君之)言をし待たむ(巻十一・2755)
37◇蘆垣の中の似兒草にこよかにわれと笑まして(あなたは)人に知らゆな(人尓所知名)(巻十一・2762)
38◇磯の上に生ふる小松の名を惜しみ(私は)人に知らえず(人不知)恋ひ渡るかも(巻十二・2861)
39◇いくばくも生けらじ命を恋ひつつそわれは息づく人に知らえず(人尓不所知)(巻十二・2905)
40◇おのがしし人死すらし妹に恋ひ日にけに(私は)痩せぬ人に知らえず(人丹不所知)(巻十二・2928)
41◇水を多み高田に種蒔き稗を多み(穂は)えらゆる業そ(擇擢之業曽)わが独り寝る(巻十二・2999)
42◇馬柵越しに麦はむ駒ののらゆれど(雖詈)なほし恋しく思ひかねつも(巻十二・3096)
43◇(私が)おのれゆゑのらえて居れば(所詈而居者)あを馬の面高夫駄に乗りて来べしや(巻十二・3098)
44※おし照る難波の崎に引き上る赤のそほ舟に綱取り繋けひこづらひありなみすれど言ひづらひありなみすれどありなみ得ずぞ言はえにしわが背(所言西我身)(巻十三・3300)
45◇・・天雲の行きのまにまに射ゆ猪鹿の(所射完之)行きも死なむもと思へども・・(巻十三・3344)
46◇汝が母に嘖られ吾は行く(己良例安波由久)青雲のいで来吾妹子逢ひ見て行かむ(巻十四・3519)
47◇等夜の野に兎狙はりをさをさも寝なへ兒ゆゑに(私は)母に嘖はえ(波伴尓許呂波要)(巻十四・3529)
48◇緑子の若子が身にはたちし母に懐かえ(母所懐)ひむつきの・・(巻十六・3791)
49◇今日やも子等に不知にとや(私は)思はえてある(所思而在)・・(巻十六・3791)
50◇忍ぶらひかへらひ見つつ誰が子そとや(私は)思はえてある(所思而在)・・(巻十六・3791)
51※・・今日やも子等に不知にとや思はえてある(所思而在)(私は)かくの如せられし故に古の・・(巻十六・3791)
52※・・誰が子そとや思はえてある(私は)かくの如せられし故に(如是所為故為)(古の・・(巻十六・3791)
53◇白髪し子らも生ひなばかく如若けむ子らに(私は)罵らえかねめや(所詈金目八)(巻十六・3793)
54◇わが門に千鳥数鳴く起きよ起きよわが一夜夫人に知らゆな(人尓所知名)(巻十六・3873)
55◇所射ゆ猪を(所射鹿乎)鹿をつなぐ川辺の和草の身の若かへにさ寝し兒らはも(巻十六・3874)
56◇梯立の熊来酒屋に真罵らる奴(真奴良留奴)わし誘ひ立て率て来なましを真罵らる奴わし(巻十六・3879)
57◇梯立の熊来酒屋に真罵らる奴わし誘ひ立て率て来なましを真罵らる(真奴良留奴)奴わし(巻十六・3879)
58◇住吉の御津に船乗り直渡り日の入る国に遣はさる(所遣)わが背の君と・・(巻十九・4245)

訓みが割れるものも含めて合計58例ある(訓みに問題のあるものは10例)。岩波古典文学大系の訓みに従うと受身で使われているものは、
「ゆ」46例
「る」10例
「らる」2例
となる。
なお、訓みがわかれる箇所の特徴としては、次のように「所」の文字の訓みで意見が分かれている。

所云人(巻三・443)いはゆるひと・いはれしひと・いはるるひと・いはえしひと
所因友(巻十・1926)よさゆども・よそるとも
所云物乎(巻十一・2535)いはれしものを
所縁之(巻十一・2708)よさえし・よそりし
所縁之(巻十一・2708)よさえし・よそりし
所依之(巻十一・2731)よさえし・よそりし
所縁之(巻十一・2755)よさえし・よそりし
所言西(巻十三・3300)いはえにし・いはれにし
如是所為故為(巻十六・3791)かくのごとせらえしゆゑに・かくのごとせられしゆゑに
如是所為故為(巻十六・3791)かくのごとせらえしゆゑに・かくのごとせられしゆゑに

( )でそのうち訓みがわかれるものを示し、巻ごとの用例数をまとめてみると次のようになる。

巻一   0
巻二   0
巻三   2(1)
巻四   4
巻五   3
巻六   3
巻七   6
巻八   3
巻九   1
巻十   4(1)
巻十一  11(4)
巻十二  6
巻十三  2(1)
巻十四  2
巻十五  0
巻十六  10(2)
巻十七  0
巻十八  0
巻十九  1
巻二十  0

このようにみてみると、巻七・巻十一・巻十二・巻十六に多く偏っていることがわかる。巻七は、ほとんどすべてが作者未詳歌で、雑歌・譬喩歌・挽歌の三部から成り、多くが「月を詠む」「花に寄する」といった題をもつ。また、旋頭歌が二十五首収められる。人麻呂歌集から約六十首採られている。巻十一と巻十二は「古今相聞往来歌」の上下で、一組と考えられる。「正述心緒」「寄物陳思」以下五つの部立にわける。巻十六は、「由縁有る雑歌」として、伝説歌・地方民謡などを収める。
また部立でみると、
雑歌20例
相聞25例
挽歌4例
その他9例
となり、相聞が一番多い。その他の箇所を細かくみると、
比喩歌6例
東歌2例
遣唐使に贈る歌1例
 また、慣用句的なものとして、「―に知らえず」「人に知らゆな」が目立つ。「―に知らえず」は8例あり、そのうち、6例が「人に知らえず」となっていて、類似的なものとして「人に知られず」が1例ある。「人に知らゆな」は6例ある。これらは、「動作主」が「に」で表されているのだが、この動作主が「に」で明示されているのは、58例中、28例あり、比較的明示されていることがわかる。
 次に、主語が連体修飾で表れている例が目に付くが、そういった例は20例ある。また、主語が表出され