古代の非情の受身と有情の受身について

古代の非情の受身と有情の受身について−その比較と考察

本稿では、先行研究に見られる受身、とりわけ、古典の非情の受身と呼ばれる現象に着目してみた。そして、主に、中古の資料を中心として、有情の受身と呼ばれるものと、比較しながら扱った。
使用したのは、『萬葉集』『竹取物語』『伊勢物語』『大和物語』『古今和歌集』『土佐日記』『落窪物語』『和泉式部日記』『枕草子』『源氏物語』『紫式部日記』『堤中納言物語』『更級日記』『方丈記』『徒然草』(岩波古典文学大系)である。ただし、『源氏物語』は『源氏物語・全』(おうふう)を用い、桐壺から藤裏葉までを調査した。その他は、全用例を調査した。
なお、本稿は1997年に國學院大學に提出した修士論文の一部をもとに、中村幸弘先生、遠藤和夫先生、間宮厚司先生、杉浦克己先生のご意見と、近藤泰弘先生「日本語特論」と尾上圭介先生「出来文」のご講義を参考に加筆修正したものであることを付記しておく。


1、非情の受身について

受身表現の中で特徴的なものとして、主語(主格)に立つものが、情のないもの、つまり、「非情の受身」と呼ばれるものがある。「非情の受身」の存在の指摘としては、もっとも早い例として、三矢重松(1908)がある。三矢重松(1908)は、「非情の受身」として
コロンブスに発見せられたる亜米利加
○スマイルスの自助論は、中村敬宇氏によりて翻訳せられたり
○日本人に消費せらるる米の高
○木風に倒さる
○床に懸けられたるは元信の筆なり
の例をあげている。
こういった例は、明治期以降の欧米文の翻訳によって出現したものとされ、三矢重松(1908)、山田孝雄(1908)、松下大三郎(1930)、橋本進吉(1969)らの「非情の受身・非固有説」が一般には支持されてきた。しかし、古典文においても、
○硯に髪の入りてすられたる(枕草子・28段)
○逢坂の歌はへされて、返しもえせずなりにき。(枕草子・131段)
のような「非情の受身」の例が実際には見られ、古典文における例を、宮地幸一(1968)、小杉商一(1979)らが数多くあげ、「非情の受身・固有説」を主張した。ただし、和歌における例は、主語が人間以外であっても、動物・植物などに自分の身や相手を託したりしている点で、擬人的とも考えられるため、実質は有情の受身になる場合もある点で、注意を要する。
また、奥津敬一郎(1992)では、『萬葉集』からも、
○・・清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲ひけらしき 万世経て 偲はえゆかむ 清き白浜(萬葉集・1065)
などのような「非情の受身」の例をあげている。
清水慶子(1980)は、上代から現代までの非情・有情の受身を通時的な視点で調査しているが、それぞれの割合や、動詞の自他について述べているため、どのような例を扱っているのか明確ではない。そこで、本稿では、積極的に非情の受身を認める立場で、中古を中心に用例を調査していくこととする。


2、非情の受身の用例調査

以下、実際に積極的に非情の受身を認める立場で、古典文の「非情の受身」の例を見ていくこととする。今回の調査で用いた出典は、『萬葉集』『竹取物語』『伊勢物語』『大和物語』『古今和歌集』『土佐日記』『落窪物語』『和泉式部日記』『枕草子』『源氏物語』『紫式部日記』『堤中納言物語』『更級日記』『方丈記』『徒然草』(岩波古典文学大系)である。ただし、『源氏物語』は『源氏物語・全』(おうふう)を用い、桐壺から藤裏葉までを調査した。その他は、全用例を調査した。ただし、表記は私意によって改めた箇所がある。また、紙面の都合上、全用例はあげなかった。

萬葉集』・・13例
○白珠は人に知らえず知らずともよし知らずともわれし知れらば知らずともよし(1018)
○この花の一枝のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや(1457)
○沫雪に降らえで咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも(1641)
○昔こそ難波田舎と言はれけめ今は今日引き都びにけり(312)
竹取物語』・・2例
○もし、幸に神の救あらば、(船ハ)南の海に吹かれおはしますべし。(28)
○これを見て、内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はん心もなかりけり。(9)
土佐日記』・・1例
○(私ノ)およびもそこなはれぬべし。(廿日)
伊勢物語』・・1例
○つとめて、その家の女の子ども出でて、浮海松の浪によせられたる拾ひて、いへの内に持て来ぬ。(87段)
『大和物語』・・9例
○家も焼けほろび、物の具もみなとられはてて、いといみじうなりにけり。(126段)
○隠れ沼の底の下草水隠れて、知られぬ恋はくるしかりけり。(138段)
○かの廂にしかれたりし物は、さながらありや。(140段)
○簾もへりは蝙蝠にくはれてところどころなし。(173段)
古今和歌集』・・8例
三輪山をしかも隠すか春霞人に知られぬ花や咲くらむ(巻2・春歌下・94)
○雪降れば冬こもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける(巻6・冬歌・323)
○・・今は野山し近ければ春は霞にたなびかれ夏は空蝉なきくらし秋は時雨に袖を貸し冬は霜にぞせめらるるかかるわびしき身ながらに・・(巻19・雑歌体・1003)
落窪物語』・・7例
○さきなる車は、尻ばやにこされて、人々わびにたり。(巻之二)
○後の御車せかれて、とどまりがちなれば、雑色どもむつかる。(巻之二)
○人々の装束は、爰にしおかれたらむまうけの物して、西の対にてせんとおもほして、西の対しつらはせたまふ。(巻之四)
和泉式部日記』・・1例
○冬の日さへ氷にとぢられて明かしがたきを明かしつるかな。
枕草子』・・36例
○帽額の簾は、まして、こはじのうちおかるるおといとしるし。(28段)
○つまとりの里、人に取られたるにやあらむとをかし。(65段)
○神楽の笛のおもしろくわななき吹きすまされてのぼるに、・・・(142段)
○近う立てたる屏風の絵などは、いとめでたけれども、見もいれられず。(271段)
源氏物語』・・64例
○この際に立てたる屏風も、端の方おしたたまれたるに、紛るべき几帳なども、・・。(空蝉)
○数珠の脇息にひき鳴らさるる音、ほの聞こえ、・・。(若紫)
○筝の琴の引き鳴らされたるも、けはひしどけなく、・・。(明石)
○御髪の吹き上げらるるを、人々おさへて、いかにしたるにかあらん、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。(野分)
紫式部日記』・・7例
○おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。(1)
○渡殿の橋のとどろとどろと踏みならさるるさへぞ、ことごとの気配には似ぬ。(2)
○いとよくはらはれたる遣水の、心地ゆきたるけしきにて、・・。(27)
○口にいと歌の詠まるるなめりとぞ見えたるすぢに侍るかし。(48)
堤中納言物語』・・3例
○(毛虫ハ)日にあぶらるるが苦しければ、こなたざまに来るなりけり。(虫めづる姫君
○まろが菊の御方(=虫の名)こそ、ともかくも人にいはれ給はね。(はなだの女御)
○左の果てに取りいでられたる根ども、さらに心及ぶべうもあらず。(逢坂越えぬ権中納言
更級日記』・・10例
○軒近きをぎのいみじく風に吹かれて、くだけまどふが、・・。
○ゐやう定の吹きすまされたるは、何ぞの春とおぼゆかし。
○冬の夜の月は、昔よりすさまじきもののためしにひかれて侍りけるに、・・。
○そのをり荒造りの御顔ばかり見られしをり思ひ出でられて、・・。
方丈記』・・4例
○あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ移りゆく。(2)
○家はこぼたれて淀川に浮かび、地は目のまへに畠となる。(2)
○人をはぐくめば、心恩愛につかはる。(2)
○さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるしなし。(2)
徒然草』・・31例
○されば、女の髪すぢをよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にてつくれる笛には、秋の鹿、必ず寄るとぞ言ひつたへはべる。(9段)
○古き墳はすかれて田となりぬ。(30段)
○焚かるる豆殻のはらはらと鳴る音は、・・。(69段)
○御溝にちかきは河竹、仁寿殿のかたによりて植ゑられたるは呉竹なり。(200段)

まとめてみると、受身の全用例における「非情の受身」の割合は、次のようになる。

萬葉集22.4%
竹取物語14.3%
土佐日記25.0%
伊勢物語9.1%
大和物語32.1%
古今和歌集72.7%
落窪物語7.0%
枕草子28.3%
和泉式部日記8.3%
紫式部日記20.6%
源氏物語20.9%
更級日記37.0%
堤中納言物語27.3%
方丈記66.7%
徒然草40.8%
※『源氏物語』は「桐壺」から「藤裏葉」までを扱った。

まず、古典文における「非情の受身」の例として、よく引用される『枕草子』と『徒然草』は、よく引用されるだけあって、それぞれ、28.3%、40.8%と他の作品よりも割合が高いことがわかる。
この数値の中で、『古今和歌集』における「非情の受身」の割合が高いのは、擬人的表現が多いためだと考えられる。つまり、有情と非情との同一視が考えられる。
また、『竹取物語』『伊勢物語』『落窪物語』『和泉式部日記』での「非情の受身」の割合の少なさは、人物関係が中心であり、しかも、話の展開が早いため、主語(主格)には、非情物がなりにくいためであると考えられる。
枕草子』『源氏物語』『紫式部日記』『更級日記』の場合には、自然描写の場面での「非情の受身」が多い。
まとめると、次のようになる。
○和歌における「非情の受身」は、擬人法が多いので、純粋に「非情の受身」の例とすることはできない。
○人物関係を主とし、話の展開が早い作品では、「非情の受身」が使われにくい。
○自然を描写する場面での「非情の受身」が多い。このことは、尾上圭介(1998a)が既に指摘しており、古典の非情の受身を情景描写の受身と呼んでいる。
○文章の性質によって、「非情の受身」の使用状況には異なりが出てくる。


3、非情・有情の受身−状態性−

非情の受身の主語(主格)としては、どのようなものがあるかについては、小杉商一(1979)が、
(1)非情のものが擬人化されてゐるかまたは、言ひかけなどで、それに準じてゐる場合。
(2)有情のもの(人)の身体の一部分が受身の主語となる場合。
(3)歌・詞などが受身の主語となる場合。
(4)人の乗つてゐる車が受身の主語になつてゐる場合。
(5)衣装が受身の主語になつてゐる場合。
(6)「人ガ非情物ヲ・・サレル」の場合。
をあげ、これらは「なんらかの意志で、その表現の中に看取されるものであり、これらを一往、純粋の非情の受身から除いて考察することにする」と述べ、動作主についても、
(1)風・波などが動作・作用を加へた場合。
(2)車・草子などが動作・作用を加へる場合。
(3)動作・作用を加へたのは人(猫・蝙蝠)であるが、人等にその結果をもたらす意志がなく、結果として自然さうなつた場合。
(4)動作・作用を加へたものが、文脈上不明の場合。
(5)動作・作用を加へたものが不特定多数の場合。
(6)動作・作用を加へたものは判つてゐるが、誰がしたかは問題ではない場合。
と分類している。さらに、小杉商一(1979)は、次のように述べている。

非情の受身においては、動作・作用を加へるものは、いづれの場合もほとんど問題にされてをらず、従つて誰がしたかといふ動作性は、極めて希薄になり、その結果としてある状態の方が重要視されてゐるのに気づく。このことは非情の受身には、ほとんどの場合、存在継続の「たり」または「り」が下接されてゐることによつても明らかである「たり」も「り」も下接にない場合は「あり」か「侍り」か「無し」等、存在や状態を表はす語が必ず下にある。

最初に受動文に状態性のあることを述べた山田孝雄(1908)は、「有情の受身」(動作作用の影響を受くる者其自身より見たる受身)と「非情の受身」(傍観者ありて動作作用の影響を受くる其状態を見たる場合の受身)は、一種の状態性を示すものであり、「状態性こそ受動文の本質」と述べている。したがって、小杉商一(1979)の論は、山田孝雄(1908)の流れとして位置づけることができる。この小杉商一(1979)の論を発展させたのが、金水敏(1991)である。金水敏(1991)は、
平安時代の仮名散文の非情の受身は、知覚された状況を描写する場面で用いられることが多い。
と述べ、そのような場面で用いられる文を叙景文(限定された時空に存在する、ものの「現れ」をうつしとるもの)と名付けている。また、小杉商一(1979)の示した「非情の受身」の例を金水敏(1991)は、大きく二分類し、アスペクトの違いとしている。まとめてみると、次のようになる。

Ⅰ結果の存続・・視覚的な状況描写
「り」「たり」「あり」「侍り」「無し」が下接するか、それに準ずる状態性の表現になる。
○硯に髪の入りてすられたる。(枕草子・28段)
○だいの前に植ゑられたりけるぼうたのをかしきこと。(枕草子・143段)
Ⅱ作用の持続・・聴覚的な状況描写
必ずしも「り」「たり」等の状態性の助動詞は付与されない。
○数珠の脇息に引き鳴らさるる音ほの聞え、・・。(源氏物語・若菜)
○神楽の、笛のおもしろくわななき吹きすまされてのぼるに、・・。(枕草子・142段)

この非情の受身の状態性に関して、細井由紀子(1986)では、現代語について、次のように報告している。まとめてみると、次のようになり、現代語でも、非情の受身の状態性は、指摘できるようである。

              動詞の意味
受身文に主語が有生名詞句  動作に力点     動作受身
受身文に主語が無生名詞句  結果の状態に力点  状態受身

ところが、小杉商一(1979)が指摘したように、「たり」「り」の下接というのが気になるところである。
現代語で考えた場合には、
○彼は殴られた。
○生徒が先生に叱られた。
○バスが破壊された。
○花が風に吹かれている。
などのように、「たり」の流れを引いている「た」や「ている」という語が非情・有情に関係なく、下接しているからである。小杉商一(1979)の論は非情の受身に限定したものであったが、ここでは主語が有情である場合の用例まで拡大して、「たり」がどのくらい下接しているかについて考察してみたい。
実際に、有情の受身を調査すると、
○かいまみの人、隠れ蓑とられたる心地して・・。(枕草子・104段)
○「いかで、かく心もなきぞ」などいへど、(我々ハ)のぶることも言はれたり。(枕草子・278段)
○(葵上ハ)いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、・・。(源氏物語・桐壷)
○まろは皆人に許されたれば、召しよせたりとも、なでふことかあらむ。(源氏物語・花宴)
などのように、「たり」の下接している例が目につく。そこで、主語が非情・有情の受身の場合、どのくらい「たり」が下接するか、その用例数を調査してみたところ、『萬葉集』『古今和歌集』『土佐日記』『和泉式部日記』には、「たり」の下接例が無かったが、それ以外のものについては、次のようになった。


        有情   非情   合計
落窪物語    2    1    3
竹取物語    1    0    1
伊勢物語    4    1    5
大和物語    0    2    2
枕草子     10    17    27
源氏物語    19    20    39
紫式部日記   4    3    7
堤中納言物語  2    1    3
更級日記    1    5    6
方丈記     0    1    1
徒然草     2    2    4
合計      45    53    98

対象とした有情628例・非情197例のうち、「たり」が下接したのは、有情45例・非情53例で、それぞれ次のようになる。

有情の受身 7.2%
非情の受身 26.8%

この結果から、古典文で「たり」が下接するのは、主語が非情の場合だけではなく、有情の受身にも、状態性の表現になり得るものがあるということが言える。
しかし、全体的な比率からは、有情の受身で、「たり」の下接する率は低いので、小杉商一(1979)の論を妨げるものではないといえる。


4、非情・有情の受身と旧主語ニ格

小杉商一(1979)の後に出た、金水敏(1991)では、動作主を旧主語と呼び、その旧主語の表示の形式として、次のものをあげている。

ニヨッテ
ノ為ニ
ヨリ
カラ
そして、ニとニヨッテに着目し、ニヨッテについては、松下大三郎(1930)を引用しながら、
○この橋はわが友人によって作られた。
の例をあげ、ニヨッテが加わった結果、非情の受身の表現範囲は、一層広がったと述べ、「新主語が人間でもニヨッテ受身ではもの扱いされる」としている。
そして、主語と旧主語の組み合わせにおいて、
◇非情物+非情物ニ格
◇非情物+有情物ニヨッテ格
◇非情物+非情物ニヨッテ格
となること、つまり、主語が非情物の場合、動作主を示すものが有情物のとき、ニ格では示せなかったが、ニヨッテ格で示せるようになったことを指摘している。
ニヨッテ(古くはニヨリテ・ニヨリ)はいつからについては、同じく金水敏(1991)が次のように述べている。

上代から存在が確かめられるが、受動文の動作主表示に用いられるのは、19世紀のオランダ語直訳の場におけるものが初めてである。つまり、オランダ語の受動文の動作主表示のための前置詞doorに「によって」という訳語が与えられたことに起因する。はっきりニヨッテ受身の形で文献に現れるのは、オランダ文典直訳書が早い。
○彼所ニ併ナガラ一二ノ一般ノ規則ト而シテ経験ガ此ニ就テ巧者ナル語学者ニ由テ定メラレテアル。(竹内宗賢訳『和蘭文典読法』初編9オ、安政三年(1856))
この直訳法は、明治期の英学にも受け継がれた。つまり、受動文のbyがやはり「によって」と訳されたのである。この訳読文型は、明治の中ごろまで、『~直訳』と名付けられた書物の類で用いられた。

さらに、金水敏(1991)は旧主語と主格とに注目して、以下のようなパターンに分けている。

    主格    旧主語表示
A 〈非人格的〉  (なし)
B 〈非人格的〉  〈非人格的〉ニ
C 〈非人格的〉  〈人格的〉/〈非人格的〉ニヨッテ
d*〈非人格的〉  〈人格的〉ニ
e 〈人格的〉   〈人格的〉ニ
f*〈人格的〉   〈人格的/非人格的〉ニヨッテ

そこで、本稿では、金水敏(1991)の示したものを参考に、非情(非人格的)・有情(人格的)という従来からの用語を使用し、表出されているニ格に着目して次のようなパターン分けで、古典文における非情・有情の受身を整理してみる。出典は、日本古典文学大系を使用した。ただし、『源氏物語』は、『源氏物語・全』(おうふう)を使用した。

     主語   旧主語ニ格
(1)  有情   なし
(2)  有情   有情
(3)  有情   非情
(4)* 非情   有情
(5)  非情   非情
(6)  非情   なし

1.「有情−なし」の例
○山菅の実成らぬことをわれに依せ言はれし君は誰とか宿らむ(萬葉集・巻4・564)
○さ言はるる人をも、喜ばせたまふもをかし。(枕草子・137段)
○御子どもは、いづれともなく、人がらめやすく、世に用ゐられて、心地よげに物したまひしを。(源氏物語・賢木)
○法師はあまた所くはれながら事故なかりけり。(徒然草218段)
2.「有情−有情」の例
○汝が母に嘖られ吾が行く青雲のいで来吾妹子逢ひ見て行かむ(萬葉集・巻14・3519)
○人にも語りつがせ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。(枕草子・292段)
○(入道ハ)弟子どもにあはめられて、月夜に出でて、行道するものは、遣水に倒れ入りにけり。(源氏物語・明石)
○かく人に恥ぢらるる女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがあり。(徒然草・107段)
3.「有情−非情」の例
○わが思ひかくてあらずは玉にもが眞も妹が手に(私ハ)巻かれむを(萬葉集・巻4・734)
○(頭の弁ハ)夜を通して、昔物語も聞こえあかさむとせしを、にはとりの声に催されてなむ。(枕草子・292段)
○(源氏ハ)たまたま朝廷に数まへられたてまつりては、・・。(源氏物語朝顔
○くちばみに蟄されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、則ち癒ゆとなむ。(徒然草・96段)
4.「非情−有情」の例*
○白珠は人に知らえず知らずともよし知らずともわれし知れらば知らずともよし(萬葉集・巻6・1018)
○ことに人に知られぬもの凶会日。(枕草子・261段)
○何事も、人にもどき扱はれぬ際はやすげなり。(源氏物語・賢木)
○すべて、人に愛楽せられずして、衆にまじはるは恥なり。(徒然草・134段)
5.「非情−非情」の例
○沫雪に降らえで咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも(萬葉集・巻8・1641)
○髪は風に吹きまよはされてすこしうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。(枕草子・200段)
○うち解けたりし宵の側目はいとわろかりしかたち様なれど、もてなしに隠されて、口惜しうはあらざりかし。(源氏物語・末摘花)
○夜寒の風に誘はれくるそらだきものの匂ひも、身にしむ心地す。(徒然草・44段)
6.「非情−なし」の例
○・・偲ひけらしき百世経て偲はえゆかむ清き白濱(萬葉集・巻6・1065)
○唐絵の屏風の黒み、おもてそこなはれたる。(枕草子・163段)
○この際に立てたる屏風も、端の方おしたたまれたるに、・・。(源氏物語・空蝉)
○いにしへのひじりの御代の政をも忘れ、民の愁、国のそこなはるるをも知らず。(徒然草・2段)


     主語   旧主語ニ格
(1)  有情   なし
(2)  有情   有情
(3)  有情   非情
(4)* 非情   有情
(5)  非情   非情
(6)  非情   なし

(1) (2) (3) (4) (5) (6) 合計
萬葉集 21  22  2  2  2  9 58
竹取物語 11  0  1  0  1  1 14
伊勢物語 6  3  1  0  1  0 11
古今和歌集 1  2  0  1  3  4 11
大和物語 13  6  0  0  1  8 28
土佐日記 3  0  0  0  0  1 4
落窪物語 71  22  0  0  0  7 100
枕草子 60  28  3  5  6  25 127
源氏物語 176  48  18  3  7  54 306
和泉式部日記 8  0  3  0  1  0 12
紫式部日記 22  4  1  0  0  7 34
堤中納言物語 4  2  2  0  1  2 11
更級日記 13  4  0  0  1  9 27
方丈記 1  1  0  0  0  4 6
徒然草 23  14  8  1  6  24 76

ここで、注目したいのは、金水敏(1991)で、古代語・現代語に及ぶこととして、「受動文における人格的役割の分布制約」として、
非人格的役割を担う名詞が受動文の新主語であるとき、人格的役割を担う旧主語をニ格で表出してはいけない。
と述べていることと反する、
「非情−有情」
の例が少ないながらも存在している点である。今回の調査では、表からもわかるとおり、『萬葉集』で2例、『古今集』で1例、『枕草子』で5例、『源氏物語』で3例、『徒然草』で1例、存在する。以下に、その全用例をあげておく。

萬葉集
1 白珠は人に知らえず知らずともよし知らずともわれし知れらば知らずともよし(巻6・1018)
2 たらちねの母に知らえずわが持てる心はよしゑ君がまにまに(巻11・2537)
古今集
3 三輪山をしかも隠すか春霞人に知られぬ花や咲くらむ(巻2・春歌下・94)
枕草子
4 (翁丸=犬の名ハ)人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。(9段)
5 人にあなづらるるもの。(27段)
6 人におぢらるるうへのきぬはおどろおどろし。(45段)
7 つまとりの里、人に取られたるにやあらむ、我がまうけたるにやあらむとをかし。(65段)
8 ことに人に知らえぬもの凶会日。(261段)
源氏物語
9 君にかく引きとられぬる帯なればかくて絶えぬる中とかこたむ。(紅葉賀)
10 何事も、人にもどき扱はれぬ際はやすげなり。(賢木)
11 (噂ガ)かく人に見せ言ひ伝へらるるこそ心得ぬ事なれ。(篝火)
徒然草
12 すべて、人に愛楽せられずして、衆にまじはる恥なり。(134段)

これらの例を概観して気づくことは、まず、主語が連体修飾されているものが多く、2・3・5・6・8・9が連体修飾になっている。そして、主語が表出されていないものが4・11である。
また、1・2・3は和歌であるため、擬人法などの多様性があり、和歌独特の発想として、非情物と有情物との同一視も十分に考えられるので、注意が必要である。
小杉商一(1979)以来、言われている、平安時代の純粋な非情の受身の特徴である、下に「たり」「り」「あり」「なし」か、それに準ずる状態性の表現となっているものは、7だけである。そうすると、7は孤例と考えられる。したがって、広義の非情の受身を扱う際には疑問が残るが、狭義として、つまり、純粋な非情の受身として考える際には、金水敏(1991)の理論が適用できる。
12は、鎌倉時代の例なので、小杉商一(1979)の指摘にもあるように、鎌倉時代からは、純粋な非情の受身でも、状態性の表現にならないものが出てくるので、12は異質である。
旧主語ニ格を見てみると、9を除いて、すべて表出されており、しかも、表出されているものは、2を除いて、すべて一般的な「人」である点も注目してよいと思われる。

次に全用例数をまとめて、受身全体の中で占める割合を表にしてみる。

         用例数  割合
1有情−なし  433  52.5%
2有情−有情  156  18.9%
3有情−非情  39  4.7%
*4非情−有情  12  1.5%
5非情−非情  30  3.6%
6非情−なし  55  18.8%
合計     825  

○有情の受身 628  76.1%
[有情の受身の分類の割合]
有情−なし  68.9%
有情−有情  24.8%
有情−非情  6.2%
○非情の受身 197  23.9%
[非情の受身の分類の割合]
非情−有情  6.1%
非情−非情  15.2%
非情−なし  78.7%

この表から気づくことをまとめてみる。

◇非情の受身では、「非情−なし」が8割近くを占めるが、金水敏(1991)では、この形が叙景文(限定された時空に存在する、ものの現れを写し取る文)に多く見られる形式としている。尾上圭介(1998a)では、古典文における非情の受身は、情景描写の受身としたが、これは金水敏(1991)の言う、叙景文ということであり、確かに古典文では多いけれども、完全に情景描写と言い切るのは割合から言って難しいが、古典文の場合には、現代語の非情の受身のように多様なものとは質が異なっていることがわかる。

◇形として、主語が有情ならば、ニ格は有情もしくは表出しない、また逆に主語が非情ならば、ニ格は非情もしくは表出しない。つまり、「有情−なし」「有情−有情」「非情−なし」「非情−非情」というのが、それぞれ、有情の受身・非情の受身の9割以上である。したがって、「有情−非情」や「非情−有情」は好まれなかったことがわかる。

金水敏(1991)の「*非情−有情」が、小杉商一(1979)の狭義の非情の受身(純粋な非情の受身)では言えたが、広義での非情の受身では、当てはまらなかったように、狭義の非情の受身か広義の非情の受身かで、異なってくるので、論を進める際に、どちらの立場かを明示する必要がある(注)。


結び

本稿で述べてきたことをまとめてみる。

◇和歌における「非情の受身」は、非情・有情の同一視である擬人法が多いため、純粋な「非情の受身」の例とすることはできない。この点については、『国語学大辞典』でも記述が見られる。
◇人物関係を主として、話の展開が早い作品では、「非情の受身」が使われにくい。
◇自然を描写する場面での「非情の受身」が多い。このことは尾上圭介(1998a)が既に指摘している。
◇文章の性質によって、「非情の受身」の使用状況は、異なりが出てくる。例えば、非情の受身の例としてよく使われる、『枕草子』『方丈記』『徒然草』などの随筆は頻度が高い。
◇全体的な割合は高くはないが、古典の非情の受身だけでなく、有情の受身でも状態性の表出になるものがある。
◇非情の受身では、「非情−なし」が7割以上あるが、金水敏(1991)では、この形が叙景文(限定された時空に存在する、ものの現れを写し取る文)に多く見られる形式としている。尾上圭介(1998a)では、古典文における非情の受身は、情景描写の受身としたが、これは金水敏(1991)の言う、叙景文ということであり、確かに古典文では多いけれども、完全に情景描写と言い切るのは割合から言って難しいが、古典文の場合には、現代語の非情の受身のように多様なものとは質が異なっていることがわかる。
◇形として、主語が有情ならば、ニ格は有情もしくは表出しない、また逆に主語が非情ならば、ニ格は非情もしくは表出しない。つまり、「有情−なし」「有情−有情」「非情−なし」「非情−非情」というのが、それぞれ、有情の受身・非情の受身の9割以上である。したがって、「有情−非情」や「非情−有情」は好まれなかったことがわかる。
金水敏(1991)の「*非情−有情」が、小杉商一(1979)の狭義の非情の受身(純粋な非情の受身)では言えたが、広義での非情の受身では、当てはまらなかったように、狭義の非情の受身か広義の非情の受身かで、異なってくるので、論を進める際に、どちらの立場かを明示する必要がある。

(注)
小杉商一(1979)は、主語にも問題がない非情の受身で、「たり」「り」なども下接せず、しかも、状態性の表現になっていないものを、「非情の自発」として処理している。しかし、山田孝雄(1908)の受身文の状態性の指摘や、時枝誠記の話し手と聞き手の言語の場や金田一春彦アスペクトの流れを受けた近藤泰弘(2000)の状態性についての定義では、「話し手の主観的表現」となり、このように状態性をとらえるなら、これらの非情の受身も状態性として処理できることになる。また、状態性を持ち込まず、話し手と聞き手の言語の場を想定しないで、「出来文」としてとらえ、山田孝雄(1908)の非情の受身を二分類した枠組み(日本語本来の状態性のある非情の受身と西欧直訳的な非情の受身)を用いて、尾上圭介は「情景描写の受身」と「非情の受身」とに分類した。このように、山田孝雄(1908)の指摘は、受身文の研究に大きな影響を与えている。


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